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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
10章 天文23年(1554年)方針
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97-1話 長尾景虎(上杉謙信) 宝在心

97話は2部構成です。

97-1からお願いします。

【越後国/長尾家 春日山城】


 史実にて上杉謙信の遺した言葉が家訓として編纂された『上杉謙信公家訓十六ケ条』。

 別名に『宝在心』と呼ばれる、心構えや人のあり方を説いた物がある。

 物欲を持たず、私心を捨て、穏やかに、驕らず―――等々、くどい位に口酸っぱくして耳にタコが出来るぐらいに説いたこの16条。

 きっと謙信は色々苦労したのだろうと伺える条文である。


 史実でそんな事を残す上杉謙信こと長尾景虎。

 その景虎がいる春日山城では、長尾家の定例評定が行われていた。

 その主たる長尾景虎は無表情で報告を聞いていた。


「昨年、武田が南信濃にて再侵攻を果たした件ですが……」


「内部事情の詳細な報告が上がってまいりました!」


 二人の家臣が競うように報告を始めた。

 景虎は顔をピクリとも動かさず、視線だけで続きを促した。

 三白眼に整った顔立ち、しかも細身で色白の風貌は、ともすれば威厳が足りない風貌であり、さすがは病弱故に家督を景虎に譲った兄の晴景にソックリである。


 ただし、別に景虎は病弱ではない。


 じっとしていれば菩薩の様に穏やかに―――見えない事も無い。

 しかし戦場に出れば、性格が豹変したかの様に苛烈になる。


 それ故に、今この場にいる景虎だけの印象で語ってしまえば全く魅力を感じない風貌だが、一度戦場での姿を見た後ならば、優男の風貌が却って恐ろしさと風格を感じさせた。


 長尾景虎とは、静と動の振れ幅が激しい人物なのだ。


「表面上は南信濃の足場を固めたとの情報でしたが……」


 別の家臣が割り込んだ。


「ただ、武田では家臣の統制が取れておらぬのか、一部の家臣が戦場に到着する前に晴信が戦を仕掛けたとの報告があります。また……」


 更に別の家臣が報告に割り込んできた。


「いや、暫し待たれよ。確かにその報は聞いて居るが、その割には晴信は家臣の統制に成功したとの報告がある!」


「無礼者! 話の途中で割り込む出ないわ! ……その突出を咎めた家臣を手討ちに……」


 更に更に別の家臣が割り込んだ。


「何と手討ちにしたそうですぞ。晴信は何を考えておるのやら」


「どうやら武田は揺れ動いておる模様です。殿、これは武田を南信濃から叩き出し……」


「これこそ好機! 信濃の地を完全に我らの影響かに置く好機なのでは?」


「ッ!? 貴様!」


 更に別の家臣が割り込み勝手に報告を纏めてしまった。


(はぁ……面倒くさい……! こいつら評定の意味を知っておるのか!? 『人が集まって相談して決める』事だぞ? 毎度の事ながら、これでは人が集まって騒いでおるだけではないか……! 童かコイツらは?)


 長尾景虎は表情こそ崩さなかったが、内心は荒れていた。


 長尾景虎―――

 後の上杉謙信はとにかく戦に強い名将であった。

 生涯戦績も無敗、とはならなかったが、約70回の戦で敗戦は2回と驚異的な強さを誇った。


 ただし、その出陣理由は独特にも程があった。


 戦国大名たるもの、どんな大層なお題目を並べようと、根底にあるのは利益である。

 言い方は悪いが、誰であろうと欲望こそが原動力とも言える。

 しかし上杉謙信だけは独特の感性と言うべき『自分ルール』で戦をしており、請われれば援軍に赴き、利益度外視の戦も度々行っているのであった。


 この利益度外視は本当に度外視で、例えば関東への数多くの出陣は『骨折り損のくたびれ儲け』的な徒労に終わる戦も多かった。

 武田信玄との戦い、即ち後世の人達にとっては名勝負と映る川中島の激闘も、信玄にとっては迷惑以外の何物でも無い上に、上杉家としても旨味がゼロとは言わないが、かと言って多大な利益をもたらした戦ではない。


 何故こんな戦をするのか?


 その答えの一つに『上杉謙信は大儀や権威を大切にし行動原理としていたからだ』とされている。

 確かにそういった面もあったのか、関東管領としての責任を果たそうとしたかもしれない。

 だが一方で、仏教及び幕府の様な権威の敵対者である信長と平気で同盟を結んだり(最終的には破棄したが)しており、やはり独自ルールの臭いを伺わせる対応である。


 義理堅く権威を尊重する、などと言われるが、それを考慮しても戦に対する損得勘定が狂っているとしか思えない出陣が多かった。

 強いて謙信が利する事を上げるとすれば、人口調整による『口減らし』であろうか?


 諸国の大名の視点で見ると上杉謙信は、ともかく己のルールで出陣し、急に興味が無くなったかの様に戦場を引き上げ、理解に苦しむ理由で暴れまわる。

 その結果、諸国の大名は当然だが、謙信の家臣達でさえも理解不能な戦の動機を考えあぐねた結果、『この乱世で良心で動く、即ち『義』の為だ……と思う』と考えた。

 この様に、無理矢理納得できそうな理由を探し出し、あるいは変人だと決め付け、そんな理解不能な振る舞いと無類の戦巧者が噂に尾ひれをつけて『上杉謙信像』を形成していった。


 これが良くも悪くも、謙信亡き後の上杉家方針に大きな影響を与えた。


 上杉景勝と直江兼続、さらに後世の子孫も、ある意味『神』に等しい謙信の功績と方針(?)を守り続けた。

 その結果、より一層『義』を行動指針として行き、関ヶ原の戦いにおける『直江状』や、幕末では仇敵であるはずの徳川将軍家を打倒した新政府軍にも主君徳川家に殉じ敵対する始末。

 お陰で、戦時では有り得ない程の『信頼』を集めたのである。

 しかし、義を重んじ信頼を集めた結果、己の首を絞め続けてしまい米沢藩は借金まみれで苦しみ続けた。


(こいつら……飽きもせず己の主張ばかり。そんなに立場が大事か? 寺に放り込んで修行三昧の日々を送らせてやろうか? 少しは謙虚の気持ちを学べってんだ!)


 だが、そんな戦国時代にあって、独特の我が道を行く上杉謙信も悩みの種があった。

 家臣の統制が、武田家同様に取れていなかったのだ。


 だから謙信、もとい長尾景虎は武田晴信の南信濃侵攻と、不自然な戦略を即座に見破った。


(……あぁ成程! そういう事か。晴信は戦果を独占し、反抗的な家臣を黙らせたのだ。そうだろうな。そうするしかあるまいよ。晴信も気が付いたのだ。家中を纏めるには突拍子の無い行動を取るしかないと。我もそう考えていたからな。マズいな。あの時討ち取る事が出来なかったのは痛い。しかし、こいつら……)


 景虎は晴信の行動が理解できる故に見破ったは良いのだが、家臣達の醜態には呆れるしかなかった。

 今も一つの報告を挙げるだけで多数の家臣が入り乱れ、理路整然と報告できず、目立つ為なのか割り込み、考えを否定し、勝手にまとめと、学級崩壊した学校の様相を呈していた。


(こいつらは何年生きても一致団結と言う言葉を知ろうともせん。……仕方ない。また武田と交えるか……? 外部に敵を作らねばこいつらは纏まらん)


 史実にて前代未聞の大名の家出を実行した長尾景虎。

 我の強い家臣の内部抗争や、離反に嫌気を感じ家出をしたと言われるが、実は、家臣に対するショック療法の一つだったとも言われている。

 また一方では、意味不明な出陣は外部に敵を作って一致団結を図る策だったとの見方もある。


 今も昔も国内情勢が不安定な時には、他国を仮想敵として目線を外に向けるのが常套手段である。

 それが因縁が深い国なら尚更効果的である。

 内部に向けられる生産性の無い不毛な争いを外部に無ければ、不毛な争いは一変して有益な力となるのである。


(これでもダメなら……出家でもして、いや、出奔して尾張に行こうかのう? 織田の様に商売を手がけたり……大規模な改革をしたり……さぞや楽しいのだろうなぁ……)


 そんな景虎の心情を知ってか知らずか―――

 いや、間違いなく知らない家臣が、相変わらず評定によく似た何かをしていた。


「殿! それよりも中央では将軍と三好の亀裂が決定的との事で……」


「上洛して長尾の力を示し、友誼を結ぶべきかと!」


「どちらと友誼を結ぶのだ? 将軍か?」


「言うまでも無かろう!」


「馬鹿か貴様! 自殺したいのか!?」


(上洛か……どうせ行くならやはり尾張だな。こいつらも今の荒廃した京よりも、尾張を見学させた方が身になる事も多かろうに……。廃墟の京で何がしたいのだ? まさか瓦礫の好事家か何かか?)


 その時、一人の家臣が大慌てで駆けこんで来た。


「も、申し上げます! 北条(きたじょう)高広殿が武田と内通しているとの報が!」


「なんじゃと!?」


「北条めが!?」


(はぁー……今度は北条高広か……問題を起こさないと死ぬ病にでもかかっておるのか? 飲まずにはやっておられんわ!)


 織田信長は『裏切られ』代名詞ともなっているが、景虎も負けてはいない。

 どんな大名も多かれ少なかれ家臣の反乱には頭を悩ましていた。

 景虎にとってもそれは同様、と言うより景虎こそが戦国時代でも屈指の名声と実力を兼ね備えながら、重臣から末端の家臣、あるいは領内の豪族などがバリエーション豊かに謀反を起こした。

 中には北条高広、佐野昌綱、本庄繁長は複数回謀反を起こすなど、とにかく謀反される事の多い領主であった。

 特に佐野昌綱は臣従と謀反を繰り返し都合10度攻め立てられながら、のらりくらりと退け続け、本当のライバルは信玄では無く佐野昌綱ではないか、と思う程に争い臣従し謀反している。


「出陣する。動ける兵を総動員せよ」


「ハッ!」


 景虎は短く告げると、颯爽と評定の間を出て行った。

 まとまりのない家臣も、この時ばかりは一斉に平伏し妙な団結を見せた。

 景虎の強さを知っているからこその対応であり、その従順な対応も、普段は忘れてしまう不思議な家臣団であった。


 即座に長尾家総出で北条城に到着した景虎は、降伏勧告を行い城を開城させた。

 報告を受けて10日もたっていない。

 しかも内通の報告を、大して精査していない中での出陣である。

 北条高広にとっては大誤算であった。

 史実では謀反を起こして降伏するのは翌年である。

 もっと色々武田家に対して活動する予定が大幅に狂った。


「丹後守(北条高広)、此度の謀反は許す。ただし、この後は我が軍の先鋒を務め忠義を見せよ」


「か、寛大な処分に感謝いたします……」


 高広は景虎の戦が強い事は理解している。

 ただ、家臣団のまとまりの無さに将来性を感じず、武田の内通話に乗ったのであった。

 しかし、今、電光石火にも程がある判断で、あっという間に謀反が鎮圧されてしまった。

 あくまで『内通の疑い』の段階であったのに、景虎は何か勘が働いたのか即座に行動を起こした。

 去年の長尾政景の反乱でも相当のスピードで行動を起こし、さっさと鎮圧して武田家の信濃侵攻に間に合わせ、情報を誤った武田晴信に強烈な一撃を浴びせていた。

 信長の歴史改編の影響か、何かが史実の長尾景虎とは違っていた。


「よし。では武田に対して偽の報告を送れ。『越後にて一向一揆が発生、しかし長尾景虎、病に侵され行動を起こせず』とな」


「そ、それは判りましたが、一体何をするつもりで?」


「知れた事。これから南信濃に侵攻する。貴様が先鋒だ」


 この発言には高広は当然、家臣たちも驚いた。


「い、今から南信濃に行くのですか!?」


「と、殿、いくら何でもそれは!」


「左様! それに間もなく農繁期に入ります! 長引かせては……」


「(そんな事は百も承知よ! 貴様らの為じゃろうに!)何か問題でもあるのか?」


 他にも家臣達からは異論が続出したが景虎は多数派の意見を一蹴した。


「もう一度聞く。問題でもあるのか? 今動ける兵総動員で動いているのだ。北条城攻略にも兵は失っておらん。元気一杯であろう? むしろ北条が元の鞘に戻った分、失われたのは行軍中の兵糧分のみ。長尾家としては損失しか無いではないか?」


「!? そ、それは……確かにそうなのですが……」


 珍しく饒舌な景虎の弁に家臣達は戸惑った。

 長くても一言二言の景虎が多弁になるのは、普段が普段なだけに怒鳴られるよりも不気味で怖い。

 ただし景虎は心の中では雄弁に毒を吐きまくっており、怖がらせるつもりは一切ない。

 あくまで勘違いである。


「(こいつらは疲労困憊で動けなくなるまで戦わなければ大人しくならん)武功も欲しかろう? 食料も財も色々入用であろう? ならばこの奇襲は絶好の好機だぞ? 織田や斎藤、朝倉、武田でさえ今、変化の時を迎えておるのだ。将軍も無手の状態から近江を切り取ったと言う。『新しい力が芽生える』云々ではない。時代に適応する者が芽生え始めておるのだ。このまま腐って死にたいなら越後で留守をしているが良い」


「斎藤、朝倉、武田、将軍はともかく越後にも轟く『織田のうつけ』ですか? 多少領土を広げた様ですが、奇想天外、と言うよりは荒唐無稽の法度を作ったと聞きますが……」


 越前の朝倉宗滴が信長の戦いを研究した様に、景虎も独自に研究をしてその戦法を磨いていたのである。

 他にも気づくものは気づいて変化と対応を迫られているが、地理的にも遠く離れた越後では家臣もイマイチ反応が悪かった。


「(多少領土を広げた!? 荒唐無稽の法度!? その程度の認識か! 今川義元、北畠晴具、朝倉宗滴、楽な相手など一人も居らぬのに最低でも引き分けの結果を残しておるのに、何と目出度い頭をしておるのか!? こいつら……いや、こいつらが馬鹿なのではない。織田の『うつけの策』がこれ程までに強力なのだ。見抜けぬ者には死ぬまで油断を誘える恐ろしい策だ!)まぁいい……ともかく今から出立する。丹後守はさっさと書状を出せ。早馬で武田に一報を送るのだ」


「は、は!」


(こいつらは口で言っても認識を改めん。結果で頭を殴らないと理解せん。その上で白々しい建前であろうとも、何か説得力のある言葉を教え込まねばならぬ。『心に私なき時は疑うことなし』とかどうじゃろ? ……こ奴らには無理か)


 信長が比較的に理論と道理で家臣の教育をし、親衛隊や天下布武法度を作り上げた。

 しかし景虎は家臣に失望しているのか、口下手なのか理由はともかく、教育の全ての己の行動の結果で示す手段を取った。


 これが長尾家及び、上杉家を戦国時代独特の『義の家』へと成長させていく。

 しかし、行動で全て理解しろ、というのは中々できる事ではない。

 どうしても誤解が生まれる事もあり、少しづつ積み上げられた誤解が、景虎以外にはまるで理解できない方針を、良くも悪くも『義』であると推察し変貌して染み渡るのであった。

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