113話 弘治の乱 蠱毒計の完成
蠱毒とは―――
端的に言えば呪術である。
多種多様な毒を持つ虫や動物を壺の中に閉じ込めて争わせ、生き残った最後の一匹を最強最悪の毒を持つ生物として、呪術の触媒にしたり、直接的な暗殺毒として使用したりする。
古代の中国や日本では法律で禁止され、『蠱毒』を行ったものは厳しく罰せられた。
この故事から転じて『毒』と準えられた人や物を一か所に集めて何かさせる事を『蠱毒』と例えられる。
【山城国/京 将軍御所(旧:三好館) 足利将軍家】
「皆、大儀であった」
「……はっ」
将軍救出を終えた諸将に義輝は労をねぎらった。
―――が、皆一様に顔が暗い。
その原因は明白である。
全て三好長慶が原因である。
ここに居る者も、三好長慶が京に居ない事は把握していたが、まさか三好軍全てが撤退しているとは、夢にも思わなかったからである。
武田義統も朽木家の名代である磯野員昌も、腹に一物がある六角義賢も余りの予想外の出来事に困惑の表情を隠せない。
「兄上! お久しゅうございます!」
そんな中、覚慶(足利義昭)だけが明るい顔を振りまいていた。
戦と謀略に明け暮れてきた武将たちと違い、仏門の世界での修行が主だった覚慶は、三好長慶の悪意にまるで気づいていなかった。
まだ若く未熟な覚慶であった。
(クソッ! どうする!? 戦のドサクサで葬る予定が狂ったわ! おのれ長慶! 完全に機先を制されたわ!)
そんな中、義賢は争いが起きそうにない現状に困り果て、同時に三好長慶の手腕に戦慄した。
何せ、長慶は西の尼子を宇喜多直家の謀略で、東の将軍勢力は京からの撤退で手玉に取っていた。
三好兵による直接の武力衝突など、まだ一度も発生していなのに。
(どうする!? ここからの計画修正は可能か!? 決まっておる! 義冬を抱えた今更、後には退けぬ! だが……今は動けぬ!)
今いきなり将軍を殺しては、完全に乱心者である。
それに六角家として周辺勢力の理解を得るには、あくまで三好による暗殺に見せかけなければならない。
(……うん?)
義賢はそこまで考えて、違和感に気が付いた。
(いや……違う……何かおかしいぞ? これでは長慶は京での争いを回避させて将軍を守った事にならないか? ……ん? 将軍を守る? 誰から? ワシから? なぜ? 奴は将軍と争っているのではなかったのか? 争っておるから、将軍は立ち上がったのではないのか?)
そうやって一人頭を悩ませ整理させ苦悩している義賢を、不思議に思った義輝が声をかけた。
「左京(六角義賢)、どうした? 顔色が優れぬぞ?」
覚慶以外、誰もが顔を曇らせているのに、こうやって指摘されるからには相当に不審な態度だったのだろう。
「あ!? い、いや……公方様、この後の戦略などは決まっておりますか?」
「正直、初っ端から躓いたと言うか、目論見が外れたからな。しかし悪い事ばかりではない。むしろ余計な流血が避けられて良かったと見るべきであろう。ならば有り余る力を駆使して京及び、山城国を完全に抑えるべき。さすれば西の尼子と連携も取れる」
「なるほど。確かに」
義賢は義輝の『尼子』との言葉に眉をピクリと反応させた。
「それに我らが奮戦すればする程、西だけではなく東の勢力とも足並みが揃えられよう。その為に皆で各地に散ってもらいたいが、役割分担について左京の意見を聞きたい」
義輝は義賢に案を求めた。
官位も率いる軍勢も、この寄せ集め反抗軍では抜群の実績を誇る義賢である。
特に、長慶の弟を討ち取った功績は並ぶ者は居ない。
攻めるも守るも、義賢抜きには語れない。
義輝は尼子を軸に戦略を立てていたが、決して義賢を軽んじてはいなかった。
ただ―――
残念ながらその気持ちは伝わらず、すれ違っただけである。
「そうですな。ここで取るべき布陣となると……。三好は京から撤退したとは言え、河内国の重要地である堺付近に陣取っております。京にも程近く無視できる存在ではありません」
義賢は言葉を発しながら脳をフル回転させて、己にとって最適な状況を猛スピードで考える。
日本の支配において、重要地たる南近江で生きてきた義賢は、最近鳴かず飛ばずだったが紛れもなく戦国大名である。
この程度の答えなど瞬間的に計算して出せなければ、策謀渦巻く中央では生きていけない。
「しかし自治都市堺を、攻撃はせずとも火の粉を浴びせる事すら悪手です。そこで我が軍は西の堺への睨みを利かせつつ、この御所の守備をお任せ頂きたい。我らが抑えている隙に各々方で山城国を制圧する。如何でしょうか?」
妥当な提案であった。
反抗軍最大戦力の六角が三好と直接対峙しつつ、守備も引き受けるのである。
戦果と名声が欲しい武田義統と磯野員昌にとっても、申し分ない提案である。
力を借りる足利義輝にとっても、六角の顔を立てる事で余計な軋轢も無くせる。
全員にとって文句の無い提案であった。
この案に従い、若狭武田も朽木も山城国の方々へ散って行った。
義賢も堺に向かって布陣した。
こうして―――
足利義輝にとって希望に満ちた―――
六角義賢にとって野望に満ちた―――
三好長慶にとって悪意に満ちた―――
それぞれの理想の展開が整い、それぞれが役目を果たすべく動き出した。
【山城国/将軍御所 足利将軍家】
「どうした左京。三好が動いたか?」
一旦の布陣を終えた義賢が、僅かな供回りをつれて御所に帰還した。
この予定に無い行動の為、義輝も何か不都合でも起きたのかと不安になる。
「はっ。特別動きがある訳ではないですが、ところで今、この場には公方様、右京様(細川晴元)、そこの小姓と供回りだけですか?」
「うむ。遊ばしておく人手も無いしな。内密の話か?」
「いえ。実は―――」
「失礼します! 書状が届いております!」
義賢がいざ覚悟を決めたその時、機先を制されるが如く伝令が入室してきた。
義輝も義賢との話を中断し対応する。
「書状? 誰だ?」
「それが三好長慶なのですが……」
「長慶が? 何を今更焦っておるのか? 見せろ」
義輝は、どこかで同じ事をしたようなデジャブを感じつつ、書状を改めるが、みるみる内に眉間にシワが寄る。
義賢が、義輝の只ならぬ気配に、先の反抗作戦の一幕を思い出す。(98話参照)
書状1つで手玉に取られたあの時を思い出すと同時に、義輝の口から信じられない言葉が飛び出した。
「……左京。叔父上がその方に身を寄せて居るのか?」
書状にはこう書かれていた。
『もし、六角義賢が御所の守備と我等との対峙を提案したならば、御注意なさいませ。保護している足利義冬様を将軍に擁立するつもりです』
「ッ!?」
余りの予想外すぎた不意打ちに、義賢はとっさの表情作りを忘れ狼狽えてしまった。
一言の言葉を発さずとも、完璧に伝わる事があるのだろう。
数々の裏切りと敗北で、この手の雰囲気に敏感な義輝は義賢の裏切りを確信した。
「左京ッ! 何故じゃッ!?」
「クッ……ググッ! ……ククク!」
苦悶に満ちた表情から、肩を揺らして笑い立ち上がる義賢。
誰が見ても、普通の状態で無いのは明らかである。
「話す必要など……無いッ! 者共出会え!」
義賢は即座に覚悟を固めた。
事ここに至っては、先延ばしも弁解も不可能だと判断し、全ての口を封じる決断をしたのである。
どうせ行動を起こす事に変わりはない。
バレてしまったのだから、引き下がる事はあり得ない。
完全な不意打ちはできなかったが、この状況は俄然有利である。
一方、義輝は即座に覚悟を固める事が出来なかった。
完全に予想外の出来事で、対三好戦略、将軍の威信、尼子との共同作戦などなど色々な事が頭を駆け巡り出遅れた。
戦国大名と神輿将軍の差が、如実に表れた結果であった。
「公方様!!」
この緊急事態に一番早く動いたのは、六角陣営を除けば猿夜叉丸であった。
即座に義輝に刀を差しだし、己も立てかけてある槍を手に取って乱入してきた六角兵を突き殺す。
「何を呆けているのです! 何の為に濃姫殿の特訓を受けたのですか!?」
細川晴元も刀を抜き義輝の前に身を乗り出す。
別に義輝達にとって、今の事態を想定して訓練を受けていた訳ではないが、それでも晴元はそう叫んだ。
『ほらほら! 足元がお留守よ! 足はすべての基本! ここを負傷したら戦えないと覚悟しなさい!』
義輝は、フラッシュバックの如く、帰蝶の叱責を思い出す。
「少なくとも……この為では無いッ!」
目が覚めた義輝は、晴元に返答しながら六角兵に斬り掛かる。
義輝は『この為では無い』と否定した。
しかし、本人が知る由もないが正に『この時の為』である。(75話参照)
義輝の刃を避けた六角兵が、好機とばかりに大上段からの袈裟斬りが襲い掛かる。
甲冑をつけているが、室内なので兜は外している。
そんな義輝にとっては、頭への斬撃は即死を意味する。
しかも即死に至る傷ではなくても、深手は当然、浅い傷であっても生還確率はグンと下がる。
正に絶体絶命のこの状況で、先が見えない中での負傷は、如何なる傷も致命傷になり得る。
無傷での突破が、生還への絶対条件である。
人数も状況も未来も、全て義輝にとって不利な条件であった。
六角兵と義輝の刃が、不快な金属音が奏で火花を散らす。
義輝は刀の峰で六角兵の刃を逸らしつつ、体勢を利用して逆袈裟斬りで斬り上げる。
義輝の刃が六角兵の腕を斬る。
(浅い!)
義輝は即座に斬り上げた体勢から、横薙ぎに刀を払い六角兵の首を狙い斬り付けた。
刃が動脈を通過し、一瞬遅れて血が噴水の様に飛び散り部屋を染める。
六角兵は堪らず刀を離し手で傷を押さえるが、指の間から濁流のように血が溢れる。
この六角兵は死んだも同然であったが、義輝は更に追撃で喉に追い打ちをする。
『完全に相手が死んだか分からないのに目線を外すとは何事ですか? 私が一度でも藤次郎殿から一本奪った後に油断した事がありましたか?』
帰蝶の教育の賜物であった。
そうこうしている内にも晴元も敵兵を切り殺し、人数の上では圧倒的に不利ながら戦意は上回っていた。
(強い! あの将軍や管領が!? 小姓まで妙に強いしどうなっておる!?)
この3人は、それぞれ織田家で帰蝶の訓練を受けた身である。
織田を離れた後でも訓練は欠かさなかった。
三好に軟禁された後も(やる事が無いので)訓練は欠かした事がない。
「雑に攻めるな! こ奴等は手練れじゃ! 戦同様隊列を組んで整然と攻めかかれ!」
義賢は、将軍達を勢いに任せて殺せる相手ではないと判断し、戦同様の戦法を採る。
義輝はその一瞬の隙を見逃さなかった。
義賢は、どれだけ被害が出ようと一気に攻めるべきであったが、隊列を組んだお陰で包囲に穴ができたのである。
「今じゃ! 脱出する! 全員で道を切り開き生還するぞ!」
「!? に、逃がすな!!」
義賢が少数で訪れていた事も幸いした。
たった今、隊列を組もうとしている最中に、全く逆の命令が下ったお陰で兵が混乱したのも幸いした。
戦国大名と常敗逃亡将軍の差が、如実に表れた結果であった。
史実では似た状況で無残にも暗殺されたが、色々な状況変化が歴史的事実を変化させた。
十中八九死ぬしかない状況で義輝は見事『一』を引き寄せ、馬を強奪すると近江朽木へ退散するのであった。
困ったのは義賢である。
賽は投げられたのである。
賽を拾い直す事は当然、目の変更も不可能である。
このままでは孤立して破滅するのは目に見えている。
「朝廷御所へ向かう! 堺の兵は撤退させよ!」
【山城国/天皇御所 朝廷】
義賢は第二の策を採った。
朝廷を脅して、強引に義冬を14代将軍に仕立てる為である。
しかし、本来なら義輝が生きているのに次の将軍を任じるのは、余りにも道義に反する行為である。
しかし、スポンサー兼用心棒の三好が撤退し、空白地帯の京の都に、強大な軍事力を持つ六角を跳ね返す意地も力も朝廷には無かった。
折角多少回復しつつあった朝廷と御所も、また風前の灯火だ。
今までの悲惨な生活を思えば、二度と失いたくない
義賢も、屁理屈と金と武力を効果的に使った。
『官位『左馬頭』は次期将軍の官位であり、現将軍が生死不明で行方不明である以上、速やかに次を指名し世の安寧を計るべきである』
『御所の有様には常々心を痛めており、すぐにでも改築する用意がある』
『六角軍が責任をもって警護する』
こう並び立てて強引に詔勅を引き出した。
「足利左馬頭義冬を征夷大将軍に任ずる。速やかに混乱を収める様に」
「お任せを!」
史実では細川晴元によって将軍への道を絶たれた義冬は、歴史改変の結果、14代将軍の座を手に入れ、ここに13代将軍と14代将軍による争いが勃発し、京は混乱の極みに達するのであった。
将軍派と六角家が毒虫。
京が壷の内側。
三好家と織田、斎藤家が壷の外側。
後に『弘治の乱』と記録される、三好長慶による蠱毒計の完成であった。




