86話 三好長慶
【越前国/朝倉家 一乗谷城】
「―――という訳で浅井家から何人か行って貰いたい。人選は任せるが、なるべく若手がよかろう。また、その中には必ず猿夜叉丸(浅井長政)を入れる様に」
一乗谷城の一室で、朝倉延景(義景)が浅井久政に命令を下した。
「将軍家に向かうのは構いませぬ。むしろ自分にとっては望むところであります。しかし……猿夜叉丸ですか?」
「うむ。これは別にお主ら浅井に対する嫌がらせでも、追放といった処罰でもない。これから暫くは一向一揆はともかく、この辺りで激しい戦乱はしばらく無い」
朝倉宗滴が主君の後を継いで話し始めた。
事の発端は、去年の戦で松永久秀が朝倉の陣に来た時の話である。
【1552年 近江国/田部山城 浅井朝倉陣営】
朝倉は織田斎藤連合軍と和解するに辺り、三好家の松永久秀から停戦要請を受けていた。
要約すれば『将軍も管領も追放し権力を失った。しかし改めて三好が越前朝倉の力と功績を認め越前守護を追認するので、戦を止めてください』である。
朝倉氏は越前を力で奪って守護に任じられた一族であるが、その任じた本家本元が有名無実となってしまった。
それを改めて、天下人三好長慶が保証すると確約したのである。
朝倉は越前1か国の支配に対し、三好は7か国以上の支配と10か国に及ぶ影響力を及ぼす次元の違う力を有している。
どんなに腹立たしい命令であろうとも、公然と無視できる勢力ではないのである。
正式な家臣でもなければ支配下にある訳では無いので、形式的には要請であるが、もちろん『お願い』ではなく『命令』である。
しかし朝倉にとって、そんな強大な三好が朝倉と越前支配を認め、関係を持とうとしているのは、決して悪い事ばかりではなかった。
それ故に延景と宗滴は損得勘定の下で、三好の提案を飲み織田斎藤軍と和解したのである。
その際、松永久秀から織田家と斎藤家に官位が渡される情報を得ていた。
『これは……暫く織田も斎藤も大人しくなるな?』
『三好は織田にも斎藤にも官位を与えて、己の影響下に置こうとしておるからのう。否定はできん。少なくとも表立った露骨な戦は若狭侵攻は別として、しばらく鳴りを潜めるじゃろう』
延景の問いに宗滴も同意し厳しい顔をした。
だが三好にやられっぱなしの朝倉宗滴ではなかった。
『だからこそ我らも動ける事をしなければならん。例えば……風前の灯である将軍家への密かな援助は出来よう』
将軍家への援助を行う―――
何も間違っていない行動である。
すべての武家は将軍の家臣だからである。
例え有名無実であっても。
【現在 越前国/朝倉家 一乗谷城】
「困窮する将軍家を援護する事と、争いの間近に身を置く事により次代の者を鍛えたいと思う。無論朝倉からも人は出す」
コレが前述の浅井久政への命令の理由である。
「はっ! 見事将軍家への忠義を果たすべく動きます!」
朝倉は三好の影響下に入りつつ、密かに将軍家の支援を行う事を決定したのである。
将軍家に愚直に忠誠を誓う浅井久政にとっては、願ってもない命令であった。
その久政が退室した所で延景が口を開いた。
「……で、浅井への建前はあんなところか?」
「うむ。この乱世、三好も将軍家も織田も、あるいはそれ以外か? ともかく予断を許さない事ばかりじゃ。浅井には『暫く戦は無い』と断言したが、そんな事はありえんし判らん。明日にでも何か起きる可能性も有る」
「まぁ……そうじゃろうなぁ。戦が無いって、そんな夢の様な時代が来ればいいなぁ、と常々思うわ」
夢の様な時代―――
史実の朝倉義景は、どちらかというと領土拡張よりも自国の発展に重きを置いた大名である。
その結果一乗谷城は文化の栄華を極め、京の公家が越前の地を羨み、宣教師ルイス・フロイスもその発展具合を絶賛したのであった。
「うむ。しかし、そんな時代の維持にも力は必要じゃ。もしもの時に備えない領主など存在意義が無いわ。それに武器を持つだけが戦という訳でもない。謀略も立派な戦じゃしな。戦が無いなら無いで難しいのじゃ。ならばやれる事はやっておくべきじゃろう」
「なるほど……」
「それに建前ではあるが、将軍家への援助は選択肢としては決して悪くない。三好は将軍家を潰すつもりでは無さそうなのでな」
史実において幕府、即ち武家政権は鎌倉、室町、江戸と3回成立し3回滅んだ。
その勢力や盤石具合の程度の差はあれど、鎌倉の執権北条家の滅亡には後醍醐天皇が。
江戸の徳川将軍家の終焉には、薩長の倒幕軍が朝廷からの密勅を受けており、武家政権の終焉には少なからず朝廷、天皇の意思が働いている。
では戦国時代の『室町の足利将軍家は?』と言うと、最終的に信長が滅ぼしはすれど、それまでにもヨレヨレになった足利将軍家を倒す機会は山程あったが誰も倒してはいない。
松永久秀などは三好三人衆と供に将軍を殺したが、それは倒幕ではなく新しい将軍を擁立する為である。
その主君である三好長慶も、敵対はしても己が完全に取って代わる事は遂に無く、そんな意味でも三好長慶は『日本の副王』なのであった。
将軍家を滅ぼすというのは、そんなにも恐れ多い禁忌なのだろうか?
将軍の任命も天皇なら解任も天皇の仕事との考えで、腐っても天皇の任命した権威に対する配慮や、悪名を被るのを恐れたのだろうか?
確かに大それた事であるのは間違いないが、天皇家に寄生した藤原氏、鎌倉政権を牛耳った北条氏の様に、己は頂点に立たず、ナンバー2になって権力を骨の髄までしゃぶり尽くすのが、日本の伝統芸能だからだろうか?
史実の信長も相当の我慢をした形跡もあり、その信長を除いて誰もが最後の一線を超える意思を見せなかった。
そんな訳で宗滴は『三好の将軍潰しは無い』と判断したのである。
では何がしたいかは不明だが。
「三好は何がしたいのかのう? 三好と関係を持ちつつ内情を探りつつ、将軍家も密かに援助する……。爺は……将軍家が持ち直すと思うか? それとも……」
延景は『それとも織田家が取って代わると思うか?』と聞こうとして止めた。
余りにも荒唐無稽で現実感が無く、しかし、可能性を感じさせる織田信長の存在感に、ソレを聞いたら己の負けを認めるようで憚られたのであった。
「ワシは全ての可能性を否定はせん。言ってる意味は分かるな? ならばそういう事じゃ」
そんな訳で、朝倉宗滴は将軍家を支援し三好の天下の足元に楔を打ちつつ、万が一将軍家が復活した時の為の備えである。
この朝倉家の判断は三好家には気づかれていない。
ただ、三好家が武田家にも影響を及ぼしている事は宗滴をもってしても気づけなかったが、お互いそれらを把握するのは暫く後の話である。
だが―――
宗滴も延景も、久政も猿夜叉丸も、三好も信長さえも、誰も彼も予測出来なかった偶然が起きた。
【近江国北西/朽木館 足利将軍家】
それは浅井家から、実際に人が派遣されてきた時の事である。
将軍陣営は人材提供を、涙を流さんばかりに喜んで受け入れた。
これから巻き返そうと意気込んだのは良いが、何をするにも人材が不足しており、動くに動けない状況であったので、正に天の助けであった。
そんな浅井家の面々と面会した足利義藤(義輝)と細川晴元は、見覚えのある1人の少年に目が止まった。
「お主……。猿夜叉丸、なのか?」
「あれ? 足立の兄ちゃんに、川元隊長? 何でここに居るの? ソコは将軍様の座る場所だよ?」
将軍と管領に対する、幼子の無礼極まりない発言に周囲は恐れ戦き、将軍に絶対の忠誠を誓う久政は泡を吹いて倒れた。
義藤、晴元、猿夜叉丸以外に『足立』や『川元』の意味は分からず、特に『将軍様の座る場所だよ?』の言葉を『お前は将軍の器じゃない』との意味で捉えた為であった。
足立とは足利義藤、川元とは細川晴元。
織田家の親衛隊に身分を偽って、修行に明け暮れた時の偽名である。
猿夜叉丸も親衛隊での訓練を受けていたので、二人とは顔見知りであり、当時は気軽に接する間柄、と言うより、親衛隊の特異な性質上身分の上下は有って無い様なものである。
信長の兄弟と、斎藤道三の子供たちと行動を共にする猿夜叉丸は、むしろ一目置かれた存在であり、義藤や晴元よりも年齢的な物もあって大事に扱われていた。
浅井や朝倉から派遣された面々は、猿夜叉丸を奪還した折に事情聴取を行い、どんな生活を送っていたか聞いていた。
だが、猿夜叉丸も知らなかった将軍と管領の存在には、流石に察知できず、結果、子供とは言え無礼千万の物言いに青ざめたのであった。
「ブフッ!! ハッハッハ!! こんな偶然があるのか! のう! 右京(晴元)!」
「ハッハッハ! 全くですな!!」
無論、義藤は猿夜叉丸を罰するような事はしなかった。
むしろ周囲の心配を他所に、義藤、晴元、猿夜叉丸は懐かしい日々を思い出して、他の誰よりも親密に打ち解けるのであった。
「ようやく、ようやく三好に対して反撃できる人材が揃った! 織田で学んだ事を生かす絶好の機会は今ぞ! まずは朽木周辺を手中に収めるべく行動を起こす! 我らは、農民、流人、この地に住まう全ての人員を動員する! 農業に軍事に政治! 徹底的に動くぞ! まずは治安じゃ! ワシ自ら行くぞ!」
治安が安定すれば領民が安心できる。
領民が安心できれば人口が増える。
人口が増えれば農作業もはかどる。
農作業がはかどれば年貢も確保できる。
年貢が確保できれば人材を維持できる。
人材が維持できれば軍を編成できる。
軍が編成できれば反撃ができる。
反撃ができれば将軍家を再興出来る―――かもしれない。
義藤が織田で学んだ政治と軍備の基本であり、さらに余力ができれば専門兵士たる親衛隊も組織できるかもしれない。
琵琶湖を活用して商いも手掛ける事ができれば、加速度的に力をつけられるハズである。
暗雲立ち込める将軍家に差し込んだ一筋の光明は、暗雲を吹き飛ばし、一気に草木を芽吹かせる恵みの如く力強い光となった。
久しぶりの明るい話題に、義藤と晴元は笑いが止まらなかった。
その苦境に立たされているハズの将軍陣営の予想外の明るさに、朝倉浅井家の面々はどう反応してよいか困ってしまい、猿夜叉丸は久しぶりに会えた足立と川元隊長と共に笑い転げていたのであった。
そんな将軍家の反撃作戦は果たして上手くいくのか?
戦国時代の覇者となった三好長慶もまた、静かに動き始めていた。
【山城国/三好家 三好館】
「これで東の主だった勢力には、殿の慈悲と力が伝わったかと」
上座に座った一人の男が、松永久秀からの報告を受けていた。
阿波国(徳島県)より勢力を拡大し、将軍家に使える細川家の家臣の身から内紛を制し、戦国時代にて天下を手中に収めた三好長慶である。
斎藤義龍に『家臣としての質が高すぎる』、武田晴信に『優雅な振る舞いが鼻に付く』と言わしめた、松永久秀をも従える長慶の人生は、正に激動ともいえる波乱の連続であった。
10歳の時には細川晴元に従う三好政長に父の元長を謀殺された。
それでも一族を維持する為に、父を殺した元凶の主君である晴元と和解する。
12歳の頃には、これまた父殺しの元凶たる一向一揆との和解交渉に携わった。
甘えの許されない戦国時代と、一族の緊急事態という事を差し引ても余りある、激動過ぎる人生を己の才覚で突破し頭角を現した人物である。
以来、戦に交渉に謀略に八面六臂の大活躍を果たし、数々の己に降りかかる不幸や理不尽な仕打ちにも心折れず、忍耐の末に勝ち取った栄光である。
例えるなら超早熟型の徳川家康とでも表現するべきか、忍耐力と溢れる才能を持って、天下を手中に収めるべく収めたと断言できる程に超人的な人物である。
「これで東の小うるさい者共は大人しくなろう。弾正(松永久秀)、大儀であった」
だが、そんな絶望的な苦労人生を感じさせない、穏やかで爽やかな声が響く。
こんな権謀術数渦巻く中央で長年を過ごし成長すれば『朱に染まれば赤くなる』の如く歪んでしまいそうである。
だが長慶は、決して歪む事なく、声を聴いただけで人となりが理解できる、そんな安心感を与え、かつ威厳も備えた不思議な声であった。
三好長慶は、己の受けた仕打ちや運命への不満の捌け口を、決して部下に理不尽に転嫁しない、乱世にあるまじき理想的な主君でもあった。
故に家臣達も全力で主君を支え、裏切りが当たり前の乱世において絶対の忠誠を誓うのであった。
それは、現在において裏切りの代名詞とも言われる松永久秀も例外ではない。
「さて、当面の問題である将軍家の様子はどうか?」
松永久秀に代わり、弟の三好之虎(三好実休)が答えた。
「はい。一時期姿を見失いましたが、今は近江は朽木(近江北西部)に戻って、大人しくしているようです」
見失った時期とは、織田家に親衛隊見習いとして住み着いた時期の事である。(73話参照)
流石に将軍と管領が長期間消えた事は察知したが、まさか織田家にいる事までは三好家といえど把握できていなかった。
「大人しくしている、か。どこぞに助けを求めにいったかと思うたが。大人しくしているのは助力を得られず意気消沈しているのか、それとも、どこぞの勢力と結んで牙を研いでおるのか? 姿を見失った期間が長過ぎる故、不気味なところはある。大人しく傀儡でおれば、それなりの待遇で飾ってやるものを」
長慶と之虎の弟である、安宅冬康が後を継いで話す。
「まぁ、仮に何か行動を起こすにしても、兄上の策で将軍家の動員力は朽木周辺に限定されましょう、そんな戦力では我等には太刀打ち出来ぬ事を理解できない将軍ではありますまい。ただ、そうなると親将軍派の若狭武田と近江六角が力を貸して反撃を行うでしょうが……」
長慶と之虎と冬康の弟である、十河一存が後を継いで話す。
「若狭武田は斎藤の攻撃目標であり『斎藤が攻め寄せる』と流言も流してあります。迂闊に斎藤に隙を見せる行動は起こせませぬし、六角も背後に織田が迫っております故、行動を封じたも同然です。その鍵となる朝倉、武田、織田、斎藤も我らの影響下に収めましたので東の脅威は当面大丈夫でしょう」
三好家にとって一番マズイ展開は、他勢力を纏めあげる三好包囲網を作られる事である。
これを防ぐ為に長慶は何をしたかと言えば、諸勢力に官位を斡旋して恩を売ったのである。
この官位斡旋が、朝廷主体であれば三好にとって何も益が無いが、主体は長慶である。
凡百の成り上がりが行った策ではなく、強大な力に裏打ちされた三好長慶の官位斡旋は、織田斎藤の快進撃をあっさりと止め、あらゆる中小勢力を縛り付ける絶対的な力があった。
「うむ。しかし奴等は全員、力で今の地位を奪った勢力。官位で大人しくなる連中だとは判断するな」
結果としては、行方不明期間で足利義藤は包囲網を作った訳ではないので、将軍に対する策としては若干空振りであったが、今は効果が無くとも将来には効果が出るかもしれない。
いざ行動を起こそうとした将軍が途方に暮れる事を思えば、将来への備えとしては、先手を打つ一つの策として機能すれば上出来である。
「心得ております。あと長らく我等を支持していた細川讃岐守(持隆)様に気になる動きがあります。氏素性の知れぬ者と積極的に会っており、どこぞの勢力と接触している可能性があるとの事です」
長慶と之虎と冬康と一存の弟である、野口冬長が後を継いで話した。
細川持隆は、細川晴元の従弟にあたる。
史実では三好派閥と言ってもいい立場であったが、諸説あり三好之虎に殺害された。
「讃岐守様か。何をしたいのか証拠を掴むまでは泳がせておけ。我等の益になる事を計画してるかもしれぬしな。例え害を為す事だったとしても、知っていれば裏をかく事もできる」
そこまで話し終えたところで長慶は配下を見たが、これ以上の報告は無さそうだと判断し、締めの言葉を発した。
「磐石じゃな」
「はっ」
全員が返事をした。
しかし乱世において『磐石』など有り得ない。
戦にしろ策にしろ絶対など有り得ないのは、百戦錬磨の三好長慶には常識中の常識である。
それなのにも関わらず『磐石』と表現できる程に、今が正に絶頂期を迎えた三好家。
京、天皇、堺を押さえて手に入れたと権力と財力、他を圧倒する広大な領土。
だから多少の油断など油断の内にも入らないし、策の揺らぎも誤算も、強大な力でどうとでもフォローできる。
むしろ完璧な状態にする方が無理であるし、少しの誤算やミスも許さない状態にしてしまっては、多少の誤算でイチイチ屋台骨が揺らいでしまいかねない。
多少の『遊び』は必要不可欠であり、ここまでの勢力になれば大誤算さえ防げれば良いのである。
それに磐石の態勢に胡坐をかいて、本当に油断する程に愚かな三好長慶でもない。
それ故に『磐石』とは一息ついて一安心ではなく、次のステップに移るための宣言なのであった。
「よし。では飛騨守、美濃守、若狭守、尾張守、伊勢守、志摩守と官位を得る為に少々散財してしまったからな。まずは失った銭を回収すべく行動を起こす。弾正は堺へ行き堺衆との交渉をせよ。神太郎(安宅冬康)は淡路水軍を使って円滑な貿易ができる様に海賊を併呑駆逐せよ。他の者は領地に戻って発展の為の政策を実施せよ」
「はっ!」
一斉に家臣が頭を下げ評定が終了した。
天下に名だたる三好家の精鋭達である。
一部の隙も無い所作であった。
「さて……こんな所か。では……やるか? 例の奴を?」
長慶は恐る恐る家臣に尋ねた。
「はい!! 勿論です!!!!」
先程の隙の無い所作とは打って変わって、強烈な熱意と殺気が場に立ち昇ってきた。
毎度の事とはいえ、流石の長慶と言えど、この反応の過激さには参ってしまう。
「わ、わかった。では、前回の連歌の結果を言い渡す」
すると、先程の熱意と殺気はグッと潜めて、と言うより種火に収まって爆発する機を伺うかの様に静まり返った。
「では上の句『新年や 朝靄切り裂き 照らしたり』に対する下の句第一位は……」
居並ぶ家臣達がグッと身を前のめりに力を込める。
「『日の暖かさ 身に染み誓う』じゃ。これは誰の句じゃ?」
「はっ! 某です!」
元気よく返事をしたのは松永長頼。
松永久秀の弟にして、交渉や内政で働く久秀に対し、武勇で頭角を表した人物である。
「ッ! 貴様! 兄を差し置いて!!」
「フフフ、兄上? いけませんよ? 連歌の心は冷静な心であってこそ!」
長頼は勝ち誇った様に言うが、別にこの下の句は長慶にしてみれば大した句ではない。
他も似たり寄ったりで、どんぐりの背比べであり、他も大概酷い出来であった。
ただ、三好家として京と天下を支配するにあたり、朝廷との交渉や教養を身につけさせるべく、最初は極少数で始めた教育の場であった。
さすが武士なだけはあって荒事は皆得意であるが、こういった事は皆苦手であり、唯一長慶だけが卓越した才能で連歌が必要な場を担当し乗り越えてきた。
この辺は信長が野蛮な家臣に茶道を通じて心と作法を鍛えたのに通じるものがある。
だが、いかに超人的な長慶と言えど体は一つである。
誰かが連歌の場に出ざるを得ない時が必ずくるので、その時になっても慌てない様にミニ連歌会として始めたのが最初のキッカケであった。
提出される句も匿名である為、重臣から末端の家臣まで公平に審査されるのも支持された。
どの家臣も、主君の長慶に名を覚えて貰う為に、必死で考え参加したのである。
その為に、あれよあれよという間に家臣全体に広がって、『俺も、私も』と参加者が増えた結果、評定の後に評価会が開催されるのが定例であった。
これが長慶の首を絞めた。
添削が必要な駄作が毎回、山の様に提出されるのも定例であったのである。
これには超人長慶といえど参ってしまった。
「備前守(長頼)か。よくやった。褒美の刀と次々回の上の句を作る上での基となる栄誉を与える。皆は長頼の句を基に上の句を作って参れ。では今回選ばれなかった句を返却しつつ問題点を指導する。同時に前回選ばれた之虎の上の句に対する下の句を受け付ける」
長慶は山の様に詰まれた句の返却と問題点を指導し、同時に山の様に家臣達の句を回収し、家臣達は長慶の指摘に一喜一憂しつつ、『次回の栄誉はワシが貰う!』と息巻いていた。
山の様な句を添削し、また山の様に提出された句を回収し閉会したミニ連歌会。
自室で一息ついた長慶はポツリと洩らした。
「やめときゃよかった……」
駄作の添削は長慶をして本当に疲れる苦痛極まる作業なのである。
三好長慶は超人的で圧倒的な才能を有し、非常にマメな性格が災いしていたのであった。
駄作の山に一句でも良作がある事を期待し、添削を始めつつ長慶は思った。
「官位を与えた者共に一句作らせたらどんな句を作るかのう? 野蛮な句か、うつけた句か……。織田と斎藤は上洛すると言っていたな。試すか!」
そう思いを馳せた長慶。
そんな思いを馳せられた信長はというと、将来に備えた動きを始めるのであった。
【尾張国/織田家 人知城(旧那古野城)】
「長島を陥落させるべく動く!」