106-1話 静観惑乱困惑 織田信長
106話は3部構成です。
106-1話からよろしくお願いします。
【尾張国/人地城(旧:那古野城) 織田家】
織田家の人地城では織田の家臣が勢揃いしていた。
各地域の開発責任者である帰蝶、織田信広、北畠具教、九鬼定隆を筆頭に、斎藤家から派遣された連絡役、今川家から同盟の使者として人が寄越されていた。
喉元の棘である願証寺を滅ぼした今年こそが重要だと、皆理解している顔つきである。
「今年は昨年から停滞していた飛騨への援助を加速させ、対武田への防備を完全にする」
信長は昨年の織田家の方針を決めた時に、明確に次の目標を『まずは願証寺。次に武田』と定めていた。(100-5話)
その目標の一つである願証寺を滅ぼしたのだから当然次は武田である。
「その為に、織田の親衛隊は全て飛騨と斎藤家の援軍に派遣する。また部隊を指揮する者も必ず一回は飛騨の地を自分の足で歩いて見て貰うから、そのつもりでいるように」
信長の『全親衛隊の飛騨派遣』の言葉に家臣たちが反応し、言葉こそ発しないがざわついた雰囲気に包まれる。
それも当然であろう。
どこの世界に、領地の守備を担う兵を完全に空ける人間がいるのか。
しかし、ここに居るのである。
これが信長の悪癖であり、良い所でもある。
何度裏切られても家臣を全面的に信頼し、付いて来てくれると信じて疑わない、思い切りの良過ぎる危険な決断である。
その危険が最高潮に極まったのが、ほとんど無防備で本能寺に宿泊した時であろうか。
ただし隙があるからこそ、家臣は『期待と信頼に応えなければ男が廃る』とばかりに全力を出す。
ただし、かつての本能寺は、織田の領地でも安全地帯だったので警戒が緩いのも理解できるが、今の状況では前世、前々世とは比較にならない程に発展途上である。
2度も暗殺されてなお、この決断が出来る信長の胆力たるや、といった所であろうか。
《リスキー過ぎやしませんか!?》
《フン。この程度の危険を恐れて未来が変えられようか。それに手は打つ》
ファラージャには、信長の絶対的な自信が理解できなかったが、帰蝶は一定の理解を示した。
《背中を預けるってのはこういう事なのよ。……多分》
「お主等の言いたい事も心配も理解しておる。しかし、今は全速力で遅れを取り戻す事以外は全て些末な事である。ボヤボヤしていたら武田が攻め寄せてくる。しかも今の飛騨は雪深く作業もままならぬ。猶予は無いと思え。雪解けを確認したら即座に動く」
急ぐ割に雪解けを待つのは矛盾している発言であるが、無理する必要があっても出来る無理と出来ない無理がある。
平地の濃尾平野と山奥の飛騨では雪の量は桁違いであるし、現代の重装備でも雪山遭難凍死事故は発生するのに、この時代は小氷河期なので無理しても凍死するだけである。
信長単独なら雪だろうと嵐だろうと飛び出していくが、集団自殺を命じる愚か者ではない。
余談ではあるが、そんな冬の雪山を突破したのが佐々成政であり、かの『さらさら越え』と言われている。
《意外とやさしいですね》
《不思議でしょう! そうなのよ!》
その辺の事情をよく理解していない帰蝶とファラージャが、信長のイメージにそぐわない発言に驚いた。
「《当り前じゃろうが! ワシをなんじゃと思っとる!?》それに尾張、伊勢を完全に空にする訳ではない。治安の維持を疎かにする訳にもいかぬ。そこで今川家と伊勢守(北畠具教)じゃ」
桶狭間以降、戦らしい戦が無かった今川家は内政に精を出し、親衛隊を常備出来るまで余裕を作り出す事に成功していた。
北畠家も信長に敗れ臣従した時に領地が半減したが、南伊勢の自領の開発と伊勢全体の開発に励んだ。
その結果、5年で常駐専門兵士を自領の南伊勢だけで3000人から500人増やし3500人の動員を可能にしていた。
「今川殿の領地自体の維持もあるから今川家からは彦五郎殿率いる2000人だけ借りる予定じゃ。伊勢守の3500と今川殿の2000で織田の全領地を維持し、我ら8000は全て交代で飛騨と斎藤殿の援軍に行く」
斎藤家への援軍とは、斎藤領は北に細く伸びてしまった為に親衛隊を満遍なく配置する必要があり、また北近江の朽木家が不穏な動きを見せており警戒を強める必要があった。
義龍は逆に撃って出る事も考えており、その為の援軍を織田家から借りる予定である。
ところで、織田の全兵力が天文17年(1548年)の北勢四十八家攻略時に7000人なのに、現在が8000人とは余りにも伸び幅の少ない数である。
少なくとも願証寺を攻める時点では北畠軍と合わせて12000人を動員できていた。
何が原因で4000人も減ったのかと言えば、これは願証寺への攻撃が効いていた。
浅井政貞の様に恐怖のあまり尾張を脱出する者、戦に懲りて親衛隊の戦専門から作業建築専門に移籍する者、または帰農する者がそれだけ居たのである。(外伝24話参照)
史実の長島一向一揆では織田軍の戦死者は数千人に上ったが、今回の戦いでは戦死者こそ微々たるモノだが、その代わり大量離脱者を作ってしまっていた。
あれだけの餓鬼地獄を作り出して離脱者4000人で済んだと判断するか、4000人も失ってしまったと判断するかは個人によるだろう。
もちろん信長は前者である。
死んでいないのなら問題は無い。
織田領から完全に逐電してしまった者はともかく、織田領内に残っているなら建築に農業に働いてもらえば良いだけであり、中には兵士に復帰する者もいるだろう。
むしろ中途半端なタイミングで離脱されるより、今の内に離脱して欲しいと願っているぐらいであり、そこまで深刻に考えてはいなかった。
せいぜいが『変則的歴史の修正力』ぐらいにしか思っていない。
「西の六角家とは小競り合いが予想されるが、三好も六角に圧力をかけており東西に軍を配置しなければならぬ。何かあったとしてもこの5500で十分対応可能じゃろう。内蔵助(佐々成政)又左衞門(前田利家)。お主等は彦五郎殿と顔見知りじゃ。いくら織田親衛隊全軍飛騨派遣と言っても全く織田から将を出さぬ訳にもいかん。二人で交互に飛騨と今川軍を行き来せよ」
「はッ!」
「お任せを!」
「あと慶次郎(前田利益)、お主は彦五郎殿と次郎三郎(松平元康)の護衛じゃ。織田の領地で絶対に2人を死なせるなよ」
信長は、この場に同席する今川氏真と松平元康の護衛を、前田利益に命じた。
今川も信長の家臣なので、本来ならそこまで気を使う必要は無いが、表向きには『同盟者であり協力してくれる武将』という体である。
万が一にも討ち取られる訳にはいかない。
この前田利益は、先ごろ武芸全項目で帰蝶を上回る成績を収めた、織田家で7番目に個人武芸に優れる男である。
柴田勝家、森可成、滝川一益、北畠具教、塙直政、織田信長に次ぐ男が前田利益となる。
なお、6位の信長との実力差は絶望的に離れているが、利益が驚異的なのは年齢がまだ14歳で将来性が抜群な点である。
では使える男かと言うと色々難点が有り、利益は指揮よりも武芸に重きを置いており、しかも性格にムラがあって扱い辛い男でもあり、非常にうつけた傾奇者である。
前々世では良くも悪くも周囲に影響を与えた男で、特に昨年生まれた織田信正は信長の血を最も色濃く引き継いだ所為か、利益と馬が合うのか常にベッタリで見事にうつけた傾奇者になった。
利益自身が信長に憧れて傾奇者になった面があるので、信長の性格の系譜は信長→利益→信正に引き継がれた様なモノであり、これがある意味信正が信長の後継者になれなかった理由である。
ただし、信正は後継者を最初から絶対に嫌だと公言して憚らなかったので、誰も不満にも思わず不幸にもならなかったし、また信忠も武将として為政者として才能を発揮しだしており、信長も信正の幸福を考えた末の沙汰であった。
そんな影響を与えた利益であるので、現時点では決して指揮官には据えられないが、護衛には最適の男であった。
「了解です。よろしくな彦五郎様、次郎三郎殿。道中訓練の相手になりますよ」
「え、えぇ……よろしくお願いします」
「此方こそ、お頼み申し上げます!」
ニヤリと笑う利益に気圧され、嫌な予感を感じた氏真は引き攣った笑顔を見せ、元康は満面の笑みで応えるのであった。
氏真は身の危険を感じていた。
氏真は強くなりたい思いはあるが、それは帰蝶に鍛えられたいのであって、決して利益にではない。
一方元康は強くなるのに異論は無いが、帰蝶に鍛えられるのは心底憂鬱に思っているので、利益の申し出はありがたく思っていた。
そんな元康の心情を、帰蝶は完璧に読み取った。
「次郎三郎ちゃん……。せっかくだし後で手合わせしましょうか……?」
「(ッ!? そんな馬鹿な……! 何で……! こんな理不尽な……! 某の身にばかり……!)えっ……その……はい……」
元康は、広間の板が瓦解する感覚に陥ったが、もうどうにもならない。
(理解できますぞ、その気持ち)
その一方で、佐々成政が余裕の気持ちで頷く。
成政は昨年の願証寺残党討伐後に、とうとう帰蝶から一本取る事に成功し、無事『ちゃん』呼ばわりを卒業していた。
一方前田利家は同じ一族(利益は利家の親の兄の子供)で年下の利益が、自分より遅く親衛隊に入り先に頭角を表したのが非常に面白くなく憮然としている。
(次男や穀潰しの為の部隊なのに何であの野郎が!!)
暗い感情をさらなる強い感情で押し殺す利家を信長と帰蝶は感じ取った。
《マズイ沙汰だったか? ……そういえば奴は前々世でワシの茶坊主を斬る程に血の気が多い奴だったな》
信長の言う茶坊主斬りとは、史実の永禄2年(1559年)に発生する事件である。
この利家の拾阿弥斬殺事件は『笄斬り』として語り継がれているが、斬られた拾阿弥にも相当性格や振る舞いに落ち度があるが、それでも主君の面前で許可も無しに勝手に斬り捨てるのは暴挙の極みであった。
そのお陰で利家は長期間に渡って苦しい浪人生活を余儀なくされる。
幸か不幸か今はその激しい気性の全てを兄貴分の佐々成政や、帰蝶がその稽古にて発散させているが、利益の存在が保っていた気性を爆発させる恐れがあった。
《困ったな……。しかし、他の人材を充てられる程に余裕がある訳でもない。於濃……》
《駄目です。手加減は又左衞門ちゃんの為になりません》
取りあえず『ちゃん』呼びさえ卒業できれば面目が保たれるが、それは駄目だと帰蝶が一蹴する。
《その代わり、人材に余裕が無いのは承知ですが一人追加しましょう》
《誰をじゃ?》
《羽柴殿です》
《羽柴殿……秀吉か》
羽柴秀吉―――
今はまだ苗字も無い単なる親衛隊の『藤吉郎』でしかないが、長野稙藤を討ち取った功績や願証寺攻略で蜂須賀正勝を味方につけ渡河地点の割り出し等、順調に功績を重ねており、今はもう小隊程度であれば問題なく指揮もできる。
ただ、武芸だけは並の腕で、そこだけがネックになっていた。
当然帰蝶も『藤吉郎ちゃん』呼びである。
《奴等は確かに馬が合っていた様じゃな。……性癖も》
その苦労した境遇もあってか史実でも二人の仲は悪くなく、特にお互いの妻同士が極めて仲が良い。
また2人とも、今で言うロリコン気味であり、若い女性に目が無い。
秀吉と寧々の年の差は8歳差で1561年に婚姻、利家とまつは7歳差で1556年に結婚しているが、コレくらいの年の差は戦国時代には珍しくも何とも無く、この一点でロリコン呼ばわりは言い過ぎである。
問題なのは、利家とまつの第1子が、まつが11歳の時の子供なのである。
医療が未発達で出産の様な命がけの行為を、いくら女性の結婚が早い時代であっても、初潮を迎えていたとしても、肉体が成長しきっていたとしても早すぎの出産である。
なお、まつは21年間で2男9女の11人を出産している。
側室の出産も合計して11人なら理解できる話であるが、1人で11人は戦国時代であっても大記録であり、まつが如何に肉体に恵まれていたか伺い知れる話である。
《秀吉こそは飛騨で使いたいが仕方ない。又左衞門と同行させよう》
《あと、法度の追加もお願いしますね》
「《わかっておる》よし。基本的に尾張に居る者は昨年同様に願証寺残党狩りを行いつつ六角を警戒せよ」
大本の願証寺は潰したが、系列寺院や身を隠した者もいる。
そんな残党が民を先導して一向一揆に発展しても困る。
恭順しないのであれば狩り尽くすしかない。
「最後に、天下布武法度を1つ追加する。『肉体の成長が未熟な女子を懐妊させ出産時に死なせた場合は処罰の対象』とする」
これは別に利家や秀吉の性癖対策で考えた訳ではなく、昨年の直子出産に立ち会った帰蝶が女子の命を守る法が必要と訴えて考え出された法である。
現代の様な明確な法が無い戦国時代では、女は政治の道具でしかない時代である。
名前すら正確に伝わらないぐらいに、女は軽んじられているのが普通の時代なので、せめて肉体の成長を待ってから出産してもらいたいと帰蝶が願うのは仕方ない話である。
また、信長もこの時代に似合わず女性に対する理解がある人間であり、帰蝶の訴えを素直に聞き入れるのであった。
ただし、別に性行為を禁じている訳ではないし、死なせなければ良いと解釈が可能な法であるが、女性の歴史にとっては偉大な最初の一歩となる法として後世に残る事になる。
こうして、今年の織田の方針は固められ、武田に対する決戦の機運が高まるのであった。