94-3話 風林火陰山雷 武田キングダム
94話は3部構成です。
94-1話からお願いします。
【信濃国南/武田家】
遅刻した軍と合流した武田軍は改めて侵攻を開始し、武田晴信は全軍突撃の下知を下した。
「全軍突撃! 相手は小勢! 一気に蹂躙せよ!」
本来ならば弓兵による弓矢攻撃が最初の一撃となるが、今回も昨日に続いて相手に余力が無く、損害からの立て直しが出来ていないので、最短最速で撃破可能な戦法を選んだのである。
その下知を聞いた武田軍は、反晴信派も含めて一斉に突撃を開始した。
反晴信派閥の遅刻した武将たちは、己の食い扶持と戦功と武田家での地位を維持するべく。
晴信の作戦を聞いた馬場信春、真田幸隆、武田信繁は策の成就を成し遂げるべく。
この昨日と同じ戦法に、昨日の戦に間に合わなかった反晴信派の武将も、戦果を挽回すべく各々が誇る最高戦力である普通の騎馬隊を順次突撃させていった。
ただし、同じなのは『騎馬隊で突撃した』という事実だけであり、反晴信派の騎馬隊が歩兵との混成騎馬隊であるのに対し、昨日戦果を挙げた部隊は騎馬100%の部隊で突撃を開始したのである。
「何じゃ!? あの突出する部隊は!? どこの馬鹿じゃ!? 何を考えて……あッ!?」
足並み揃えるという概念すら感じられない猛烈で常軌を逸し目を疑うかの様な突撃風景に、本当はあわよくば抜け駆けしようと画策したのも忘れ、昨日の参戦が適わなかった武将たちが口々に罵倒した。
しかし、その突出する4部隊が晴信ら昨日の主役達である事を知ると、この異常事態が仕組まれたモノである事を察し始めた。
「まさか! ……まさかこれも風林何とかの策の一つなのか!?」
そう気づいた時には既に20馬身以上も離され、そう思っている間にも更に馬身差が積み重なっていく。
この目を疑うかの様な光景に『これはマズイ、遅れてはならぬ』と下知を飛ばす武将もいたが、急遽対応しようにも、歩兵と歩調を合わす常識が事前連絡無しに分離できる訳もなく、部隊が混乱し自滅していった。
「御屋形は戦の手順も忘れたか!? 巻き込まれてこちらまで被害が及んでは適わん! 我らは普通に進むぞ!」
一方、この期に及んで晴信を侮りマイペースを貫く者は、適当な理由をつけて漁夫の利を狙う事にシフトしていった。
こちらの部隊は勝手に自滅するよりは賢い選択をしたが、結果的に昨日に続いて一切の戦果を得る事が出来なかった。
そんな反晴信派の自滅と苦言を他所に、騎馬100%部隊は素早く敵陣に接近すると、弓矢や石、槍の投擲で一撃を与え敵に損害を与えていった。
この常識外れによる真騎馬隊は、結果から言うと壊滅的な大打撃を与える事に成功した訳ではなかったが、この極小の戦果が馬鹿にできない結果を残した。
騎射の才がある者は的確に敵を射抜き、投槍、投石を選んだ者も少なからず戦果を挙げたのだが、敵軍の一部を混乱に陥れる事に成功した事であった。
混乱した敵は、武田の手順を無視した攻撃に、次の攻撃が予測できなくなり適切な行動が取れなかった。
その決定的な隙を、一通りの攻撃を済ませ素早く元の部隊に合流した真騎馬隊は、今度は歩兵と共に敵陣に乗り込み持ち前の武芸の腕を披露し、敵の混乱の傷口を押し広げ食い破る事に成功したのである。
敵陣も、元々昨日の時点で大打撃を受けていたのも響いているが、結局、昨日同様に抵抗らしい抵抗もできず武田軍に嬲られて粉砕されてしまった。
本当なら、敵方も昨日の雪辱を果たす為に戦に臨んでおり、もし武田軍が旧来の戦い方で挑んで来るなら、昨日も含めて少なくとも善戦はできるだけの準備もできていた。
結局、その準備は意味不明であり得ない騎馬突撃に対応できず、武田真騎馬軍の先制攻撃を受けた後は早々に混乱し無駄な準備として終ってしまった。
結果的に見ればこの戦は最初の一撃、すなわち常識外れの騎馬突撃で勝敗は決した様なモノであった。
一方、遠方からこの状況を確認していた晴信は、自分が立てた作戦なのにも関わらず、絶大な戦果に驚き戸惑っていた。
「敵が弱すぎる! これが騎馬隊の真の破壊力と言う事なのか? いや待て! 敵の虚を突く『雷』と速さで翻弄する『風』! 風林火陰山雷のお陰と言う事か!」
昨日に続いて今回の遠征でも、結局戦ったのは全軍の3割程の兵で、しかも昨日戦って戦果を挙げた部隊だけである。
敵の戦力も、今回戦った武田の3割と同数程度しか揃えられない上に、昨日大打撃を受けた残存勢力であるので、晴信が弱いと思うのも無理ない状況なのだが、それにしたって、こんな文句の付け様の無い圧勝は記憶にない。
晴信は改めて思い知って呟いた。
「……風林火陰山雷。策、作戦の真の破壊力と言う事か。今まで、今までの戦は腕力と欲望にまみれた子供の喧嘩。まさに児戯にも等しいと言う事じゃったか。そりゃ長尾に痛い目を見る訳じゃ」
今までの武田家が、何も特別な事をせずとも強かった故に起きた不幸だったと改めて認識し、この空恐ろしい結果を引き出した策と、作戦の破壊力を実感するのであった。
また後方に控えてた晴信がそう感じたのであるから、この作戦に従事し前線に出た武田信繁、馬場信春、真田幸隆も、晴信と同じか、それ以上に驚愕の思いを抱いていた。
晴信の思惑通り昨日に続いて功績を独占する事に成功した3人は、信繁の陣に集まって作戦の完遂を喜びつつ、各々が感じた事を語らっていた。
「……そうか。これこそが作戦の恐ろしさなのじゃな。あの時、桶狭間で感じた織田と今川のそれぞれの鮮やかな戦は作戦に則った結果だったのじゃな。織田信長、今川義元、太原雪斎。今なら理解できる。あ奴らは化け物じゃ」
「馬場殿。甲斐へ帰った後、改めてこの真田めに桶狭間の顛末をご教授願えんでしょうか? 今回の策を風林火陰山雷に則って桶狭間の戦いを研究できれば、武田はもっと強くなりましょう。典厩殿(武田信繁)。是非とも殿を交えて一席設ける事は出来ませぬか?」
信春の呻き声とも取れる呟きに、幸隆が反応し今まで感じた事の無い湧き上がる興奮と感情に、何かせずには居られないと感じ提案した。
真に心が動いた時に湧き上がる特別な思い。
これこそが感じて動く事を止められない思い、即ち『感動』する事である。
「うむ。ワシもそう思っておった所じゃ。兄上もきっと喜んで応じてくれるじゃろう」
信繁も快諾した所で、一際大きな体を小さくした3人の男が信繁の陣にやってきた。
反晴信派の筆頭とも言える秋山虎繁と飯富虎昌、昌景兄弟であった。
「その席、某達も参加させて貰えぬでしょうか……」
「何を今更と思われるかも知れませぬが、ワシらは昨日今日でようやく目を覚ましました」
「数々の非礼は詫びても詫びきれませぬが、それでも武田の為に御屋形様の為に動かずには居られんのです……」
一応彼ら一部の反晴信派も、潰走した敵を追撃するおこぼれに与って戦うには戦ったが、半刻もたたずに大勢を決した後での戦いでは誇れる戦果などなかった。
到底戦の主役だったとは言えない体たらくであり、正にハイエナの如くおこぼれで戦果をみっともなく食い漁るしかなかった現実に、ようやく目が覚める思いであった。
「うむ、断る理由などあろうはずがない。兄上にはワシからとりなそう。今後の働きに期待するぞ」
信繁はそう言って3人を迎えるのであった。
恥を隠そうともせず、素直に現実を受け入れる度量のある貴重な人材である。
今後の武田家の躍進に必要な人材であるのは間違いなかった。
(兄上! これで武田家は生まれ変わりますぞ!)
【信濃国南/武田本陣】
戦も終わり晴信の陣に勢ぞろいした家臣達は、昨日と同じ風景を見る羽目になっていた。
同じ風景とは勿論、武田信繁、馬場信春、真田幸隆への激賞光景である。
それが一通り終わった後、晴信はおもむろに居並ぶ家臣に聞いた。
「何か存念があるか?」
この短い言葉には言外に含む意味が多数含まれているのは明白で、今日の戦でも醜態を晒した家臣達は何も言う事が出来なかった。
方針に従わず結果を出さなかった家臣達も、流石に晴信の力を認めざるを得ず、秋山、飯富兄弟の様に改めて忠誠を誓うしか無かった。
もちろん、今回の仕打ちに腹の中が煮えたぎりつつも頭を下げた者もいた。
また乱世に生きる者の強かさを発揮し、晴信に付いて行く方が得策と判断する者もいた。
だがそれでも、秋山、飯富兄弟の様に真に忠誠を誓う者は少数派で、まだ不満に思う者が多かった。
しかし、今までは名目上の盟主だったとしても、ここまで実力を発揮されては文句も付けられないし、今の世の中は力を持つ者は絶対であるし、晴信の変貌ぶりに空恐ろしい物を感じざるを得なかった。
だが、そんな時代と趨勢の移り変わりを察知できぬ家臣も少なからずいた。
その内の一人が、恥知らずにも抗議の声を上げる。
「存念!? あります! ありますとも! 御屋形! 今回は偶々上手く行ったから良いものの、こんな戦を続けられては示しがつきませぬ! そもそも騎馬隊とは歩兵と歩調を合わし泰然自若に進軍するものでしょう!?」
この猛烈な抗議に、晴信はゆったりとした口調で応じた。
「成る程。お主の言い分は分かった。すまなかったな」
(ッ!?)
その口調は今まで聞いた事のない程に穏やかな口調であり、晴信の実力を認識した者達には氷のように冷たい言葉として突き刺さり、相変わらず侮る者達にとっては日和った頼りない声に聞こえた。
抗議の声を上げていた者も、今が自分の意見と立場を守る好機と判断し、更にまくしたてる。
「ご自身で言った風林火陰山雷にも『山』があるでしょう!? お忘れか!? そもそもですな! 戦の作法は矢合わせに……!!」
(矢合わせに始まり歩兵……あれ? ワシは何で空を……)
一瞬の出来事であった。
晴信の、目にも止まらぬ抜刀が、正確に首を撥ねたのであった。
正に電光石火にして、風林火陰山雷の風と雷、火の如くの早業であった。
「知りがたきこと陰の如くと言うが、結果を知ってなお、知ろうとも学ぼうともせぬ愚かな貴様は武田に必要ない。片付けろ」
晴信はそう言って泰然自若、山のように床几に座り言葉をつづけた。
「疾きこと風の如く、徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷霆の如し。お主ら……しかと学んだな?」
「は、はッ!!」
今までは合議制を鑑み対等に近い立場で相手を立てて武田家を運営してきた晴信であるが、今、戦国時代に相応しい絶対君主として振舞った。
本来こんな暴挙は、いくら絶対君主であっても求心力の低下を招きそうであるが、この場にいる家臣は全員一斉に頭を下げた。
しかも無意識にである。
心から武田晴信に心酔し、評価し、実力を認め、恐怖した結果であった。
武田晴信は今に至ってようやく乱世対応力と資質を評価され、自分が仕えるに相応しい主君として認識されるに至った。
「よし。明日以降の戦いではワシの策を至上とする。異論は無いな?」
「はッ!」
「ワシに従うならばお主等の栄達も約束しよう。しかし無能な者は必要ない。我こそ武田家の支柱と考えるならば才を発揮し見せるがよい。その手段は風林火陰山雷にある。忘れるな」
「はッ!」
こうして、有力武将の寄り合い所帯の面が強かった武田家は、晴信を頂点とする乱世に臨機応変に対応する家へとリニューアルするのであった。




