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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
12章 弘治2年(1556年)侵食する毒
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111話 阿部能興

【尾張国/人地城 織田家】


 人地城の一室で、5人の男と男装の女1人が膝を向き合わせ話し合いを行っていた。


「今、お主らが手掛けている案件に、この三郎右衛門を加える」


 人地城の主、織田信長がそう話を切り出した。


 その話を聞く『お主ら』と呼ばれたのは帰蝶、滝川一益、河尻秀隆、村井貞勝と『三郎右衛門』と呼ばれた阿部能興(よしおき)である。


「えっ」


 名前も呼ばれた能興含めて、全員が同時に声を発した。


 ちなみに阿部三郎右衛門能興あべさぶろううえもんよしおきとは、織田家で活動することになった宇喜多直家の偽名である。

 姓を母方の『阿部』とし、諱を祖父の『能』と父の『興』から拝借した。


 この奇妙な組み合わせの人選で何をするかと言えば、近江六角家に対する工作についてである。


 信長は、昨年の尼子家と三好家の争いと、水面下で激しく動く京と南近江の情勢をキャッチした。

 その動きに介入する為、六角に狙いを定めていた。

 正確には、六角家の重臣である後藤賢豊、進藤賢盛、蒲生賢秀の三名である。


 しかし、狙うとは言っても命ではない。

 信長はこの三人を高く評価しており、歴史の改変に飲み込まれて失うのを危惧していた。


 何せ彼らは、下剋上による権力交代が横行する戦国時代に、主君の権力を制限する前代未聞の分国法『六角氏式目』を成立させた。

 彼らは冷徹に計算し、下剋上による勢力弱体化を避け、鎌倉より続く名門六角家の価値を認め、表に立たずコントロールする手段をとったのである。

 主君の六角義賢の大失策が原因でもあるが、信長はこの忠義と横暴のバランス感覚を高く評価し、更に過激に信長流にアレンジし流用した。


 それが、後に15代将軍足利義昭に信長が突き付けた、史実に名高い『殿中御掟(でんちゅうおんおきて)』に繋がる。

 この掟は21条にも及ぶが、とにかく将軍を蔑ろにする掟であった。

 現代で例えるなら『総理大臣は黙って座ってろ! 勝手に命令するな! ウロチョロするな! 俺に判断を仰げ!』である。


 この目上、しかも武士の棟梁たる征夷大将軍を舐め腐った衝撃の掟は、将軍義昭のマズイ行いも原因の大半である。

 しかし、単なる力による下剋上よりも、明確に下の身分に居ながらにして目上を粗略に扱い、こんな掟を制定しないと将軍は駄目だと喧伝し、自分の力を誇示し、旧来の仕組みを拒絶する。

 これは、いずれ来る将軍家との対決と、大義名分を匂わせる事に一役買わせた。


 そんな訳で、価値観をブチ壊す法を考えられる人材は、信長にとって大歓迎すべき人材なのである。

 その人材確保工作に、信長は宇喜多直家を起用すると言ったのであ。


「それは……。殿の命とあれば従いますが、宇喜、いや阿部殿にその……」


「適性の話か? 策謀で一族の仇を葬った話だけでは信頼できぬか?」


「その件は誠に見事な手際と感じ入りましたが……その、(いささ)か性急に過ぎると言うか、織田家に慣れた後でも宜しいのでは?」


 滝川一益が直家の起用に疑問を呈し、村井貞勝も河尻秀隆も口には出さずとも表情で語っていた。

 3人とも宇喜多直家に不信感を持っているが、別に『気に入らない』と言う話ではない。

 そもそも、親衛隊は多数の氏素性の知れぬ輩が居るので、今更不審者がどうこうとは誰も言わない。


 彼らが言いたいのは『いきなり尾張に来て、いきなり近江に関わらせて大丈夫か?』との心配である。


 家臣の交換留学は、すでに明智光秀や丹羽長秀が行っているが、携わるのは内政が主で、しかも良く知っている隣国での活動である。

 しかし直家は、京より西の備前国出身で、勝手知ったる庭には程遠い尾張に派遣されて来た身なので『もう少し適切な仕事があるのでは?』と暗に言いたい訳であった。


「……」


 直家は、彼らの反応に肯定も否定もしなかった。

 ただ直家は直家で思うところがあるのか、難しい顔をしていた。


《宇喜多さんの実績は私たちは知ってますが、滝川さん達は知らないですからねー》


《ちょっと先走り過ぎましたね》


《信長さんのミスですねー。私も最近忘れがちになってましたけど。滝川さんだって、織田家に来た当初は地道な桶狭間の戦場調査だった訳ですし》(外伝18話参照)


《その様じゃな。奴も出しゃばる事に対する身の危険を察知して、表情が硬い》


 まさしく、歴史を知っているが故のミスであった。

 転生初期の頃は、歴史を知るが故に変化に驚いて狼狽える事が多かった。

 しかし、その狼狽にも慣れが生まれ『宇喜多直家の参入』という特大の変化。

 この出来事に、ついうっかり前々世の宇喜多直家の全盛期を期待してしまった、信長のミスであった。


「そうじゃな。()()()()()()()()()()関わらせたいと思っておったが、お主らの懸念も最もじゃ。じゃから三郎右衛門含め現状確認をする意味でも説明する。その上で携わるかどうか全員で判断しようか。それでいいな?」


「わかりました」


「某も異論はありませぬ」


 一益も直家も同意した所で、信長は説明を始めた。


「昨年より六角に不穏な動きがあり、場合によっては中央で一波乱があるかもしれん。いや必ずあるじゃろう。その時、六角家を弱体化をさせて周辺勢力から孤立させたい。これが大筋の目的じゃ」


「……」


 直家は黙って頷いた。


「今はその下準備とでも言うべき工作を行っておるが、()()()()()()()()()()。近江に詳しい彦右衛門(滝川一益)が内情偵察、政治的には吉兵衛(村井貞勝)、武力が必要になった時は与兵衛(河尻秀隆)に動いてもらっておったが、三郎右衛門にも力を借りたいとワシは考えておる」


「詳細を伺っても?」


「うむ。六角家には今、12代将軍の弟である足利義冬がいるとの情報を掴んだ。じゃが六角家は13代将軍の足利義輝を奉じ支援する立場なのに、何故今さら義冬を迎えたのか? 奴は義冬を擁立して権力を手に入れる腹積もりかもしれん」


「なるほど。しかし三好様が京を抑えている以上、容易な事では無いかと……?」


 直家が信長の考えに疑問を挟むが、信長は不敵に笑って一蹴した。


「フフフ。三郎右衛門よ。お主程の者が気付いていないと言うのか? それともワシを立てておるか?」


 直家は三好長慶からは当然、独自調査でも裏を取っていた。

 直家の地力を考えれば、この異変に無頓着な訳が無い。


「幼少時から他者に潰されぬ様、慎重に生きてきたクセが抜けていないな? 織田家ではその演技は必要ないぞ?」


 出る杭は打たれるとの言葉がある。

 優秀すぎる家臣は、主君に危機感を持たれてしまい、排除される可能性がある。

 類稀なる才能を有し数々の策を成した黒田官兵衛、信長に愛された才能と若さが武器であった蒲生氏郷。

 その才能が仇となり、両者とも豊臣秀吉に危険視され中央から遠ざけられたと言われている。


 まさに直家はそれを恐れていた。

 特に織田家では新参中の新参である。

 幼少より危険人物と認識されないように、慎重に生きる必要があったが故の悲しい知恵と癖であった。


 しかし信長は違う。

 今の歴史では、まだ直家の偉業も半ばであるのを失念していたが、未知の才能を積極的に発掘する事こそが歴史改変の原動力である。

 だから直家には、己を偽ってもらっては困るのである。

 一方で直家も、浦上家とはハッキリと違う信長の配慮を、今までの人生の不遇を気遣うが故の激励と受け取った。


「ッ! ……解りました。某も殿の考えに賛同します。本来なら六角にとってこの擁立は容易ではないハズですが、行動を起こす可能性は高いと睨んでおります。何故なら三好様は―――」


 直家は六角が動く理由を語り、信長は予測が的中している事に満足し頷いた。


「やはりな。三好殿の行動。六角家の立場。義賢が動かぬハズがない。成功失敗は時の運じゃが、その結果に関わらず、ワシは家臣との溝も深まると見ておる。お主なら六角にどうあたる?」


「狙いは理解しました。しかし今は積極的な接触は控えるべきかと」


「理由を聞いても良いですか?」


 謀略には疎い帰蝶が質問をする。


「六角義賢はこの擁立を、己の独断で計画している可能性が高いからです」


「え? 何故そう思うのですか?」


「現在、六角の誇りと矜持、さらに名声が著しく揺らいでいるからです。近年の六角は将軍の手足として動いているのに大した実績も残せず、三好様にも織田の殿にも碌に相手にされていません」


 直家の指摘通り、六角義賢自身が己の状況を嘆いていた。

 三好長慶も信長も敢えて六角には関わらず、さらに味方の将軍も己の頭を飛び越えて、尼子を軸とした戦略を立てている。

 それ故に、義賢は最重要地たる中央で『適当な扱いを受けている』と嘆いていた。(108-3話参照)


「この状況を覆すには新将軍の擁立は一つの手段としてはアリでしょう。もし将軍派が優勢であれば。しかし、現状は危うい均衡で保っている周辺状況で、更に第四勢力として立ち上がるのは危険極まりない」


 三好派、将軍派、中立派、それに六角派で四勢力である。


「これが接触を控える理由であり、独断であると判断する理由でもあります。六角家臣が、特に六角の中心人物である後藤、進藤、蒲生がその無謀な試みを知っていれば、必ず止めるでしょう。自滅が見えているのですからな。それを止めないのは(ひとえ)に知らぬからです。恐らく己一人の心の中で描いている絵図でありましょう。滝川殿、六角の家臣に主を諫めたりする様な動きはありましょうや?」


「いや、某の伝手と伊賀忍者で探らせておりますが、そういった話は聞きませぬ」


 近江の調査を担当している滝川一益が答える。


「村井殿、六角の政治と言えば織田の殿と同じ楽市楽座の施行ですが、近江商人に動きはありましょうや? また臨時徴税といった動きは?」


「特別目立った動きはありませぬ。通常の範囲外で商人達が兵糧や武具を提供したり、農民が兵糧を収めた話は聞きませぬな」


 帰蝶の副官として、政治を補佐している村井貞勝が答える。


「殿、今回の件を知っている御味方の将は、この場に居る方々以外に居りましょうや?」


「いや、この場に居る者だけじゃ」


 全てを統括する信長が断言した。


「ならば、織田ではこの件は秘匿する事にしましょう。狙いを知る人間が増えれば六角に露呈しかねません。可能な限り策の臭いは消さねばなりません」


「バレると六角が動かない……?」


 帰蝶が尋ねた。


「その通りです濃姫様。この策の大前提として、六角には13代将軍と対立してもらわねばなりません。そうしなければ家臣との溝が出来ませぬ。今、うかつに我らから接触しては、六角にも、その家臣にも要らぬ警戒を持たれます。最悪、擁立を控えるかもしれません」


「成る程……」


 その丁寧な説明に帰蝶も納得した。


「従って誰に対しても、これ以上の行動を起こすのは悪手です。今一番必要なのは三好様を習って、織田家として六角には何もせぬのが一番です」


 直家の説明が熱を帯びる。


「更に織田の殿には、暫く尾張や近江から遠ざかって頂き、六角に対して千載一遇の好機を演出し、安心して行動を起こしてもらいましょう」


「ほう! ワシの動きすら策に組み込むか! 面白い!」


「はい。したがって河尻殿には、いざ軍を起こす時には先陣を切って誰よりも早く動く必要があります。その時に備えて目立った動きをせず、しかし、いつ命令が来ても大丈夫な様に準備を抜かりなく。河尻殿の戦果が策の成否を決定付けましょう」


「成る程、疾風迅雷の行軍が必要ですな」


 帰蝶の副官として、軍事を担当している河尻秀隆が答えた。


「うむ。見事だ。ワシの考えと相違ない。お主ら聞いたか? 動くだけが策ではない。理由があるなら何もせぬ事も立派な策なのじゃ」


『三郎右衛門だからこそ―――』


『少々手ごたえが薄くてな―――』


 急成長を見せる織田家は、この勢いに乗り遅れるなとばかりに家臣たちは頑張っているが、最近、頑張り過ぎの気配が立ち上っており、帰蝶を筆頭に押しまくる手段をとっていた。


 史実にて滝川一益は、軍団を率いて関東を睨み北条以北を相手にした。

 村井貞勝は京都所司代として、策謀渦巻く京を管理した。

 河尻秀高は嫡男信忠の副将として補佐し、武田を滅ぼした後の不安定な甲斐国を任された。

 しかし、それは別世界の未来であって、彼らはまだ未熟で若い。


 帰蝶にしても、織田家の奥の管理と尾張、伊勢、志摩開発の統括する立場にあるが、この激務を一人でこなせるハズもなく、政治の副官に村井貞勝、軍事の副官に河尻秀隆が付き補佐をしている。


 しかし、前述の若さと未熟な部分もあり『調略的発想がどうも抜けているのでは?』と不審に思った信長が、近江への薄い成果を例えに修正案を事前に帰蝶に聞いてみた所、予想通り困った答えが返ってきた。



【会談前】


《お主ならどう修正する?》


《そりゃ当たって砕けろですよ!》


《ッ!? 於濃。吉乃をどうやって引き入れて、その時痛い目を見たのか忘れたのか?》(24話参照)


 暴走のあまり、下手クソにも程がある接触を試み、吉乃の護衛に女衒と間違われて危うく斬られそうになっていた。

 何とか間一髪で助けられたのであるが、どうも帰蝶は人に接する時は、真っ向からぶつかる選択を好む傾向にあった。(24話、外伝3話参照)


《あ、あの時は……!》


《武芸や戦法はあらゆる搦め手を駆使できるのに、何で人にはそれが出来ん? ……いや、これもお主の美徳や性質として認めねばならんか。それが功を奏する時もあろう》


《うぅ……》


《時には真っ向勝負もいいじゃろう。しかし、性格的に出来んとしても知らんのは困る。知らなければ、防ぐ事ができた事すら防げぬかも知れぬしな》


 人が詐欺に引っかかるのは、『自分は大丈夫』との油断もあるが、無知である事も大きい。

 手口さえ知っておけば、詐欺と察知する事も可能である。


《ではどうすれば……》


《言って聞かせるのは簡単じゃがそれでは人は成長せん。以前政治について学ぶ機を設けたであろう? あの時と一緒じゃ》(90話参照)


《しかし、だからと言って時間は掛けられないのでは?》


《それよ。確かに近江には時間が無い。しかし、ワシが余りに出しゃばって結果を残しては家臣達の成長が止まる。困った時は助言はするが、答えを示し過ぎでは考える事を放棄してしまい最悪ワシを神聖視するかもしれん。それは困る》


 信長はただ天下を統一すれば良いのではない。

 未来の信長教への影響も考慮しなければならないのである。


《しかしこのままでは近江への調略は空振りになるばかりか、家臣の教育を考慮し過ぎて取り返しのつかない失敗をしては本末転倒。それにワシも今まで押し通して来たしな。さて、どうするかな……》


 信長が自覚する様に、他ならぬ信長が押しまくって育てた織田家であるので、今更の言葉は説得力が薄い。

 そんなこんなで悩んでいた所、なんの運命の悪戯か三好家から宇喜多直家が派遣されてきた。


 前々世では、信長と直家はそれ程に接点があった訳ではないが、その手練手管は聞き及んでいたので、信長が少々先走って直家に期待し今回の件に抜擢したのである。

 徳川家康が待ちに待って天下を取ったように、宇喜多直家も待ちに待って数々の謀略暗殺を成功させてきた。

 直家は今の織田家には無い『待ちの達人』なのである。


 ただし冷徹な計算もある。


 万が一、六角に計略が露呈し、あるいは直家が接触した相手に捕らえられたとしても、織田家としての損害は軽微である。



【直家の考えを褒めた現在】


「うーん、私としては動かないと気が済まないんですが……。ここは従います」


 織田家の面々にとっては目から鱗の待ち謀略。

 滝川一益、村井貞勝、河尻秀隆も異論は無い様であった。


「よし。では近江の現地に足を運ぶのは、今しばらくは三郎右衛門と彦右衛門及び伊賀忍者だけとし、他のものは日頃の任務を普通に行うように。派手な動きは控えよ」


「はっ」


「あと一応、三郎右衛門に言っておくが、暗殺任務ではないからな?」


「? はい。承知いたしました……?」


「それと誤解の無いように言っておくが、彦右衛門、与平衛、喜兵衛の働きに不満がある訳ではない。於濃含めお主らに視野を広げて欲しいだけだ。当然だが、三郎右衛門に出来ぬ事をお主らは出来るのだ。お互いに良い機会と思って学べ」


「はっ!」


 こうして宇喜田直家改め、阿部能興が織田家での仕事に取り掛かる事になる。

 しかし、人の機微の察知に長け、策謀に才能を発揮する直家を以てしても理解できぬ事があった。


「では、於濃にはワシの命令書を予め認めて預けておく。これを事情を知らぬ家臣に見せて与平衛の後詰め軍を率いよ。与兵衛と相談し最適な機会を逃さずにな」


「はい!」


「はっ!」


「……え?」


 帰蝶と秀隆の淀みない返事に、直家は驚き戸惑った。


「あの……その、え? の、濃姫様自ら率いるのですか?」


「フフフ! えぇ! その通り! 後でお時間頂けますか?」


「お時間? え? 殿、これは一体……?」


「あー……。まぁ見れば分かる。安心せい」


 直家は帰蝶の事を、飾りや政治的宣伝で表に立たせ、実務は村井貞勝と河尻秀隆が請け負っていると思っていたので、本当に戦場に政務に強く関わっている事に驚愕したのである。

 むろん、このあと親衛隊で武芸を披露し、目玉が飛び出るぐらいに驚き、直家の驚愕を楽しめなかった柴田勝家や森可成らは、心底悔しがったのは別の話である。

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