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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
10.5章 天文23年(1554年)方針
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105話 願証寺攻略後始末

【伊勢国/金井城 織田家】


「此度の戦、本当に難しい戦であったが、誰一人として欠ける事無く、また顔を合わせる事が出来た。これ程までに嬉しい事はそうそうあるまい!」


(そう言えば『今度は味方を誰も死なせない!』とか言っていたなぁ)


 妙に感慨深い信長と、そこまで苦労した覚えの無い諸将。

 今回の戦の大部分は政治と包囲で決着をつけたので、精神をすり減らすような苦労をしたのは全体のコントロールをした信長だけ。

 諸将はいつも通りすべき事をしただけに過ぎず、むしろ戦いとしては今川義元や朝倉宗滴を相手にした時の様な激闘は無かった。


 ただし激闘が無い代わりに、今まで経験したどの戦場よりも、陰惨で凄惨な光景が眼前に広がっていた。

 そんな現実に直面し考えた結果、今後は単に領地から追い払う様な程々の戦とは別種の、勢力を殲滅し息の根を止める、苛烈で何でもありの戦も有り得ると頭に刻み込む。


 また信長の『死ぬな指令』を、諸将に覚悟が足らない事を見越した信長の『優しさ』として解釈した。

 すれ違いながら噛み合う織田家一同であった。


「さて、長島を手中に収めた事で、ようやく喉元のに刺さった小骨を除去する事が出来た。今までは迂回するしかなかった各方面への移動も楽になろう。志摩守(九鬼定隆)」


「はッ!」


「この長島の中州群及び周辺地域の開発は志摩守を責任者とする。各地と連携し船の航路開拓、流通拠点、海産物品の生産拠点を作り上げよ。尾張守(織田信広)、伊勢守(北畠具教)は中務丞(帰蝶)と連携し、長島へ資材を集中させよ」


「承りました」


 地域的には伊勢国の範囲であるが海と川が主な拠点なので、九鬼定隆が開発担当するのに誰も異論は無かった。


「その長島開発と並行して、今川領である三河、遠江、駿河に航路と港の開発を命ずる。派遣準備は出来ておるか?」


「はい、愚息の河次郎(九鬼光隆)の一団を派遣する準備が出来ており、三河にて朝比奈殿が受け入れの準備を整えております」


 光隆とは定隆の次男で、長男の浄隆は若狭で港や軍船建設の指揮を取っている。


「うむ。伊勢から尾張、三河、遠江、駿河と海路で結ぶ利点は果てしない。但し、知っての通り今川とはあくまで同盟関係。実は臣従していた事が発覚しない様に抜かりなく進めよ。名目上は堺との繋がり及び、今川の領地間での通行問題の解消である。絶対に織田の痕跡は残すな。武田や北条の間者が必ず潜んで居るからな」


「はッ!」


 三河だけならともかく、遠江駿河は武田と北条の影響を無視できない地域である。

 無警戒でいる訳には行かない。


「ただ、願証寺の残骸がある中洲は、今後10年は立ち入り禁止とする。暴走する寺院の成れの果てを喧伝すると共に、残骸が風化するのを待つ。同時に別の地に今回の戦没者の為に慰霊の寺院を建立する」


 本当なら信仰を失った信長は、別に特別な処置をせず放置しても何ら問題はないのだが、配下の諸将も近隣の民も、生き残った一向宗信徒も純然たる仏教信者であり、誰も信長にはなり得ない。

 慰霊をしなければ、精神が落ち着かないだろうとの配慮である。


 現代でも死者への弔いは『通夜』『葬式』『初七日』『四十九日』『一周忌』と続き、故人への思いが強ければ『月命日』と弔われる。

 何故そこまで念入りに弔われるかと言えば、科学が絶対の現代でさえ、そうしなければ人は不安を感じてしまうのである。

 それなのに、史実の伝説である信長の焼香ブチ撒け事件が、どれ程の暴挙で狂人同然の凶行であるか理解できるであろう。


 願証寺は滅ぼされるに足る理由があったが、死ねば皆仏である。

 奇しくも一向宗の旗印通りに『進者往生極楽 退者無間地獄』である。

 過剰に死者に鞭打つ行為は、民の心が離れてしまい為政者としても都合が悪いし、何かあるたびに『長島の怨霊の所為だ』と騒がれても困る。

 それを防ぐ為にも、信長は寺院を建立したのであった。

 政治的にも内外に単なる虐殺や弾圧では無い、理由ある攻撃であると示さねばならない。


 アフターケアも万全にしてこそ為政者である。


 史実でもそうであるが、決して信長は宗教への弾圧者では無いのである。

 また当然ながら慰霊寺院は、織田の政策を深く理解し、僧侶としての修業を真面目に行う者が住職となり運営する。


 なお余談であるが『死者に鞭打つ』は中国由来の言葉である。

 父兄の仇が死んでいたので、その墓を暴き遺体に鞭を打った事に由来し、先祖の恨みは徹底的に晴らすのが中華圏の考え方である。

 しかし、同じく中華圏の文明に強く影響を受けた日本が、例外もあるが全く逆の思想に至るのが歴史の面白さであろうか。


「次、十兵衛(明智光秀)」


「はッ!」


「これで美濃から伊勢湾に向けての河川を遮る物は無くなった。斎藤家と連携し川を使った流通を活性化させよ。そろそろ美濃と若狭間の地盤固め区切りが付く頃であろう。五郎左衛門(丹羽長秀)と連携し取りまとめよ」


「承りました!」


 美濃から伊勢湾まで貫く木曽三川であるが、終点の長島が願証寺の影響下だった為、美濃から尾張の津島までしか利用が出来なかったが、これで海まで開通する事になる。


 これで暫定的ではあるが、伊勢神宮、熱田神宮、津島に、美濃から繋がる長島と、今川領地、斎藤家の若狭湾が商売流通の拠点として結ばれる。

 まだまだ堺の規模には及ばないが、発展性は抜群であり領地が活性化しない訳が無い。


「次、内蔵助(佐々成政)、又左衞門(前田利家)。此度の戦で消化不良であろう?」


「えぇへぶ!? いや、そそその……な、なな何の事で……しょう?」


「まま全くもってその通り! 別に消化不良も何も質実剛健な織田軍の一員として従軍ししゃ()に過ぎませんぞ!? そもそも我らは殿の計りゃ()いで九鬼様と河尻殿から船を学ぶ格別の機会を頂いた身でありゅ()のであって、それに相撲という挑発任務にて……」


 異様にどもり、聞かれてもいない事を喋りだす二人。

 別に信長も咎めるつもりは無かったが、余りにも見事な言い訳に(?)、乗っかって遊ぶ事にした。


「そうか。酷い船酔いで相撲ぐらいしか取れず、目立った功績が無いのも不憫と思うたが、心当たりが無いならワシの勘違いであったか。スマンな。では別の者に任務を……」


「だあッ!! 嘘です! 申し訳ありません! 何でもご命令ください!!」


「本当に申し訳ありません! 挽回の機会を頂ければ必ずや成果を挙げて見せまする!」


 滑稽なまでに態度を豹変させる二人であった。

 二人は信長の言う通り河尻秀隆の下に付けられたが、海の洗礼とでも言うべき船酔いで、船上ではほぼ寝たきりで、砦を落とす陸上の戦いでも秀隆の本陣で寝込む始末であった。


 やっとそれなりに動ける様になったのは包囲完成後であった。


 その後は辛うじて立った足腰で相撲大会に臨み、結果、極めて体調の悪い状態の二人が、極めて低レベルな取り組を行うが、それが却って実力伯仲となり奇跡的に誤魔化し合い、それなりの取り組みを見せていたのであった。


「彦五郎殿(今川氏真)。この二人に願証寺系の寺院の取り締まりの任を与えるが、彦五郎殿と今川家の方達も同行して貰いたい。それが済んだら彦五郎殿は少々忙しくなる」


 願証寺が消滅した事で、後ろ盾を失った系列寺院をこの機に一掃するのが目的である。

 天下布武法度を受け入れるならそれでよし。

 拒否するなら破壊して、織田の息がかかる別の寺院を建立するだけであるが、その手順や徹底性を学んでもらい、今川領で展開して貰うのが目的である。


「承知しました。あと別件ですが……」


「解っておる。於濃も少々立て込んで居るが気分転換になろう。今川との連携をとりまとめ対六角でも動いてもらう。これを機に色々学ぶが良い」


 氏真としても、せっかく織田領に何の偽装工作もせず来る事が出来ている機会を逃す訳にはいかない。

 帰蝶の特訓を受けずして今川領に帰るのは、せっかくの機会をドブに捨てる様なものである。

 六角への対応とは、今後織田への脅威は飛騨に進行すると目される武田と、伊勢に隣接する六角である。

 この後の織田はどうしても武田対応で飛騨への比重が傾く為、今川家を近江の近辺で目立たせる事で、織田の後詰に今川がいる事をアピールし二の足を踏ませる事が目的である。


「さて、取り敢えずの方針を言い渡したが……」


 そう言って信長は諸将を見渡した。

 先程は自分の命令に対し快活に返事をし、成政と利家の失態と信長の乗っかりを見て口元を緩めた諸将。

 一見、健全な状態に見えるが、空元気感が否めなず陰鬱な雰囲気を隠せていない。

 信長の政策を理解し受け入れ実行していても、今回の聖域への攻撃と結果がもたらした衝撃には精神の平静を保てていない様であった。


《何て言ったら良いのか、浮ついたと言うか余所余所しいと言うか……明らかに普通じゃない動揺が感じられますね》


 現場に居ないファラージャでさえ一目で見抜ける異常感であった。


《そうよな。寺院に対する大規模な攻撃は前々世より相当早い。こんな事を経験させるにはまだ人生経験が足りんかも知れん》


 史実にて初めて寺院に対し攻撃したのは比叡山焼き討ちで1571年である。

 現在は1554年であり、どうしても精神の成長は史実より劣る。

 この差が如実に表れていた。


《これはフォローした方が良いんじゃないですかね?》


 天下布武法度を制定した時に、寺院に対する法は事前に説明している。(59話参照)

 寺院に対して急に対立し始めた訳ではない。

 今回の行動に至るまで年単位で領内の小規模寺院や寺院関係の関所を襲撃し心の準備をさせてきた―――つもりであったが、やはり実際に現実を目の当たりにすると衝撃を受け動揺が表れてしまっていた。


「《そうじゃな》最後に、願証寺跡地で言った事をもう一度言う。願証寺との争いで何か一つでも狂ったら、あそこで転がって腐敗していたのは我等だった可能性が高い」


 信長の言葉に、折角頭の隅に追いやっていた衝撃の光景と激烈な悪臭を思い出し、胃液がこみ上げる。


「今回は願証寺を滅ぼす結果となったが、これは民を騙し苦しませ政治に介入する寺院を誅したのであって、仏の教えに対する弾圧とは決して違う」


 普段は切れ味鋭い眼光と、20歳の若造が発するモノとは思えない覇気を撒き散らす信長が、見た事の無い柔和な表情で話す。


「お主らの中にも、配下の中にも、兵たちの中にも不安や後悔の念に苛まれているかもしれん。あの光景が夢に出てうなされるかもしれん。神仏寺院に対する武力行使に心を痛めた者も居るかも知れん。そんな時は民の笑顔を見よ。自分達が手を汚してまで守った存在を慈しめ。我らは力を持つ者としての責務を果たしたのだ。仏の教えを捻じ曲げて不当な弾圧を行う寺院を正したのだ。そこを勘違いせず誇りに思うようにしろ。いいな?」


「……はッ!!」


 諸将は一斉に頭を下げた。

 信長の言葉に、幾らか心の重責が解けたかの様で返事にも覇気が戻った様に感じられる。


《完全に自責の念を晴らすには至らんかも知れんが、今はこれで良かろう。領地が発展すれば、自分達が間違っていなかった事は必ず理解できるハズじゃ》


《断言しますね?》


《経験済みじゃからな。この断言ができるのは転生の利点かもな。そうでなくても、ワシが不安な素振りを見せたら家臣はもっと動揺する。この態度も断言する物言いも頂点に立つ者の責務じゃ》


「よし! これを持って願証寺対応は終結とする。皆ご苦労であった。疲れを癒し英気を養え。ワシも生まれた子の下で遊んでくる!」


 この信長の宣言をもって、長年に渡って対峙してきた願証寺との抗争が終結した。

 それは織田領においては宗教が完全管理される事と同義であり、この時代では有り得ない、誰も経験した事の無い宗教に対する解放感は暫く戸惑いを持って迎えられた。


 領民としては強大な支配者に逆らう訳にはいかないが、ここまで宗教に対して攻撃を仕掛ける支配者に従って大丈夫なのかという不安。

 しかし着実に楽で生き易くなった生活に、今までの過酷な生活は何だったのかと自問し混乱しながらも過ごすのであった。


 信長もこの不安は織り込み済みであるが、慰霊の為の寺院建立以外には特に何もしなかった。

 各々が徐々に理解して行けば良い事であり、急かす事はしない。

 慣れれば必ず理解すると確信しているからである。


《さぁ、これで厄介事が片付いた。思う存分内に外に活動ができる!》


《そうですね! 頑張りましょう!》


 早期に願証寺を片付けた事で久々に良い気分になる信長。

 しかし信長は知らない。

 史実には無かった武田と長尾の同盟が成っている事を。

 天は信長に楽させる道を用意しないのであった。


《所で、歴史の修正力は結局どうなんだろうな? 史実の結果は覆したが厳密には時期が違う訳で……》


《うーん、お子さんの件もありますし、あくまで没年を確実に履行するのか、でも信秀さんは寿命を超えた訳で……》


 解明されない謎の力について議論する二人であった。


 一方、一安心の織田家とは打って変わって、諸国では情報の激震が走っていた。

 衝撃とは勿論、織田家の願証寺討滅の報である。

 寺院神仏との争いは基本的に容認泣き寝入りが基本路線にあって、信長の断固とした対応は衝撃を受けざるを得なかった。



【出雲国/月山富田城 尼子家】


「ほう! ちっぽけな勢力の癖して大それた事をしよる! 強大な寺社勢力が邪魔なのは確かじゃが本当にやる所か、ここまで徹底的に断行するとはな!」


 中国地方の覇者である尼子晴久は、その報告に驚き考える。


「税収の一元化、治安の回復、民の負担を考えれば利点は大きい。我らが京を制圧した時に東国の脅威となるか? ……それにしても織田か。これは本当に侮れぬ勢力になるかもしれんな。数年前には全然聞かぬ名であったのに、弱小勢力と言えど油断しては足元を掬われかねん。気を引き締めねばな」


 さすがは日ノ本屈指の実力者である。

 即座に利点を計算し、冷静に織田の成長を予測する。


「しかし、まだまだ若いな。どれだけ自身の正義と民への配慮を行っても、寺院への攻撃は不安と不信を招くであろう。よし。この暴挙を利用させて貰おうか。中央の中立寺院と三好の仲を裂く事が出来れば面白い事になるやも知れん。フフフ……意外と京への道は早くに開くかもしれんな」


 不敵な笑みを浮かべる晴久は、三好に取って代わって権力を得る己の姿を想像するのであった。



【甲斐国/躑躅ヶ崎館 武田家】


「じ、寺院を滅ぼした!? 一向一揆が邪魔と言うのはまだ理解できるが、原因の根本から絶ってしまったのか!? 偽報では無いのか!?」


「は、はい、そのようです。間違いありません! しかも強固な兵糧攻めで願証寺内部は人が人を喰らう有り様であったとか……今はもう腐乱死体と残骸しか残らない地獄と化したとか……」


 同じく報告を受け取った武田晴信は弟の信繁に報告の真偽を確かめる。

 信繁も報告をしながら信じられない気持であったが、どう情報を精査しても結論は変わらず、叱責を受ける覚悟で有りのまま報告した。


「奴らは狂人の集まりなのか……?」


 常軌を逸した報告であったが、信を置く他ならぬ信繁の報告であるので事実と判断し、衝撃を受けた己の精神を落ち着けるべく、目を(つむ)り深く深呼吸をし、目を見開いた時にはいつもの晴信に戻っていた。


「しかし、これは好機なのかもしれん! 快川和尚が言うておったな。『織田が宗教を弾圧するならば武田は織田が切り捨てた宗教勢力の力を借りよ』と」


「言っていましたな『捨てる神あれば拾う神あり。拾う神になれ』と」(85話参照)


 飛騨出身の快川紹喜は晴信に『風林火陰山雷』の軍略を授けると共に、織田の政策をこき下ろし批判していた。

 しかし、ただ怒りに任して批判するではなく、その政策を利用し戦力強化も説いていたのであった。


「ここを上手く誘導すれば、寺院の兵を自軍に上乗せできるやも知れんな」


「しかし、言う事を聞かすのは並大抵ではありますまい。下手すれば毒を飲む羽目になるかもしれませぬ」


 寺院を支配下に置きコントロールするのは、腕力にモノを言わせて従わせるとは訳が違う。

 僧侶は武士ではない。

 かつて家臣に力を示し従わせた晴信であるが、力だけでは僧侶は従わない。


「うむ。寺院を指揮する立場になるにはどうすれば良いか? 出家でもするか?」


「しゅ、出家ですか? うーん、一理あるとは思いますが……」


 武田家は本格的に寺院を味方につけるべく行動を開始し、近い将来訪れるであろう織田との対決に備えるのであった。



【山城国/三好館 三好家】


 三好長慶は長島願証寺陥落の報告を受けると、信長に同調する斎藤義龍、今川義元の覚悟も同時に強く受け取った。

 その覚悟に、全身が総毛立ち身震いすると共に、渾身の怒声を発した。


「何たる事じゃ!! 祐筆を呼べ! 織田に対する非難の声明を出す! これは捨て置くことは出来ぬ!」


「は、はッ!」


 普段は冷静沈着な長慶の怒声に、小姓は尻餅を付く程に驚いた。

 もちろんこれは本気の非難ではなく建前である。

 強力な寺院が中央に多い地域を支配する三好が、寺院を蔑ろにする織田家と仲が良いと思われてはマズい。

 危ないバランスで中立を保っている寺院を刺激しない様に、あらかじめ信長と協議した通りに非難の声明を出すのであった。


(……本当にやりおったか! 我らもその覚悟に報いねばならぬか!)


 ただそれでも、三好長慶はその報告を受け取った時、信長から事前に予告を受けて知っていたのに、衝撃と動揺を抑えるのに苦労した。

 信長は、三好包囲網で三好家に付く時に、寺院に対する攻撃を躊躇わないと言い切った。(101話参照)

 斎藤家も今川家も織田に同調している。


 戦いのプロである武家に対して一揆を起こす農民が、どれだけ虐げられても寺院に対して一揆を起こす事はない。

 この時代に生きる者にとって、寺院への襲撃がどれ程の覚悟がいる行動なのか容易に理解できる事である。


「弾正!(松永久秀)」


「はッ!」


「それはそれとして熱田、津島では木材が不足して居るらしい。これは商いの絶好の機会であるな?」


「はい。勿論でございます。既に手配しております」


「よし。良きに計らえ」


 勿論、商売のチャンスを感じ取った故の命令ではなく、信長の覚悟と成果に報いる為の便宜である。

 儲け度外視で輸送して織田との同盟連携を保ち、この後に発する書状が嘘である事を暗に知らせる為であった。


(さて、なるべく口汚く非難すべきか? いや静かな怒りが適当であろう)


 三好長慶が出したこの声明。

 後世(この物語での歴史)にも書状が残っており、三好と織田が最初から険悪で一触即発であったとする学説が支配的である。


 各勢力は信長の行動に対し三者三様に動きを見せる。

 信長の行動は各地の勢力を動かし、混迷を深めていくのであった。



 10章 天文23年(1554年) 完

 11章 天文24年へと続く

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