108-1話 弘治の謀 中国地方
108話は3部構成です。
108-1話からお願いします。
天文の世の混迷と乱れを憂い、秩序と安寧を願い制定された新元号の弘治。
その元年に最初に動いたのは大内家であった。
【安芸国/厳島】
大内家の実質的支配者である陶晴賢は、様々な事情によって瀕死になった大内家を建て直すべく精力的に動いていた。
今回も、先だって大内から離脱し毛利家に占拠された、安芸の厳島を奪回すべく兵を進めた。
こうして始まったのが史実に名高い『厳島の戦い』で、結果で述べるならば、大内軍の壊滅的大敗で終わった戦いである。
後世に謀神と名を馳せた毛利元就の、数々の薄氷を割らずに歩くかの様な緻密な策謀によって、大内軍は厳島に誘い込まれ壊滅的打撃を受けたと言われる。
大内家は兵力で毛利家を凌駕するのも、劣勢を建て直す事が出来ず、総大将の陶晴賢は退却を余儀なくされた。
「毛利の追撃が厳しいな。最早これまでってヤツか……。ワシはどこで間違えたのだ?」
ともすれば他人事の様にも聞こえる分析をする晴賢。
もちろん本人は真剣そのものである。
泣いても喚いても怒っても結果が覆る訳も無い。
だから冷静なのだ。
「う~ん……最初からか? どう思う?」
付き従ってきた陶家の忠臣である野上房忠に、晴賢は尋ねた。
房忠にとって、その声は今まで聞いた記憶が無いほど『秩序と安寧』を願った弘治元年に相応しい穏やかな声であった。
死と滅亡を察するに余りある状況が、野心家の晴賢とは思えない声を作ったのである。
「ッ!? そ、それは、その……」
危うく口から飛び出しかけた『やりたい放題、剛腕を振るってきましたからな』との言葉を飲み込む。
「……残念です」
ただただ、様々な思いを込めて言うしか無かった。
房忠は主君の変化と、陶家として今までの無茶な方針を思い起こし『残念です』と答えるのが精一杯であった。
「フッ……クッククク……! そうかそうか! 最初から間違っておったか! ハッハッハ!」
その房忠の察するに余りあるに態度に、晴賢は笑うしかなかった。
数々の剛腕的策略でのし上がってきた晴賢であるが、強引な手法は良くも悪くも己の立場を強化し孤立し敵を作り、その全てのツケが降りかかって来たかの様な現実に最早笑うしか無かった。
「大内の家格とワシの力が合わされば、毛利も尼子も三好さえも……ッ!!」
その先の言葉が続かず晴賢は大きく息を吐いた。
晴賢はおもむろに甲冑を外すと、腹を露にする。
「何を惜しみ 何を恨みん 元よりも この有様に 定まれる身に」
以前から考えていたのだろうか?
すらすらと辞世の句が口から零れ落ちた。
「こうなる事が運命だったと?」
「運命に翻弄される事など有り得ない、と今まで思っておったが、いざ覚悟を決めたら、腑に落ちてしまったのだ。不思議なものよなぁ」
運命など自らの意思で切り開いてきた晴賢である。
今際の際で、ある種の悟りを開いたかの様であった。
「さぁて。腹を斬るか。平兵衛(野上房忠)介錯を頼む……むっ?」
覚悟を決め、これから自害をしようとする晴賢の耳に悲鳴が聞えた。
「敵が迫っておるな。これはさっさと斬らねばな」
脇差を抜いて、切っ先を腹に宛がう。
その、本当に刃を突き立てる直前だった。
「……ん? 違う?」
「ど、どうされましたか?」
太刀を振り上げ首を落とす体勢を保ったまま、房忠は主の心変わりに戸惑った。
「様子がおかしい」
悲鳴は、近くの追い詰められた自軍では無い。
遠くの追い詰める側の毛利軍である。
敵の気勢に悲鳴が混じり始めるのに、死に際で神経が研ぎ澄まされたのか、晴賢は気が付いた。
「何だ? ……何事だ!?」
切腹直前の晴賢が、我が身の格好も忘れて周囲を警戒する。
そこに、自軍の兵が飛び込んできた。
「殿! 尼子です! 尼子が毛利軍に仕掛けております! 今の内に脱出を!」
「尼子が? そうか……。狡猾なあ奴がこの機を逃すわけが無いか。しかし……」
尼子軍が現れたとの報告に、晴賢は何が起きたのか即座に理解した。
晴賢は大内と己の武威を示す為に、最低限の人員を残して全て厳島に従軍させた。
結果的には大敗を喫してしまったが、出し惜しみして敗れては本当にジリ貧になってしまう為に思い切った動員をかけたのである。
しかし尼子晴久は以前からずっと、それこそ史実以上に、大内と毛利の動向に目を光らせ策を仕掛けており、その工作が実を結び尼子軍はほとんどフリーパスで大内領地を駆け抜けて厳島に殺到していた。
「当の昔にどう転んでも大内の命運は尽きていたのだな。しかしこの混乱なら……!」
お陰で、八方塞がりで命運は尽きていた大内家と陶晴賢であるが、その命は史実に反して繋がった。
史実では厳島の大敗で切腹して果てた晴賢は、尼子軍の急襲に助けられ、戦場からの脱出を果たしたのであった。
信長が活発に動き、三好包囲網が結成され、天下への野心を芽生えさせた尼子晴久が史実に無い動きと謀略を働かせた結果である。
こうして厳島から脱出した晴賢は、領地に帰る事ができた―――が、事態が好転したかと言えばそうでは無かった。
逃げ延びた居城では、死んだ方がマシだったかもしれないと思う程の凶報が、これでもかと舞い込んでくる。
その報告を纏めると、既に大内の主要な城や石見銀山は尼子に占拠され、当主の大内義長も捕らえられていたのである。
かつての政敵も有力家臣も既に討ち取られるか尼子に降り、厳島で大敗を喫し兵力の大半を失ってしまった大内家と、如何に中国地方で名を馳せた陶晴賢と言えど、もはや逆転の眼は潰えてしまったのである。
晴賢の居城である富田若山城では、乗り込んで来た尼子晴久の無情な宣告が響く。
「大内義長殿、貴殿の妻子は我らが保護した。安心するがよい。命に別状はないし怪我もしておらん。至って健康じゃ」
もちろん、保護では無く捕縛である。
「大内の凋落は我らにとっても残念だ。しかし、ここで消え去って良い血筋では無い」
大内氏は、朝鮮半島百済の聖王の第3王子である、琳聖太子を始祖とした一族である。
大抵の武士は『源平藤橘(源氏、平氏、藤原氏、橘氏)』のどれかの子孫、または自称するが、大内氏はそのどれでも無い珍しい一族なのである。
「しかし、それも先代の義隆殿の失政が原因で、配下や領民の心が離れてしまった。お主が謀反を起こしてまで家中を正したかった気持ちは判る。だが力を失ってしまった今、立て直しは容易では無い。そこで我らが手を貸そうじゃないか。今我らに下るなら大内家再興の機会を作ってやろう」
晴久が色々挙げて、大内の現状を危惧し思慮深い事を述べる。
ここで、この思慮深さを信じる愚か者は戦国武将失格であろう。
(何をヌケヌケと……!!)
当然、晴賢も晴久の詭弁は見抜いている。
実際にその通りで、尼子が捕らえた大内義長にしても、大友義鑑の母が大内系なだけで、血筋としては弱すぎる。
そもそもが晴賢の傀儡に過ぎない名目上の血筋なので、晴久も保護すべき価値を本気で認めている訳ではない。
それにもし、血筋に価値があるとすれば九州の大友義鎮(宗麟)と兄弟である点のみで、今は毛利と結んでいる、大友とも何らかの取引ができる道も作る事が可能になるが、それすらも今はどうでもいい。
今重要なのは、晴賢の顔を立てて『尼子に降っても仕方ないと』思われるに足る状況を作る事である。
面目を潰してしまっては体面を重んじる武士、と言うよりは男でもあり野心を隠しもしない晴賢に『負けたのだから言う事を聞け』では纏まる話も纏まらない。
それに晴賢の実力も殺すには惜しいと、ほんの少しだけ思っている。
また尼子家としても、大内や晴賢の都合に関わらず抱え込みたい理由もある。
弱体化していたとは言え腐っても、長年地域を支配した大内家なので主家を慕う残党や領民が従わない可能性もある。
そんな面倒を全て晴賢に押し付けた上で、尼子の支配を強化し万全の体勢を築きたいのである。
「お主の目的は何じゃ? この乱世に名を馳せたいのであろう? 上手く行かなかった部分もあるが、ワシはお主の手腕を高く評価しておる。ならば力を見せろ。我らは三好に取って代わる。その時が来たら大内を再興し、陶家も然るべき立場として取り立ててやろう」
この場で晴久の慈悲を信じる愚か者は居なかった。
何せ『断れば殺す』と、言外に多分に含ませる問いかけだからである。
晴久も本心では、大内家の人間や晴賢を失うには惜しいと本当に思っている。
ただし、従わないなら殺してしまう事に対して躊躇はない。
尼子としても西に気兼ね無く東の三好に備えたいが、断られれば西への警戒が増えるだけであり、その時はその時で対応して動くだけである。
「……条件は?」
晴賢としても、独断専行できる大義名分たる主君の義長と自分の一族を捕らえられてしまっては、首を横に振れば全員死ぬだけである。
それを理解しているからこそ、晴賢は余計な建前や問答をせず直球で尋ねた。
「大内の旧領を纏め上げ、毛利を抑え続ける事だ」
せっかく大内を破った毛利が、その利益を掠め取られたままでは怒り心頭であろう。
その怒りを逸らすべく晴賢をスケープゴートに仕立てつつ、西の防御を固めたいのが尼子の思惑であった。
「わかりました。……尼子殿の好意に甘える事といたします」
晴賢は、どんなに不利な条件でも首を縦に振るしかなかった。
長らえた命で次に繋げ、掴みかけた野望の成就の為に。
(くそ! 尼子に毛利め! 今に見ておるがよい! 必ずワシは舞い戻る!)
こうして尼子家に取り込まれた大内家は勢力として滅亡し、陶家も晴久の駒として動く事になった。
また、せっかく大内家を倒した毛利家は躍進の機を失い、別の手段を探る事になる。
「石見銀山を手に入れ大内を取り込み、機は熟したと言えよう。浦上と赤松の争いに介入し三好と構える! 各々、そのつもりで準備を怠るなよ!」
ともすれば、猛毒になりかねない陶晴賢を取り込んだ尼子家。
頭を下げる晴賢に、視線を向ける晴久の胸中は如何程のものだろうか。
(この程度の毒を制御出来ずして、京を、天下を制するなど夢のまた夢。片腹痛い事よ!)
常ならば『一つの仕事』を達成して息つきたい所であろうが、三好を倒し京を支配する事が晴久にとっての『一つの仕事』の終わりなので油断も休憩も一息すらついていない。
まさに最盛期を迎えた尼子家であった。




