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外伝21話 織田『歴史修正力』帰蝶

 この外伝は9章 天文22年(1553年)の初上洛の帰りから、翌年の願証寺攻略にあたる頃の話である。


 信長が願証寺で戦っている頃、帰蝶、吉乃、葵、茜、直子ら織田軍を指揮する事もある女傑達は、今回の戦に参加していなかった。

 それどころか長島の戦い以前の信長の再上洛にも付き従わず、伊勢は金井城での盆踊りにも参加していない。


 ではどこで何をしてたのか?


 それは―――

 彼女達にしか出来ない超特殊任務であった―――



【尾張国/人地城(旧:那古屋城) 織田家 天文23年5月5日】


 尾張の人地城の一室では悲鳴や怒号、叫びと呻き、涙と血、それらを合わせた凄絶な光景が広がっていた。


「うぐぅうあぎぃイッ!! グうぅぅうウう……ッ!!!」


「誰か手ぬぐいを! 口に噛ませて!」


 複数人が忙しなく動き、また別の一人が女の体を押さえつける。

 しかし、これは決して婦女暴行の様な犯罪現場でもなければ、重病人の断末魔や重症者の治療現場でもない。

 凄絶な光景ではあっても、決して凄惨な光景では無い。


 何故なら、新たな命が生まれる現場なのだから。


 今この場では、お産を手伝った経験のある茜と葵が産婆を補助しつつ動き回り、出産当事者である直子が(とこ)で苦悶の表情を浮かべ身を(よじ)りながらも懸命にお産の痛みと戦い、新たな命を産み落とそうと奮闘している。

 帰蝶と吉乃は出来る事が無い上に、お産現場の雰囲気に呑まれて動くに動けず、正座しながら少しでも直子の産みの苦しみを分け合おうと、かれこれ10時間以上に渡り直子の手を取り励まし続けていた。


《ひえぇぇぇ……!!》


《言った通りでしょう?》


 ところで冒頭にて『彼女達にしか出来ない超特殊任務』と書いたが、正確には『直子が当事者の特殊任務(出産)』なのであり、何故関係無い女房衆全員が参加しているかと言うと、キッカケは帰蝶であった。

 女房として大事な子育てに携わりたい思いと、幸か不幸か48年+5年+9年の間、性教育から遠ざかった人生を送ってきたので、教育を受けた後でも(90-3話参照)内心信じられず、出産の現場に立ち会う事にしたのである。

 本当に()()()()から子供が生まれるのか確認する為に。


《いやでも、確かに生理のアレは何なのか長年の謎だったけども、それにしたって……!!》


《現実を受け入れてください》


 正室帰蝶の子を思う態度に感銘(間違ってもいないが若干勘違い)を受けた他の三人も『それならば』と参加する。

 出身身分も低い事が幸いし出産現場に立ち会った経験のある茜と葵が手伝う事になり、帰蝶と吉乃が見学となった。

 だが、余りに凄絶な現場だったので、直子の手を握る事しか二人に出来る事が無かったのが真相である。


「もうすぐよ!!」


「頑張って! もう見えてるから!!」


「次の陣痛に合わせて大きく()()()のですじゃ!!」


「ううう……ッ!! あぁッ!!!!」


「出ましたぞ! ヘソの尾を切って……後は叩いて泣かせて……!」


 産婆が手際よく処置を進めていく。

 

「……ウゥッ……おぎ……アァアァァァ!!」


 爆発的な鳴き声が人地城に響き渡る。

 生まれた子の生命活動の源が(へそ)の尾から肺呼吸に切り替わった証拠であり、更なる血流の活性化によって皮膚が赤みを帯びる。

 文字通り『赤ちゃん』となった。


「ふぅ! これで一安心ですじゃ。直子様、ご覧くだされ。元気な男の子ですじゃ」


「男の子……あぁ……よかっ……」


 直子は子供の顔を見て安心し、力尽き気絶した。


「お、終わった……? もう……限界……」


「おめ……でと……う……ござ……」


 ついでに帰蝶と吉乃も力尽きて倒れた。


「はぁ~~。な、長かったわね……」


「中々の難産でした……」


 葵と茜も疲労困憊で座り込んだ。


 元気なのは生まれたばかりの赤ん坊と、百戦錬磨の産婆だけで、産湯で体を綺麗に洗いつつ赤ん坊に問いかけた。


「これで織田家はますます安泰ですかのう?」


 産婆が問いかけると応える様に大きな声で男児は泣いた。


「アァァァ! アァァァァ!」


「安泰ですとな? ホッホッホ!」


 帰蝶達、女房衆は無事特殊任務の最大の山場を乗り越えたのであった。

 一方、信長は男児誕生の報告を庭先で聞いた。



【尾張国/人地城 庭】


武芸の稽古をしている信長の下へ伝令が転がり込んできた。


「とっとっと! 殿! 只今報告がッあり、ありまして……!!」


「分った分った。まずは落ち着け。産まれたのであろう?」


 もうすぐ産まれるからこそこの場に居るのであり、火急の報告なら十中八九、出産の報告で間違いない。

 子供の誕生出産など前々世で何十回と経験した信長故に、今回では例え初めての子であろうとも動じる理由は無かった。

 動じるなら、もっと別の事である。


「で?」


 信長はゴクリと喉を鳴らす。

 出産に動じはしないが、かと言って緊張感まで無い訳では無い。

 出産よりも大事な事を確認したかったからである。

 それを踏まえて『で?』と問うた。

 もちろん言外に『性別は?』と言っているのであり、報告に来た者もそれは察しており息を整えて答えた。


「男児です! おめでとうございます!」


 報告は精一杯の声で答えた。

 喜ぶ信長の顔を想像しながら。


「……ッ! だ、男児!? 本当か!?」


 しかし信長は、喜ぶ感情よりも驚愕の感情を表に出した。


「え!? は、はい。確かにそう聞いておりますが……?」


 報告者も予想外の反応に困惑する。


 今は戦国時代であるので、男児は何よりも優先される。

 何故なら跡継ぎ候補として、家の安泰が一先ず約束される為に喜ばない親は居ない。

 それに女児ならば将来争う可能性は殆ど無い。

 男児なら戦国時代故に将来争う可能性もあるが、女児ならばそんな存在には成り得ないので別の意味では喜ばしいし、父母共に子を作る能力に不足は無い事も証明できるので次の機会もある。


 また、あってはならない事であるが、死産の場合は諦める事も現代人よりは容易い。

 医療技術も整わず、子供が七五三まで生き残るのも大変な時代であるが故に、現代人よりは死の可能性を十分考慮しているからである。


 ともかく、男なら喜び、女なら安堵し、死産なら悲しむ。

 考えられる感情は多少違ったとしても、この三択であろう。


 しかし信長は男児が生まれて驚愕するという、伝令の想像外の反応をしてしまった。

 信長は、すぐさま己の失態に気づき、咳払いをして答えなおす。


「ゴホン! そ、そうか! 男児か! 男児なのだな……」


 そう言葉を正すと、さっそく子供の元へ向かうのであった。


《男児らしいぞファラ》


《そうみたいですねー……》


 二人は今回の結果を転生者ならではの視点で感じていた。

 それ故に信長は伝令の報告に対して間違った対応をしたのである。


 信長とファラージャ、帰蝶は今後産まれてくる子供に対して、ある予測をそれぞれ立てていた。


 史実通りに生まれる、即ち歴史の修正力を信じているのが帰蝶。

 史実通りにならない、即ち自分達が知る子供は出来ないと考えているのが信長。

 ファラージャは二人の折衷意見で、史実通り生まれるが才能や資質は未知数と考えている。(90-3話参照)


 今回の結果で誰かの予測が完全否定された訳ではないが、それでも史実通り天文23年5月5日に、これまた史実通りに男児が生まれた事により帰蝶とファラージャの予測に近づいた事は間違いなかった。


 信長はむしろ、女児が産まれる可能性もあると予測を立てていた為に、驚愕してしまったのである。

 そう考えるのにも理由があり、多少の事は史実を捻じ曲げる事が出来たとしても、重要な事柄は絶対に発生するならば、本能寺からは逃れられない可能性を考えていたからだ。

 その考えを覆す為にも女児が産まれる事を、半ば願望に近い形で予測していたのであった。

 史実通りを願う帰蝶には内緒にしている考えであるが、喜び半分、不安半分というのが今回の件での信長の正直な感想であった。


 そうこうしている内に、信長は女房衆が控える部屋にたどり着く。


「皆、よう頑張っ……うん?」


 信長が労いの言葉を発しようとして全員を見渡すと、直子は仕方ないにして全員が倒れていた。


「殿、申し訳ありませぬ。皆、出産の疲労と緊張から解放され気を失うように寝てしまわれました」


「うぅん……本……当にあ……んな……」


 男児を取り上げた産婆が、申し訳なさそうに言った。

 帰蝶は寝言と言うよりは、悪夢にうなされている様である。


「そうか。仕方あるまいな。男には理解できぬ現場で戦ったのだ。眠らせてやれ」


 そう信長は言うと、直子の傍で寝ている男児の顔を覗き込む。


《フフッ。凄いシワクチャですねぇ。でも流石にこの状態では信正さんかどうか判別つきませんねー》


 ファラージャが一般的な感想を口にするが、信長は違った。


《……ッ!! こ、これは!? ま、間違いなく信正……じゃ……!?》


 産まれたばかりのシワだらけの顔では、誰のどの子であろうと似たり寄ったりで判別は難しい。

 しかし信長は違った。

 血のつながりが成せる業であろうか、直感的に信正であると感じ取ったのである。


《えぇ!? こんな顔で判断できるんですか!?》


《顔を見て判断できた訳ではない! じゃあ何でと言われても困るが……何故か判らんが判断出来てしまった……!》


《本当ですか!? と言う事は歴史の修正力……!? 今後も何がどうなっても前世通りの順番で子供が出来るのかしら!?》


 ファラージャが自分で言いながら、現実感の無い事を口にし驚いた。


《そうすると、仮に於濃との子供を授かろうとしても、絶対に無理なのか? あるいは全員死産か産まれても成長せず死ぬのか?》


 信長も信じられず一つの仮定を提示する。


《い、いえ、そんな事は無いと思いますけど……無いのかな……? うーん、歴史の修正力について言い出した私が言うのも何ですけど、例えば究極的な例として、信長さんは歴史通り絶対に本能寺で死ぬとします》


《うむ?》


 自分が死ぬ嫌な例えであるが、そんな事を苦情として出すほど場を読まない信長ではないので続きを促す。


《それは即ち『本能寺までは何があっても()()()()』とも言えます。逆説的な考えですが。そうすると例え戦場で素っ裸で歩いていようとも、矢玉は全て信長さんを避け、刀槍の一撃も信長さんに届く前に折れたり、災害に遭遇しても奇跡的生還をしたり……。極端ではありますが、そう言う事になります。本能寺までは絶対不死の無敵の存在となる訳です》


 修正力を信じるならば、必ず何らかの理由で歴史通りに収束する仮定の話である。

 しかし仮定の話は所詮仮定である。

 誰も経験してないので、確かな断定はできない。


《では切腹しようとしても刀は絶対に腹に刺さらんのか? それはちょっと試してみたい話ではあるが……いや、もし違ったら完全に無駄死にな上、この歴史上では『織田信長、突然何の前触れもなく意味不明に切腹』とか伝わるのか? それは勘弁してもらいたい所じゃな》


《究極の『うつけ』ですね》


《まぁ、この信正にしても少なくとも確定しているのは外見だけで、中身まで本当に信正になるのか、信正そっくりの誰かに成長するのかまだ判らん。人格の形成には教育や環境も影響しよう。現に家臣達も前とは違う成長を見せておるのだから》


 家臣の性格も、前々世と劇的に違う訳では無いが、確実に変化は見せていた。


《そうですね。様子を見守りましょう》



【後日 塙直子私室】


 女房衆と信長が一室に集まっていた。

 直子は産後の疲労で体力がまだ回復しきっていないので、寝衣で男児と共に床に入ったままである。


「出産は皆ご苦労であった。直子もよく頑張ったな」


 出産の修羅場から一段落した今では、殺気立った緊迫感は無くなり、無邪気な乳児が発する和やかな雰囲気に、皆頬が緩んでいる。

 信長にしても雰囲気に当てられて、緩まないように気をつけねばならぬ状況であった。


「まず決めねば成らぬのは、何を置いても子の名前じゃ。名は散々悩んだが『於勝丸』にしようと思う」


 史実では『奇妙丸』『茶筅丸』『人』など、狂った名前を付ける事の多かった信長にしては実に無難な名前である。

 今回は、あえて別の狂った名前を付けようかとも悩んだ。

 歴史の修正力を考えるならそれも一手だとは思ったが、前々世通りに『於勝丸』にした上で、どうなるかが必要だと感じ変更は止めた。


「次にお主等と子の扱いについてじゃ。一応、便宜の上では正室側室とあるが、お主達の身分がどうこうで優先順位は付けん。これは以前から言っている通りであるが、当然、生まれる子にも同様じゃ。誰の子だから身分が上、下といった区別はつけぬ。従って今後、誰から子が生まれたとしてもこの於勝丸が長男じゃ。仮にこの後に於濃と出産時期が重なったとしても、於濃から生まれた子を順番として優先する事はない」


 これは史実での失敗である信雄、信孝問題を反省しての発言である。


 史実での織田家男児の生まれた順番は、今回生まれた於勝丸こと信正、信忠、信雄、信孝と続くが、信雄と信孝は極めて近い時期に生まれた子供であり、本当は信孝の方が早く生まれていた。

 しかし信孝が生まれた報告は、信雄が産まれるまで伏せられた。

 その理由は信孝の実母である坂氏(茜)の身分が低かった為、信雄を産んだ吉乃に配慮し、信長への報告を遅らせたのであるが、これが後々問題を起こす事となった。


 この時、信長は後継者は能力で決めると考えていたので、特に訂正する事をしなかった。

 自身も2番目から飛躍した身なので、子供達にも己の様になる事を願って。


 しかしこの考えは完全に裏目にでた。


 成長するにつれ、お世辞にも有能とは言い難い信雄と、優秀な資質を見せる信孝。

 信孝も弟の出来が悪いなら特に意識しなかっただろうが、出来の悪い本当なら弟の兄は身分だけで自分の上に立ち優遇されている。

 また、かませ犬にされた信雄も面白くない。

 その結果、完全に反目し信孝は本能寺の変の後で信雄と争い死ぬ事になる。


 自分の子だからと言って、必ずしも自分の考えを理解するとは限らないし、良かれと思っていても結果がよくなるとは限らない。

 まさに『親の心子知らず』であり、その逆たる『子の心親知らず』も真であると言えよう。


 ともかく誰も得をせず不幸になった前々世。

 これを防ぐ為の念入りな宣言であった。


 ただ、だからと言って競争意識まで無くして貰っては困る。


「また、於濃の子を無条件で嫡子とするつもりも無い。ワシの後継者は能力が全てに優先し、ワシの後を継げた者が『嫡子だった』となる」


 嫡子とは後継者最有力候補であるが、イコール長男ではない。

 時代によって定義も変化しており、戦国時代では側室の子であっても嫡子にはなり得る。

 特に実力主義の戦国時代において、素質や才能を考えず正室の長男を後継者に選んでいては家が破滅しかねない。

 信長はそれを一歩進め、嫡子を定めないと決めた。


「元服し、世の荒波に揉まれ成長し、ワシが認める才を示し、さらにワシの後継者になる意思のある者だけが嫡子になれる。そう心得よ」


「それは、本人にやる気が無ければ後継者に選ばない、と言う事ですか?」


 帰蝶が、信長の言い様に引っかかるモノを感じ、確認する。


「うむ。自らを相応しくないと判断するなら、その意志は尊重する。無理に後を継がせても不幸になるだけじゃ。特にワシの後継者はな」


 この信長の発言には、前々世も含めた信長の人生を知る帰蝶は当然だが、今までの信長しか知らない側室達も『確かに』と納得した。


「次、於勝丸の実母は直子であるが、ここにいる全員が己の子と思って接せよ。全員が於勝丸の母であり、これから生まれる子も全員の子として平等に育てよ」


 権力者の生活エリアには『奥』という言葉がある。

 権力者の政治の場が『表』とするならば、権力者と正室側室の私生活の場が『奥』になる。

 権力者が『表』の世界で不平不満しか言わない民や、悪鬼羅刹の敵対者とバチバチとやり合っているいる中、正室側室は『奥』で何をやっているのだろうか?


 それは戦いである―――

 女たちにとって『奥』こそが戦場なのである―――


 誰だって、自分が腹を痛めて産んだ子が可愛いのは間違いない。

 権力者の正室、側室による陰湿な権力闘争としてドラマや書物で表現されるほどに有名だ。

 権力者の寵愛を独り占めし、我が子を何としても後継者の座に付けるべく、スキャンダルを暴き、あるいはでっち上げ、他人の子とその母を蹴落とすのは当然。

 完全に血の繋がる兄弟間でも争う、魑魅魍魎が跋扈する伏魔殿。

 それが『奥』なのである。


 ―――と言われる説がある一方で、正室側室が一致団結して子を育て家を盛り立てた説もある。


 誰だって、自分が腹を痛めて産んだ子が可愛いのは間違いない。

 確かに正室側室による、陰鬱な後継者争いもあるだろう。

 だが、特に常時非常事態の戦国時代にて、敵や問題を外ではなく内に抱えるのは致命傷になりかねない。

 平和な時代ではないので、後継者もいつ戦場で命を落とすか判らないし、敵対する勢力に付け込まれるかもしれない。


 この小説では太原雪斎に操られた信長の弟、信行の様に。


 だからこそ女達は『奥』で一致団結して、家を守り別の側室が産んだ子供でも養子であっても育てるのである。


 ―――と言われる説もある。


 信長が目指すのは勿論、後者である。

 だがその点においては、信長は非常に運が良かった。

 帰蝶は転生の目標として、側室や側室の子供と仲良く接する事を目標としており、その目論見は半ば達成しており彼女たちはとても仲がいい。

 帰蝶の甲冑をノリノリでデザインする程に。(外伝15話参照)


「よし、ではワシはこれより願証寺に向かうから、しっかり頼むぞ」


「はい、お任せください! ご武運を!」


 信長は信正誕生を見届けると、複雑な心中のまま戦に向かうのであった。

 何が複雑かと言えば、前々世通りに信正が生まれてしまったので、これから向かう長島願証寺との戦いで、大量の戦死者が出るかもしれない可能性が捨てきれないからである。


《この後、兄上を筆頭に多数の家臣が討ち死にする可能性があると知りながら戦場に向かうのは気が引けるな》


《歴史の修正力ですね。ただ、出来事は史実通りですけど時期が違います。可能性は五分五分だと思いますよ?》


《五分の可能性に掛ける? 運に頼る戦いは桶狭間だけで十分なのじゃがな。一番楽なのは出陣させない事じゃが、そんな余裕もない。仕方ない。被害が出る事を前提に編成を考えるか》


 この後信長は長島の陣で兄の織田信広の軍に、長島の戦いで討ち死にした実績のある者をまとめて編成した。

 さらに史実では寿命を迎えていた父の信秀まで放り込む徹底ぶりである。


 もし、歴史の修正力が働き打ち取られるなら全員まとめておき、被害を全体に満遍なく発生させるより、一か所に集中させ軍の崩壊を防ぐ事にした。


 それに併せて、長年の包囲による締め上げから弱体化した願証寺に対し、大量の砦を全て制圧し一揆兵を一か所に纏め兵糧攻めにし、徹底的に直接激突する機会を避ける方針をとる。

 可能な限り死者を出さないように、精一杯歴史の修正力に反抗するかの如く。


 こんな誰よりも複雑な心中のまま信長は長島に赴き歴史を覆す戦果を挙げると共に、より一層歴史の修正力に対して訳が分からなくなるのであった。



【帰蝶私室】


《どうしようファラちゃん……》


《何ですかー?》


《私……子供を授かるのが怖いわ……》


《あー……出産現場を見てしまいましたからねぇ》


 こんな話がある。

 妻の出産に夫は立ち会うべきか否か?

 一定数の割合で『立ち会うべきではない』と考える人もいるのである。


 妻が人生で一番頑張る出産に夫が立ち会うな、とは如何なる理由なのか?


 それは、出産現場を夫が見てしまうと、あまりの凄惨な現場に夫が今後子供を欲しがらない、或いは性生活すら遠慮してしまう可能性があるからである。

 特に流血沙汰の耐性が無い夫は出産現場で卒倒してしまう例もあるらしい。


 帰蝶は性について一般の女性より覚悟が足りない状態で長年生きてきた。

 ただ、さすがに生理は経験しており男よりは女としての覚悟もあるが、それでも凄絶な出産現場は暫く悪夢にうなされそうな光景であった。


《まぁ……今後子育てが始まりますし、その光景を見れば欲しいと思うかもしれませんよ? 前世でも子供達と触れ合ったのでしょう?》


《それは……そうなのだけど……》


 この帰蝶の悩みを見てファラージャは考えた。


(帰蝶さんのこの悩み……。前は信長さんに『私と子を作れ』と豪語していたのにこの変わり様。一生癒える事無く子を授かる事を避ける……。即ち歴史通りになるのかしら?)


 史実では信長と帰蝶の間に実子は生まれなかったと言われている。

 今後、今の新しい歴史でも本当に子供が生まれなかった場合、それは歴史の修正力が原因と考えざるを得ず、その修正の切欠が今回の出産立ち会いになるかもしれないとファラージャは考えるのであった。


(歴史を覆す為に子供を作れってのも無責任よね……。出産立ち合いは止めるべきだったかな……。でも……いや、こればかりは悩んでも仕方ない。とりあえず長島の戦いの結果を見守りましょう)


 信長、帰蝶、ファラージャが三者三様に考える歴史の修正力。

 願証寺の戦いは歴史を覆す結果となったが、それはそれで悩みの種となってしまい、結論が出る事は無かった。



【願証寺の戦い後】


「……ァ……アァァァァ!」


「お? 於勝丸がぐずっておるぞ! 乳が要るのではないか?」


「そうですね、直子ちゃん呼んで来ますね」


 ただ一人、我関せずと泣いている信正こと於勝丸。

 確実なのは於勝丸が史実通り生まれた事だけである。

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