11話 織田信秀
【尾張国/那古野城 織田家】
那古野城の一室で、信秀、信長、政秀、帰蝶が一堂に会して話し合っている。
つい先程、信長が織田家の後継者有力候補である事を告げられたばかりであった。
「さて家督については終わりじゃ。次に悪餓鬼部隊についてじゃが、斎藤家と同盟したお蔭で兵糧に余裕がある。余剰分を全て三郎に預ける故、悪餓鬼部隊を拡充せよ」
「はっ!」
「三河付近は戦続きの為、人さらいや孤児も多い。当然賊もな。今や孤児は織田家の宝じゃ。人さらいや奴隷商人、賊に捕まる前に保護し、奴らを蹴散らして来い」
「承知しました!」
孤児は放っておくと、生きる術を知らないので野盗化するか、捕まって奴隷になり売り払われるか、慰み者になる者も少なくない。
価値を見出した以上、織田家にとっては財産であり、積極的に保護、教育を行い力を蓄えさせる必要がある。
また、何よりも健全に育てるには食事である。
信秀はその為に、余剰兵糧をすべて使い切る気でいるのだ。
ある意味一か八かの投資にも見えるが、これが織田弾正忠家発展の切り札となる事を信じ決断を下した。
育った孤児は、才能を発揮する分野に派遣し、商い、隠密、技術者、悪餓鬼部隊などに配属される。
「兵糧は中務丞(政秀)の屋敷に運び入れる。三郎は身分を隠して政秀の配下として活動するのじゃったな? 委細問題ない故、存分に暴れてこい」
「はっ!」
信秀はニヤリと表情を変える。
「なお次の賊討伐はワシも同行する」
「はっ! ……はっ!?」
前回の歴史ではそんな視察など無かった為、信長は驚く。
正徳寺の会談で『歴史は歴史通りに進まない』と骨身に染みて理解したが、その様な場面は唐突にやって来る為にどうしても驚き心臓に悪い。
「なに、一切指図はせん。素性も隠す。やりたい様にやれ。何ならお主の指揮に従い戦ってもよいぞ」
「大殿! それはいくら何でも……」
万が一があってはマズイと政秀は心配するが、信秀はハッキリと理由を述べる。
「中務丞よ、お主一度も現物を見た事が無い、しかも前例が無い事を無条件に信じる事が出来るか?」
空気がピシリと引き締まる。
「何、別に心配はしておらん。悪餓鬼部隊は決して弱くない。それは見ればわかる。見たいのは三郎の指揮手腕よ」
「!」
信秀は信長とその策と悪餓鬼部隊を大いに評価しているが、そこは戦国時代に生きる者であり親子の情など入る余地は無い。
信長があまりに情けない事をしたら、家督継承権ごと全てを取り上げるつもりでいる。
余程の事が無ければ失敗するとは思っていないが、当主である手前、最終確認は厳格にするつもりだ。
「して、賊の発見はどの様にやっておるのだ?」
通常ならば領主に直訴されたり、あるいは救援依頼が届き、討伐部隊が編成される。
相手は賊なので何百人を相手する必要はない。
しかしそれでも編成には時を要し、駆けつけても村が蹂躙された後、などという事は珍しくない。
つまり、現代の警察と同じく対処療法が基本である。
一応巡回する事もあるが、正直なところ効果はイマイチだった。
しかし信長は違った。
「まず、部隊の訓練を基本的に治安の悪い土地の近辺で行います。例えば、森林や山岳地帯です。これは極秘部隊の為に、目立つ場所で訓練出来ない為の措置です。目立たない場所は、得てして賊がいる可能性が高いですからな」
部隊も賊も目立たない場所が必要なので、利害が一致する。
「偶然賊を発見できたならば、遭遇戦としてそのまま実戦訓練となります。他には隠密間者行動に優れた者を各地に5人1組で派遣し、情報収集をさせながら相手が4人以下ならそのまま暗殺させます。5人以上の規模の賊なら1人が報告の為帰還し、他は賊の仲間に加わります。もし襲撃情報を得たら、さらに1人その情報を持って帰還させます。あとはすぐに部隊を率いて実戦訓練となります」
尾張は他国と比べ豊かではあるが、面積が狭い故にできる戦法である。
「なるほど、積極的に狩っておるのか。道理で治安維持が楽なわけよ。しかし、賊の仲間になって潜入するのはそんなに簡単に出来るのか?」
油断ならない乱世において、仲間になって潜入となると、そう簡単に出来るとは思えない懸念すべき事である。
「親父殿、お忘れですか? 我々は『うつけ集団』なのですぞ? 身なりは賊と大差ありませぬ。その証拠に賊から接触してくる事も珍しくありませぬ。『一緒に村を襲撃しねぇか?』と言った具合に。奴らは基本的には臆病で絶対有利の条件を無意識に求めております。村人農民と言えど乱世において無防備は有り得ませぬからな」
信長には想定内の質問であったのか淀みなく答える。
信秀はそう言われて普段の悪餓鬼部隊を思い出す。
「おぉ確かにな。『うつけ』である事が、こうも利点となるとはな! 賊も少人数では心細いのだな。ハハハ!」
常識の枠外から世を見る信長だからこそ出来る事であった―――と、ここで今まで黙っていた帰蝶が口を開いた。
「その賊討伐、私も同行して宜しいでしょうか?」
「え?」
信秀、信長、政秀は綺麗に同調して驚いた。
「三郎様の部隊には、少ないながらも女性が居るじゃないですか。ならば私が参加しても問題は無いと思われますが」
この時代、少ないながらも女性が戦場で戦う事は無くはない。
弓、鉄砲は当たれば敵は当然倒れる。
勿論、刀や槍も同様だ。
人は刃物で切り付けられたら怪我をする。
男女平等である。
女の攻撃は効かない、当たっても死なない、何て事は無い。
そういう意味では過剰な腕力を必要としない弓、鉄砲こそが女性の武器ともいえる。
《於濃! 何を言っておるのか!?》
《あら殿、女性差別ですか? 未来の信長教の神ともあろう御方が料簡の狭い事を言わないで下さいまし。未来においては男女平等ですよ。そもそも殿の部隊だって老若男女の区別はありますまい? 身分の貴賤すら無いのでしょう? なら私がいても何の問題は無いはず。私の存在は今後の国造りでもきっとお役に立てると思いますよ?》
《屁理屈を……!》
《屁理屈も理屈です》
《クッ!》
《殿? 共に本能寺の先へ行くのでしょう? これ位の歴史改変は即実行するべきかと存じますよ?》
《お主の言い分は確かに理解できる。女が戦や政治に関わってはいけない風潮はワシも毛嫌いしておる。故に女が戦場に出るな、と言うつもりは無い》
《ならば許して頂けますね?》
《……》
しかし信長には、どうしても気になって仕方がない事が一つあった。
帰蝶の顔、特に目である。
帰蝶の目は爛々と輝いていた。
武人が名馬名刀を見つけたかの如く。
茶人が名物茶器を見つけたかの如く。
特に―――童が玩具を見つけたかの如く。
《ワシが言いたいのは、お主が暴れたいだけなのでは無いか? という事よ!》
《!!》
帰蝶は目を逸らす。
只でさえ歴史改変に四苦八苦しているのに、帰蝶爆弾まで抱えるのは勘弁して欲しいと思っている信長である。
確かに帰蝶がいる事によって歴史が変わる可能性は格段に高くなりそうだが、駄目な方向にも振り切れそうで恐ろしいのが率直な感想である。
《於濃! ワシの目を見れるか!?》
《殿……後生です! 私はこの力溢れる体を存分に堪能したいのです……!》
そう言って涙目を向ける。
恋する少女の如く。
《クッ! 姑息な真似を!》
《ファラちゃん、殿が虐めるー》
《信長様ー、駄目ですよー》
《喧しいわ!》
「お主ら何をしておるのじゃ?」
二人のテレパシーなど知る由もない信秀が、不審に思い声をかける。
「あ!? い、いえ、於濃の申し出を断ろうと考えていた次第でして……」
慌てて信長が答え、そんな信長を見て信秀は帰蝶に言った。
「まぁ条件次第では良かろうて」
「親父殿!?」
「大殿!?」
「義父上!」
「濃姫殿。倅を心配しての申し出であろう? その心意気は無駄にはしたくない。だが! 戦場は甘い所ではない。綺麗事はほとんど無い。あるのは殺意と欲望だけじゃ。武芸の心得なくては真っ先に討ち取られるのがオチよ。いや、討ち取られるだけならまだ良い。お主は女子じゃ。ワシの言いたい事はわかるな?」
信秀の言わなかった『言いたい事』とは、勿論陵辱に相当する事である。
「勿論です。覚悟の上です!」
帰蝶はその事を察した上で答える。
「よかろう。ならば条件を出す。馬術、刀剣術、槍術、弓術をこちらが指定した以上の腕前を発揮できれば同行を許そう」
信秀は帰蝶の同行を許す為の条件を並び連ねた。
「親父殿、それは……」
「大殿、あの……」
信長と政秀は小声で抗議の声をあげる。
「2人とも、ここまで覚悟を決めた者の決意を踏みにじるつもりか?」
「いえそうではなく……」
「於濃は……」
信秀は二人の声を遮って続ける。
「では濃姫殿、その着物では動きにくかろう。着替え終わったらそこの庭に来るが良い。早速試そうではないか!」
「はい! では一旦失礼いたします!」
帰蝶は部屋を出た。
見る人が見れば非常に軽やかな足取りであった。
「親父殿! 於濃は……」
「安心せい。心配なのはわかるが熟練の兵士でも達成が難しい条件じゃ。三郎よ。少し現実を見せてやれば自分で納得するだろうよ。頭ごなしに拒否するのではなく、搦め手を駆使するのも策の内じゃぞ? 覚えておくが良い」
信秀流の交渉術と言うべきか?
さすが謀略で竹千代(徳川家康)を誘拐しただけの事はあり説得力が違った。
ただ、信長や政秀が言いたい事は、そう言う事では無かった。
(親父殿の言いたい事はわかるが、あ奴は……)
その後―――
「ハイヤー!」
馬を手足の如く操り、曲乗り、流鏑馬まで披露し―――
「ハッ!」
刀で瞬く間に三閃し竹を3つに分断し―――
「それ!」
槍で飛んでくる的を的確に突き刺し―――
「よっ!」
弓は全弾命中どころか全てど真ん中―――
「せいッ!」
ついでだからと格闘術まで披露し、熟練の兵を組み伏せた帰蝶は、どれもこれも文句の付け様の無い成績を叩き出した。
「……」
政秀は天を仰ぐ。
「やっぱり……」
信長は半ば予期していた光景に諦めの感想を漏らす。
「さ、斎藤家は一体何を考えて教育しておるのじゃ……!? しかも11歳の姫に……!! ワシはこんな娘がいる家と戦っておったのか……!?」
斎藤家は濡れ衣を着せられ、信秀は開いた口が塞がらない。
無論、斎藤家全員が帰蝶の様な訳ではない。
帰蝶も48+5年分の人生経験があり、しかもどれだけ神仏に祈っても手に入らなかった健康な体を手に入れていた。
意気込みならば信長に勝るとも劣らない。
信長がフライングした5年間で鍛えた結果であった。
こうして信秀は約束してしまった以上、履行せざるを得ず、しかし、万が一があっては斎藤家に申し訳が立たないので弓部隊としての参加を許可したのだった。
その後、信秀、政秀と別れた信長と帰蝶は私室に入った。
《於濃! お主の武芸は、たとえ48と5年分の人生経験があったとしても容易に到達できるモノではないぞ!?》
《あぁ、その事ですか? 殿がフライングしてしまった5年間の間に、未来の効率的な訓練で習得致しました》
さも当然の様に帰蝶は答え、付け加える。
《何分、暇でしたので……》
特に『暇』という言葉に含みを持たせて帰蝶は答えた。
《グクッ! ファラ! 於濃に仕込んだ事を教えよ! 普通に南蛮の言葉も使っておるし!》
《えー? 別に時代にそぐわぬ事は何も教えてませんよ? ただ本来なら知ってて当然の戦国時代の知識を究極的に効率化して教育し訓練を行っただけです》
ファラージャの歴史知識も必ずしも正しい訳ではないので、実は帰蝶には余計な知識まで備わっているが、それはまた別の話である。
《本当、楽しい5年間でしたわー》
《転生前の帰蝶さん、殆ど何も知らないも同然でしたからね。前にも言いましたが、この計画には帰蝶さんの協力が不可欠ですので、最低限一人で生きて行ける様にはしてあります》
納得出来る様な出来ない様な、モヤモヤした気持ちになった信長であった。
《ふー……。では、親父殿について教えてくれ!》
《はいはーい。って私が何か説明する必要があるのかなって位、信長様の方が知ってると思うのですけど……》
《つべこべ言わずに教えよ!》
《帰蝶さんー!》
《殿、虐めてはいけませんよ?》
《こ、こいつら……!》
信長は、もうその先の言葉を出すことができなかった。
《気をとりなおして……カッコいい異名がありますね。『尾張の虎』『器用の仁』って呼ばれてたそうです。戦、政治、謀略、まぁこの辺は名のある武将は大体得意ですが、文化的な事も得意だったようです。連歌もこなし公家を招いて蹴鞠大会など開けるなど顔も広かった様です。身分が低い割に何でもできて教養も高い。この辺が『器用の仁』って呼ばれる所以ですかね?》
《さぁな。だが確かに親父殿は何でも出来る人であったと思う》
《あと、本拠地を次々変更した事もお父上独特の戦略ですね。当時の戦国大名は本拠地移転は余りしなかったのに。信長さんもその点は受け継いでますね》
《ワシはその時々で戦略的に一番居るべき場所に居るだけじゃ。安土の次は大坂の地を本拠地にするつもりだったしな》
もちろん、本拠地を変える武将は織田親子だけではないが、織田親子ほど積極的でないのも事実である。
鎌倉武士では無いが『一所懸命』土地に根付いて生きるのが武士の伝統と考えれば、信秀、信長はかなり異端である。
《へー! さすが親子と言うべきか、異端的な考えで面白いですねー》
《今生は土地の扱いについても考えるべきであるな》
信長は恩賞に土地ではなく、茶器等家宝で対応した事もある。
史実では滝川一益が、恩賞で茶器を貰えなかった事に愚痴をこぼした事実もある。
織田家は家臣も土地に縛られる常識から、脱却しつつあったのだ。
《でも不思議なのは、そんなお父上は尾張最大の実力者であるにも拘らず、死ぬまで斯波氏の家臣のそのまた家臣に居続けた事です。お父上の実力ならどうとでも出来たはずなのに何故でしょうね?》
《ワシの知らない所で義理堅い部分があったのかもしれぬ。確かに親父殿が主君を追い出して尾張統一しないのかは不思議であったわ》
《では義父上に聞いてみてはいかがです?》
帰蝶は自分の父である斎藤道三が主君を追い落としているだけに、信秀の実力で謀反を起こさないのは確かに不思議な事であった。
《聞いてみたい気はするが……。言わないのは理由あっての事かもしれぬ。知れば尾張の柵に縛られる、とかそう言った気遣いかもしれぬ》
子なりに思うところがあるのだろう、そうファラージャと帰蝶は感じた。
《なるほどー。あとは……こんな事言うのも何ですが、あと数年で寿命を迎えます》
《そうであったな……》
《でも歴史通りに進んでいない今なら、長生きも出来るのではありませんか?》
《歴史の修正力の話を無視するなら、原因を取り除けば可能性はあります。ただ、修正力が働いて、本来の病気ではなく討ち死にや事故死で、歴史通りの年齢で亡くなる可能性もあります》
《討ち死になど分かりやすい原因なら何とか出来るかもしれぬが。病死ではな……》
《未来の技術に頼らず何とかするのは全然アリなので、諦めてはだめですよー》
《出来る範囲でやってはみる。しかし冷たい様だが人智が及ばぬ寿命や病死の者に対しては固執するつもりはない。まぁ、於濃の様に治してくれるならワシは拒むつもりはないぞ?》
《殿……》
《私がその時代に居るなら即治療して見せますけど……。過剰な私の介入は、本来信長様がやりたかった事から大きく逸脱する可能性が高いです。それは目的に反しますので……》
《わかっておる。戯れに聞いてみただけよ。気にするな》
《はい!》
そんな話を信長がしている頃―――
山岳地帯に偵察に行っていた信長の親衛隊が大規模な野盗団の砦を発見した。
戦利品である食料や女子供を担いで砦に向かっている様であり、隠密部隊リーダー格の少年が指示する。
「よし……。手筈通りに、お前は早馬を使って大将にこの場所を知らせろ。俺たちは奴らの仲間に加わって様子を探る」
「おっしゃ! 任せろ!」
一人が急いで山を下りて行く。
「よし……。いつもの様に潜入すんぞ!」
4人は偵察がてら訓練の為に狩った猪の肉と、略奪した様に見せかける銭と酒を手に砦に近づいて行った。
「よう、お前さん方もこの前の戦で逃げてきたクチかい?」
少年は言葉巧みに野盗団に取り入り、内部に入り込んでいった。
信長率いる親衛隊の野盗戦、すばわち信秀へのお披露目戦が始まろうとしていたのだった。
長々と話ばかりが続きましたが、戦国時代を扱っておきながら戦が無い状態を脱却できそうです。