110話 非情なる宣告 池田恒興、服部一忠、毛利良勝
【尾張国/人地城 織田家】
人地城では池田恒興、服部一忠、毛利良勝の3名が出発の挨拶の為に訪れていた。
何の為の出発かといえば、三好家から宇喜多直家が派遣された事に対し、織田家からも誰かを出す事になり、池田恒興、服部一忠、毛利良勝に白羽の矢が立った訳である。
「では行って参ります」
「うむ。三好とは公には同盟しつつ、しかし、寺社の対応を巡って対立している立場じゃ。織田の者だと他勢力に悟られぬ様に注意せよ。しかし何かあった時は堺にいる林秀貞を頼るがよい。話は通しておく」
「はっ!」
「ところで、向こうで名乗る偽名は決まったか?」
「祖父方から滝川の姓を借り『滝川勝三郎信輝』と名乗ろうと思います」
「俺は出身地を拝借して『津島小平太春安』で」
「拙者は『鵜森新介秀高』と名乗ります」
池田恒興が滝川勝三郎信輝。
服部一忠が津島小平太春安。
毛利良勝が鵜森新介秀高。
それぞれ先祖の姓、縁の地であったり、またはアナグラムにした姓と、新たな諱を偽名とし、三好家で活動する事になった。
「よし。では三好の強さと中央の世界を学べ。必ずお主らの糧となろう。難なら三好にとって必要不可欠な存在となるぐらいに活躍をしてこい。その時を楽しみにしておるぞ。お主らの活動はワシがしっかりと書き記しておく! 絶対だ!」
「……? はッ! お任せを!!」
信長は少々大袈裟な事を言って恒興達をを激励した。
何故か?
それは、織田家からの三好家に派遣させる候補を話し合っていた時の事である。
信長、帰蝶、ファラージャの間で、こんな悲惨で非情なやり取りがあった―――
《池田恒興さんですか。信長教では使徒の位にいますけど、何と言うか地味ですねー》
《……は? じ、地味!? 地味って何じゃ……!?》
今川義元の時に後悔したであろうに、ファラージャがまた豪快に地雷を踏みぬいた。(25話参照)
《あッ!? わ、私も地味は言い過ぎだと思いますが! でも、地位の割にそんなに功績が伝わって無いんですよ!? いえ、もちろん全くの無名って訳では無いんですよ? むしろそこそこの知名度はあるんですよ! 荒木村重を破った花隈城の戦いとか伝わってます! しかし良く言えば『いぶし銀』とでも言いましょうか!? 織田家躍進に必要な人材だったんでしょうけど、如何せん、他の人物の方が目立ちまくって地味って、あっ、やばッ!?》
ファラージャが必死に言い訳するが、言えば言う程、逆に不憫になってしまう恒興であった。
《あのそのえーと地味でも地味じゃ無くてですね!? い、いや池田さんはまだ良いと思いますよ!? 毛利良勝さんや服部一忠さんなんかもっと地味な上に謎で……あッ!》
ファラージャが地雷を回避しようとして、さらなる地雷を踏みぬいた。
《地味な上に謎! 謎!? あ奴等もなのか!》
《ファラちゃん落ち着いて!》
もし信長の直臣陪臣の区別なく、『織田家所属の武将を10人挙げろ』と言われて、皆さんは誰を選ぶだろうか?
柴田勝家、森可成、羽柴秀吉、明智光秀、滝川一益、前田利家、丹羽長秀、竹中半兵衛、黒田官兵衛、蒲生氏郷―――
多くの方が、上記の内の半分は被ったのではないだろうか?
もちろん、その選考者の歴史マニア度、その時々の人気や歴史解釈、あるいは大河ドラマや漫画、ゲームのヒットによる思わぬ脚光によってバラツキはあろう。
問題なのは、いずれにしても『10位以内に池田恒興の名を出すのは、中々難しいのではないか?』と言う事である。
15番目ぐらいなら、池田恒興の名は出ても良さそうであるが、織田家は人材の宝庫で、家臣の家臣までアクの強い者が揃っている。
荒木村重、安藤守就、石田三成、稲葉良通、宇喜多直家、氏家直元、加藤清正、金森長近、可児才蔵、蒲生賢秀、川尻秀隆、九鬼嘉隆、佐久間信盛、佐々成政、仙石秀久、藤堂高虎、羽柴秀長、塙直政、平手政秀、福島正則、不破光治、細川忠興、細川藤孝、堀秀政、前田慶次、松永久秀、村井貞勝、森長可、森乱丸、弥助―――
家臣でもこれだけの精鋭なのに、まだ他にも、信長の兄弟や子らの血縁者が控えている。
こう羅列してみると、正直な所、恒興の15位はおろか20位も厳しいかもしれない。
それ程までに、歴史的事実として恒興が地位で彼らを上回っても、後世の知名度となると霞んでしまう程の豪華強力ラインナップである。
毛利良勝や服部一忠を、ベスト20位以内に入れる選考強者など居るのだろうか?
話が脱線したが、とにかく信長は地味で謎という遺憾な歴史の改変を狙って、己の下から恒興達を切り離し、今の織田家より派手な動きが予測される中央に送り出す事にしたのである。
《派手じゃないと駄目ってのは、無茶苦茶だと思うんだけど……》
《うむ。全くじゃて。それにしても地味とは慮外な評価じゃ。今川義元の時もそうじゃが全く後世の目は恐ろしいな……。あ奴ら、未来でそんな扱い受けてると知ったら泣くぞ!?》
《は、はぁ……》
ファラージャが歯切れ悪く返事するが、それも仕方ない理由があった。
3人の情報には、信長死後の情報が絡むからである。
《じゃが確かに『言われてみるとそうかも知れん』と感じる部分もある。そんなつもりは全く無かったのじゃが、例えば勝家達の様に、地方全域を支配する立場には据えられなかった》
《心当たりはあるんですか?》
《ワシも無意識に何かあった時の為の備えとして、手元に置いておきたかったのかも知れん。奴等の立場はある意味、織田家の誰よりも信頼出来たからな。その分、功績を挙げる機会に恵まれず、犠牲を強いてしまった感は否めん。今思えばな》
《なるほどー……》
《軍団長達とは別種の使い易さもあったしな。こ奴らに裏切られたなら『仕方ない』と諦めがつくわ。光秀、秀吉以上にな》
3人とも、信長との付き合いは織田家の中でも最古参で、譜代中の譜代と言っても過言ではない。
裏切りが常の乱世において、信頼性は抜群なのである。
例えば池田恒興は信長の乳兄弟(恒興の母が信長の乳母)だ。
乳兄弟とは一種の義兄弟の様なもので、乳母が一般的だったこの時代、同じ生命力を与えられた者同士、血縁兄弟同等かそれ以上の仲で信頼関係を築くのである。
そんな恒興は、史実にて信長の主要な戦の殆どに従軍し順調に戦功を打ち立て、さらに本能寺の変後は羽柴軍に合流して明智軍を撃破し、信長の人生に寄り添ってきた人物である。
さらには生没も信長の2年後に生まれ、信長の死後2年後に戦死する、人生の長さまで信長と同じオマケ付きの寄り添い方であった。
一忠と良勝は乳兄弟ではないが、悪餓鬼仲間として、信長が元服前の吉法師時代からの付き合いである。
《そんなに信頼してたんですねー……ははは……(知らなかった……)》
ファラージャは言葉を濁すしかなかった。
恒興は、最終的に織田家宿老まで上り詰め存在感が増すも、その地位に至る功績は、逆賊明智光秀を撃破した功績によるもので、山崎の戦い、清須会議、小牧長久手の戦いなど信長死後の出来事は教えられない。
それに下手をしたら、姫路城に関わった息子の輝政の方が知名度が高い可能性がある。
《一応確認するが……。新介と小平太は『謎で地味』とか言っておったな? ちゃんと桶狭間の功績は伝わっておるな?》
《それはバッチリ》
織田信長が歴史の表舞台に出たと言っても過言ではない、日本史に於いても燦然と輝く桶狭間の戦い。
その敵軍大将である今川義元に、1番槍を付けた服部一忠。
さらに今川義元の首級を挙げた毛利良勝。
彼らの歴史における、華々しい迄のデビュー戦である。
《じゃあ、その後は? 何が謎なのじゃ?》
信長は嫌な予感がして尋ねてみた。
《……あ、後ですか? 次に……伝わる情報は、あの、その、亡くなる時……ですかね……はは、は……》
《なんじゃと!?》
《謎過ぎるわよ!?》
毛利良勝は、信長の母衣衆として常に側近として仕え続け、次に伝わる大きな情報は本能寺で討ち死にした事である。
服部一忠は少し特殊で、本能寺では本人ではなく弟が討ち死にしているが、これには理由がある。
一忠本人は桶狭間での負傷が元で内政官として働き、本能寺後に思い出したかの様に歴史の表舞台に出現した後、豊臣秀次事件に巻き込まれて切腹する。
ただ、ファラージャが言えるのは本能寺までの歴史なので、結局、次の情報は死ぬ時まで何も無い。
《本当に何も無いんです! い、一説には、大怨霊今川義元の呪いによって功績が消されたとも言われています!》
ファラージャがもう一発地雷を踏み抜いた。
《よ、義元が怨霊!? 呪い!?》
《まさか桶狭間で討ち取られた恨みってこと?》
《そ、その通りです! その原因を作った2人が綺麗に歴史の表舞台から消えているので、いつしか怨霊のせいだと……》
《怨霊など居ないと断言したのはお主であろう!?》(73話参照)
《それはそうですけど、怨霊云々は私の考えではなく、世間の考えなんですよ!》
《それにしたって、もっとこう、何かあるだろう!?》
《じ、事実、本当に資料が無いんですよぉッ!》
良勝と一忠は『桶狭間の活躍後、死亡までの期間行方不明だったのか?』と思ってしまう程に情報が無い。(一応僅かながらあるにはあるが)
ただこれも仕方ない部分がある。
残念ながら資料は色んな理由で紛失するのである。
もう当時の人に資料として必要ないと判断されたり、後世の人が価値を知らずに処分したり、事故災害での紛失もあるだろう。
あるいは不名誉な先祖の記録を、子孫が消したかもしれない。
中でも陰謀策略渦巻く戦国時代なら、証拠隠滅が最多かもしれない。
明智光秀に関わった人が、本能寺を機に慌てて処分したように。
結果、何らかの理由で記録が抜け落ち、後世の人にとっては、資料が無いから判断ができず当たり障りない評価になる。
あとは、本当に特筆すべき事が無かった可能性もある。
しかしそれは、功績として認識されなかった人達の『不断の努力の賜物による特記事項の無い功績』である。
だが人は、何か通常とは違うからこそ何かに書き記すのであって、『今日は1日何も無かった』を残しはしない。
それに戦国時代では、紙は貴重品である。
だからこそ後世に伝わらなかった可能性である。
現代人でさえ気軽なSNSで連日『今日は何も無かった』などと投稿する人は稀も稀だろうし、当然、戦国時代には望むべくもない。
《(それにしても勝三郎殿達で地味な評価なのね……。まぁでも私よりマシか……。そりゃ女の名前が残らない時代だわ)》
実は帰蝶は、自分がいつ死んだかすら謎の歴史を、信長がフライングして旅立った5年間で聞いており、これが、この時代で暴れる帰蝶の原動力となっていた。
《何たる事じゃ……! これは何とか見せ場を作ってやらないと……いや、ちゃんと作ったハズなんじゃが……》
《やはり紛失した資料が多いと思うんです。それに何と言いましょうか、信長さんは良かれと思っての配置なんでしょうけど、その配慮が返って足を引っ張った感もあるんじゃないですか?》
《引っ張った!? 自分で言うのも何じゃが、ワシの近辺や、後継者である信忠に付ける程の家臣という立場は、結構名誉だと思うんじゃが……?》
《未来と今の価値観のズレなのかしら?》
《そうでしょうねー。一般的には目立った者が正義と言いますか……。世間の評価では、3人は恵まれたスタートを切ったハズなのに、才能の限界値が低くを発揮できず、信長さんの実力主義に飲み込まれ目立てなくなった、なんて言われています。いわゆる早熟型とも……》
《そ、早熟!? 早熟か……》
《その時代に生きる人はともかく、後世の人にとっては、派手に戦って活躍してこそ戦国時代の『いくさ人』ですからねー》
《いくさ人!? そんな狂戦士ばかりで国が運営できるか!!》
《そ、それは御尤もですけど、柴田勝家さんは仕方ないにしても、後から織田家に参入した羽柴秀吉さん、明智光秀さん、滝川一益さんに追い越されたのは致命的だったかと……》
《グッ! 確かにな……。しかし恒興、良勝、一忠も決して悪くない! 悪く無いが、恒興達を追い越した奴らが優秀過ぎたからじゃ! 本来、戦と政治は表裏一体。どちらかしか出来ぬ奴らが掃いて捨てる程溢れておる中、恒興、良勝、一忠も決して悪くないのじゃ! ただ勝家、秀吉、光秀、一益、それに森可成、丹羽長秀、塙直政、佐久間盛信が高い地位にいたのは、戦も政治も極めて高い水準で出来たからじゃ!》
恒興達の地味さは、ある意味、信長の超実力主義の被害者とも言えるが、縁故を贔屓しなかったが故の織田家の躍進でもある。
ただ、だからと言って恒興達が必要無いかと言われれば、決してそうではない。
先も言った通り、彼らは誰よりも信長に近しい、譜代中の譜代である。
ともすれば地味と取られかねない恒興達の様な存在も、派手な活躍をする外様家臣と譜代家臣の緩衝材として、また信長が安心して政務や戦に携わる為には必要不可欠であった。
その証拠に、前々世は当然、今回の信長の人生でも彼らを軽んじてはいない。
恒興は今回の歴史でも、北勢四十八家討伐にて柴田勝家、森可成に次いで軍を指揮する事になった。
この時、元服を済ませたとは言え、まだ12歳の少年である。
最初期から親衛隊に属して経験を積んでいるとはいえ、相手も農繁期故に数が揃えられない最弱の状態だったとはいえ、大抜擢にも程がある人選であった。(27話参照)
良勝と一忠は今回の歴史でも、桶狭間で帰蝶と共に義元に決着をつける一撃を与えるのはもちろん、北勢四十八家の最後の砦である長野家と、その時に長野家と密約をしていた北畠家の挟撃という緊急事態に、別動隊の指揮を任され信長の背後を守った。(28話参照)
信長に近しい存在であった事も理由ではあるが、確かな才能と前々世での活躍を知るが故の抜擢であった。
しかし今、ファラージャから非情なる宣告『池田恒興、毛利良勝、服部一忠は地味、しかも謎』との衝撃の事実を知った。
《いずれどうしても、犠牲を強いる様な配置にせざるを得ん時が来るかもしれん。しかし、それは今では無い。心を鬼にするしかないな》
《その通りです! 獅子とかいう獣は、子供を谷に突き落とすそうですよ!》
《未来の言葉か? 何じゃその物騒な例えは……》
《どんな例えなの?》
《昔、獅子って動物が居たらしいんですよ。その獅子が我が子を谷に落として試練を与え、厳しく教育を施すんですが、その結果、絶滅したとも言われています》
《駄目じゃん!?》
そんな訳で、信長は今回思い切って、手元から離してしまう決断をするのであった。
彼らは織田家の代表として、天下人三好長慶に接するのである。
勉強にならないハズが無かった。
「勝三郎、小平太、新介。織田で育ったお主らなら戦にも政治にも確かな目を持つハズじゃ。失敗しても良い。臆せず意見を通すのじゃ。多少無茶でも、三好殿なら良き様に取り計らってくれるであろう!」
「はッ!」
「任せな!」
「では行って参ります!」
「大将、寂しくて泣くなよ?」
「戯けが! 誰が泣くか! ……また合おう!」
4人は手を組み再会を誓うのであった。
彼らの活躍は、遠くない未来に信長の下に届けられる事になる。
この話を執筆している現在ではまだ公開されていないですが、黒人奴隷から武士になった弥助の人生を描いた映画が公開予定らしいです。
池田恒興は20位以下に陥落するかもしれませんね。




