91-2話 上洛 日本の副王
91話は三部構成です。
91-1からお願いします。
【山城国/京 三好館】
京の都で賊を打ち払い近衛晴嗣との会談を終わらせた信長は、改めて三好長慶の京館へ向かった。
荒廃した京の都から遠く離れたこの場所は、軍事拠点と政治拠点を併せ持つ三好の地方拠点である。
本拠地ではなく地方なのは、三好の本拠地はあくまで阿波国であり、重要拠点は堺がある和泉であり、京は二の次三の次であった為である。
そんな京での三好館にて、左右に三好家の重鎮が揃った広間で会談が始まった。
「三好修理大夫長慶である。遠いところからよくぞ参った。聞いたぞ。京で野盗と遭遇したそうだな。災難であったが無事で何より。ご苦労であった」
「はっ! 織田三河守信長、昨年に賜りました官位の礼と、改めて正式に三好家との友誼を結びたく参上いたしました」
「斎藤美濃守義龍、同じく参上いたしました。野盗程度三好殿のお手を煩わせるまでもありませぬ」
そういって信長と義龍は頭を下げた。
近衛晴嗣の時もそうだったが、信長が三河守と名乗るもこれは自称ではなく、織田家が所持する正式官位である。
伊勢守など新規に授かった官位と、中務丞など元々持っていた官位は今年の初めに分配したが、形式上今川の領地である三河守は空位のままであった。
その三河守を名乗ったのは、官位をもらったのに無位無官でいるのは無礼過ぎると判断した事と、あくまで今川とは敵対して次の目標地と定めるカモフラージュに使えるからである。
当然侵攻するつもりはないし、すでに三河から駿府、遠江と支配下にある状態なので、全く意味のない名ばかりの官位である。
この場をしのぐ為に名乗っているに過ぎず、尾張に戻ればまだ三郎信長にもどす。
「うむ。面を上げて楽にせよ」
そう長慶は信長と義龍に促した。
それを受けて信長と義龍は頭を上げ―――ようとして一瞬首に刀が押し当てられていることに気が付き、信長はそのまま一気に頭を上げ、義龍はゆったりと上体を持ち上げた。
殺気による脅しと気づいた信長と、殺気を警戒し慎重になった義龍による感じ方の差が表れた対応であった。
(殺気に敏感な信長と、慎重な義龍か。中々やるな。そうよな。若いとは言えワシと対峙する機会を得た者たちじゃ。この程度の遊びに気づかんではな。クックック。まずは合格と言ったところか)
長慶は悪い顔をしつつ笑った。
「フフフ。試すような真似をして済まなかった。その若さでこの場にたどり着く勢いのある二人に興味が尽きなくてな、戯れとはいえ遊びが過ぎたな。許されよ」
長慶は、久しぶりに表れた元気な若者に、機嫌を良くし殺気を引っ込めた。
しかし、代わりに現れたのは王者の風格と覇気。
権謀術数渦巻く中央で、権力者相手に戦い圧倒してきた、三好長慶の真骨頂ともいえる天災のような巨大なオーラであった。
(こ、これが三好長慶!! 父の道三より若造なのに何だこの威圧感は!?)
怒りの帰蝶など可愛いもので、これなら殺気の方がマシであった。
義龍はかつて感じた事のない、異様な雰囲気に飲み込まれ冷や汗が噴出した。
信長も信長で感じるものがあり、感嘆の感想を思わず漏らした。
《こ奴が日本の副王にして、ワシより前に天下を取った三好長慶か! 小癪な真似を! なる程! その異名に違わぬ面構えと覇気を感じるわ!》
《凄い圧迫感といいますか、テレパシー越しなのに息苦しいです!》
《一見優男に見えるが、身に纏う所作と醸し出す洗練させた雰囲気に覇気。転生前の若造のワシじゃったら気圧されてしまっておるじゃろう。隣の義龍の様にな》
義龍は誰よりも大きな体で、誰よりも萎縮してしまっていた。
義龍も決して素質では負けていないが、長慶と比較して潜り抜けた修羅場の数が違いすぎる。
信長がイレギュラーなだけで、その信長をして経験を前々世との合算で補って、やっと萎縮を免れ対抗していたぐらいである。
本来なら今川義元、武田晴信、北条氏康、長尾景虎など錚々たる面子でも到底適わない天下人の覇気を、三好長慶は纏っていた。
《でも三好長慶は、その功績や活躍に対して正確な事が余り伝わって無いんですよねぇ。武田や上杉の方が資料豊かなぐらいです。決して地味な存在では無いと思うのですがイマイチ人気が無いですね》
《そうなのか? 何がそんなに不人気なのか?》
《とにかく晩年が失点だらけですね。弟の死や松永久秀の暗躍に踊らされたとか……》
《あぁその件か。晩節を汚すと全ての評価が落ちる気持ちは解らんでもないが、少しでも悪いところがあると、全てを否定される評価の風潮はどうかと思うがな》
長慶に対してそんな感想を思いつつ、信長は話し始めた。
「さて、此度は数々の官位を賜り誠に恐悦至極。ささやかではありますが、御礼の品々を献上させていただきます。わが弟信行が腕によりをかけて育てた百舌鳥と、美濃で一番の名馬にございます。どうぞお収めください」
「モズ? はやにえの百舌鳥か? そんなモノをお主の弟は飼いならしておるのか?」
「はい。鷹狩と同じように獲物を狩るように仕込んであります。その体格故に大型の獲物は無理ですが、その代わりに一風変わった狩りが楽しめるかと」
史実の信行は百舌鳥を飼いならし、その百舌鳥を使った狩りの腕前も百発百中であったという。
今回の京への供で、信行に献上品として選ばせた自慢の一羽であった。
「美濃の馬も三好殿に相応しい体躯をしております。特に平地では他を引き離す馬脚を持ちます。戦場で役に立つ事でしょう」
「うむ。ありがたく頂戴しようか。……さて官位に対する礼としての献上品は受け取った。しかし律儀に礼を自ら述べに来たからには他の思惑もあるのだろう? 面倒な腹の探り合いは京の公家共で懲りておるのでな。お互い忙しい身じゃ。時が惜しい故に単刀直入で申せ」
とんでもなく上から目線であるが、それを許される立場と力を有した長慶の態度と言葉である。
だが、それなのにも関わらず不快に思わせない長慶の雰囲気。
何もかもがこの場の全員を圧倒していた。
《あんな猛烈な圧力を掛けて上から目線なのに、腹立たしさがない!?》
《実力のある人間が、実力通りの振る舞いをするのは何もおかしくない。それが自然なのじゃ。じゃから不快には思わん。逆に長慶が卑屈な態度をみせればそれこそ腹立たしいしワシも困るわ》
《そうですね。信長さんが率先して勝家さんの配下になった時は、皆困ってましたからね》(27話参照)
《それはそれじゃ!》
実力に見合わない役職や地位を手に入れてしまった人物は、ある意味とても哀れな存在となり果てる。
係長でも大統領でもその末路は悲惨である。
部下からは常に嘲笑の的にされ、どんなに巧妙に隠しても侮蔑の思いは必ず態度に現れるので、雑な扱いを徐々に受けはじめる。
そういう存在は『祭りの神輿』として担ぎ上げられ、利用される存在なのだが、それを自覚し役目を全うする気概があるなら、その組織はうまく回る。
だが上に立ったと勘違いしてしまうと、何もかもが空回りするどころか、迷惑な存在になってしまう。
史実の足利義昭が良い例であろうか。
義昭は決して無能では無いが、かと言って征夷大将軍として権勢を誇れるぐらいに実力があるかと言えば、残念ながら無かった。
その結果、信長も周辺大名も、振り回しに回され大迷惑を被った。
しかし、今、信長の眼前にいる三好長慶は、実力のある人間が実力通りに、地位で実力通りに振舞っているので、何ら癇に障る様な感情は一切起きなかった。
《いや? むしろ実力に対して地位が見合っておらんな。これならもっと上、それこそ副王としての公式な地位があっても良いくらいじゃ。何せ本当なら足利義藤の配下の細川晴元の配下なのだからな。この迫力は奴らを優に上回っておるわ》
そんな感想を信長は持ちつつ、要件を切り出した。
「では単刀直入で申します。希望する事は3つ。1つ。我らとの軍事同盟。2つ。堺と尾張の交易。3つ。堺への滞在許可。以上でございます」
「ふむ。軍事同盟はお互いに利益がある。我らは東に六角と若狭武田に扇動された将軍様とわが主の細川様が不憫な存在じゃ。斎藤殿は若狭を攻め取る予定じゃしな。牽制してくれるだけでも助かる。よかろう。軍事同盟の件は分った」
(六角と若狭武田に扇動された将軍か……モノは言い様だな)
義龍はそう思ったが、そう言うしかないもの事実であった。
三好は将軍や主君と敵対していても、滅ぼしたい訳では無いスタンスである。
公式な立場では、あくまで細川家の一家臣である。
それなのに主君と争うならば『将軍に手を貸す六角と若狭武田に扇動されている』と言うしかなかった。
「次。堺と尾張の通商か。お主らの版図で扱う物となると何がある?」
「斎藤殿が治めました近江の国友は鉄製品の産地。後は美濃の木材、和紙、尾張の生糸、染料、伊勢志摩の海産物、あとは木綿や大豆を海路経由で……」
「待て。今並び立てた物。特に織田殿、斎藤殿でなければならない理由が無いな。全て我らも入手経路を確保している品じゃ。他に名産品はないのか?」
特産品と呼べそうなのは生糸くらいであるが、そもそもが硝石作りの副産物で、本腰入れて品質を高めているわけではないし、生糸としての質は大陸製品には及ばない。
その他の物も、尾張である必要があるかと言えばそうではない。
長慶の言葉は、信長たちの急所を正確に貫いていた。
(た、確かに! 無い物を売るなら話は解るが、有る物をわざわざ買う必要はないし、尾張美濃でなくとも近隣で調達出来るものばかり! 義弟よどうするのじゃ!?)
「名産品はこれからの発展で生み出していく所存」
「それを待てと? 気の遠くなる話よの。全く旨味のない話じゃな」
長慶は失望を露わにし、それを感じ取った義龍も反論ができず気が気では無かった。
しかし信長は特に慌てる様子もなく口を開いた。
「これは異な事を」
(!?)
「ほう……? 異な事と来たか。ワシの言う事は何か間違っておったか?」
「お戯れを。銭を扱いのし上がって来た三好殿程の方が、気が付いていないはずがありませぬ。自分達だけが潤っていては、何れは破綻するのは目に見えている事を」
国、あるいは自分たちの組織を潤わせるには二通りの方法がある。
一つは相手を制圧し国や場所を植民地化し、物資を根こそぎ奪いつくし、人を奴隷化し、無理やり低コストで働かせ生産させる事である。
もう一つは、お互い物資や銭をやり取りし、共存共栄の道を行く事である。
前者は史実のイギリスやスペイン等の植民地政策が良い例で、メリットとして手っ取り早く一方的に素早く富を産む事が可能である。
デメリットは歴史に大きな傷を残す事になるが、現代と価値観が違うので良くも悪くも不幸といえる。
一方、後者は時間がかかるが、相乗効果でもって発展を促し、お互いが富を安定して享受できるが、デメリットとしては一朝一夕でたどり着ける理論ではない。
日本どころか世界的にも乱世であるこの時代で、目先の利益を追わないのは異端者のうつけだからだ。
「続けよ」
「三好殿は堺を勢力下に置き、銭を扱う道を選びました。また我らに接触し官位を与え影響下に収めました。力を剥奪する様な真似をせず。これは即ち銭と物資の流通で共存共栄を図りたい事の現れ。むろん今の我らの扱う物産は魅力的では無いかも知れませぬ。しかし銭の力を知る三好殿が販路開拓の魅力と将来性が解らぬとは言わせぬ……ませぬ」
信長はうっかり転生した故の『地』をだしてしまって言い直したが、長慶は特に気にする様子もなく聞き入っていた。
そんな些細な事よりも重要な事があったからである。
「……お主、歳はいくつだ?」
「? 19歳になります」
「……お主のその考え、19歳で辿り着ける境地ではないぞ? しかも乱世の武士で。武士は奪ってナンボじゃ。そうであろう?」
事実、大多数の武家は、制圧した土地の物資や人を奪う。
この時代の日本の輸出品はそれなりに色々あるが、その中には『人』も含まれる。
占領下にいた人を売って銭を得る。
義に厚い上杉謙信でさえである。
そうしなければ、食べさせる物が無いからである。
ならば飢え死にさせるくらいなら、売ってしまった方がまだ生き残る可能性もあるので、ある意味慈悲深い行為ともいえる。
「正直驚いた。ワシと同じ考えを持つ者が居ようとはな。もし今のやり取りを手紙だけでしていたなら、ワシはお主を商人で老人と勘違いしていたであろうて」
「ほ、誉め言葉として受け取っておきます」
信長の魂は60年経過している。
むろん商売について信長は、かなり早期から生駒家で学んで身に着けていたが、それでも経験によって学んだ所も大きい。
転生など思いもよらない長慶は、信長の正体こそ見破れないが、年齢と時代に見合わぬ思考に驚きを隠せなかった。
「お主は……危険な男だな」
部屋の気温がグンと下がる―――
心臓を鷲づかみにされ握りつぶされる―――
そんな気がする程の圧力と低い声で長慶がポツリと呟いた。