89-2話 願証寺 証恵の試練と暗躍
89話は二部構成です
89-1話からお願いします。
親鸞とは、浄土真宗の開祖である。
本格的に説明すると本が一冊書けてしまうし、作者も浄土真宗で修業しないと正しい教えを説明できないので、かなり大雑把で余談的な話になるが、誤解と間違いを恐れず超要約するばらば―――
親鸞が浄土宗の教えを基に独自の悟りを加えたもので、特徴的なものとして仏教で唯一の『妻帯肉食』が許され、『他力本願』や『悪人正機』という独特の解釈の元で民を救済する教えである。
他力本願というと自分で何もせず他人に頼る悪い意味を思い浮かべるかもしれないが、これは誤用であり浄土真宗由来の仏教用語で、『他力』とは阿弥陀如来を指し、その力によって『本願』を成す。
すなわち阿弥陀如来の願い(本願)で、全ての民を極楽浄土に導かれる事を意味する。
阿弥陀如来の目から見れば、人は誰もが悪人である。
これは『悪人正機』と言われ、阿弥陀如来は悪人であろうと救いの手を差し伸べるのである。
さて、ところで『妻帯肉食』はともかくとして、どこに商売の利権が親鸞聖人の教えに含まれるのだろうか?
キリスト教も同じであるが、浄土真宗も親鸞の弟子が広めた宗派である。
ただ、そういった教えを広めるには、組織的運用が不可欠である。
組織の運営には人や物資が必要である。
人や物資を繋ぎ止めるには銭が必要である。
銭を得るには力が必要である。
力は邪教徒からの弾圧を防ぎ、教えを広める為に必要である。
だから教えを広める為には、浸透し易く都合の良い様に解釈する必要がある。
結局どんなに素晴らしい教義や教えであっても、銭や力、欲望と無関係ではいられないのである。
これはキリスト教や浄土真宗だけの話ではない。
全ての宗教に共通した話で、ある意味仕方のない話である。
教えを説く者も神仏では無く人間なのだから。
ただ重要なのは、本末転倒になっていないかどうかである。
ここを誤った宗教が、名ばかりの救済を掲げ堕落、あるいはカルト化してしまうのである。
では戦国時代はどうだったか?
現代なら常識的なお布施で葬儀や宗教的儀式を行えるが、乱世においては銭と力が最優先である。
その最優先で獲得した銭と力をもって布教するのが、戦国時代の世界情勢であり本末転倒しているわけである。
仮に本当に民を救済しようと頑張る善良な教えがあったとしても、総じて力も銭も無いので細々と地域の端っこで生きていくしかない。
そんな訳で、遥か昔にどんなに素晴らしく救いのある悟りと教えであっても、開祖の弟子によって組織的運営された時点で、しかも教えつつ守る為には、宗教的争いは避けられない運命なのである。
皆が皆、己の宗派が正しいと叫び異教徒を虐殺する。
何故なら聖戦であり正義の行いであり、天国極楽へ行く為の修業である。
人が最も残虐になれるのは、悪事を働くことでも欲望を満たす事でもない。
正義を行使する時なのである。
長々と余談を書いてしまったが、これが戦国時代の日本は当然、世界的な宗教時代背景であり、史実において宗教戦争の撲滅に成功した(恐らく)世界唯一の存在が後にも先にも信長ただ一人なのである。
世界では宗教戦争が今も続いているのに、今の日本は宗教戦争が幸運にも殆ど無縁である(テロやカルト金銭問題があったが)。
その幸運はいつからだったのか?
それを遡った時に辿り着くのが、織田信長なのである。
信長が徹底的に宗教と戦ったから、かなりの数の日本人に宗教アレルギーが根付いた。
信長を嫌う人に『聖職者への虐殺(比叡山焼き討ち、一向一揆殲滅)』を挙げる人がいるが、それが如何に誤解で間違いであるか解って頂ければ幸いであり、正義の反対は別の正義であるが故に人が大量に死ぬ結果となったのである。
なお筆者は宗教を攻撃する意図は無く、この小説もフィクションですと念押しし本編に戻ります。
「何たる事だ! 武家如きに神仏が抑え込まれようとは!!」
そんな信長の方針で、利権を根こそぎ奪われてしまった寺院では、寺から逃げ出す僧が後を絶たなかった。
身も蓋もない言い方をすれば、甘い蜜を吸う事が出来なくなったからで、真に修行や民を救いたい僧侶しか残らなくなっていた。
しかしそれは証恵には関係ない話である。
関所や商売の利権は聖なる教えを民に布教する為に、必要な活動資金を得る重要な役割があった。
関所があれば邪宗派の布教を排除できるし、商売の権益を確保できれば、無用な軋轢を管理し秩序ある売買が可能になる。
また民への貸し付けも重要な活動であった。
布教と活動資金の回収と一石二鳥であり、返済が不可能な程に困窮する家からは口減らしを引き受けたし、罰として奴隷にするのも売るのも救済である。
それに悪質な債務者には、仏罰を下し改心を促すこともできる。
その尊い活動をすべて遮られてしまった。
「これでは……阿弥陀如来による救済を受け入れる土壌ができぬ!」
代わりに雀の涙ほどの維持費で修業を強いられ、確かに生活はできるが、これでは肝心の異教徒、邪宗派の殲滅ができない。
全ては正しい仏の教えを浸透させ、民を極楽に導く為に僧侶に定められた責務であるのに、これでは乱世に苦しむ民を救えないのである。
「異教徒、邪宗派……世に蔓延る邪教徒共を殲滅する尊い戦いを邪魔する、織田のうつけは無間地獄に叩き落してくれる!」
証恵は反抗作戦の最初の一手として、信長の影響力が及ばない三河の系列寺院に檄を飛ばし武装蜂起させた。
今川領ではあるが、目標は織田領内への雪崩込みである。
更に、織田の目が東に向いた隙に、長島でも蜂起する。
信長は近江へ出陣中であり、これ以上無い位のタイミングで行われた作戦であった―――のであるが、最初の一歩目から躓いた。
太原雪斎が迅速にも程がある対応力で、何もさせてもらえずに鎮圧されてしまった。
「太原雪斎……臨済宗め! 権力に取り入り享楽を貪るか! 邪宗派とは言え仮にも仏の教えを説く者がなんたる暴挙!」
何もかもがうまくいかない現実に、証恵は己の信仰心を更に強めた。
つまり、より攻撃的に先鋭化する事にしたのである。
「不幸中の幸いか、各地から逃げ落ちた門徒や、僧侶と新たに教えを広めた領地で門徒の数は確保できておる。あとは狡猾な信長に対抗する指揮官が必要であるが……」
いくら兵がいたとしても、指揮するものが居なければ烏合の衆である。
しかし願証寺はその指揮官の問題もクリアしていた。
一つは北勢四十八家の残党である。
信長の北伊勢侵攻によって叩き出された一部の勢力は、願証寺に逃げ込んでいたのである。
さらにもう二人。
「はっ! 指揮は我らにお任せを。奴は……主家を打ち滅ぼした弾正忠(信秀)の息子にして尋常ならざる大うつけ」
「左様。ここは奴の手口を知り尽くした我らにお任せを」
桶狭間では、信長の弟である信行を篭絡し今川陣営に引き入れた、織田信友に織田寛貞である。
桶狭間での決着後、どさくさに紛れて沓掛城を脱出しており、尾張に居場所がない彼らは願証寺に落ち延びていた。
彼らは斯波義統の下で栄華を誇り勢力を誇ってきたが、信秀の自作自演と信長の機転によって、尾張の元正統支配者の残党となり果てていた。
かつては斯波義統を傀儡として尾張に勢力を誇ったが、最低限主家に対する礼節は弁えていた。
それがあっという間に信秀に蹴落とされ、厳しい流浪の末、再起を図り水面下で動いてきた。
しかし桶狭間での反乱も信長に阻まれた今は、主家への忠誠と信長への憎しみを拗らせ、願証寺に流れ着いたのであった。
「策は慎重を期す為に、僅かずつではありますが、着実に信長を蝕んでおります。今しばらくは耐えて頂きたく」
「我らを受け入れ救ってくださった証恵様に、必ずや報いて見せます。かつて親鸞聖人も苦難の道を辿ったと聞きます。しかし苦難の果てに今の浄土真宗があるのは証恵様に改めて言うのは野暮ですかな」
「うむ。そうであるな。聖人の苦労に報いる為に、阿弥陀如来の救済を実現してみせようぞ!」
証恵はおよそ僧侶なしくない強面で尾張を睨み、呪詛のような念仏を唱えるのであった。