14話 尾張内乱
幼子の竹千代が、信長流の英才教育を受ける事2ヵ月。
信秀の下に急報が舞い込んで来た。
同じ織田一族にして犬山城主の織田信清、楽田城主の織田寛貞が謀反を起こしたのだ。
信秀は即座に主だった者に召集をかけ、討伐する為の軍議を始めた。
【尾張国/末森城 織田家】
「知っての通り信清、寛貞らがワシに対し軍を起こした。断じて許すわけにはいかぬ。禍根残さず討伐する」
家臣たちは怒り心頭の信秀を想像し戦々恐々としていたが、実際の信秀は淡々と話している。
それが単に怒り狂うより恐怖を感じる佇まいであった。
「そこでまずは三郎五郎(信広)を総大将として兵1000を預ける。犬山城を攻め落として参れ」
「はっ!」
信広は戦果も順当に挙げており、周囲の補佐もあり能力も問題無く、この抜擢には妥当な人選だと家臣は感じ取っていた。
「次に勘十郎(信行)を総大将として、こちらも兵1000を預ける故に楽田城を攻め落として参れ。最後に三郎(信長)には兵800を預ける。お主は三郎五郎の後詰だ。いつでも出られる様にしておけ」
信広については異論の余地が無かった家臣も、信長と信行に関しては驚いた。
二人とも初陣を済ませていないのに軍の大将として指名されたのだ。
信長の隠れた実力を家臣は知らないので、驚くのは仕方ないとして、信行に関しては信長も驚いている。
「殿! 三郎様と勘十郎様は……」
慌てた家臣の一人が信秀を諫めようと試みるが、信秀は百も承知とばかりに話を続ける。
「案ずるな。お主の言いたい事は解っておる。勘十郎には副将として権六(柴田勝家)を付ける。同じく三郎には中務丞(平手政秀)を付ける」
信長と信行は名目上の大将としての位置づけであると、暗に仄めかした。
「ワシはワシで勘十郎の後詰めとして兵1000で待機する。今回は我が弾正忠家の動員できる全てを持って奴等を攻め滅ぼす。そう心得よ!」
「はっ!」
頭を下げつつ家臣達は一種の予感を感じていた。
総大将の主君信秀はともかく、信広、信長、信行と後継者と目されている3人が軍を率いて動く。
これは『結果次第で次期織田家の当主が決まるのではないか?』と。
その上で、信広、信行は城攻略を任せている。
手柄を立てる機会を与えられた二人が実質的な本命であり、後詰を任じられた信長は控えであり、ほぼ後継者争いに脱落したと誰もが察した。
信広は何事もそつ無くこなしているし、信行も信長と同母兄弟とは思えない程、兄に似ず聡明で思慮深いと評判だ。
信行を補佐する柴田勝家も常日頃的確に教育しつつ、自分自身も織田家中一の猛将なので信行の経験不足補って余りあると誰もが理解し安心する。
(この二人のどちらかが大殿の後継者だ!)
そう思うのは無理はなかった。
もちろん、信秀の本当の思惑は違う。
信秀の中では、信長が後継者大本命である。
親衛隊の存在や、穀潰しや戦災孤児の有効活用、賊討伐で見せた確かな戦略と指揮など、もう既に後継者争いを制したと言ってもいい。
初陣すら済ませていない子供が見せる才では無いのだから当然の判断である。
後は、後詰など裏方でも才を発揮できるか知りたいだけである。
的確な後詰は戦の結果を左右する。
味方の救援や、逃走経路の先回りなど、やる事は多彩で、むしろ戦全体を把握する大局的な目が必要となる役割である。
こればかりは全体を統括する目や感性を持たないと出来ない仕事、即ち総大将の仕事である。
信秀も賊討伐を実際に見て、信長の大局的な目の片鱗を感じ取っているので心配はしていないので、最終確認と言った意味合いが強い。
逆に信広、信行に対しては、手柄を立てさせて信長が後継者となった後も立場を無くさなくて済むように、との親心なのである。
こうして織田弾正忠家は慌ただしく動き始めていた。
父に自分の有能さを訴えかける為、決意を新たにする後継者。
今後の身の振り方を考え、後継者を値踏みする家臣。
そんな各々の思惑を一笑に付し、自分の息子を試す主君。
三者三様の思惑を秘め、反乱の鎮圧が始まろうとしていた。
一方信長はと言うと、後継者争い同然の陣触れよりも別の事に驚いていた。
《もう歴史の変化に驚くまいと決めていたハズなのじゃが、どうしても驚いてしまうわ》
信長は『驚く事を自制する』事を諦めつつ、準備をしながら帰蝶にテレパシーで話しかける。
《今回の叛旗の話ですか?》
帰蝶は父から授けられた刀を腰に佩き、兄から授けられた薙刀を背負いながら答える
《そうじゃ。前世よりも遥かに時期が早い。兄上はともかくワシや弟にも出撃命令が出ておるのも前と違う。斎藤家との同盟が早まっておるからか?》
《うーん、無関係では無いでしょうね》
《そうすると解らぬ事がある》
《何ですか?》
《何の勝算があって奴等は謀反を起こしたのじゃ?》
《勝算ですか? ……あ!》
《そうじゃ。前の謀反は斎藤家との戦で我らが疲弊していた時期のはず。その隙が奴等の勝算だったはずじゃ》
《でも今の私たちは元気一杯な上、動員数も相手を上回るでしょうし……》
《そうじゃな。奴等の動員できる兵力など500集まれば良い方じゃ。そんな戦力ではワシらや同盟者の斎藤家に挟まれて潰れる、と考え至らないのか?》
《全くメリットがありませんね?》
《めり……利点の事じゃな? そう。利点が無いのじゃ》
信長は帰蝶やファラージャとの会話で話の流れから、南蛮語をある程度理解できる様になっていた。
《だが動機なら解らんでもない。怨恨じゃろうな。織田信清は父と何度も争ったし、信清の父は斎藤家との争いで討たれておる。しかし今は歴史が変わり、奴の頭を飛び越えて斎藤家と同盟を結んでしまった今回では、面目を潰されて軍を起こした、と言うならまぁ筋が通るじゃろう》
《確かにそれが理由なら解らないでは無い、とは思いますが……》
信長も帰蝶も歯切れが悪い。
《だがこれでは全く勝算が無い。暴挙と言っても良い。しかし、もし暴挙でないなら必ず勝算があるはずじゃ。ワシらが気づかぬ勝算はなんじゃ? まさか本当に只の愚か者、と言う訳でもあるまい?》
信長は今回の謀反の真相を一生懸命考えた結果、一つ思い出した事があった。
《そう言えば、本能寺の件もそうよ!》
《え?》
唐突に話が変わり帰蝶は戸惑った。
そんな帰蝶を他所に、今回の謀反を切っ掛けに、前回と前々回の謀反を思い出す信長。
《光秀や秀吉は何故ワシを討とうと思ったのじゃ? 於濃は心当たりがあるか?》
《うーん? 前世は病に臥せっております故、はっきりした動機はちょっと解らないですわ。羽柴殿は挨拶する位しか接点が無かったので本当に解りませぬが、明智殿は斎藤家の時代から実直で確かな手腕を聞き及んでおります。正直あの明智殿が裏切ると言うのは今でも信じられないですわね》
明智光秀は史実では斎藤道三に仕えていた、と言われている。
道三が息子義達に討たれた後に出奔し、諸国を巡って将軍家にたどり着き、信長と接触する事となる。
《秀吉が裏切った時、乱丸に聞いてみたわ。『ワシってそんなに嫌われておるのか?』とな》
《え!? ら、乱丸殿はなんと答えましたか?》
《『へ?』と答えた。いつでも臨機応変な、あ奴らしくない!》
《そ、それで乱丸殿を責めても仕方ないですよ! と言うか、今際の刻に何聞いているんですか!?》
《2回も同じ場所で謀反にあったのじゃぞ!? お主だって知りたいじゃろう!?》
《それはそうですけど……》
信長は前回、前々回の本能寺を振り返る。
信長の視点では『信長を討つ』この一点のみで言えば理解できる。
わずかな側近だけで動く信長が隙だらけだったので、討つならあの本能寺しかない。
それは理解できるのだ。
《逆の立場なら自分でもそうするかも知れぬ。しかし……》
しかし、その後が続くとは思えなかった。
後継者である信忠も妙覚寺で討ち死にした事を信長と帰蝶は知らないので仕方ないが、それでも信長を討った後に四方八方から残存織田軍に押し潰されるのは目に見えている。
動機や利点が全く思いつかない。
事実、本来の史実では明智光秀は四方八方から押し潰される事は無かったが、代わりに頼りにしていた賛同者に尽く見放され羽柴秀吉に討ち取られた。
結果はやや違うが信長の想像通り、信長を討ち取った後が全く続いていなかった。
《まぁ本能寺は置いておくとして、ともかく今回の信清、寛貞の謀反の動機、勝算や今後の展望が理解できぬ!》
《歴史を知ってるからこそ盲点が有るのかも知れませんね》
ファラージャが会話に入る。
《歴史を知る故の盲点……》
《史実を知る私達3人にとっては今の流れは異常ですけど、私達以外の人にとっては当然これが普通であり、彼等は彼等なりに時勢を読んで動く訳です。そこには今現在の理由を考慮したモノがあるはずです。でもその理由は私達にとって前回の歴史的事実に反する為どうしても理解不能になってしまう、って感じですかね? 何かモヤっして上手く伝えられずごめんなさい》
《いや、言いたい事は解る》
《じゃあ、頭を真っ更にしないとですね!》
《すぐには答えは出せぬな。謀反を起こした奴等に絶対の勝算があるなら、この戦は弾正忠家にとって厳しい物になるやも知れぬ。手を打っておくか》
信長は書状をしたため始めた。
「誰ぞある!」
「この書状を親父殿に届けよ。その後は親父殿に従え!」
「はっ!」
《後は於濃、今回ワシが率いる後詰め兵800は親父殿から与えられた半農兵だ》
《そうですね》
《これでは何かあった時対応できぬ。お主は親衛隊1000を揃えて待機せよ。必要になる時が来るやも知れぬ。頼むぞ》
《了解しました!》
《あと……》
その後一つの注文を付けた。
【信長軍】
帰蝶との密談を終えた信長は平手政秀と合流し、与えられた兵800の前に立ち名乗った。
「皆よう集まった! ワシが織田三郎である!」
しかし800の兵達は、自分達を指揮する大将が『うつけ殿』と知って愕然とした。
有能な大将の下であれば生き残る可能性も高くなるが、無能の大将の下では勝ち負けどころか命すら危うい。
ざわめく兵達を見て政秀は苦虫を噛み潰す顔をした。
(大殿は何故親衛隊を使わないのか!? 戦う前から士気が落ちておる! 親衛隊ならこんな事にはなるまいに!)
(爺、親父殿はワシを試しておるのよ。いくら親衛隊が百戦錬磨に育ったとしても、この先、数千数万の兵を率いる事になった時『全軍親衛隊並みの兵か?』と言えば、そうは成らんじゃろう。必ず未熟な兵を率いる機会が来る。その未熟な兵を指揮できるのかを知りたいのじゃ)
(成る程……これは大殿の試練と言う訳ですか)
それでも―――と政秀は思う。
政秀は信長が後継者本命である事を知っている。
後詰に配された理由も、事前に聞いている為に納得はしている。
だが、納得している故に、大失敗があった時は、容赦無く後継者候補を剥奪される事も理解している。
だからこそ思う。
失敗する可能性がある半農兵よりも実力の確かな親衛隊を出陣させるべきであると。
このまま信長には織田家を飛躍させてほしい。
いつか尾張は当然、近隣諸国を牛耳る支配者として君臨して欲しいと願っている。
斯波家の家臣の家臣で終わる器では無い筈なのに!
(―――と思って居るのだろうな、爺は)
苛立ちを隠さない政秀の表情に信長は苦笑する。
信長も信秀の意図は察している。
生来の常識破りな思考は基より、魂の年齢は49+5+1歳で親の信秀を上回っている故に、楽をさせない腹積もりが逆に嬉しくもある。
幾つになっても期待される事は気分がいい。
士気がガタ落ちの半農兵を前にして、俄然やる気が出てきた信長は、不敵に笑い800人を睥睨するかの如く見渡した。
1600個の眼球が信長を貫く。
羨望や期待の輝く眼差しでは無い。
不安と落胆で濁る眼差しである。
(おぅおぅ、久しく忘れておった侮蔑に富んだ覇気の無い死んだ目よ)
この『死兵』とは意味の違う『死んだ兵』をどう操るか? 信長は楽しくなってきた。
「聞けぃ!!」
裂帛の声が800人の度肝を抜いた。
単なる大きな声では驚く事はあっても、ただそれだけである。
しかし信長の声は違った。
臓腑を射抜く声、歴戦の猛者が発する声よりも格段に魂に響く声である。
かつて日ノ本を牛耳った王者信長だからできる声であった。
当然ざわつく兵はおろか、信長の正体を知る平手政秀でさえ反射的に姿勢を正す。
兵の目に活力が戻り、指揮する者の指示を聞く態勢になる。
(あ、あれ? あいつは『うつけ』の餓鬼では?)
(違うだろ……? 違わないのか?)
そんな困惑を胸に、自分たちに話しかける信長は、本来の背丈以上に見える錯覚をもたらす程だった。
「今回我々は、兄上が攻める犬山城へ後詰として出陣する! 敵は寡兵! 500にも満たない! 一方我らは兄上と合わせて1800! 犬山城もそこまで強固な城ではない! 囲んで攻めるであろうが、兄は鎧袖一触に粉砕するであろう! 我らは逃げる兵を追撃し、特に城主であり謀反人の織田信清を逃がさぬ隙を見せぬ事が肝要である!」
そこで信長は一呼吸置く。
「だが! それは通常の場合である!」
困惑する兵に対し信長は言う。
「誰か貴様らの中には犬山城に親類縁者や友が兵として居るのではないか!? 居たら手を挙げよ!」
多くは無いが幾つか手が上がった。
「ワシは貴様らに親類や友を討てとは言わぬ! そうで無くても、元々付き従う兵は織田信清に徴兵された何の罪もない我らの同胞である! 可能な限り助けてやりたい!」
徐々に兵達の目に力が宿ってきた。
「助ける策はある! 皆、ワシに力を貸してくれ!」
そう言って信長は頭を下げた。
命の安いこの乱世で、自分達は疎か、敵兵にも気を使う信長に感銘を受けた兵達は、自分でも気づかぬ内に自然と雄たけびを上げたのだった。
その演説を見ていた平手政秀は、信長の真の姿を知っていて尚驚いていた。
(たったこれだけの刻で、死んだ兵を蘇らえせてしまった!)
平手政秀は信長の演説に目頭が熱くなった。
信秀の指示で信長に付けられた家臣達も同じ思いであった。
当初は外れクジを引いたかの如く意気消沈していた。
何せ次期当主のお眼鏡に適う機会が奪われたと思っていたからだ。
(それがどうだ! 残り物には福がある……では無いが、これは……もしかしたら……もしかするかも知れぬ!)
「今からは時間との勝負だ! 全軍出発!」
そう言って騎乗する信長は後光が射しているかの様であった。