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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
10章 天文23年(1554年)方針
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98-1話 将軍vs三好 将軍の下剋上

98話は2部構成です。

98-1話からお願いします。

『下剋上』という言葉がある。


 下の立場の人間が、上の立場の人間を武力や謀略で追い落とす行為である。

 立場の弱い者が鮮やかに逆転を成し遂げる現象は、歴史ファンならずとも知ってる大人気な言葉だ。

 現代でもスポーツから政治の選挙など、様々な場面で目にする言葉であり、仮に語源を知らない人が居たとしても通用してしまう言葉でもある。


 当然、この小説をここまで読んでくれた読者の皆様には、今更解説する事など何もない言葉でもある。


 ただ、多大な誤解を招いている可能性が高い言葉でもある。

 学生時代に『応仁の乱をきっかけに各地の実力者が守護大名に取って代わる行動や風潮を何と言うか?』の様な設問の歴史のテストを受けた事は無いだろうか?

 もちろん答えは『下剋上』なのであって間違いなのではないが、このテストや、あるいはその言葉を勉強した歴史の時代によって誤解を生じた可能性が大いにあるし、筆者も長年誤解していた。


『下剋上って戦国時代に生まれた言葉なんだー』と。


 実は『下剋上』の語源は古く、最古の記録は6世紀の中国、日本では鎌倉時代で既に使われた実績のある言葉で、別に戦国時代に誕生した言葉ではないらしい。

 しかし筆者の記憶を辿ると『下剋上』について学んだ時は歴史の授業で戦国時代に差し掛かった辺りであるし、誰に聞いても『戦国時代に生まれた言葉じゃないの?』『歴史のテストで戦国時代に関する項目で出てきた』と言っていた。


 ひょっとしたら『歴史を教える小中高校の教師も誤解しているし知らない』まであるかもしれない。

 さすがに歴史学者まで知らないとは信じたくない。

 下剋上が盛んになった戦国時代に教えるのが最適のタイミングなのは理解できるし、覚えやすいのは解るが、結果誤解が蔓延する結果となってしまっている気がする。


 ともかく、古くからある言葉なので戦国時代の人にも教養がある人には、周知の言葉の可能性がある言葉である『下剋上』。


 ならば、まさに下剋上真っ最中の時代に生きている当人達は、いかなる気持ちで日々過ごしていたのだろうか?


 下剋上される事を恐れ眠れぬ日々を過ごしたのだろうか?

 下剋上達成を夢見て日々牙や爪を磨いていたのだろうか?


 実際に下剋上を達成した人物も北条早雲、三好長慶、武田信玄等々、達成者になれる人物は、まさに虎視眈々に狙う姿が容易に想像できる、錚々たる凶悪なメンバーが名を連ねる。

 中には人生の中で下剋上の達成、および、達成()()()超レア体験をした人物もおり、斎藤道三などは土岐頼芸を下剋上で追い出し、下剋上で息子義龍に倒された実績がある。


 織田信長に至っては異常極まりない実績を残している。

 何せ、下剋上するにしろ、下剋上されるにしろ一度でも経験すればレア体験間違い無しなのに、織田信友、斯波儀銀、足利義昭に対して恐らく戦国時代最多の下剋上を達成し、更に明智光秀に下剋上を達成()()()SSR経験を持つ。


 ただ、この下剋上。

 何を持って『下剋上した』または『下剋上された』と判断されるのだろうか?


 下剋上によって相手を殺した、あるいは殺された、というのなら『した』『された』と断定しても良いのであろう。

 権力を失ったり領地を失ったり追われたり、どう考えても勝負ありの状況になった場合も断定して良い気がするが、それは我々を含む当事者以外の判断であり、中には『ワシが生きている限り負けではない』と屁理屈をこねる場合もあるかもしれない。


 その代表格が信長に下剋上を達成された足利義昭で、京を追い出された後でも色々画策し、本能寺の容疑者とまで言われる程に抵抗し続けた。


 こんな下剋上であるが、この物語では本来信長がやるはずだった下剋上は、父の信秀が史実を捻じ曲げて織田信友、斯波儀銀をまとめて下剋上で倒してしまった。

 信長はその下剋上を補佐した、という扱いだ。

 もちろん他家では史実通りの下剋上も当然行われており、武田家は晴信が父信虎を追放している。


 そんな中、現在の天下人である三好長慶も下剋上を達成―――いや、正確には下剋上実施中とでもいう状況であった。



【近江国/朽木城 将軍家】


「長い道のりであった」


 下剋上の説明をする為にずいぶん脱線してしまったが、ここに史実にて、父の足利義晴と弟の足利義昭と同じ様に、まさに京から追い出されてしまった男がいる。

 義昭の兄である足利義藤(義輝)である。

 親兄弟揃ってこんな状態になる辺り、足利将軍家の力の無さが伺える。


 将軍なのに京から叩き出された足利義藤。

 しかし下剋上の完遂だけは許さんとばかりに、昨年、電撃戦の末に近江の西側を三好家から奪った将軍家。


『家臣の領地を武力で奪う』


 達成した実績を要約すると上記の様な表現となる。

 日本語としては確かに通じる言葉ではあるが、よくよく考えると、どこかおかしいフレーズの行動であり、いくら乱世といえど余りにも不誠実で悪質な行動である。


 失態に対する処罰ならまだ理解できる行動であるが、健全な主従関係でこれをやってしまっては信頼関係もへったくれもない、異常者極まりない行動である。


 しかし今の将軍家であれば、これは全く問題ない行動である。


 何故なら、本来であれば日本全土が将軍家の物であり、乱世であるが故に自由になる土地が全て失われ、あろう事か家臣の家臣である三好長慶に京から追い出されてしまったからである。


 将軍家は、その是正を始めたに過ぎない。


「去年はこうして西近江に拠点を作る事ができた。自分の戦力と言える物も持てた。5年前には想像もできんかった成果じゃ。今こそ京に凱旋する時だとは思わんか?」


 義藤は質問口調で同意を求める様にしゃべったが、もはや『同意』の意見しか求めていない雰囲気を醸し出していた。


「そうですな。着の身着のままで彷徨っていた頃を思えば、今の兵力は雲泥の差。それに家臣、特に指揮官が多数存在するのは心強い限りです」


 かつての家臣である長慶の実力をよく知る細川晴元は、過去を思い出して今の恵まれた状況を肯定した。


 足利義藤、細川晴元は元より、朝倉家からの支援である浅井久政、遠藤直経ら浅井家の面々。

 また、新たに加わった武田義統に、決起の際には援軍を約束してくれた六角義賢。

 顔ぶれは昔に比べればかなり豪華になってきた。


「兵数こそ三好には及ばぬが、京を一転突破で攻略し、帝を押さえてしまえば後は様子を伺う諸大名の援軍も期待できる。それに三好も近江方面ばかりに軍を展開する訳にもいかんからのう」


「細川讃岐守(持隆)が動いておりますからな」


 細川持隆は細川晴元の従兄弟であるが、現在は晴元と袂を分かっており三好陣営についている。

 だが今は、本来は家臣筋の三好長慶に冷遇されており、この状況を打破する為に将軍陣営と連絡を取り合ってい、三好領地内で一揆を煽動させて密かに揺さぶりをかけ続けていた。


「あとは我らの侵攻に合わせて蜂起してくれれば二方面作戦を展開できる。一泡どころか二泡、三泡吹かせる事も可能じゃ!」


「そうですな。正に機が熟したと言っても過言ではないでしょう。特に武田伊豆守(義統)と六角左京大夫(義賢)の援護はありがたい。京極が離脱した時はどうなる事かと思いましたが、何の運命が働いたのか武田伊豆守が転がり込んできましたからな」


 将軍陣営に加わっている武田義統の加入は、ちょっとした秘密があった。

 それは斎藤家による、武田義統の本人達も知らない密かな支援である。 


 武田義統は昨年若狭に進行してきた斎藤家との戦に敗れ、若狭から叩き出され将軍家に拾われたが、義龍は可能な限り敵武将を逃がした。


 包囲の一部にワザと穴を空け、近江方面に逃がしたのである。


 武田義統は元々12代将軍義晴の娘、すなわち義藤の妹を娶っており将軍家とは縁戚関係である。

 親将軍派と言っても過言ではない人物である。

 それを斎藤義龍がワザと逃がした理由は、将軍家に人材を送る為であった。


 強大な三好家に少しでも穴を開けて貰う為。

 極めて盗人猛々しい思惑であるが、その黒幕は信長である。

 信長からの要請でやった事であった。


 もちろん、将軍家も武田義統もその思惑に気づいておらず、京極が離脱してしまった将軍家は不幸中の幸いと喜び、『いずれ若狭は取り返すから今は力を貸してほしい』と義統に頼んだ程である。


「うむ。斎藤も詰めが甘いが今は感謝しておこう。六角はどうか?」


「ここ数年大きな争いをしておりませぬからな。援軍3000は期待できるでしょう」


「よし……。ならば今が絶好の好機と言う事だな?」


「はっ」


 実はここにも密かな支援があった。

 織田家の意向である。


 信長は、転生当初から六角家に対しては積極的な争いを避けてきた。

 伊勢を制圧し、斎藤家が近江に侵攻する時も精々牽制程度に止め、六角の戦力を減らさぬ様に気を使ってきた。

 何故こんな遠回しな事をしているかと言えば、一つは、転生するまでもなく当時天下を制している三好の力を知っている為。

 もう一つが、歴史が変わって上洛する機会を得て、三好長慶の実物を見て即座に悟ったからである。


 こりゃ無理だ―――と。


 何せ10カ国も制圧している超大国の三好家である。

 立ち向かうなんて発想は、正気の人間に思いつける発想ではない。

 うつけの信長にしても、出来ないものは出来ないと理解している。


 信長にしては随分情けない消極的な戦略ではあるが、武田に対しも徹底的に争う事を避けた実績のある信長であるので、特段おかしな戦略では無い。


 長慶が権力に胡坐をかいている程度の男であれば、どうとでも取り入って篭絡して、追い落としてやろうと意気込んで会談に臨んでいた。

 信長が知っている三好長慶は、晩年には病んでしまい、あっという間に三好政権が崩壊する様を知っているので付け入る隙は十分あると踏んでいた。

 だが、実物の長慶はとんでもない化け物であった。


 信長は史実を知っているのに、史実が信じられなくなる思いであった。


 今回の歴史では最悪史実に反して没落せず、手が付けられなくなる程に加速成長する可能性すらある。

 何故なら三好は既に天下は手中に収めており、いつ総仕上げに移行してもおかしくない。


 お陰で、本当は念の為程度のつもりで打っていた六角家への保護作戦も、本格的に消極作戦を実施せざるを得なくなった。


 もう一度書くが、10カ国も制圧している超大国の三好家である。

 いかに信長でも出来ないものは出来ない。

 正面切って戦う狂気の発想を持つ者は、恨みを持つ足利義藤と細川晴元しかいない。

 領地の影響範囲からしても、まだ直接対決できる規模にはなっていない。

 したがって信長が現時点で打てる手としては、これが精一杯であるともいえた。

 全ては強大な三好家に対して、少しでも楔を打ち込む為に。


 そんな織田家の、密かな支援と思惑など知る由もない将軍家であるが、細川持隆との連携と充実した戦力、さらに織田で学んだ自分達。

 十分に勝機はあると判断し、京奪還作戦を決定したのであった。


「待ちに待った時が来た! 始祖尊氏公よご覧あれ! 出陣!」

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