89-1話 願証寺 証恵の苦境
89話は二部構成です
89-1話からお願いします。
【伊勢国/長島 願証寺】
願証寺3世である証恵は、時代のうねりとでも言うべき激動の乱世に翻弄されていた。
「今こそ、今こそ信仰心が試される時! 浄土への道を妨げる悪鬼織田家を倒さねばならぬ!」
史実にて、信長率いる織田家を散々に苦しめてきた、一向一揆の主導者である本願寺と願証寺。
織田家の支配地域の目と鼻の先に存在する願証寺は、尾張、美濃、伊勢に広がる本願寺系列の寺院を統括する立場であった。
したがって、証恵が一声激を飛ばせば、この三国の門徒が一斉に立ち上がる。
武家の支配とは別種の支配力を有する寺院故に、武家の動員力とは桁が違うし、命令の強制力も武家の比ではない。
宗教が科学よりも絶対的な存在であるが故に、可能な行使力である。
僧侶とは、神仏と対話し民を導き救える存在であり、また、信仰を守り、他の異教徒や弾圧者から宗派を守る存在である。
地域の支配しか頭にない武家とは、比較にならない尊い存在だ。
しかし―――
現在、決定的な敵対や失策をした訳では無いのに、気が付いたら存続の危機に立たされており、願証寺をとりまく状況は史実よりも悪化の一途を辿っている。
本来の歴史ならば織田家も尾張で燻って、今川の脅威に晒されながら滅亡を待つだけの弱小勢力のはずである。
伊勢北部も北勢四十八家の小粒勢力が乱立しており、願証寺にとっては布教を阻む勢力など無い。
それ所か争う相手は、武家なら領土を巡って他の武家と、寺社なら教義を巡って他宗派の寺社と争うのが基本である。
基本的には、寺社と武家が争うのは余程の軋轢があった場合の例外で、そんな場合でも最後に決着する形は武家の泣き寝入りである。
何故かといえば、結局神仏に刃を突き立てる事など不可能なのである。
例え寺社側が不利になっても、本拠地や信仰地に立てこもってしまえば、武家は手出しが出来ない。
例外はほんの僅かで、史実にて寺社の聖域まで攻撃したのは、信長や細川政元、足利将軍家六代目の足利義教などで、断固戦ったのは数える程しかいない。
しかし今は、信長の施行した天下布武法度によって、苦境に立たされていた。
最初は特に敵対も、かと言って親密でもない普通の関係であった。
しかし織田家尾張内乱を制し、信長に代替わりして、風向きが変わった。
1547年の事である。
【6年前 1547年 信長家督継承後】
『関所が襲撃された!? どこの無法者か!?』
最初この報告を受けた時、野盗の類が身分を弁えず愚行を犯したと思った。
というより、それしか思いつかないし有り得なかった。
教養も無く、善悪の判断もつかなくなった野盗なら理解できる行動であったからだ。
しかし、続いた報告は耳を疑うものであった。
『は、はい、それが……織田弾正忠家の『うつけ殿』との事です……』(外伝12話参照)
『は!? 織田家!? しかもあのうつけ殿か!? ……あのうつけ殿か。そこまでうつけであったか。ならば仕方ない。しかし……救いようが無いな。弾正忠(信秀)殿の心労を思えば様子見がよかろう。織田家に恩も売れるしな』
その後次から次に舞い込む報告を聞くと、どうやら本願寺宗派に限った話では無いが、信じ難い事に、寺院や土豪が設けた関所を襲撃しているとの報告を受けた。
『仏法どころではないな。それ以前の問題じゃ。教養や常識が無いのはこうも恐ろしいとは。織田家には抗議の使者を出せ。信秀殿なら話も通じよう。それで終いじゃ。寛容な心も御仏に通じる心じゃ』
こうして寛大な心でこれを許した。
うつけ故の一過性のものだと判断したのである。
痛い目を見せる必要はあるが、織田家程度どうとでもなる力の差もあった。
大体、こんな事を繰り返しては遠からず自滅するのは目に見えている。
だが―――
そうはならなかった。
【現在 伊勢国/長島 願証寺】
「今思えば……寛大な心を持った事が間違いであった……」
あの時、徹底的に織田家を叩き潰しておけば、後の苦境は存在しなかったが、後の祭りである。
次に関係を持ったのが、織田家の稲作に対する神仏の援護依頼であった。
だが、これも裏切られた。
結果が出なかったのは信長の不信心が故なのに、不正と断じられ寺院を破壊されてしまったのである。
いくら何でも、これには目を瞑る事が出来なかった。
本来であれば大切に保護されるべき、自分達に対する粗略な扱いと、弾圧行為を許せようはずがない。
その報復として、桶狭間に出陣した隙をついて周辺を願証寺の支配下に置いた。
当然の報いである。
しかし、それなのにもかかわらず、『なんのつもりだ!?』と間抜けな書状が送られてきたので無視した。(57話参照)
今までの愚行を詫びる所か、恥じる事もなく言ってのける信長の無神経さにあきれ果て確信した。
織田家はもはや、仏の教えで救えない悪鬼なのである。
そんな織田家から、この地方を震撼させる世紀の悪法が施行された。
まさに厚顔無恥にも程がある天下布武法度の施行である。(58話参照)
これには呆れを通り越して、絶句するしかなかった。
「……ッ!? ほ、仏の教えを制限する、だと!?」
正に前代未聞にして、驚天動地の法であった。
「……邪教徒や仏の解釈を間違った他宗派が、我らの主張に異を唱えるのはまだ理解できる」
道を誤った者を折伏(仏教用語。悪人や悪法、他宗派を論破し改心、入信させる事)するのが、宗教に携わる者の役目の一つであるからだ。
自分の信じる宗派から見れば、異教徒や他宗派すべて広義の意味で折伏対象であり、エスカレートすれば宗教戦争にまで発展する。
これは、現代の日本でも世界でも基本的には変わらず、かつ、根幹にある問題である。
しかし、宗教団体に属さない武家が口出しするのは、先に述べた信長、細川政元、足利義教ぐらいである。
「しかしこれは無法にも程がある! 細川政元、足利義教同様に仏罰が下ろうぞ!!」
史実において細川政元、足利義教は暗殺で命を落としており、前々世の信長も含めて仏罰が下ったとまことしやかに噂された。
「もはや許せん! 関所の襲撃に、豊作祈願に対する仕打ち、さらに今回の法度! 仏の顔も三度まで! 織田の天下布武法度は言語道断の悪法! 我らに対する数々の略奪と破壊行為は当然見逃せぬが、教えに対する介入は断じて捨て置けぬ!」
そう息巻いて活動を過激化させたかったが、信長の素早い行動に後手後手に回ってしまっていた。
天下布武法度によって信長の影響力が強い地域では、関所が撤廃され、商売の利権を奪われ、武器防具も奪われ寺に押し込められてしまった。
そんな暴挙に対し証恵は必死に激を飛ばしたが、反応は芳しくなかった。
信長の暴挙が民の暮らしと生活を向上させ、はっきり言って寺院の横暴にも不満を募らせていた為に、暖簾に腕押しとでも言うべき反応しか返ってこなかったのである。
「このままでは親鸞聖人の教えが途絶えてしまう!」
想像する事さえ罪深い最悪の展開に証恵は恐怖するしかなかった。