100-2話 各陣営の去就 武田家、北条家、今川家、長尾家
100話は5部構成です。
100-1話からお願いします。
【駿河国/善徳寺】
かつて大原雪斎が奔走し纏め上げた、奇跡としか言い様が無い甲相駿三国同盟。
その同盟が果たされた善徳寺にて、武田晴信、今川義元、北条氏康ら各家の当主が集まって協議を行っていた。
議題は足利将軍家からの密書による要請の、対三好包囲網の結成について、及び上洛要請についてである。
「まさか、この面子が再び揃うとはなぁ。ところで駿河殿(今川義元)、桶狭間で引き分けたから良かったものの、負けてたらどうなってたか。なぁ? クックック」
「ムッ! そうじゃなぁ……きっとこの同盟は崩壊し今川は消え失せたかもしれん。……これ幸いと甲斐殿(武田晴信)辺りに滅ぼされて。どうかな? ん?」
史実にて桶狭間で敗死した今川家はあっという間に落ちぶれてしまい、3か国に渡る領地を徳川と武田に奪われてしまっている。
「ッ!? な、何を言うかと思えば……!! そそそんな事は微塵も思っとらんわ!! ワシは信義を重んじる男故にな!」
氏康の不謹慎な発言を、義元が華麗にスルーし、晴信が被弾した。
「……(この野郎……!)」
「……(こ奴!? あわよくば、と思って居ったな!)」
この三国同盟は今川の姫を武田に、武田の姫を北条に、北条の姫を今川に嫁がせる事で成立している同盟である。
だが、そこは欲望あふれる戦国大名。
機会があれば、嫁いでいる姫を犠牲にしても、侵略する考えを晴信は頭の片隅に潜ませていた。
しかし、これは勝ち抜く覚悟を持った大名なら、誰もが頭の片隅に一つの手段として考える方法である。
(まぁ……乱世だしな。手段の一つとして考えるのは常人なら当然の思考じゃ)
考えるのは自由であるし、実際に行動を起こすのも覚悟次第である。
嫁がせた姫の命を犠牲に、一族の繁栄を勝ち取るならば有り得ない手段ではない。
先制攻撃としては、これ以上無い位に有利な立場で戦を仕掛けられる。
ただ、世間体は最悪だし、攻め込み先には大義名分を与える事になるので、勝てなかった場合、ただ負けただけでは済まない結果になる諸刃の戦略である。
家中の分裂も十分にあり得る話で、史実の武田家は今川家との同盟を破棄した際に、同盟破棄の晴信派閥と、同盟継続の息子義信派閥に割れ、最終的に義信は自刃に追い込まれた。
この様に同盟破棄は極めて非道な手段で、万全な根回しが必要なので乱用は避けるべき手段である。
余談であるが、史実ではそんな非情手段を何度も断行した宇喜多直家なる稀代の謀将は、強い信念と非道な精神をもってして下剋上を成し遂げている。
「ま、起きなかった事の可能性を話しても仕方ない。それよりも将軍の密書と上洛要請についてよ。面倒な事になってるな」
氏康が今回の集まりに対しての最重要議題について話し始めた。
北条家には密書も上洛要請も届いてはいないが、優秀な風魔忍軍によって事態は把握している。
ただ氏康は、自分が仲間外れになったと抗議する積りはなく、むしろ、厄介な案件が来なくて喜んでいるくらいである。
「まぁ北条には要請が来ていないからな。楽なモンよ。じゃから特に何かするつもりはない。貴殿らの邪魔をするつもりもない。完全中立じゃ」
北条に密書も上洛要請も届かなかった理由は明白である。
単に地理的に遠すぎるのと、何よりそれ以上に関東の支配を担当する足利将軍家の関係者である、古河公方の足利晴氏や関東管領の上杉憲政と敵対し争っている真っ最中である。
従って完全中立とは少し違い、三好の利になる行動をすれど、長慶の要請を聞くつもりもなく、動きたい様に動ける三国同盟継続が氏康の希望である。
三好長慶にとっても、北条には自由にやらせておくのが得策であり、足利義輝にとっては北条と手を組むなどあり得ない。
関東では中小勢力が多数蔓延る故に身動きが取りにくい事情もある。
だからこそ厄介な案件が届かず一安心な訳である。
その上で、武田今川がどの様な方針を取ろうと敵対する事もしないと宣言した。
それを聞いて義元は自分の考えを述べた。
「相模殿(北条氏康)が中立になるのに異論はない。その上で今川家は上洛要請には応じるが将軍の要請には応じない。三好の支配下入る訳ではないが、三好に付くと思ってもらいたい」
義元は三好派に付くと宣言した。
「ほう。今川は包囲網に参加せぬと? ワシはてっきり将軍に合力すると思っておったわ」
武田晴信が予測と違った今川義元の発言に、目論みの達成が難しい事を感じ苦い顔をした。
「うむ。今川は将軍に合力せぬ」
改めて義元が断言した。
「それはそれは……随分と思い切った、というか非情な決断よなぁ? 今川は足利の分家じゃったはず。本家はあの体たらくとは言え、仮にも将軍にして主筋。何なら今川は将軍継承権すら持つ家柄。なのにその本家を見捨てると?」
足利家の分家は各地に点在しているが、その中でも今川家は足利宗家の継承権を有する別格の家柄である。
それはつまり、宗家に何かあれば征夷大将軍になれる家格なのである。
それなのにも関わらず、義元は三好に付くと宣言した。
義元の発言は晴信、氏康にとっても意外な宣告であり、本家を蔑ろにする考えが解らなかった。
その理由、それは既に織田家に組み込まれている―――からでは無い。
「容赦なく見捨てる。我が今川家は確かに分家じゃが、とうの昔に絶縁宣言をしたしな」
「ぜ、絶縁宣言?」
義元の過激な発言に二人は困惑した。
「今川仮名目録で、将軍家の法を無視すると宣言しておるからな」
「……! あぁ……アレか。確かに包囲網に参加するのは今更か」
今川仮名目録は今川家独自の法律で、将軍家によって定められた守護不入を完全に無視すると宣言した法律である。
現在の今川家は密かに織田家に組み込まれているが、それよりも以前に制定された今川仮名目録により、とっくの昔に将軍家の権威を否定した勢力である。
信長の天下布武計画に賛同しているのもあるが、とうの昔に退路は断っているのである。
それを今さら将軍に鞍替えしては、誰に対しても示しがつかない。
それに実は義元は、この会談に臨む前に信長の方針を確認しており、その上で三好に付くと宣言したのであった。
「その上で貴殿らがどの様な立場に立とうと、この三国同盟は維持したいと考えておる。仮に甲斐殿、相模殿が将軍派になったとしても同盟が続く限り敵対する事はせん。攻め込んでくると言うなら話は別じゃが、できれば娘の悲しむ顔は見たくないしな」
義元は晴信を見て言った。
暗に『貴様はどうする?』と言っているのである。
そんな晴信の顔は先程から非常に険しい。
晴信は今川家と北条家には将軍派、最低でも中立になって欲しいと思っていた。
それが蓋を開けてみれば、北条は限りなく三好派に近い中立派、今川に至っては将軍を見捨てているのであった。
何とか将軍派に鞍替えして欲しいが、残念ながら今川仮名目録や、北条の争う相手が足利将軍家の関係者である事を考えれば不可能であると断念した。
その上で晴信は答えた。
「……武田は将軍に付く」
土壇場で三好に付こうかとも考えたが、既の所で思いとどまり宣言した。
二人が三国同盟を維持したいと考える以上、背後の安全を確保できるメリットは絶大である。
その上で、恐らくは三好に付くであろう織田と斎藤の領地を攻める為に援軍を頼もうと思っていたが、『同盟はするがお互い不干渉』だと言われては援軍は望めない。
「将軍に付くか。一応理由を聞かせてくれぬか? 三好に官位を貰ったのであろう? 恩はあるはずじゃが?」
「恩? この乱世に何を言っておる? 確かに三好に恩はある! しかし大前提として武士は将軍に忠誠を誓うのが当然の選択では無いのか? 貴殿らは将軍を何と心得る? 嘆かわしい!」
恩より忠誠心を取った晴信は、三好と敵対するのを躊躇せずに、それどころか武士の在り方を説いた。
しかし、問い詰められた二人は『乱世に何を言っておる!? あわよくば将軍を三好に代わって傀儡にしたいのであろうに、どの口がほざくのか!』と喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。
晴信の言葉の端々から、演技をしている感覚を読み取ったからである。
演技と判ってしまえば、天才的演者ならともかく、素人の演技であれば全ての言葉に説得力は無い。
実際、晴信の言葉は全く説得力はなかった。
二人は晴信が欲望で動く事を改めて認識した。
むしろ、戦国時代の化身とでも言うべき武田晴信の、今さら武士の姿を臆面もなく平然と忠誠を説く強かさに二人は呆れを通り越して尊敬の念すら覚えてしまった。
「まぁそれはともかく、同盟は如何するかな?」
「同盟は同盟として継続する。駿河殿が言う様に娘や嫁の悲しむ顔は見たくない」
これも説得力のない言葉である。
あそこまで言い切ったのならば、『同盟破棄』しかありえないが、そこは欲望に忠実な晴信である。
東に北条、南に今川、北に長尾、西に織田と斎藤と、四面楚歌になる事だけは避けねばならないので、同盟継続の建前として嫁や娘の存在を挙げた。
「では我ら三家は将軍派、三好派、中立と奇麗に分かれるが、お互い不干渉をすると。それで良いかな?」
義元が話をまとめた。
しかし晴信が口を挟んだ。
「その前に……確認しておきたいが、恐らく織田斎藤は三好につくじゃろう。駿河殿と同様に天下布武法度で将軍家を否定しておる。その上で、今川は三好に付く。そこで聞きたい。今川家は織田と斎藤と同調するか?」
「ッ!」
実際、同調するどころの話ではないのだが、世間的には織田と今川は敵対している事になっている。
「もう少し具体的に言うなら、我ら武田が織田斎藤と交える時、今川の介入があっては困ると言う事よ。和睦はするのだろう?」
「……先ほど言うた通り、同盟関係にある内は派閥が違おうとも邪魔はせん。立場上織田とは和睦せねばなるまいが、甲斐殿を邪魔する事はせぬよ」
この会談で初めて義元は難しい顔をしながら答えた。
「ま、それが妥当な線、というかそれしか無いな。誰かが同盟を破棄したら領地に攻め込めば良いしな。さて、これでどこの家が勢力を拡大させ、没落するか。各々の判断の結果が楽しみだ」
氏康がそう言って愉快そうに笑った。
「そうじゃな……」
「……左様」
こうして三国同盟は全員が別の派閥に属しながら同盟すると言う、奇妙な関係のまま継続された。
【甲斐国/躑躅ヶ崎館 武田家】
(クソ! 何という失態じゃ! 最低でも全員中立で纏めたかったが最悪じゃ!)
同盟関係こそ継続されたが、三家と方針が違えてしまった武田家。
しかし、よくよく考えれば今川仮名目録を発した今川と、関東における足利将軍家に連なる勢力と対峙している北条が将軍派に付くハズがない。
それに気が付かない己の頭脳の楽観ぶりに、腹が立って仕方のない晴信であった。
(最悪! ……本当に最悪じゃが不幸中の幸いで同盟関係は維持できた。結局これは今までと変わらぬ勢力図になろうか? 長尾はどうなるか分らんが……。やる事が大して変わらん以上、長尾を警戒しつつ飛騨を狙うしかあるまい)
三国同盟がある以上、東と南に領地を広げる事が出来ない武田家は北か西しかない。
北は強敵の長尾家がある上に、どの派閥に付くか予測がつかない以上、進路は西しかない。
織田は間違いなく三好に付くであろうから、将軍派閥に付かなければ動ける進路が北しか無くなってしまう。
従って、晴信は主義主張で立場を選ぶ事ができず、以前からの計画通り西に進路をとり、信濃に基盤となる地を作りつつ、飛騨を目指すしかなかった。
即ち、周囲の状況は激変したが、武田家としてやる事は何ら変わらない事になる。
そう判断した矢先に、家臣が晴信の下にやってきた。
「御屋形様」
「なんじゃ!」
多少は落ち着いたが苛立ちが抜けずに怒鳴ってしまった。
「そ、それが使者がきております……」
「……どこから!」
一度に纏めて報告すれば良いのに、ブツ切りで報告する家臣にまた苛立ちが募ってしまったが、次の言葉で冷静さを取り戻した。
「な、長尾家からです」
「長尾じゃとッ!? ……すぐに会う!」
晴信は長尾家と聞いてある予感が頭を過った。
更に、使者に長尾景虎の腹心である直江景綱が来た事を知ると、予感が確信に変わった。
「お目通りが叶い恐悦至極。長尾家が臣、直江景綱にございます」
「武田晴信である。型通りのあいさつも、2回に渡って争った事に対する蟠りも今は全て後回しじゃ。越後殿(長尾景虎)よりの書状があるのじゃろう? 将軍と三好の争いに関しての」
「さすがは甲斐殿、こちらにございます」
景綱から晴信の小姓に手渡された書状を、引っ手繰る様に受け取ると晴信は書状を睨んだ。
そこには晴信の予感通り、この動き辛い状況を打破する内容が書かれていた。
『長尾家は将軍派で動く。武田家が将軍派として動くのであれば長尾家としては協力するのも惜しまぬ』
晴信は拳を強く握るのであった。
【将軍陣営】
足利義輝、細川晴元、武田晴信、長尾景虎
【三好陣営】
三好長慶、今川義元
【中立陣営】
北条氏康