95-2話 謀略 道三と宗滴の謀略
95話は2部構成です。
95-1話からお願いします
【美濃国/稲葉山城 斎藤家】
「へくちっ!」
息子達の噂話を知ってか知らずか、美濃を奪い取った世紀の大悪党である斎藤道三はクシャミをし、従う家臣が歯も砕けよとばかりに食い縛り、腹筋に力を入れた。
「……ッ!!」
「誰ぞ噂をしておるな。……心当たりが有りすぎて下手人を絞りきれんわ。ハッハッハ」
(わが大殿は本当に凄い方だと思うが……)
(あの人相で、あの実力で、あの実績で……)
(あのくしゃみは不意打ち過ぎて困る……)
「そ、そうでふ、そうですな。して、三木にはどの様にあたりますか?」
体を痙攣させながら家臣が尋ねた。
「……? 正攻法で十分じゃろう。特別な事はしない。強いて言うなら、特別な事は向こうが勝手にするじゃろうて。我らの為にな」
三木家も江間家も小競り合いをしている内に、完全に時代に乗り遅れてしまった勢力である。
本来なら三木家が朝廷と関りを持ち、外交を駆使して姉小路と姓を改め、時には上杉と結び、時には織田に臣従し苦労の末飛騨を統一する事になる。
だが―――
今回の歴史では信長が転生して10年も経過していないのに、あっという間に、本当にあっという間に周囲の状況が激変してしまった。
別に江間家も三木家も、特別愚かでも致命的な失態を演じた訳ではない。
ただ、己の力で飛騨を統一しようと頑張っただけである。
その頑張った結果が今の状況である。
今回の歴史は以前の歴史よりも、一層の変化に対する対応と、時代に対する嗅覚が求められる時代に変貌していたのである。
だから、道三がその事実を突きつけてしまえば、勝負は決したも同然なのである。
むろん、朝倉宗滴も同じ考えで江間家に対して、現状を知らせるという、ある種の死刑宣告をするだけだと済むと考えていた。
あとは事実を知って両家がどうするかである。
それでも尚、独自の道を行くつもりであるならば、武力行使で飛騨を制圧するだけである。
むしろ、支配の一元化を考えれば、提案を突っぱねてくれた方が有り難いかもしれない。
問答無用で制圧しないだけ、信長、道三、宗滴は優しい存在であるとも言えた。
三木家にも江間家にとっても迷惑で自分勝手な話なのであるが、これが弱小国の罪である。
力が無ければ、大国には逆らえないのは今も昔も変わらないのである。
【斎藤道三と三木直頼】
織田家、朝倉家、斎藤家の書状を携えた斎藤道三は、美濃飛騨国の境にある寺で会談を行った。
しかし会談とは言っても五分五分の会談ではなく、限りなく命令に近い要請である。
「……ゴホッ、この書状、間違い無いのですか!? 武田が飛騨守に任じられ、この地に攻め寄せると!?」
三木家当主である三木直頼が、咳込みつつ困惑の面持ちで道三に尋ねた。
3通の書状を持つ手は震えている。
余りにも信じられない時世の変化に、戸惑いの表情を隠す事が出来なかった。
三木家は三木直頼の父の代から飛騨で精力的に活動し、時には江馬氏と和解し、時には争いつつ南飛騨の大部分を制圧した典型的な戦国武将である。
現在は江馬氏とは和解し嫡男の嫁に江馬氏の娘を迎えていた。
だが、そこは乱世たる戦国時代。
表面上は和解しつつも水面下では激しく争って、お互いの勢力を削ぐ事に没頭していた。
お陰で、周辺勢力の激動に見事に取り残された形になってしまっていた。
「無論、今すぐ武田が来るという訳では無い。じゃが遠い未来の話ではない。ごく近い将来の話なのは間違いない。三木殿が飛騨全域統一に腐心しておるのは知っておる。こんなに時世が目まぐるしく変化しなければ、あるいは成し遂げたかもしれん」
道三が心底同情するように言った。
【朝倉宗滴と江馬時盛】
「江馬殿が三木家を打倒し飛騨を制圧しようとしている事は存じておる。じゃが、仮にそれを成し遂げたとして、超大国である三好から正式に飛騨守に任じられた武田家からすれば、そんな都合などどうでも良い事。なぜなら武田こそが飛騨の正当な支配者なのだから。今は南信濃の攻略に忙しいようじゃが、それが終われば次は必ず飛騨に来るじゃろう」
朝倉宗滴の穏やかかつ迫力満点の宣告に江馬時盛は狼狽えた。
「き、北信濃に行く可能性もあるのでは?」
少しでも生き残れる可能性を求め、時盛は一つの可能性を示した。
北信濃に侵攻すれば、地域の豪族と長尾景虎が必ず出陣するはずである。
川中島の戦いの結果は時盛も知っており、今の状況では景虎は救いの神となるはずである。
「あるかもしれん。しかし、川中島で痛い目を見た武田が、北信濃に行くとはワシは思えん」
抜群の実績と強さを誇る朝倉宗滴の見解である。
史実では、何度も上杉家と激突する愚を犯した武田家であるが、この歴史でもそれを繰り返すかどうかは未知数である。
「まぁ良い。では江馬殿の言う通り北信濃に向かったとしよう。その間に江馬殿が飛騨を統一したとしよう。その後どうする? 飛騨を手土産に武田に下るか?」
史実でも、江馬家は武田家の助力を受けて三木家と戦った歴史がある。
今回の歴史でも三木家攻略に手間取るなら、武田に限った話ではないが、どこかの勢力と結ぶ事も考えていた。
だが、武田が飛騨守に任じられているとなると、話が変わってくる。
仮に江馬家が飛騨を統一したとしても、飛騨の痩せた国力で武田と対決出来るかと言えば心許ない。
苦労して手に入れた飛騨を手土産に、武田に従属するのも手ではあるが、それこそ従属したが最後で飛騨の全権を奪われるのは目に見えていた。
武田の強欲さは周知の事実である。
「その場合、織田や斎藤がそんな事態を捨て置く事はせぬじゃろう。あの海道一の弓取りたる今川治部大輔を退けた織田信長が武田の代わりに牙を剥く筈じゃ。こうして江馬殿を思って手を差し出した信長の手を払うのじゃからな」
もちろん道三も宗滴も、信長の慈悲などとは全く信じていない。
白々しいにも程があるが嘘も方便である。
【斎藤道三と三木直頼】
「では仮に武田が信濃全域を制圧したとしよう。それは今以上に悪化した考えうる最悪の状況じゃと思わぬか? それに、まさか武田が信濃から叩き出されるとは思うまい? 三木家をここまでの勢力に育て上げた三木殿が、そんな楽観主義とは思えませんしな」
「……も、勿論!」
直頼はその可能性に期待を寄せていたが、そんな事はお見通しとばかりに道三が釘を刺した。
もはや、どう転んでも絶望的な状況に直頼は絶句するしか無かった。
「じゃが、我らの提案に乗れば武田に抵抗する力を貸そう。その条件はそこに書いてある通り、江馬家との争いは一旦矛を収め和解する事、南飛騨を栄えさせる事、特に信濃に隣接する地域の防備を固める事」
「しかし……」
尚も何か言いかけた直頼を道三は制して言った。
非常に悪そうな顔である。
「……ここからはワシ個人の見解じゃが、武田を撃退できた暁には三木殿の飛騨統一に斎藤が手を貸そう。ただ、それには江馬以上の成果と戦果を見せてもらわねば、斎藤としての顔が立たん。……お分かりか?」
今までの非情な宣告とは、うって変わって露骨な懐柔策である。
道三は書状には書かれていない提案を『三木殿には特別だよ?』と言わんばかりに提示した。
その手腕と絶妙な間合いは、背後で見ていた斎藤家の家臣が、三木直頼に大蛇が絡みついているかの様に錯覚した程である。
キツイ現実と、魅力的な提案。
それは、まさに獲物を捕らえ、今にも首筋に噛みつきそうな巨大なマムシの様であり、斎藤道三の実績だからこそできる芸当であった。
「わ、わかり申した。その提案、飲む事に致しましょう」
三木直頼は無事にマムシに噛まれて同意した。
そんな様を見て道三は満足げに大げさに頷いた。
「うむ、さすがは飛騨の雄たる三木殿じゃ! 武田との有事の際は必ず手助け致しますぞ!」
こうして斎藤道三は三木家との会談を終えたのであった。
【朝倉宗滴と江馬時盛】
「うむ、さすがは飛騨の雄たる江馬殿じゃ! 武田との有事の際は必ず手助け致しますぞ!」
朝倉宗滴が手で膝を打って喜んだ。
江馬時盛も、斎藤道三に嚙みつかれた三木直頼と同じく、宗滴に心の奥底に毒を盛られた。
犬畜生になろうとも、勝つ為には何でもする宗滴の真骨頂であった。
【朝倉宗滴】
こうして江馬家との会談が終わった朝倉宗滴は、帰りの道中に家臣に尋ねられた。
「あの……宗滴様? 本当に良いのですか? 書状に書かれていない事を約束してしまって?」
「江馬の飛騨統一に手を貸す事か? 書状にも書かれていない事を? ワシも歳じゃからなぁ。ボケたかのう? そんな約束忘れてしまいそうじゃわい。うむ、忘れた」
「はぁ……えッ!?」
あろう事か、先ほど言った約束を、堂々と忘れたと宣言する朝倉宗滴。
その悪質さには家臣達も開いた口が塞がらなかった。
「フフフ。まぁ状況次第じゃな。本当に助ける価値がある程に成長すれば助けてやらん事も無いがな。ちゃんと三木家より役に立てば」
宗滴は髭を撫でながら非常に悪い顔で笑った。
【斎藤道三】
奇しくも同じころ、稲葉山へ帰還する途中、同じ様に家臣に問われた斎藤道三が同じ様な事を言った。
「三木の飛騨統一に手を貸す? 斎藤家の当主でもないワシの口約束になんの価値がある? それにワシは歳じゃからなぁ。フフフ。何なら死んだ事にしても良いぞ? きっと朝倉の妖怪もおなじ事をしたじゃろうて。ハッハッハ!」
斎藤家の家臣も改めてマムシが健在である事を思い知った。
しかしこの悪質さも、信長の真意を正確に理解していればこそである。
史実の信長も徳川家を生贄に、徹底的に武田との争いを避けた。
今回の歴史では、徳川の役目を今川が担当しているが、徳川に比べて大勢力で同盟中の今川に武田が侵攻する事は無い。
武田が進める道は北信濃か飛騨しか無いのである。
飛騨がかつての徳川の役目を担うのは必然とも言えた。
【朝倉宗滴】
「へぷちんっ!」
道三の話を知ってか知らずか、越前で伝説的武名を轟かせる朝倉宗滴はクシャミをし、従う家臣が歯も砕けよとばかりに食い縛り、腹筋に力を入れた。
「……ッ!!」
「誰ぞ噂をしておるな。……心当たりが有りすぎて下手人を絞りきれんわ。ファッハッハ」
(本当に宗滴様は万能で凄い方だと思うが……)
(あの人相で、あの実力で、あの実績で……)
(あのくしゃみは不意打ち過ぎて困る……)
こうして奇しくも似たような会談となり、『武士は勝つ事が全て』が信条の朝倉宗滴と、謀略で美濃を奪取した『マムシの道三』。
それは、まさに『役者が違う』としか言い様の無い斎藤道三と朝倉宗滴の交渉術。
悪質だろうと何だろうと、全ての会話や書面などが残るハズの現代でさえ、平然と約束が破棄されるのである。
ならば戦国時代の約束の結果など言うまでも無い。
もちろん、あまりに露骨な事をやり続けては信頼を失って自滅するだけだが、そこはいつ死んでもおかしく無い老境の二人だからこそ出来た芸当でもある。
結局、弱者は強者に利用されるしか生き残る道が無いのであり、それが乱世の厳しさであった。
こうして飛騨に足がかりを得た信長は、来る日に備えるべく、力を磨くのであった。




