106-2話 静観惑乱困惑 三好長慶と尼子晴久
106話は3部構成です。
106-1話からよろしくお願いします。
【山城国/三好館 三好家】
信長が願証寺を滅ぼした事を受けた三好家は、公式の見解として織田を糾弾した。
当然、公式と言うからには非公式もあり、陰では信長の対応を援護している。
そんな三好家では二人の男が対峙していた。
一人は三好家当主の三好長慶である。
もう一人は僧形の男で一際品の良い袈裟を身にまとい、男と言うよりは少年と表現すべき若年の僧であった。
この少年は昨年、本願寺を証如から浄土真宗本願寺を継いだ、11世宗主の顕如である。
左右に控える三好家家臣の視線を悠然と受け止め優雅な佇まいのまま、昨年の願証寺一向一揆壊滅の顛末を語っていた。
「何と!! 願証寺はその様な事になっておったのか!! うーむ……噂には聞いていたが、正に聞きしに勝る悪鬼の所業! 織田の暴虐は目に余る! 許しがたい!」
長慶は、晴天の霹靂だと言わんばかりに扇子を圧し折り織田を非難した。
しかし長慶は顕如から語られるまでもなく、すでに願証寺を滅ぼした張本人である信長から顛末を聞いている。
従って当然ながら、織田との繋がりを隠す為の演技である。
「……しかし堺衆には独立自治を認めている手前、織田との取引を止めろと命令出来ぬ。圧力は掛けているが、これ以上は難しい」
これも嘘である。
何なら活発になったぐらいだ。
長慶にとって織田との取引を停止させる事など造作もないが、堺の独立自治を認めている点を前面に押し出し無念さを醸し出す。
「そうですか……。難しい立場はお察し致します。拙僧も無茶は申しますまい」
顕如は顔を伏せ項垂れた。
その表情を正面に座る長慶には確認できないが、それ以前からイマイチ顕如の感情が掴めず眉間に皺を寄せる。
「それにしても織田殿の暴虐は酷い。我らも弱い立場で虐げられるのみ!」
顕如は少年らしい高い声で織田を非難する。
「そこで別件でお願いしたき儀がございます! 三好様の領地内外に本願寺系寺院を建立させて頂きとうございます! 伊勢からの避難信徒を受け入れる為に! か弱き民を救う為に!」
パッと顔をあげ顕如は一気に捲し立てた。
長慶は一瞬だけ口元を歪めた。
自分達を『か弱い』と堂々と臆面もなく断言する厚かましさと、顕如の年に見合わぬ交渉力に。
「もちろん平地の生産拠点や軍事的要所を欲している訳ではありませぬ。未開の山岳地帯や生産性の低い土地で構いませぬ。どうか伏して慈悲をお願い致します」
三好としては、公式に願証寺を滅ぼした織田を非難している立場であり、信徒の救済を申し立てる顕如の願いを無碍にする訳にはいかない。
しかも直前に、堺衆への織田との取引を停止させられないと断ってしまった、精神的引け目もある。
長慶は心の中で舌打ちをした。
これは『ドア・イン・ザ・フェイス』と呼ばれる交渉テクニックである。
あえて通らない要求を予定通り断らせ、次の本当に通したい要求を断り辛い状況に相手を追い込むのである。
最初に断った罪悪感を利用するのであるが、顕如はそれに加えて世界の真理である宗教の最大派閥を統括する身である。
仮に長慶自身が宗教を信じていなくとも家臣達は違う。
三好家としても、余りにも宗教を粗略に扱ってしまっては、家臣の心が離れてしまう。
「……よかろう。詳細は別途話し合うとしよう」
「過大な配慮、誠に忝くおもいます。三好様の慈悲を確かに感じました」
「……それは何よりじゃ」
「しかし本当に願いを聞き入れて頂き安堵しております。本願寺としましては三好様の邪魔や妨害をする事は有りませぬ。このまま王政を貫いて頂ければと思います」
「うむ。今日は大儀であった。気を付けて帰られよ」
「では失礼いたします。三好様に御仏の加護があらんことを」
そう言って顕如は退室した。
残されたのは顔を歪めて憤慨するる長慶と、家臣の篠原長政である。
「まるで殿の若かりし頃の様でしたな」
長政は、ようやく終わった狐と狸の化かし合いの感想を、しみじみ語った。
長政は長慶の傅役でもあったので、顕如の姿に若い時の長慶を重ねたのだ。
「フン! そうか。ワシはそんなに憎たらしい、可愛げの無い子供であったか」
「まぁ……殿が顕如上人に抱いた感想を、当時殿と相対した者は思ったでしょうな」
そう言って長政が笑う。
長慶は顕如と同等の少年時代から政治に携わり、今の顕如と同じ年頃で主君の細川晴元と一向一揆の和睦を成功させている。
当時の大人が、長慶にどんな感想を持ったかは言わずもがなであろう。
「『このクソガキが』と思った訳か。まったく『子供は子供らしく』は真理じゃな。少なくともワシはあの当時、懸命に使命を果たすしか手段が無かった。……しかし奴は己の力と背後と特殊性を理解し、力の使い方を心得ておる。全くもって可愛げのない!」
顕如には三好と織田が裏で通じているかの確証は無かったが、ソレが本当であるかどうかは問題ではなかった。
堺衆の力は本願寺としても敵対は避けたいし、むしろ本願寺の意向で織田との取引を停止させ堺衆の利益が減るのは、いずれは停止させるとしても今は困る。
なので顕如は長慶が断るのは百も承知とばかりに提案を引っ込め、代わりに新規の寺院の建立を認めさせた。
とても少年が出来る交渉術ではない。
「本願寺は三好支配地域はもちろん、伊勢から逃げてきた一向宗の受け入れ先を作る為に越中、加賀など一向一揆が盛んな地域の他、いずれ織田と相対する時に必要になるであろう場所を選ぶであろう。大和守(篠原長政)、可能な限り好立地を見繕ってやれ。分かっておるな?」
「もちろんです」
もちろん、ここで言う『好立地』とは三好にとって益が無く不便な土地で、なるべく戦略上の脅威では無い土地である。
「一向宗信徒を我らが引き受けても邪魔なだけ。将軍を通じて浅井にでも引き取ってもらいましょう。戦力の拮抗にも繋がりましょう」
「よかろう。良い案だ。今は坊主共と争っても何の得もない。それよりも西と我らの本拠地たる阿波よ」
将軍が結成した三好包囲網。
東側は織田斎藤今川のお陰でイマイチ効果が出ていないが、西側は活発に蠢いていた。
中でも尼子はその野望を隠さず、尼子晴久は尼子家親衛隊で強力な戦力ではあるが、傲慢で家中の不和を招く振る舞いを改めない『新宮党』を粛清し、長年の悩みの種だった内部の不安を取り除く事に成功していた。
また阿波の隣国たる土佐の長宗我部家が強引な侵攻を始め、三好家にとって正念場が迫っているのは間違いない状況であった。
「伊予の河野家も、土佐の一条家も、内部に問題を抱えておったな。長宗我部を阻める勢力は安芸家、本山家、大平家辺りか。長宗我部の強引な攻め口に憎しみを募らせておろう。奴らを援助して土佐を膠着状態に持ち込め」
「尼子に対しては如何いたしますか?」
「引き続き赤松家への支援じゃ。低迷する浦上を討伐させて勢力の安定をさせる。特に赤松晴政の息子義祐は中々見所がありそうじゃ。我らが後見となって面倒をみてやる価値はある。それが尼子対策にも繋がろう」
長慶の言う見所は凡愚でもなく、かつ、制御可能という点を評価しての言葉で、優秀すぎても馬鹿過ぎてもコントロール不能になりかねない。
いつの世も大国はほんの些細な綻びで崩壊する事を、長慶は認識しているが故の慎重策であった。
【出雲国/月山富田城 尼子家】
月山富田城では尼子晴久と息子の義久が話し合っていた。
「三好と覇を競うには、後2つ足りぬ物がある」
「それは何でしょうか?」
まるで義久に言い聞かせる様な口ぶりである。
「1つ目が財力じゃ。堺を擁する三好に対抗する為には、石見銀山を再奪取する必要がある」
石見銀山は石見国(島根県西部)にある銀が豊富に産出される場所であるが、当然の如く有力な支配者による熾烈な争奪戦が繰り広げらる地域である。
尼子家と大内家の激しい争奪戦は、やがて未来で尼子家と毛利家の争奪戦に変化して行くが、現在は大内家が支配下に置いている。
しかし、その大内家は現在大混乱に陥っており、当主の大内義隆が家臣の陶晴賢の謀反を許し義隆は自害、その結果、九州の勢力である大友義鎮(宗麟)の弟である大内義長が陶晴賢の傀儡として名目上の大内当主に座している。
今の大内家は要約すると―――
当主が他家から来た大内の血が薄い義長。
しかも謀反人が大内家を牛耳っている。
その結果、家臣は反発し大内家中は瓦解寸前。
―――なのであるが、さらに最悪の要素も控えている。
しかも、大内義長、陶晴賢主従や尼子晴久さえも知らぬ事ではあるが、実は―――
大内義長の実兄たる大友義鎮が、大内と敵対する毛利家と密約を結んでいる。
大友は大内との争いに不干渉の立場を取っている。
つまり実兄が弟を見捨てており、大内家は内外に敵だらけで滅亡秒読み段階まで弱体化してしまっていたのである。
これはもう石見銀山を奪う機会を窺っている勢力にとって絶好の機会過ぎて、逆に罠じゃないかと心配になって疑ってしまう程の、正に千載一遇の好機なのである。
「本来なら目先の利益など無視して京への上洛を早急に果たしたい所ではあるが、石見銀山を目先の些細なモノと捨て置くには無理がある。是が非でも支配下に収めなければならぬ」
「なるほど。ならば今すぐ兵を出して大内を排除しますか?」
「……いや、それはしない。近々必ず毛利が大内を攻めるであろうが、それを横から掻っ攫う。しかも大内の救援という体が演出できれば最高じゃ」
「それは何故でしょう? 大内を救うおつもりですか?」
まだ年若い義久には、父の狙いが分からなかった。
瀕死の勢力など延命させず、死なせてやれば良いのにと思っている。
「対毛利、対三好で大内を先鋒にして使い潰す為よ。毛利に対しては我が兵を温存したいし、三好に対しては戦力があるに越したことは無い」
「なるほど。父上は石見銀山奪取の先を見据えているのですね」
義久はようやく合点がいくと同時に父の手腕に驚く。
「そうじゃ。他人には目先の戦と勘違いされても良いが、真の目的は内に秘め切り札とせよ。いずれお主が尼子を継いだ時、ワシの言葉が正しかったと思う事になろうて」
「はっ」
「よし。その為にも大内周辺の動きを警戒せねばな。ワシの目論見では今年の収穫が終わった直後が一番可能性が高いとみておる」
「わかりました。して、足りぬ物の2つ目とは一体?」
「壁じゃ」
「か、壁?」
義久は部屋の壁を見るが、当然、言葉通りの意味の壁ではない。
「我らと三好に挟まれた赤松と浦上。赤松は我らに守護を奪われた恨みがあるからな。おそらく三好の手先と成り果てていよう。その赤松と三好を防ぐ壁に浦上を仕立て上げる」
大国は大国故に慎重に成らざるを得ない場合があり、晴久は今がその時と睨んでいる。
晴久は野望はあれど猪突猛進ではない。
「なるほど。壁に仕立て上げて代理戦をしてもらう訳ですな?」
晴久は息子の言葉に満足げに頷いた。
大国に挟まれた小国は大国に良いように扱われるのが古今東西の宿命であろう。
こうして尼子家は来る日を逃さない様に、大内周辺の情勢に目を光らせ、浦上の懐柔を図るのであった。