10話 後継者
【尾張国/那古野城 織田家】
無事(?)、織田家と斎藤家が婚姻同盟を結び、帰蝶は信長の治める那古野城に移り住み、貴人とは思えぬ程積極的に城に勤める者達と会話をしたり、色々な場所を練り歩いた。
前世では病弱だった故に、自身の寝所と最低限生活に必要な場所しか把握しておらず、目に映る全てが新鮮であった事が原因である。
「殿、これは何ですか?」
庭木を指さして尋ねる。
「殿、あれは何ですか?」
城下町の店先で売り物を尋ねる。
嵐の様な質問攻めに内心辟易とする信長であったが、それでも病弱だった前回を知る信長は可能な限り質問に答え一緒に城や城下町を回った。
「これで若殿の素行さえ改まってくれれば織田家も安泰だ!」
そんな仲睦まじい二人を見る家臣や町の人々は、非常に好意的に見ていた。
戦国時代でも屈指に豊かな尾張は、民にとって安住の地であり、この地の実力者である信秀の政治を高く評価している。
名目上とは言え斯波家が尾張の頂点なので、あまり大きな声では言えないが、信秀に尾張を統一して貰いたいと願っている程、人気抜群の領主であった。
当然、この政治力を後継者には引き継いで貰いたい。
今のところ後継者候補は3人。
側室長男の織田三郎五郎信広。
正室長男の織田三郎信長。
正室次男の織田勘十郎信行。
順当にいけば、この中の誰かが継ぐはずである。
今のところ、家臣や民が予想する後継者争いの本命は、織田信広である。
既に軍事作戦にも携わり、何事もそつなく出来ている。
このまま成長すれば、父の信秀に勝るとも劣らない支配者になるはずである。
難点があるとすれば側室の子である、という事実である。
誤解のないように書くが、戦国時代において後継者になるのは正室側室関係なくチャンスはある。
何故なら跡継ぎが長男と決められたのは江戸時代になってからであり、暴論を言えば優秀な者は必ずどんな立場だろうと後継者になれるし、後継者になれなかったのは劣っているだけなのだ。
もっと極論を言えば勝てば正義、負ければ悪の理論だ。
それが戦国時代である。
ただ、選ばれなかった子は考え選択する。
1.後継者の才能に心服し絶対の忠誠を誓う。
2.観念し服従して機会を待ち、自分は無理でも子には本家を継がせるべく画策する。
3.『側室の子の分際で』『兄より優れた弟なぞ存在しない』『自分より劣るくせに』と反乱を起こす。
史実で信長が後継者になった時、信広、信行とも『3』を選んだ。
だが信広は『3』を経て『1』となった。
しかし信行に至っては2回も『3』を選んで信長に誅殺された。
しかし、この手の争いは別に織田家が特別な例ではない。
他家でも辿る道は違えど、似たような事が必ずと言っていい程存在する。
武田家、長尾家、今川家、伊達家、大友家―――枚挙に暇がない。
尾張の民の懸念は、信広が後継者争いに敗れた時に反乱を起こす事である。
そうなると豊かな尾張が割れてしまい、他家に蹂躙される隙を生んでしまう。
しかし、ただ一番先に生まれた長男だからという理由で家を継げば弟達が『側室の子の分際で』となりかねない。
民の願いはただ一つ。
誰が継いだとしても圧倒的な才能で他の後継者候補を心服させる『1』なのである。
今のところ信広は弟達との関係も悪くない。
信行は懐いているし、信長に至っては仲は悪くないが『うつけ』なので兄、弟に比べて家督争いに一歩どころか何十歩も遅れている状態で、後継者候補に名は連ねても大穴である事は間違いない。
100人中100人とも信長に賭ける人は居ない。
中国の諺に『奇貨居くべし』という言葉があるが、信長は『奇貨すぎる』のである。
しかし大穴である以上、可能性が無い訳では無い。
その薄い可能性の根拠もある。
それがあるからこそ大穴の可能性、つまり不安を払拭できないのだ。
その可能性とは、信秀は『うつけ』と名高い信長に那古野城を任せているのだ。
もちろん政治や治安は配下の家臣が行っているが、破格の好待遇であり『うつけ』行動をとっても那古野城主は変わる気配もない。
しかも最近、信長は美濃国主の斎藤家という強力な後ろ盾を得た。
ただし磐石なのかと言えばそうでは無い。
信長が後継者になると『うつけ』故に斎藤家に尾張が乗っ取られる可能性がある。
利政は蝮と呼ばれ、主君を追放して美濃国頂点に上り詰めた梟雄で、息子の義龍も傑物らしい。
今は主君の信秀が健在で同盟を結んだばかりなので大人しいが、信秀没後は不透明である。
もし斎藤家がその気になれば『うつけ』の信長など赤子の手を捻る様なものであり、その結果、尾張がどうなるかは火を見るより明らかだ。
家臣も民も理想はこうだ。
信広が圧倒的実力で織田家を継ぎ、懐いている信行はそのまま腹心に、信長は素行を改めて信行に従えば良し。
仮に信長が反乱を起こしても、信長なら大した事はない。
この様な状態が大変望ましいのだ。
だから信長が素行を改める兆しを見せ始めた時、家臣も民も歓喜した。
正直、一番難しいと思われていた部分が治り始めたのだから。
ところが―――
馬に乗って疾走する姫様を見た―――
那古野城下町に、そんな怪情報が聞かれる様になった。
しかし、それを初めて聞く町人は一笑に付す。
「何言っとりゃあせ。あんなお淑やかなお姫様が馬ん乗って走り回っとるって、何ゆーとるだぎゃあ」
「そうだがね。おみゃあさん狐に化かされとりゃあす」
「てゃぁぎゃぁにしとかんと、間者だちゅうて城につきだすでよ」
しかし一人二人とその颯爽たる姫の雄姿(?)を見るにつれ、怪情報が事実だと知れ渡り考えが傾いていく。
「ま、まぁアレだがね。この乱世で大人しい、ひ弱な姫様よりは好感が持てるがね……」
町人達は自分を騙すかの様に言い聞かせる。
だが、そんな町人の期待をブチ壊すかのように、今度は先頭に帰蝶、後ろに信長、さらに後ろに悪童仲間の騎馬が駆け抜けていく。
さながら現代の暴走族の様であった。
「どいてどいて~! 危ないわよ~!」
「お、於濃、待て!」
「姉御~! 早いっす~!」
「えぇ……」
家臣も町人は困惑したが、それもやむを得ない事情があった。
帰蝶は病弱だった前世の記憶がある。
従って、今が楽しくて仕方がない故の暴走なのだ。
しかし、それを知る信長は一定の理解を示しつつ、それでも振り回されているので、事情を知らない他の人間にはたまったものでは無かった。
「平手様、誠に……誠に申し訳ございませぬ!」
帰蝶の女中頭は平手政秀に平身低頭謝罪している。
「い、いや、まぁ気にする必要はござらぬよ。今更一人お転婆……いや逞しい者が増えたところで問題は無いゆえ……」
顔を引きつらせつつ答える政秀。
信長の『うつけ』は策である事を知っている。
しかし姫も暴走するのは予想外だった。
(本当に策ですよな? 若?)
胃が痛みだした政秀であった。
そんな様子が周知になるにつれ、信長、帰蝶、政秀の思惑を知らない町人は、眉をひそめて確信する。
後継者は信広だと。
ある意味織田家と町民は纏まりつつあったのだった。
ただ信長と帰蝶はこの乱世おいて似合いの夫婦であり、その点は民のある意味希望として受け入れられた。
そんな折、主君たる信秀が那古野城にやってきた。
大広間に信秀は入り、信長、政秀、帰蝶が集まる。
襖は全て開け放たれ、誰も立ち聞きしたりする事が出来ない警戒ぶりだ。
主君の身を守るべき小姓も、声が聞き取れない位置まで遠ざけられている。
「うむ。楽にせよ」
信秀は告げた。
威厳たっぷりの佇まいだ。
さすがは尾張最大の実力者である。
「さて先ずは濃姫殿、婚姻の儀以来であるが、健やかに過ごせておるかな? 尾張は如何かな?」
「はい! 皆様には可愛がってもらい何不自由なく過ごさせて頂いております。義父上の治めるこの地はとても素晴らしく、毎日が新鮮です!」
「うむ。それは良かった(嘘ではないな。本心から楽しんでおる様だ。一時病気と聞いておったが、心配は無用であるな)」
信秀はその様に受け取り相好を崩した。
ちなみに信秀は、馬に乗って疾走する帰蝶の情報は知らない。
(本当に何不自由ないから困る)
信長は顔には出さなかったが、心の中で毒づいた。
信秀は前回の歴史では、帰蝶のあまりの病弱ぶりに驚き、息子信長同様、義理の娘の為に色々手を尽くした。
帰蝶はその恩を返す為に、今度は織田家の為に奮戦するつもりでいる。
「義父上! 若輩ではありますが、誠心誠意織田家の為に尽くします!」
帰蝶はやれる事は全てやる気でいる。
信長がフライングし5年後に帰ってくるまでに、戦国時代の常識は薄れ、未来の常識を手に入れていた為、本当にやれる事は全てやるつもりでいる。
「うむ! 頼もしいな! 期待しておるぞ! やはり信長には勿体ないわ! ハハハ!」
なお、信秀は後に自分の発言に後悔する。
信秀は自分の常識の範囲での活躍をする帰蝶を期待をしていたのだが、その常識範囲を軽々と飛び越え活動する姿を見て。
「さて三郎(信長)よ! 相変わらず『うつけ』を励んでおるようだな? 末森城にもお主の蛮行は轟いておるぞ!」
「はっ! 計画通りです」
「中務丞(平手政秀)!」
「はっ!」
「姫もそうじゃが、お主がここにおるという事は、三郎の信任を得たのだろう? 今まで黙っておって済まなかった」
「大殿! そんな滅相もない!」
信秀は信長が、常人とは違う目線で世を見ている事に気づいた事を話した。
最初はただの我儘小僧だと思っておった事。
しかし、これはこれで他国を欺く策になり得ると気づいた事を。
集めた悪餓鬼が、戦力として申し分ない事を知った時の事を。
「……と言う訳で、これは策を知る者が少なければ少ないほど、効果的な策なのじゃ」
「今では承知しております故、問題ありません。ただ、最初若に打ち明けられた時は、また騙されているのかと思っておりました。正直今でも信じられない思いです」
政秀は信長に打ち明けられた時を思い出す。
「わかるぞ! ワシだって度肝を抜かされたわ。当時10にも満たない子がこんな事を考えてるとは誰も想像できまいて」
「まったくもってその通りで」
二人は自分が10歳だったころ、何をしていたか思い起こしたが、今考えれば信長に比べたら、非常に無難な少年時代であったと思い出した。
「だからこそ、この策はとてつもない価値を秘めておる。じゃが三郎よ。お主がこのまま埋もれた場合、策に価値がないどころか、後世まで笑い者よ。当然家督など継げるハズが無い。理解しておろうな?」
「はっ!」
(笑い者になれば未来において『信長教』は無くなるか? これが一番手っ取り早いんじゃないか?)
勿論、未来永劫笑い者になるのは我慢ならないので、その考えはすぐに頭から消し去った。
「三郎五郎(信広)も悪くはない。このまま育てば無難に何事もそつなくこなせるじゃろう。だが、ただそれだけじゃ。悪くはないが三郎の策を知ってしまった以上物足りない。勘十郎(信行)はまだ未知数じゃが、普通に育つなら三郎五郎と大差無いじゃろう。つまり、お主が結果を出し続ければ次期当主とする。失敗すれば三郎五郎か勘十郎じゃ」
信秀はこの場にいる人間にだけとはいえ、明確に信長を後継者有力候補と指名した。
家中の者が聞けば爆弾発言に等しい。
故に周囲に誰もいない環境を作り出していたのだ。
「精進してうつけよ!」
「は、ははっ!」
信長はとりあえず安堵した。
歴史が狂い始めているお蔭で、家督継承すら出来ぬ可能性を考えていたので無理もない。
(歴史は変わっても、親父殿は親父殿のままじゃ! 今思えば自分の家督継承は波乱の連続であったな。弟に裏切られ、兄に裏切られ、家臣に裏切られ母親すら弟に与する始末……)
全て『うつけの策』のマイナス面が原因であるが、当時は必要経費と思って粛々と鎮圧していった。
しかしその必要経費は安くはない。
相手は自分の家臣でもあり、自国の農民であり、兵士なのだ。
普通の合戦は打ち取れば打ち取る程有利になるが、内乱は逆に家臣が減り、生産者が減り、兵力も減り被害甚大なのだ。
家を纏めるには必要なのかもしれないが、プラス面はわずかでマイナス面は途方もない。
つまり無駄極まりない戦であり、回避できるなら、そうするべきなのだ。
内乱が多ければ国が疲弊し崩壊する。
そんなデメリットを思い浮かべた時、信長は足利将軍家を思い出していた。
内乱についての端的な例。
それが足利将軍家なのである。
その崩壊の最初の切っ掛けが応仁の乱である。
各地の大名に好き勝手暴れてもお咎めがない事がバレてしまった瞬間であった。
将軍の威光が地に落ち各地の国人は好き勝手領土を広げ日本は未曽有の戦乱期になった。
将軍家は収入も激減し屋敷の修繕も自前で出来ない程、没落してしまった。
こんな将軍家に近づく者はひと癖もふた癖もある輩で、信長などはその筆頭だが、誰もが本来主君であるべき将軍を蔑ろにしていた。
13代将軍の足利義輝などは、むしろ傾き倒れたた足利将軍家の威光を一時的に盛り返した有能な将軍であったが、生まれた家とタイミングが悪過ぎたとしか言いようが無い程、苦労の連続であった。
(もしも他家に生まれていたら、侮れない勢力を持つ大名になっていただろう)
その様に信長は義輝を評価している。
(そう言えば、前回は一度義輝と会っているな。あの時は大した事は出来なかったが、今回は何か出来ぬものか……?)
大幅に歴史を変えるつもりでいる信長は、頭の片隅に足利義輝を留め置いた。
話がそれたが、信長は本来見過ごす事が出来ない程メリット皆無の内乱を柴田勝家と弟信行にやらせるつもりでいる。
そうしないと信行はともかく、勝家が自分に忠誠を誓う切っ掛けが永遠に来ない可能性があるからだ。
勝家は間違いなく使える手駒である為、マイナスを補って余りあると信長は評価している。
何とか自陣営に引き入れたいが、可能な限り被害を抑え、なおかつ2人に格の違いを見せつける策を考える必要がある。
前回の経験があまり通用しない転生後の世界で、如何にして二人を屈服させるか?
(今、目の前に居る父、信秀ならどうするだろうか?)
後継者有力候補となった信長は、当然候補止まりで終わるつもりはない。
認めさせる時は、一撃で相手の心をへし折って認めさせる算段だ。
信行や勝家が裏切る頃には、信秀も没しているだろうが、魂の存在を未来で知った信長は腕の見せ所であると感じるのだった。