15話 犬山城攻防戦
犬山攻防戦は結果から書くと全く勝負にならない程、信広、信長軍の圧勝に終わった。
信長は出発前に『策がある』と言った。
その策が大当たりだった。
それだけの事である。
信長からしてみれば、反乱の時期は予想外だったが、織田信清が事を起こすのは知っている為、転生直後から手を打っていた。
従って何の事は無い。
親衛隊の中から間者適正のある者を何人も忍ばせていただけである。
戦う前に勝つ。
ただ戦って褒美を得るだけの大多数の武士には解らないが、戦の前には様々な下準備や外交努力、謀略や駆け引きがあり、戦闘行為は最後の手段である。
戦ありきの戦略では消耗するだけである。
無論、信長も必要なら戦うが、戦う前に転生のアドバンテージを最大限活かしたのだった。
卑怯などとは微塵も思わない。
死ぬべき人間には躊躇なく死んでもらうが、救える者は可能な限り救う。
信長は1億年先の地獄を変える為に使えるモノは何でも使うつもりだ。
それが予め犬山城に間者を潜ませた理由である。
親衛隊の間者も自分達の活動に誇りを持っている。
自分達の力で戦を回避できれば大成功、無理なら可能な限り信長軍に有利に働く様にする。
そんな訳で間者はありとあらゆる流言蜚語はもちろんの事、破壊工作や戦闘になった際の妨害工作を行う。
更には、商売適正のある者を犬山城下で商売させ流言はもちろん、武器防具や日用品を犬山城に収めるついでに内情を調べ上げ、賄賂や工作によって家臣を骨抜きにしていた。
そもそも、犬山城に所属する者達も元々敵国と言う訳ではない。
同じ国内、同じ主君に仕える身内同士で、ただ単に城主が信秀とは反りが合わないだけである。
しかし尾張にも武名轟く斎藤利政(斎藤道三)、今川義元と互角に争う信秀に逆らうこと自体、家臣は勿論、民や兵に至るまで抵抗感が強いのに、斎藤家と信秀に挟まれた四面楚歌な状態で信秀を裏切るなんて、裏切りを実行する当の本人以外誰も予想できない。
謀反を起こした城主以外の全てが困惑している。
それはつまり間者活動がやり易い土壌が勝手に出来上がっているのも同然で、後は信長が好きな様に料理するだけである。
無論、楽田城も大差無い状態にしてある。
最早、織田信清、織田寛貞共にそれぞれ『城の責任者』以外に付け加える情報は無い状態であった。
勿論、織田信清、織田寛貞共に解っている。
このままではジリ貧である事を。
できれば家臣達に理由を話し意思の統一を図りたい。
だが、できない。
そんな事をしたら信秀に策が漏れてしまうからだ。
織田信清、織田寛貞も信秀には及ばないが、かと言って馬鹿では無いのだ。
勝機無く謀反を起こしたら、すり潰されるのは百も承知だ。
特定は出来ていないが、間者が入り込んで活動を行っている気配は察知している。
故に喋る事が出来ないのだ。
間者の実力の高さの成せる技が織田信清、織田寛貞を苦しめていた。
(クソ! 本当に大丈夫なのであろうな!?)
両者の思いはこの策の発案者に向けられていた。
信長軍はそんな苦悩する城主がいる犬山城に布陣すると、親衛隊より連れてきた5人に指示を飛ばすと先に布陣した兄の信広の下に平手政秀を連れて向かった。
「兄上、我が軍の布陣が終わりました!」
「う、うむ」
信広はあまりにも早い弟の動きに驚いていた。
(三郎めはこんなにも機敏なのか? いや、平手中務丞の手腕か? それにしても早い!)
信長は転生前から行軍のスピードに重きを置いているので、圧勝であろうと窮地であろうと基本的に素早さが第一である。
信長は兄の戸惑いを他所に今後の進行を訪ねる。
「兄上、この犬山城、どの様に当たりますか?」
「うむ、先ほど降伏勧告を行った。期限は明朝じゃ。それに応じなければ一当てして揺さぶる。それで相手が敗北を認めて降伏すれば良し。駄目ならば総攻撃をかけて信清を討ち取る」
(よし! 兄上は前世と同じくそつなく無難だ!)
信長は兄の何事も無難な性分を転生前から理解している。
誤解が無い様に書くが決して侮っている訳ではない。
むしろ評価は高い。
史実では何度か信長と戦い、降伏し許された後は織田家中や特に外交案件を纏めるのに大いに活躍したのが信広である。
人と人の間に入り込む機微を心得ている、と言うのが転生前からの信長の評だった。
「三郎、お主には我が軍と連携して動いて貰う。良いな?」
「はっ!」
(三郎め、以外と素直じゃな? 流石に戦の最中まで『うつけ』ではおらぬか。中務丞の教育の賜物か? いや、それにしても……)
信長の『うつけ策』を知らない信広は、意外と使えそうな信長に対し、教育係の平手政秀の激烈で拷問に近い苦労を想像し心の中で労った。
多少の引っかかる物を感じつつ。
信長達が退陣した後、信広は配下に聞いた。
「お主ら三郎をどう見た?」
「はっ!? えーと……その……」
非常に答えにくい質問に配下は困った。
「構わぬ。遠慮や媚びるような話など要らぬ。ここだけの話よ。忌憚なき感想が聞いてみたい」
「は、はっ! では……。正直……三郎様は何の役にも立たない、そう思っておりました」
「(本当に忌憚ないな)それで?」
「大殿の陣触れは殿(信広)を蔑ろにしていると感じました。何せ勘十郎様には大殿自ら後詰に入り、我らには三郎様です」
無念の表情を見せる配下の者達。
「ふむ、勘十郎はまだ幼い故、仕方ない部分もあろう?」
「それでもです! 誰も口にはしませぬが、ここだけの話として言わせて頂きます。大殿は勘十郎様を後継者に選んだのではないかと某は察しました」
陣触れの意図は誰しもが察し、公然の秘密の様な状態であった。
信広の家臣達は、まだ決定では無いとは言え、後継者争いに敗れたと思った。
「……」
信広は黙って続きを促した。
「我らは何としても殿に弾正忠家を継いでもらいたいと思っております。その為なら、如何なる死地にも飛び込む所存です! 三郎様の軍があてに出来ないなら、我らだけで城を落とし、より不利な条件で手柄を立てて挽回する腹積りでした。ただ……被害は覚悟せねばなりませぬ」
「フフフ……ワシは家臣に恵まれたな!」
信広は家臣の望外の忠誠に涙がこみ上げてきそうであった。
「お主らの忠節は本当にありがたい、が、少々話がズレて来ておるな?」
信広は笑い、家臣は熱くなりすぎた己を恥じた。
「は!? も、申し訳ありませぬ! それであの三郎様ですが……本当に三郎様なのかと疑ってしまいました。交わした言葉は少ないなれど、あれは歴戦の猛者でもそうそう纏える気配ではありませぬ!」
「ほう? それはワシよりもか?」
「い、いえ! 決してその様な……!?」
「冗談よ、気にするな。じゃが、ワシもお主らと同意見じゃ。お主らも感じるなら間違いなかろう。アレは我らが知る三郎では無いな?」
「平手殿の教育の賜物でしょうか?」
転生など知る由もない信広軍は、答えの見つからない議論を繰り広げた。
「某が教育係なら過労で倒れるか、逃げているかもしれませぬな。平手殿は是非自陣営に欲しい男ですな」
結局、平手政秀の手腕が神懸かり的に素晴らしいと結論付けられ、信長軍が思いの外使えそうなので一安心の信広軍であった。
信広の陣から戻る最中、知らない間に評価がうなぎ上りの政秀は信長に聞いた。
「若、策について三郎五郎様(信広)に何も言わぬのですか?」
「もし総大将が、ワシを理解しておる爺だったら言うがな」
平手政秀は犬山城に向かう道すがら信長に策の全容を聞いている。
「それもそうですな」
政秀は信長に全幅の信頼をおいているが、それでも最初は疑った。
しかし信長が見てきた様に語る犬山城の内情は、策が成功する可能性を充分に感じさせた。
仮に失敗しても、間者によって弱体化は済んでいる。
どう転んでも信広信長連合軍の勝ちは揺るがないと確信できた。
「あとは間者からの報と、夜を待ちますか」
そう言って、信長と政秀は自陣に戻っていった。
それから日が沈み夜営に入った、信長の下に間者からの一方が届いた。
「爺、間者からだ。家臣を数人、寝返らせる事に成功したとな」
「それでは?」
「うむ準備をしろ。暁7つ(午前4時)に備えろ!」
「はっ!」
【犬山城内】
「殿、降伏するつもりは無い。この考えに相違ありませぬな?」
織田信清と家臣3人が相対して話している。
「う、うむ」
信清は落ち着きなく返事をした。
その様子を見た家臣達はお互い顔を合わせる。
覚悟を固めた顔であった。
「然らば、我らも腹を括ります」
「そうか! 頼むぞ!」
信清は顔を輝かせて返事をする。
「ただ、流石にこのままでは勝機はありませぬ。そこで我らに策がございます。此度はその策の具申に参りました」
「ほう、申してみよ?」
家臣の提案に藁をも掴みたい信清は具申を聞く体勢をとる。
「夜襲です」
「夜襲……?」
オウム返しをする信清。
「はっ! 夜襲です。兵数で劣っては犬山城と言えど籠城しても勝ち目はありません」
「……続けよ」
今のままでは勝ち目が無いのは信清も理解しているので続きを促す。
「そこで夜襲をかけて一撃を当てるのですが、その時、城の裏門に位置する信長の『うつけ』部隊を襲撃します」
「それで?」
「その時、信長、または副将の平手を捕縛し攫います」
「ふむ?」
「その後は、奴らを材料に信広隊や信秀に交渉いたしましょう」
「平手はともかく、『うつけ殿』は交渉材料になるか?」
「『うつけ』とは言え信秀の子です。無下には致しますまい」
「ふむ……そんなに上手くいくかのう?」
信清は当然の疑問をかえす。
「絶対成功、とは申しますまい。ただ、この城を取り囲む部隊の最大の隙で弱点が『うつけ殿』が布陣する裏門です。信広隊ならいざ知らず、殿は『うつけ殿』が的確な指示で夜襲を察知し我らを跳ね返す様が想像できますか?」
あの信長が的確な指示で対応する姿を想像しようとしたが、信清には無理だった。
信長の『うつけの策』はここでも地味に効果を発揮していた。
「……どんなに好意的に見ても無理じゃな」
「我らも同意見です。きっと奴らは自分たちの優勢に浸って、呑気に眠りこけているでしょう」
家臣の言葉に熱が入る。
「眠っているなら、例え大軍を率いる信秀が相手でも造作も無き事。見事、『うつけ殿』をここに跪かせてみせましょう!」
思いの外勝機を作れそうな策に、信清は満足し決定を下す。
「よし解った! お主らに全兵を預ける! 見事果たしてまいれ!」
「ぜ、全兵を預けていただけるのですか!?」
これには家臣も驚いた。
「うむ! この策は何としても成功させなければならぬ。兵をケチって失敗したでは悔いても悔いきれぬ! やるからには徹底的にやるのが兵法であろうよ!」
「はっ! 殿の慧眼、誠に恐れ入ります! 吉報をお待ちくだされ!」
家臣達は作戦の大成功を確信した。
こうして暁7つが近付く頃、犬山城では全兵が裏門付近に集められた。
信清に作戦を伝えた家臣が兵たちに下知する。
「これより我が軍は裏門より出て信長隊に向かう!」
その様子を館の中から必勝祈願をしつつ見守る信清。
願いが強すぎるあまり、言葉の違和感に気づけなかった。
本来なら『裏門より打って出て、信長隊に奇襲をかける』であるハズの下知に。
「間も無く暁7つだな……。よし! 全軍! 武器を下に置け! 我らは犬山城より脱出し信長軍に降る! 命を粗末にするな!」
「えっ」
兵が驚く。
「えっ」
信清が驚く。
「全軍! 脱出!」
あまり聞いた事の無い号令の元、裏門が開かれ、家臣を筆頭に信長隊に駆け込んでゆく。
兵達は戦わずに済むなら反対する理由も無いとばかりに、一斉に武器を捨てて駆け出した。
ただの兵に忠誠心など望むべくもなく、これ幸いとばかりに逃げだしていく。
一方信清は叫ぶ。
「待て! 逃げるな! 誰か止めよ!」
信清は忘れている。
全軍を夜襲部隊に預けてしまっている事を。
引き留めようにも引き留める兵が居ない。
結局信清は呆然と脱出劇を見るしか無かった。
こうして犬山城には信清と、それでも逃げなかった僅かな忠臣しか残らなかった。
一方信長軍はかがり火を炊けるだけ炊いて、脱出兵を迎え入れる。
その数450人。
平手政秀はその様子を見ながら思う。
「謀略とは、かくも恐ろしいモノなのか……」
もちろん謀略の全てが上手く行くとは限らない。
むしろ、無駄になる事の方が多いかもしれない。
しかし完璧に決まった謀略は一種の芸術品に相当するまで価値が高まる。
戦闘行為無し、流血無し、死傷者無し。
文句の付けようが無い。
「これからは若い者の時代、なのだろうな」
政秀は誰にも聞こえない声で呟いた。
一方、信広隊も異変を察知していた。
遠くで、喚声が聞こえるのだ。
信長隊が夜襲を受けていると思った矢先に、その信長隊から伝令が来た。
「申し上げます! 犬山城の全兵が脱出投降して来た為、我が方で受け入れを行っています!」
「何じゃと!」
信広以下家臣一同驚く。
伝令は続ける。
「三郎が何かやったのか!?」
伝令も興奮冷めやらぬ様子で語る。
「某も驚いている次第でして……詳細は解りかねます!」
自信たっぷりに解らない事を正直に話す伝令。
その伝令の言を聞いて信広は確信する。
(やはり三郎は動いたのだ! 完璧な極秘作戦で!)
三郎が自陣を訪ねた時に感じた違和感が繋がった。
「殿! 今が好機です! 討って出ましょう!」
「いや、まて。討っては出るが全軍ではない。まずは犬山城の出入り口をすべて固めよ。今以降、誰一人として逃がすな!」
今攻め込むと夜陰と騒動に乗じて信清が脱出する可能性がある、と信広は判断した。
「その上で、少人数で城内を捜索する! その捜索にはワシも行く! 伝令! 三郎と平手にも同行するよう伝えよ!」
「はっ!」
伝令は素早く騎乗し去っていく。
「動ける者から随時動け! 一刻を争うぞ!」
「はっ!」
信広は的確に下知を飛ばし、すぐに犬山城の出入り口は完全に封鎖され、その後四半刻も立たず内に信長は信広隊の陣に到着した。
この行動も早すぎた。
呼ばれる事を予測したかの如く。
「いろいろ聞きたい事があるが今は後回しじゃ。信清を捕縛する! お主らも同行せよ!」
「はっ!」
こうして犬山城攻防戦は信広、信長軍の圧勝で幕を閉じたのだった。