90-2話 帰蝶のお勉強 信長の苦悩
90話は4部構成です。
90-1話からよろしくお願いします。
一方、信長の教えを受けた帰蝶は作戦を練っていた。
《メンツをどうするか? よね~。潰すか、立てるか、取り持つか……》
《立てても取り持っても改善される未来が想像できませんねー》
ファラージャも想像つかない未来図であった。
《そうなのよ! そうしたところで私を自陣営に取り込む手段がエスカレートするだけよ! そもそも父上も兄上も子離れ、妹離れが出来なさすぎるのよ! 確かに病気が回復したのだから気持ちは分かるし私も嬉しいけど、いくら何でも最近は度が過ぎるわ!》
《じゃあ、もう潰すしかないですねー。でも余りにも潰しすぎるとそれはそれで不憫というか……悪意は無い訳ですし》
《歪んでるけど善意だしね。その善意も歪みすぎて元の形が無くなったけど。う~ん……。潰すのにも気を使うなんて……》
《でも婚姻同盟を説得する時は、メンツなんて考えずに全員徹底的に相手しましたよね》
《あの時はね……あの時……? そうよ! あの時と同じ事すれば良いのよ! ただ、配下の家臣達は今回巻き込まれているだけだからメンツを潰す対象外! そう言う事よ!》
一計を案じた帰蝶は帰省と称して稲葉山城に向かった。
【美濃国/稲葉山城 斎藤家】
帰蝶の里帰りの連絡を聞いた道三と義龍は、我先にと一目散に帰蝶を稲葉山麓まで出迎えたのだが―――
『お、おぉ!? き、帰蝶か!?』
『す、健やかそうで何より……!?』
かつての安藤守就と稲葉良通の策を拝借し、帰蝶は例の蛇と蝶と白一面の甲冑を纏って完全武装で訪れたのである。(外伝3話参照)
『お久しぶりでございます。早速ですが父上と兄上に内密に話したい事が」
『う、うむ。わかった』
道三と義龍は、挨拶もそこそこに地名問題を切り出そうとしていたが、完全に虚を突かれた。
かつて安藤守就が白装束で帰蝶の機先を制しようとした策を、己の悪趣味な甲冑で代用した帰蝶の作戦勝ちである。
守就との会談では、帰蝶に付け入るスキを与えたので策が不発であったが、挨拶もそこそこに主導権を強引に奪ったので、あとはやりたい放題暴れる一方的な蹂躙の場となった。
帰蝶は二人のメンツを潰し、かつ、どちらの味方もしない事を選択したのであった。
帰蝶は二人を叱って叱って叱りまくった。
時には怒鳴り、時には声にドスをきかせ、時には捲し立てた。
《よくもまぁ、そんなバリエーション豊かに叱る事ができますね……》
ファラージャが思わず感心する程に見事な説教であった。
『ではよろしいですね!?』
『はい……』
思ったほど時間が掛からず説教は終了したが、二人には永遠とも思える時間が経過したのだろう。
部屋を出る頃にはすっかり覇気もマムシの毒気も失せ、目も虚ろな抜け殻の様な風体と変わり果てていた。
【尾張国/人地城 織田家】
後に、その現場を遠くから目撃した斎藤利三は、尾張に所用があり帰蝶の帰還と共にして人地城に入ると信長に呼び止められたので、自分が見た限りの顛末を語って聞かせた。
信長は帰蝶に判断を任せたが、まさか完全武装で行くとは思わず、一体何があったのか尋ねずにはいられなかったのである。
『濃姫様の甲冑姿には驚きましたが、それはそれとして親子水入らずの語らいでして、流石に聞き耳を立てる無粋な事はできません。しかし、部屋から出てきたお三方は晴やかな表情でしたので、有意義な時間をお過ごしになられたのでしょう』
『そうか。(絶対違う!)』
遠くから見た利三には判別つかなかっただけで、道三と義龍は表情が死に過ぎて晴やかな顔と誤認した訳である。
『あとは武芸訓練をなさっておいででした。殿(義龍)がお相手をなされましたが、濃姫様に花を持たせたのか勝負には負けました。しかし、負けてにこやかな顔をしていました。その様子を見ていた道三様も同じでした』
『そ、そうか(それも絶対違う!!)』
帰蝶はダメ押しとばかりに、武芸の稽古を強引につけてもらったのである。
それは暗に『過保護に扱われる程にひ弱な存在ではない』と伝えるためである。
説教では、地名変更で自分を巻き込んでまで争う愚を散々に聞かせたので、あとは自分に対する扱いを是正してもらうだけである。
単純だが、身をもって武力で証明するのが手っ取り早いと判断したのが理由の一つと、義龍に勝つつもりなら、意気消沈して魂の抜けた今しかないとの戦術上の理由である。
その結果、当然と言えば当然であったが、怒りの帰蝶にメンタルが死んだ義龍が敵うはずも無く、一方的に打ちのめされたのである。
しかし遠目であった事で表情の判別は実際のところ良く見えず、また、斎藤家最強の義龍が本気を出したら姫鬼神の異名を持つ帰蝶とはいえ勝てるはずがない。
それが斎藤家での常識だったので、利三は『花を持たせた』と判断したのであった。
もちろん、それは事実誤認であり、帰蝶の怒りとそれに伴う武芸の冴えに、震えて乾いた笑いしか出なかったのが真相である。
せめて家臣を遠ざけた事が、メンツを潰す上での最大限の気遣いであった。
元々憎い相手ではない。
ちょっとお灸を据えるだけなので、家臣の前で恥をかかせる訳にはいかなかった。
『あ、それとこの件は正式に斎藤家から連絡が来るはずですが、『今浜』の地名を『今龍』に変更するとの事です。事前連絡ではありますが、留め置き下さる様お願いいたします」
『相分かった。ご苦労であった(これは……恐らく怒りの於濃の相手をした義龍に道三が一歩譲った形か!?)』
信長はそう推測を立てた。
まさしく、それは正解であった。
帰蝶の里帰りで流石に目を覚ました道三と義龍は、道三が鬼の帰蝶を相手取った義龍の勇気を褒め称え、『今龍案』に鞍替えしたのであった。
後は当主と前当主が同じ意見になれば、家臣にとって一も二もなく従うのみである。
それに語感に違和感があろうとも、那古屋から人地に変更になった尾張を思えば、随分と可愛い些細な変更である。
なお、後世に伝わる内容は『斎藤家が今浜を攻め取り頭角を現した今、龍となり天下に名を残した。即ち今龍である』との説が主流である。
何故なら真実が後世に伝わらなかったし、斎藤家の残した手紙にもそう書かれているからである。
真実が残るとは限らないのが歴史なのである。
だが信長だけは真実にたどり着いた。
だから帰蝶に『道三と義龍に何かないか?』と食い下がったのである。
意気消沈した道三と義龍に会うのは信長も嫌だし、義龍に至っては京へ上洛する道中、ずっと顔を合わせるのである。
そう。
帰蝶が美濃に行った理由は前述の通りだが、信長が美濃に向かうのは、昨年、三好長慶から多数の官位を授かった件での礼をする為、同じく官位を授かった義龍と供に京へ向かう為である。
その長い道中、ずっと魂の抜けた義龍など全軍の士気にも影響がでるし、相手もしたくないのが本音である。
故に、帰蝶から何か言葉を引き出したかったのだが、当の帰蝶は怒りを演出する為に、当分無視する腹積もりであった。
信長も帰蝶の政治的判断に『責任を持つ』と明言してしまったが故の、苦悩でもあり後悔でもあった。




