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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
9章 天文22年(1553年)支配者の力
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85話 武田晴信(武田信玄)

【甲斐国/躑躅が崎館 武田家】


「戦とは何と難しき事よ。こんな結果になるとはな……はぁ……」


 男が重い口を開いて言葉を発した。

 男の名は武田晴信(武田信玄)。

 甲斐の支配者にして、今まさに飛躍の時を迎えようとした―――ハズであった戦国大名である。


 本来なら覇気に満ちていたであろう声が、目が、身体が、これでもかという位に暗く澱ませて落胆している。

 その様は狩りに失敗した大型猛獣に見えて、その場に同席していた二人の男も笑っては失礼と思いつつ、晴信の独り言の様な問いに答えた。


「そうですなぁ兄上。甲斐を力で制した我等が力で粉砕されるとは。『井の中の蛙大海を知らず』とは正にこの事。……うん? そう言えば我等の住まう甲斐も大海を知らない国! 言いえて妙ですな! ハッハッハ!」


 自分の発言に自分で納得し笑う男は武田信繁。

 晴信の弟にして最大の理解者であり、数少ない晴信の信頼できる腹心であった。


「やかましいわ!」


 晴信に一喝された弟の信繁は、一向に反省する気もなく笑っている。

 晴信が当主になる前は、兄を差し置いて父の信虎に期待を寄せられて、偉大な父と尊敬する兄の間で苦しい立ち位置を強いられた信繁。

 兄が家督を奪ってからは、そのストレスから解放され年々明るい性格になり、現在では自由奔放に振舞いつつ兄をサポートし、今も兄の不安や落胆を察知して明るく振舞い場を和ませた。


 そんな会話を、招かれて同席する快川紹喜かいせんじょうきが、驚きの表情で見ていた。


(武田晴信と信繁兄弟、絶対の支配者として父を追放し甲斐を制圧し南信濃を併合し……。どんな猛獣かと思いきや、何とも愛嬌ある姿を見せるのではないか!)


 父を追放し甲斐を掌握した武田晴信の噂は、諸国を一人歩きする内に尾ひれが付いて、晴信を父以上の悪鬼羅刹の如き人間として噂する者もいた。

 紹喜も武田に招かれた時は、噂は噂として考慮しなかったが、それでも眼前で、喜劇の様なやり取りを演じる兄弟を見て面食らってしまった。


「武田様、それで此度は拙僧に相談をしたい事があると聞きましたが、一体何をお悩みで?」


「うむ、それよ! 話すと長いのじゃが実はな―――」


 晴信はここ数年の武田の動きを掻い摘んで話し始めた。



【1551年 甲斐国/躑躅が崎館 武田家】


 信長が天下布武法度を定めた天文20年(59話参照)甲斐国で動きがあった。


『これより武田家は信濃に侵攻する! 者共! 全てを奪え!』


 史実にて天文23年(1554年)に締結されたとされる『甲相駿三国同盟』であるが、信長が転生し歴史を引っ掻き回した結果、天文18年(1549年 42話参照)に結ばれる事になったこの同盟。


 三国の関係が5年も早く締結し、安泰になった結果、後顧の憂いを無くした武田晴信は信濃侵攻を早めていた。


 天文17年(1548年)に、信濃の村上義清と戦い手痛い敗北を喫した、上田原の戦いでのダメージを同盟の力で迅速に回復させると、翌年の天文18年(1549年)には再侵攻を果たし村上義清に雪辱を果たす。


 その結果、天分19年(1550年)史実でも名高い、川中島の戦いが3年前倒しで勃発していた。


『村上の援軍に長尾景虎……ですか?』


『うむ。律儀と言うか人が良いと言うか。弱者など捨て置けば良いモノを……面倒な奴じゃ!』


 村上義清が、長尾景虎に救援を申し込み了承されて始まったこの戦いであるが、長尾側は村上義清の領地回復と、信濃豪族の武田臣従を阻止する為に。

 武田側は、村上所領の完全掌握と長野盆地進出を果す為に。


 そんな思惑の基に始まった戦いであった。


『……って……うん? 奴ら確か、長尾政景に反乱を起こされて、我らに構っている余裕など無いんじゃないか?』


『そうですな。こちらで掴んでいる情報ではそのはずですが……』


 晴信の考えに信繁も同意した。


『もう鎮圧したのか? 他家に構ってる余裕があるのか? 景虎の奴は、人に頼まれたら断る事が出来ない様な奴なのか? それともまさか……お家騒動自体が流言なのか?』


 史実と違うのは、本来の長尾家は長尾政景の反乱の鎮圧で、こんな遠征をしている場合では無いはずであったが、真実はどうあれ景虎は川中島に出陣してきた。


『いや……流言だとしても何の為にです? 誰を欺く為に? ……まさか我等ですか? いくら何でも壮大な計画過ぎる!』


 この歴史の長尾政景の反乱は、この戦が始まる随分前に起こっている。

 今回の戦を見越しての流言と過程するのは、荒唐無稽すぎた話であった。

 信繁も考えてみたはものの、誰に対しての計略なのか理解しかねて首を捻る。

 結局、自分達への計略ではなく、ただ長尾にとってタイミング悪く反乱が起きたと結論づけた。


『万が一、本当に万が一流言だとして考えられるのは……恐らく形だけでも軍勢を整えて我らを退かせる策で、苦しい事情を隠す為の捨て身の苦肉の策と見るべきかと』


『じゃろうな。そう考えれば辻褄もあう。バレてしまえばどうと言う事はないが、長尾め、やりおるわ!』


 実際、景虎は政景の反乱を史実よりも早く鎮圧し、自陣営の回復もままならぬ状態で信濃に川中島に出陣してきていた。

 それを晴信は的確に見抜き、長尾の出陣を余裕など無いと判断し、これ幸いと一気呵成に攻め立てた。


 だが―――


 史実にて、第一次川中島合戦と呼ばれた戦いは、直接対決が無かったとされているが、今回の戦いは初っ端から激闘となってしまった。


 その理由は、晴信が相手を虚勢と判断し、しかし、景虎はそれに抵抗するべく猛然と反撃を行った為である。

 結果、晴信は余裕で勝てると思っていた所に、強烈なカウンターパンチを喰らう羽目になり、武田軍全体が大混乱に陥ってしまった。


『馬鹿な!! こんな、こんな! 誰がどう指揮したって必勝の戦でこんな事が! うぬぬぬ長尾のクソッタレ供が!』


『長尾のクソッタレ景虎推参!! 武田晴信! その首もらった!! クソッタレに討たれた将として後世に名を馳せよ!』


『おぉッ!? か、景虎じゃと!? やらせるかぁッ!!』


 晴信の陣などは、敵総大将の景虎の単騎駆けを許す大失態を犯し、晴信はあわや討ち取られる寸前まで追い込まれた。


 命からがら、何とか絶体絶命の危機を乗り切ったはいいが、この油断からきたツケは大きすぎた。

 勿論、戦を行う上で完全な油断はあり得ないし、晴信はそこまで愚かな将ではないし、事前の予測も間違っていなかった。

 しかし全能の神で無い以上、予測には限度がある。


 ただこれは、まだ史実に比べて、晴信が未熟であるが故の事故であった。


 しかし、そこは未来の武田信玄。

 景虎の乾坤一擲の一撃を何とか凌ぐと、劣勢に混乱する自軍を懸命に立て直す。

 数での優位にて何とか互角に持ち込んだ後は、武田軍を長尾軍が攻めあぐね膠着状態となり、両軍引き上げとなった。

 結果的には、長尾景虎と初顔合わせとなったこの戦いは、双方決定打に欠き、村上義清は旧領回復には至らず、武田も長野盆地進出は果たせずに終わった。

 史実と同様の引き分けと結果になったが、時期と規模と損害が異なる形となった武田晴信の西進作戦と川中島の戦い。


 ただ、額面通りの引き分けとは行かなかった。

 磐石で絶対的な力を示せなかった武田家は、一応、南信濃を手中に収めた事になってはいるが、地元の実力者達は虎視眈々と反逆の機を狙っていたのである。

 そんな訳で、晴信としては決して満足と言える筈も無い散々な結果の引き分けとなった。


『長尾景虎……あんな化け物じゃったとは……』


『これが窮鼠猫を噛むってヤツですな兄上……。ネズミにしては凶悪過ぎるし、我等もかじられ過ぎでしたが……』


『国の外に侵攻するには、今迄通りとはいかんのじゃな……』


 史実と内容が変化した川中島の合戦。

 敗北に等しい引き分けという、手痛い打撃を受けた晴信は、今迄と同じでは駄目だと認識を改めたのであった。



【現在 甲斐国/躑躅が崎館 武田家】


「―――と言う訳じゃ」


「なる程、そこで拙僧の知恵を欲された、と言う訳ですな?」


「有り体に言えばそうじゃ」


「そうですな……。『力攻め』が悪い訳ではありませぬが、単純明快故に『力攻め』は上には上が際限なくいる事でしょう。ですが知恵、即ち軍略では上よりも下には下が居るもの。例えばお隣の大陸である明の兵法書にこんな言葉が有ります―――故其疾如風、其徐如林、侵掠如火、難知如陰、不動如山、動如雷霆」


「な……風? 何じゃって?」


 晴信は突然現れた呪文の羅列に、頭がパンクし解説を求めた。


「もう少し砕けた言い方をするならば、軍が動く時は風の様に素早く、陣は林の様に静かで見破りにくく、戦いは火の様に勢いよく、気配は陰の様に潜んで、敵の策や陽動にも陣形を崩さず山の様にドッシリと、攻撃は虚を突いて雷のように敵を混乱させて―――即ち風林火陰山雷」


「……な、なる程……?」


 信繁は解説を聞いて、解った様な解らなかった様な曖昧な返事しか出来なかった。

 だが、これは信繁が特別愚かかと言うと、そういう訳では無い。

 仮に、この場に後の名将である馬場信春、内藤昌豊、山県昌景、高坂昌信が居たとしても同じ反応をしたはずである。


 これは幸運な、しかし、ある意味不幸な武田家ならではの事情でもあった。


 武田家は、まさに力で守護大名から戦国大名にリニューアルした家である。

 その成長過程では、有力な家を吸収し戦力としてきたが、では『その自慢の有力な家臣を、主家の命令に従う家臣としたのか?』と言われると疑問符が付く。


 例えば晴信の命令に対し、要約すれば『知るかボケ!』と公然と無視を決め込んだ家臣もいたのである。

 初期の武田家は、強力な晴信の統制による支配、と言うよりは、晴信を頂点とした議会政治集団の側面が強かった。


 それ故にクセの強い家臣に命令を聞かせる為に、晴信は力を示し続ける必要が有り、強引な戦略で信濃に侵攻し、結果、川中島で痛い目を見るハメになった。

 しかし、今迄も別に手当たり次第に殴りかかる様な、雑な戦をしてきた訳では無いし、戦略や策、政治においても考え抜いて実行してきた。


 ただ、甲斐の外では通用しなかった。


 この手痛い教訓で、晴信も今のままで駄目だと悟り、快川紹喜を招いての改革を断行したのである。


 こうして『風林火陰山雷』の言葉を聞いた晴信はと言うと―――


 目を見開いて、脂汗を流して打ち震えていた。


「……今までの戦いは何じゃったのかのう? 戦略、策、政治で頑張ってきたつもりであったが、この言葉を聞いた後ではソレっぽい何か別物であったわ。もう恥ずかし過ぎて何も言えん……」


「そ、そこまで感じ入って頂けたなら、この言葉を選んだ甲斐が有ったというものです」


 紹喜は自分の発した言葉が、予想以上に効いた事に驚きつつ、更に言葉を続けた。


「ただ、この言葉を理解したからと言って、即座に武田軍全体で認識を統一して動くのは適いますまい。理解した武田様が臣下に教育して実践して結果を出して……。果てしない道程ではありますが、私の知る限り、今川、北条、長尾……。他にも一国以上を支配するに至った大名と呼べる勢力は、力だけに頼らず搦め手といった手法も心得ています。今回の長尾の様に」


 武田軍は特に欲望に忠実な国である。

 貧しい土地に、海にも面せず、他の地域に比べて商いが発達しているとは言い難い。

 無ければ奪うのが基本路線の国である。

 故に欲望に裏打ちされた単純な『力』は圧倒的であるし、今まではそれで通用してきた。


「そうじゃな……。本来なら村上義清に一度敗れた事で何か変えるべきであった。しかし配下の者に遠慮してソレをする事が出来なかった。長尾には改めてその現実を突きつけられたわ」


 晴信は今、鼻っ柱を叩き折られた事で、強く進化と改革の必要性を感じ取ったのであった。


「よし! 紹喜殿、また後ほど風林火陰山雷の詳細を教えて頂きたい。ここが武田家の踏ん張りどころぞ!」


「拙僧も及ばずながら協力いたしましょう。武田様を信濃守にする為に」


「ありがたい。しかし一点違うな。信濃守ではない。……なのじゃ」


「……は? 飛騨守? 何故?」


「これが軍略以外でも紹喜殿が必要になった要因でもある、と言うより、こちらの方が重要じゃ」


「……伺いましょう」


「実は、川中島の戦いの後に、こんな事があったのじゃ―――」



【1551年 川中島の戦い後 甲斐国/躑躅が崎館 武田家】


 川中島で敗戦に等しい引き分けとなり、失意の中引き上げた躑躅ヶ崎館では来客が居たのである。

 ここでもう一つ、川中島の内容以外に歴史が変わった。


『お初にお目に掛かります。某は三好長慶が家臣の松永久秀と申します。此度は拝謁賜り誠に恐悦至極。わが主より南信濃制圧と長尾景虎を退けた祝いの品を預かって参りました。どうぞお納めください』


 松永久秀は目録と、もう一通の書状を()()に差し出した。

 その中には金銀財宝もさる事ながら、一際目を引く文言があった。


『ワシを……飛騨守に任ずる!?』


 川中島の当事者以外に内容を知らないから仕方ないが、全くもって祝うべき内容では無かったのに、祝いの品を渡されて晴信は気分が悪かった。


 使者の優雅な振る舞いも鼻に付く。


 それに武田家では足下に及ばない、強大な三好家の使者を無下にはできないのも腹立たしい。

 しかし祝いの品々もそうだが、特に飛騨守の斡旋は、それら不満を吹き飛ばす程に度肝を抜かれた。


『理由を聞いてもよろしいか?』


『飛騨は今、小勢力が争い民の安寧が―――』


『そんな建前は結構。何故ワシなのじゃ?』


 朝倉でも長尾でも、それこそ織田でも良いのに、武田に要請した真意を晴信は知りたいのであった。


『主のお考えは某に読みきれるものではございませぬ。その上で某が理解できるのは、主が武田殿の力を認め、友誼を結びたいとお考えになられているという事。単純明快でございます。それらを踏まえて武田殿が何を成そうと主が咎める事はありますまい』


『……左様か(クソッ! このタヌキ、いやキツネめが! 見え透いた魂胆を! 飛騨という事は、織田と斎藤を牽制して欲しいという事に違いない。しかし……しかし! 公認を得たのは大きい! どうする!?)』


 真意はどうあれ、武田晴信は三好家より飛騨守を斡旋され、飛騨を納める大義名分を得たのである。

 なお、この官位斡旋は織田信長や斎藤義龍に官位を与えた時期よりも1年早かった。

 三好長慶は東の情勢を的確に読み取り、織田と斎藤が厄介な勢力に成長するであろう事を予測していたのである。


 そこで長慶が目をつけて手を打ったのが、武田の誘導である。


 織田斎藤に抵抗できる勢力となると、今川は織田と引き分けたばかりで、朝倉も一向一揆という爆弾を抱えているので動きにくい事情も有った。

 だが、その点、武田は位置的にも勢力的にも問題ない。

 三国同盟により東も南も塞がっており、北は長尾、西は村上で侵略するなら地形的にも西しかない。

 南信濃を完全に制圧できれば、更なる西には小勢力の三木と江馬が飛騨で争っている。

 かつて斎藤義龍は、飛騨の処遇を三木や江馬など後でも十分と後回しにしたが(62話参照)、その隙をついて長慶は武田に飛騨守を与えた。


 三好家の思惑は、織田と斎藤の喉元に当たる飛騨を制圧させて、牽制させる事である。

 織田の快進撃の要因は、背後に憂いが無い事を正確に見抜いての処置であった。


『わかしました。謹んでお受けいたすと三好殿にお伝え頂きたい』


 武田家としても領地が広がる事に異存はない。

 三国同盟の援護と三好家の公認、さらに弱小の飛騨の勢力とくれば濡れ手で粟を掴むが如くである。

 晴信も三好家の思惑など即座に見抜いたが、多少利用されようとも好機と判断したのである。


 そう。

 武田晴信は、良くも悪くも強欲なのである。

 戦国時代ならではの正統派である、欲望に忠実な武田軍と、戦国時代特有の食糧難と乱世であれば、奪い取るのが必然である。

 こうして三好家の訪問を終えた武田家は、今後の方針や武田家の有り方を考えるべく、快川紹喜を呼んだのである。



【現在 甲斐国/躑躅が崎館 武田家】


「―――と言った訳で飛騨守となったのじゃ。その上で紹喜殿は美濃の出身。織田、斎藤や飛騨の事情にも明るかろうと思ってな」


「なる程、得心しました。戦術論なら拙僧以外でも良さそうなのに、なぜ拙僧なのかとずっと疑問でした」


 そういって紹喜は笑った。


「まぁ仮に明るくなかったとしても、先程の風林火陰山雷の件だけでも招いた意義はあった。この上で美濃飛騨、織田、斎藤の事情を知っていれば教えて頂きたい」


「分かりました。知っている限りを話しましょう。しかし、何から話したものか……。あの辺り、特に織田家は話題が尽きませぬ。今年発表した天下布武法度などはモノですぞ―――」


 紹喜は自分が見聞きした織田斎藤、飛騨の情勢を晴信に語って聞かせ、最後に己の願いも込めて話を締めた。


「織田斎藤が、宗教を弾圧するのは火を見るより明らか。ならば武田様は、織田斎藤が切り捨てた宗教勢力の力を借りて侵攻するのが良策かと。捨てる神あれば拾う神あり。拾う神になるのです」


 快川紹喜は史実の未来にて斎藤義龍と宗教問題(永禄別伝の乱)で争い、後に信長の敵を匿ったので、焼き討ちされ死亡した。


 なお、かの有名な『心頭滅却すれば火も自ら涼し』は、異論もあるが、この時の快川紹喜の言葉だったと伝わる。


 今回の歴史では、快川紹喜はまだ本格的に敵対をしている訳ではないが、天下布武法度の施行もあって、潜在的には敵対しているも同然であった。

 そんな訳で、実は紹喜にとっても晴信の要請は『捨てる神あれば拾う神あり』だったのである。


 会談後―――


 紹喜が退室した部屋では晴信と信繁が今後の方策を話し合っていた。


「快川和尚の言う事は最もじゃと思う。お主はどう思う?」


「そうですな。某も概ね賛成です。……ただ、今すぐ飛騨に侵攻は出来ませぬな」


「そりゃそうじゃ。それにまだ家臣達に風林火陰山雷を徹底させておらん。南信濃も安泰とは言えぬのに飛騨にまで手を伸ばしたら自滅するに決まっとる」


「確かに。しかし三好の思惑通り進めてよろしいのでしょうか?」


「その思惑に乗るのが最良手なら乗る。何にせよ、とりあえず攻撃目標を得た。欲の皮の厚い家臣ヤツラに対する不満の解消にもなろう? だが飛騨守を名乗るのは暫く秘匿する。体勢も整っていないのに迂闊に名乗ったら要らぬ警戒をさせてしまう、言わば静かなること林の如し、知りがたき事陰の如しじゃ」


 晴信は今覚えたばかりの言葉を早速使い、信繁もその案には賛成した。


「それがようございましょう。しばらくは南信濃の完全平定と風林火陰山雷を実践するのが良策でしょう」


「うむ。旗印にしても良いな。この言葉を武田家の軍事行動の基本として周知徹底させよう」


 史実では1561年に使い始めたと言われる『風林火陰山雷』の旗印。

 その中の『陰と雷』は『林と火』に重複する部分もあった為削除され『風林火山』になったと言われるが、今回の歴史では10年前倒して戦の極意を武田家は学び始めたのである。


「それに昨年長尾のクソッタレ共とやりあったが、奴は強すぎる! 苦労に見合う物を手に入れたかと言うと、満足とは言い難い。戦は五分の勝ちで上出来とは思うが、奴だけは例外じゃ! 例え十分勝っても安心できんわ! あの時、風林火陰山雷を知っていたらと、悔やんでも悔やみきれん! 次は必ず叩き潰してくれよう!」


 守護大名から戦国大名へリニューアルした、武田家と武田飛騨守晴信。

 それが今、単なる戦国大名から更なるリニューアルを遂げ、一段上の存在になる為に、南信濃の掌握と家臣の教育を兼ねた行動を起こす事になったのである。


 信長が引っ掻き回している今回の歴史。

 その結果、信長が最も恐れ気を使った相手である武田晴信が、史実よりも早期に虎の牙と爪を磨き始めたのであった。

 後に信長が武田飛晴信を知った時、酷く動揺し叫んだ。


《まだ早い! 早すぎる!》


《えっ!? でも以前(76話参照)、別の戦い方で倒すと……》


《まだ準備不足じゃ!》


 史実でも武田アレルギーで苦しんだ信長は、今回の歴史でも武田家を倒す方策は考えていたが、あまりにも早い西進に驚き戸惑ったのであった。



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