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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
9章 天文22年(1553年)支配者の力
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93話 冷戦

【志摩国/盆踊り会場 織田家】


 尾張の熱田で、伊勢の金井城での盆踊りを終えた信長は志摩でも同じように盆踊りを行い、織田家の威信をかけた願証寺嫌がらせ圧迫作戦は大成功で終わった。

 いや、正確に言うならば終わったのは盆踊りであって、嫌がらせは依然継続中であり、親衛隊の間者を使って願証寺領内に流言をばら撒いている。

 そんな間者が情報を持ち帰り、願証寺が挑発には乗らない方針を信長は手に入れた。


「そうか。願証寺は耐える道を選んだか。まぁ……そうするしかあるまいな」


 せっかく防衛設備を整えたのだから、討って出る可能性は低いと信長は睨んでいたが、とりあえずは予想通りの展開になり、信長は一息ついた。


「そうじゃ!」


 志摩での盆踊りを終え尾張に帰還する時、ちょっとした悪戯心を芽生えさせた。


「折角だから願証寺の連中に顔を見せるか!」


 船で尾張へ帰還する信長は気まぐれに長島へ近づいた。

 完全に制海権を握っている故に可能な挑発であった。

 その距離は、僧兵が騒いでいるのが目視で確認できる程の至近距離である。


「フフフ。騒いでおるな。さっさと兵を集めないと危ないぞ?」


 無論、信長は長島を攻めるどころか上陸するつもりすらない。

 願証寺の人員を無駄に動かし、無駄に兵糧を消費させ、徒労と無駄に神経をすり減らせるのが目的である。


「目論見通り踊ってくれておるな。さぁ、尾張に帰還するぞ!」


 信長が無慈悲な号令を出すと、一緒に尾張に帰還する家臣達が困惑した表情で尋ねた。


「殿、今回の戦略の意図は理解しているのですが、それでも疑問に思う事があります」


「なんじゃ?」


 信長はこの質問が来るのを予想していたのか、眉をピクリとも動かさず質問を許した。


「何故、武力で制圧しないのですか? 戦力差は圧倒的です。こんなまどろっこしい事をせずとも、北畠殿、今川殿、朝倉殿を相手するよりも全然―――」


「楽で弱いか?」


「は、はい」


 そう言われて信長は、前々世での長島一向一揆の戦いを改めて思い出した。

 苦戦に次ぐ苦戦、違約に次ぐ違約で討ち取られる兄や弟、一族や家臣たち。


「理由を知りたいか。それはな、奴らは決して弱くないからじゃ。信仰による狂信性と死を恐れぬ兵は決して侮る事ができぬ」


 既に前々世で痛い目を見ているので、言葉の重みが段違いである。


「そ、そうなのですか? しかし、それならばこんな挑発行為は危険なのでは? 約定を結んで不可侵としては?」


「駄目だ。不可侵などもっての外。将来的には必ず併呑する。しかし今は攻め込む事はしない。その代わり挑発で常に臨戦態勢を強いて兵糧から神経まで、あらゆる物をすり減らしてもらう」


 敵に安心感を持たれて悠々自適に閉じこもってもらっても困るので、挑発によって一時たりとも気を抜けない状況に信長は追い込もうとしていた。


「それに奴らは絶対に約束を守らん。奴らにとってワシらは奴隷同様の格下に見ておる。神仏の代弁者たる僧侶が武士に跪くなどありえないし、そんな格下の連中と結んだ約束など、奴らにとって気分次第の空約束。ならば攻めるか持久戦か二つに一つ。今年は奴らに無駄な労役とそれに伴う兵糧の消費を促しただけで十分な成果じゃ。奴らの方針も判ったしな」


「そういうモノなのですか……」


「そういうモノじゃ。とは言え、まぁお主等の気持ちが判らんでもない。じゃがいずれ骨身に染みて理解できる日が来る」


(何故、断言できるのだろう?)


 前々世での寺社勢力との争いで、信長から約定を破棄した事は一度もない。

 すべて一方的に破られており、信長がいかに舐められているかが知れるが、信長のこの警戒度合いは、転生を知らない今を生きる人にとっては常軌を逸した警戒具合である。

 確かに桶狭間の隙をつかれて勢力拡大を許したが『それにしたって』と家臣たちは感じてしまうのであった。


 その家臣達の感想は、転生をした帰蝶やファラージャにも、少なからず思う所はあった。


《この時代の織田家の皆さんが、宗教戦争の恐ろしさを知るのはまだ先という事ですね。未来でもあのザマなのですから、尚更この時代では凄いんでしょうね》


 ファラージャが、未来でも猛威を振るう宗教戦争の惨状を思い出しつつ溜息をついた。


《そうよな。まだ誰も長島一向一揆の凄惨さを経験しておらん。それ故に仕方ない部分もある。しかし油断とも違うしな。想像できない事なのだろうな》


 かつての長島一向一揆の戦いで、飢えて押せば倒れる程に衰弱した一向宗兵が、精鋭織田軍を多数撃破し、大損害を出した前々世を思い出し信長は身震いした。


《未来の神様である殿に向かって言うのもなんですけど、神様って面倒な概念ですね……》


 帰蝶も『神』の厄介さにため息をつくしか無かった。


《以前、光秀に語って聞かせたが(外伝12話参照)、神仏の存在は古の時代には必要不可欠じゃったと思う。それに人間の力ではどうにもならない事がこの世に存在する以上、賢い人間の想像力でしか万能の神は作り出せんのじゃろう。だが、出来ない事が出来るようになっても人間の想像力が更なる不可能を想像してしまい、神ならば実現できるとすがってしまう。そのイタチごっこの繰り返しで1億年先まで神の座は安泰だったわけじゃ。ワシがどれだけ頑張ってもこればかりはな。難儀な事よ》


 転生における信長の役目は未来の結果を変える事であるが、信長に出来ることは本能寺の変を回避した上での天下布武完遂である。

 天下布武が成ったら即座に宗教の暴走が是正されるかは未知数であるし、仮に日ノ本での抑え込みが成功しても、今度は世界との関わりで必ず再燃する話である。

 信長一人の力ではどうにもならないのは明白で、信長が付けた筋道を子孫達がどうするかも未知数である。

 それ故に『難儀な事』と表現したのも仕方ない話である。


《それにしても存在しない物に命を懸けられるって、人間は賢いのか愚かなのか……あっ!! では戦ってみてワザと苦戦したり負け戦に導いてみては?》


 ファラージャが改善案を思いつき提案してみたが、信長も帰蝶も良い顔をしなかった。


《ダメ……ですかね?》


《うーん。困る提案ね》


《それは考えた。この先あまりにも連戦連勝快進撃が続くなら、挫折を経験させる必要があるかも知れんとな》


《では―――》


《しかし駄目じゃ。負けるのは簡単。しかし、それは間違った考えじゃ》


 信長はピシャリと断言した。


《挫折は確かに武将の成長には繋がるかもしれん。じゃがその戦で人柱となり命を散らす末端の兵の気持ちを考えたら、とてもじゃないが選択できない戦略じゃ。余りにも人の命を軽んじる傲岸不遜にも程がある行動じゃろう》


 ファラージャは価値観の違いと、未来の惨状、さらに己の習得した科学や医療技術故に、命に対する配慮が欠けていた。


《あっ……》


《私達はやり直している人生で、いざとなれば何回でも復活が可能だけど、私たち以外は懸命に生きている世界だし、そう割り切って考えられない程に情もあるわ》


 親衛隊の面倒を見ている帰蝶には、出陣を命じる事は出来ても、ワザと負けて死んで来いとはとても言えた物ではなかった。


《それに命の価値以前に、ワザと負けて得られるモノなど無い。全力でやって、それでも足りなかった時にこそ成長が得られるのじゃ。無論、戦略的撤退や敵を釣り出す為の見せ掛けの敗戦は演じる事はある。あるいは金ヶ崎の撤退の時の様に殿(しんがり)に『死ね』と命じる事はあるかも知れんが、これらは例外中の例外じゃ》


 信長と帰蝶は、場合によっては非情な命令を下さなければならない立場であるが、死と転生経験により、やり直しの効く自分達の命より、他者の命に気を使う考えが芽生えていた。

 本人達にその自覚があるかは未知数であるが。


《で、でも、このままだと宗教勢力に対する認識が、信長さんと他の家臣で認識に隔たりがあり過ぎて、後々困る事になるのではないですかね?》


 ファラージャもそんな信長達の変化に驚きつつ、しかし、このままでは困る事態になる事を指摘した。


《その辺は一応法度や方針、行動で示して居るが、それでも間違いなく困るな。じゃがコレばかりはどうにもならん。どれだけ厳命してもな。だから願証寺の我慢が限界を迎えた時、家臣達は思い知る事になるじゃろうが、ワシらだけはその時に備えておかねばならんな》


《被害を押さえる為にですか?》


《その通りじゃ》


 百聞は一見に如かずと言うが、その一見を実際に見た事があるのは信長だけで、ファラージャも帰蝶も聞いた事があるだけで経験した訳では無い。

 子供が(大人も)親や先人の警告を聞いたのにも関わらず失敗をしてしまう様に、現代の犯罪が法律の想定を上回ってしまう様に、災害が防災を軽々上回ってしまう様に、経験がない事を警戒し防ぐのは至難の業である。


 未経験の人はその警告や教訓を自分なりに想像して注意するが、その想像はリアリティに欠け都合の良い想像でしかないのである。

 従って被害が出るのは確実なので、信長は被害は被っても迅速な対応ができる様にフォロー体制だけは万全にするつもりであった。


《今の戦略もその為の物じゃ。過剰に締め付けて痛い目を見たのが前々世。じゃから今回は適度に緩く憎しみを逸らし、しかしより悪質に。それが今回の戦法の肝ともいえる。それにいざ一戦交える時には口を酸っぱくしてでも言い聞かせるつもりじゃ。『絶対に油断するな』とな。……それでも看過できない被害を被る恐れはある》


《では殿、もし願証寺が挑発に乗らず、和睦の使者を送ってきたらどうします?》


 今回の作戦で唯一の懸念、つまり挑発の空回りが懸念材料であった。


《フッ。全てを見て知っている於濃が何を言っておる。和睦も何も戦も発生しておらんし、ワシはワシの領地で民と配下を慰労しておるだけじゃ》


《あッ!?》


《偶然、願証寺に近い地域を警戒しておるが、何に遠慮する事があろうか? 別に奴らの領内を荒らしておるわけではないしな。まぁ和睦に限らず何らかの使者を寄こすなら会ってやらんでもないが、何も約束をするつもりはない。天下布武法度を受け入れるというなら話は別じゃがな。奴らの辿る道は法度の受け入れか、力尽きて消滅するか、あとは―――》


《あちゃ~。願証寺終わってますねー》


 信長の一分の隙も無い見事な戦略にファラージャは、願証寺の行く末を憐れむのであった。

 しかし信長は、そんなファラージャの言動に驚いて声を上げた。


《おいファラ!? 歴史と宗教の恐ろしさを知っているお主がそんな認識なのか? ワシが願証寺側なら、ここからどうとでも逆転してみせるわ!!》


《えぇッ!?》


《そ、それなら、こんな時間のかかる戦略はマズイのでは!?》


 前々世に比べ、今回はかなり余裕のある願証寺対応だと思っていた帰蝶とファラージャは、寝耳に水とばかりに驚きの声を上げた。


《家臣の手前平静を装って居るが、ワシも割とギリギリじゃぞ? 今回の戦略は前回と同じ轍を踏まない様にしつつ、前回とは違う結果を出す為に苦心して捻り出した戦略じゃ。これ以上の急ぐ事も出来ん。願証寺が爆発しない程度に我慢してくれる、ギリギリの線を狙い続けておるからな》


 この封鎖作戦は、今川家との桶狭間決戦が終結した直後から始まっており、今年で3年目を迎える。

 相手は勝手に弱まってくれてはいるが、今以上の介入は盆踊りまでが限界だと信長は判断していたのである。


《今年はまだ良いが、来年以降は今以上に慎重に対応せねばならんぞ? 理想的な展開を言うならば、願証寺という毒を、封鎖と欲望という更なる猛毒で無害化、または可能な限り弱毒化させねばならんのじゃ。あの周辺は天然の要害。守る側が圧倒的に有利》


 現在の長島は整備されていて当時の面影は無いが、戦国時代では入り組んだ地形に川に多数存在する中州は強固な天然の堀として機能し、前々世の織田軍は苦しめられた。


《手出しするにしても降伏寸前まで弱らせた後になるじゃろう。あと数年はこのままにしておきたい。付かず離れず適当な距離感を保つ。その間に別の事を実行しなければならんしな。自分で実行しておいて言うのも何だが、こんな難しい戦略はもう二度とやりたくないわ!》


《べ、別の事とは?》


 思いの外信長が苦しい立場にあるのに帰蝶は驚き、さらに控えている『別の事』を尋ねた。


《もちろん、将軍、六角、武田対策じゃ》


 信長の懸念がこの三つの家である。

 周辺勢力が現状のままであるかは不透明である。

 特に南近江の六角と、南信濃に進出した武田は、動向を注意しなければならない。


《恐らく六角は将軍と共闘して三好に反抗するであろうから、東にはそこまで目は向いておらん。じゃが武田は西に目が向いているからな。早急に飛騨の勢力を纏め上げねば、こちらに侵攻する切っ掛けを与えかねん。その為に朝倉と斎藤には少々動いてもらわねばならん》


 飛騨は三木家と江間家が争っているが、山間部の狭いエリアで争う大勢力とは言い難い家である。

 それが、争いを続けてお互いが弱体化しては、武田にとっては願ったり叶ったりの漁夫の利の状況を作りかねない。


《お互いの交渉がまとまる事を願わねばならんな》


 三木家には斎藤家が、江間家には朝倉家がそれぞれ交渉を担当し、織田家、斎藤家、朝倉家の三家の連盟で署名した書状を携えている。

 書状は要約すれば停戦と、限りなく従属、家臣化に近い同盟要請である。

 両家に武田の侵攻が近い事を告げ、攻め込まれたら領地が蹂躙され間違いなく滅ぼされる事、自分達に付けば銭や領地発展の恩恵が受けられる事など、メリットとデメリットを交えて交渉してもらう手筈である。


《まぁ、道三と宗滴ならば上手くやってくれるじゃろう》


 斎藤家の交渉担当は斎藤道三、朝倉家の交渉担当は朝倉宗滴である。

 戦に交渉に謀略に実績に、その名を知らぬ者など居ない。

 信長は二人の手腕に期待しつつ言葉を締めた。


《当分は静かな戦が続くであろう。於濃、ファラよこれからこそが大変じゃ。気を抜くでないぞ》


《は、はい》


《解りました……》


 三人を乗せた船は、遠ざかる願証寺と米粒の様に小さくなってしまった僧兵を尻目に、尾張に帰還するのであった。

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