82話 朝倉延景(義景)
【近江国北/田部山城近隣の寺】
田部山城にほど近い寺に、斎藤織田陣営と朝倉浅井陣営の軍勢は遠巻きに対峙しつつ、それぞれの首脳陣が寺で一堂に会していた。
斎藤織田陣営からは斎藤義龍、織田信長、安藤守就、明智光秀、森可成、北畠具教、滝川一益
朝倉浅井陣営からは朝倉延景(義景)、朝倉宗滴、朝倉景紀、浅井久政、山崎吉家、海北綱親、赤尾清綱である。
「さて。儀礼的な挨拶や親睦の宴は不要であろう? 我らは停戦中であって、決して戦が終結した訳ではないのだからな」
朝倉宗滴がそう切り出し、信長が提案した会談が始まろうとしていたのであるが、お互いの陣営がこの場に出席する際には、それぞれひと悶着があった。
【昨日合戦後 近江国/田部山城 朝倉本陣】
明智光秀から書状を受け取った朝倉宗滴は、内容を改めるなり苦い顔をして延景(義景)の下へ向かった。
『若。二人だけで内密の話をしたい』
宗滴はそう言って家臣や浅井家の者を追い出し、書状を延景に見せた。
書状は三通あった。
一通目が信長、二通目が猿夜叉丸、三通目が堰の攻防戦で捕縛された遠藤直経である。
一通目の信長の書状。
これは形式と建前に沿った『浅井領への侵攻は、浅井久政の失政と困窮する民を救う為』『朝倉家と事を構える気は無かったが、時流の巡り合わせにより不幸が起きてしまった事』等、侵略の正当性と不運にも朝倉と敵対する事になってしまった事への詫びが書かれていた。
内容的には、この時代なら誰もが書いている様な白々しい言い訳と建前に満ち満ちた、本気で詫びる気など更々無い書状である。
問題は二通目以降であった。
二通目の猿夜叉丸の書状は、信長がいつか役に立つかもしれないと猿夜叉丸に書かせた父への手紙である。
内容は『父上の手の者に助け出されて避難しています』『毎日武芸勉学に励んでいます』『将来の嫁にしたい者と出会いました』と子供らしい溌溂とした力強い文で、これら以外にも、浅井家の者でないと知る事が出来ない内容が盛り沢山の内容であった。
三通目は、二通目が本物である事を証明する、遠藤直経の書状であった。
信長は捉えた直経に猿夜叉丸の書状を見せ、滝川一益による誘拐の顛末を語って聞かせた。
直経しか知りえなかった琵琶湖での状況や、書状の内容から信長の言う事は真実としか思えない事ばかり。
今更ながら人質交換の場に間に合わなかった、己の無力を詫びる苦渋に満ちた内容であった。
その書状を朝倉延景、朝倉宗滴は苦い顔をしながら吟味し、突如降って湧いた懸念材料に、どう対処するか協議を行うのであった。
『爺が全員外に出した理由は分かった。これはマズイな。猿夜叉丸が織田にいるとはな。下手すれば朝倉は敵中で孤立無援になるやもしれぬ』
『そうです。浅井がこの事実を知れば、敵に降ってしまう可能性も考慮せねばなりませぬ』
朝倉家にとって、猿夜叉丸生存は初耳であった。
浅井久政から聞いていた事実と反するからである。
浅井久政は朝倉への臣従を決断した折に、一計を案じて六角に人質の交代を申し出ていた。
それは『斎藤との戦いで当主久政が討ち死にしたので猿夜叉丸を当主にしたい。代わりの人質を出すので交代させてくれ』との事であった。
その上で、交換に応じた六角に奇襲をかけ、猿夜叉丸を奪還し六角の支配から完全解放を狙ったのであるが、何者かの横槍で失敗に終わっていた。(70話、71話参照)
その結果を受けた久政は、猿夜叉丸の存在を利用させれる事を恐れ、対外的には死んだ事にして、朝倉にもそう報告していたのであった。
もちろん、久政は朝倉に対して心底からの臣従をしているつもりであった。
ただ、武家としてのプライドが、失敗を隠す事を選んでしまい、その判断が今、思わぬ形で仇となっていた。
『爺よ、浅井が敵に内通している可能性は流石に無いな? あの規模の戦をしておいて、敵と繋がっていたでは本末転倒であろう。ならば久政は良かれと思って決断した事が全て裏目に出た、そう解釈すべきか?』
『そうでしょうな。ワシも久政殿は良くも悪くも純粋な意思で動いておると見ています。……が、一度は諦めた嫡男の猿夜叉丸の存在がどの様に作用するか読めません』
『それを受けての停戦交渉か。難しい交渉になるな……』
『唯一の好材料は我らは決して斎藤織田連合軍に負けてはおらぬ、という事。……それだけしか無い、とも言えますが……』
『チッ! 織田め! やりおるわ! 奴とワシは年も同じ頃じゃと言うのに随分と嫌らしい厄介な事を仕掛けてきよるわ! まるで爺と軍学や政治の問答をしているようじゃわい! 仕方ないが良い機会じゃ。一度後学の為にその醜悪であろうツラを拝んでおくか! きっと伴天連共の言うさたんの様な奴じゃて!』
『フフフ。いやいや、意外と菩薩の様な顔かもしれませぬぞ? まぁ、交渉はともかくワシも織田の小僧とは一度話してみたかったので、そういう意味では楽しみですな! さて、浅井殿と家臣達を呼んで認識と今後の対応を合わせるとしますか』
延景と宗滴は冗談で笑いあった後に武将の顔となって、外に追い出した者を呼び対応を協議した。
その中で、書状を見せられた浅井久政は、床が砕けそうな勢いで頭を下げて謝罪した。
まさか敵側に猿夜叉丸が居るとは思いもよらず、浅井にとって絶望的な状況に陥った事を悟ったのであった。
そんな状況の中、浅井久政は一つの決断をして延景と宗滴にある提案をしたのであった。
【昨日合戦後 近江国/高時川砦 斎藤織田本陣】
斎藤義龍は極めて不機嫌であった。
昨年に続いて宗滴にやられた事。
直接対決でも後一歩及ばなかった事。
信長が緊急事態を想定して書状を準備していたのに、自分はそこまで考えが回らなかった事。
また、国を治める者として信長の行動を理解しつつも、信長に負ける可能性までも念頭に置かれた事。
更にそれを必要と知りつつ割り切ることが出来ない己の未熟さに、心がかき乱されていたのであった。
古来より『言霊』と言う言葉がある。
言葉には霊的な力が宿り、神羅万象すべてに通じるとされ、祈祷や経文を唱える人はその専門職とも言えるのであるが、それが転じて『言えば実現する』と言う考えにもなった。
例えば、モンゴル帝国の侵略、即ち元寇では、武士が死力を尽くして戦って撃退に成功した。
だがその戦功は、祈祷による神風によるものとされ、武士よりも神仏に祈った者達が強く評価された。
ちなみにこの時の『神風信仰』が、第二次世界大戦まで日本を呪ったのは周知の事実である。
もう少し身近で例えであるならば、『不謹慎な事を言った場合』のトラブルであろう。
志望する学校を受験する人に向かって『滑る』『落ちる』の様な言葉を発してはいけないのは、半ば定番ネタとして知れ渡っている。
その元を質せば『そんな事を言って本当に落ちたらどうすんだ!?』と言霊の力を恐れたといっても過言ではない。
無論、志望校に落ちたのならば、勉強不足が原因であり、言霊の力では無いが、現代でもこの有様であるのであれば、戦国時代は言わずもがなである。
そんな訳で信長は別に今回の件に関して『義龍が負ける』とは言っていないが、負けた時の為の準備をしていたので、これも『言ったも同然』なのである。
これが武勇こそ全ての猛将であると『ワシが負ける事を想定しておったのか!? 無礼者!』となり、戦前の日本の様に『負けるかも』と口にすれば非国民と認定されてしまうのである。
無論、義龍は信長の行動を理解している。
あらゆる事態を想定してこそ国を治める者に必要な事である。
ただ、歴史が変化して帰蝶が病から回復した結果、義龍は父に疎まれる事もなく和解し、弟たちを謀殺する可能性の消滅した。
その代わり、今の歴史では猛将としての気質が強く発現してしまい、頭では理解しつつも、心では納得しておらず荒れていたのであった。
その荒れた義龍が、宗滴に破壊されて新調した大身槍を手に取った。
『ぬあぁぁッ!』
うめき声の様な気合と共に、槍を川沿いの手近な木に向かって一閃した義龍。
『ふぅぅぅ……よし! この件はこれで仕舞じゃ! 此度はワシが未熟故の結果! 次に活かせば良い!』
まるでスローモーションの様に時間差でずり落ちて倒れた木を背に、義龍は晴れやかな顔をして気持ちを改めた。
過ぎた事をいつまでも根に持って、機を逸しては意味がない。
そんな小事にかまかけて、大事を見失っては本末転倒であると分かっているからであった。
しかし―――
(何と!?)
(決して巨木と言う訳では無いが……)
(それでも木の幹を一刀両断とは何と言う技量か!)
(それなのに、あの槍を受け切って殿を圧倒した朝倉宗滴!)
《朝倉宗滴も義龍さんも恐ろしい化け物ですね! 身体強化もしていないのに!?》
《……であるか》
晴れやかな義龍とは逆に、困惑の表情を見せる信長と両家の家臣達であった。
『義弟よ。書状の子細は聞いた。猿夜叉丸と遠藤直経を手放すのじゃな?』
『交渉次第ですが、それもやむを得ないと考えております。あとは今回見せつけた鉄砲の力と、親衛隊の利点を軸に交渉すれば大幅な領地の割譲も狙えましょう』
『成程、脅迫か』
専門兵士の運用を確立している斎藤織田にとって、農繁期に攻め込む事など造作もない事である。
昨年、今年と連続して農繁期に侵攻した事実を踏まえて『来年も来るぞ?』と匂わせる。
それは浅井にとって、許容をはるかに超える飢餓地獄の未来しかなくなってしまうが、『それでも良いなら雌雄を決しよう』と迫るのである。
それにプラスしての人質も確保してある。
悪質極まりない一方的な交渉となるが、力の無い者は悪であり、これこそが弱肉強食たる戦国時代である。
もはや死に体に等しい浅井家に、提案を断れる体力は無いはずであった。
一点の懸念材料を除いて。
『後は朝倉がどう出るかによるか……』
そこだけが唯一の懸念点であった。
昨年も今年も、朝倉家は斎藤織田連合軍に対しての一歩も譲らない所か、部分的には、圧倒してくる程の力を見せつけて来ている。
しかも戦下手な浅井久政や、半農兵士といった弱点を抱えつつである。
朝倉は斎藤織田連合に対し、何ら譲歩する必要も無ければ、気を使う必要も無いのである。
『義兄上、それについてはワシに策があります。今の時期だからこそ出来るかもしれない策がありますので、試してみたいと思います』
『策? 今の時期? どう言う事じゃ?』
『あっ!? い、今の時期と言うのは言葉のアヤと言いますか、宗滴が健在だからこそ通じる話もあるかもしれない、と言う事です。ただ、確信の持てる策では無いので、義兄上の交渉が主軸で行くのが宜しかろうと思いますぞ」
『そうか? 義弟は、そう言えば帰蝶もタマに変な言い回ししていたのう? まぁ良いか。では行くとするか』
『……ハハハ』
《気をつけて下さいよ?》
《わかっとる!》
未来と別の歴史を知る故に、気を付けていてもつい出てしまう言葉に翻弄される信長であった。
《で、今の時期だから通用する話とは何ですか?》
《義景、今の名は延景じゃが、奴を懐柔する》
《……えッ!? 朝倉義景と言えば、信長さんと最後まで争った第一人者じゃないですか!?》
《確かにそうなのじゃが……では朝倉義景について知っている事を聞こうか?》
《えぇと……。産まれてから元服するまでの経緯が不明で、六角氏の縁者とも言われていますが、とりあえずは16歳で家督を継ぐも、朝倉宗滴の補佐を受けての飾り当主だったようです。天文21年に足利義輝から『義』の字を与えられ『義景』と名を改めます。他にも同じ年に細川晴元の娘を正室に迎えていますね。宗滴の亡くなった後は自分で政務を執り行うようになりますが、京文化に段々傾倒していき、酒色に溺れて好機を逸し続ける事になります。戦はともかく文化的な人物としては名高いです。明との交易や変わった所ではガラスを生産しようとしていたみたいですね。治政のセンスはあったかもしれませんが、信長さんと武力で衝突するも戦国大名としては高い評価を受けているとは言いがたいです。信長教でも破壊神の使徒で……》
《よし、もう良い》
《え? また何か間違ってますか?》
文化的な評価と戦の低評価の話から、今川義元の二の舞を演じるかもしれないとファラージャは警戒した。
しかし信長の反応は違った。
《いや、大体ワシの知ってる通りじゃが、やはり今が好機であったか》
《好機? 何がですか?》
《今が天文21年じなのじゃ。ならば間違いなく朝倉家にも歴史の変化が起きておる! 『義景』ではなく『延景』であるのが何よりの証拠! 巡り合わせの妙と言うべきか、今の義景は、堕落する前の純真で成長途中の真っ当な朝倉当主じゃ。宗滴が生きていて手本として教育を施し、ワシらが足利義輝と細川晴元を1年間尾張に逗留させたから『義』の字を貰う事も無く、晴元の娘を娶ってもおらぬ。京文化にも酒色にも溺れておらん。本人の資質的には幕府建て直しの旧体制思考かも知れぬが、前々世の歴史に比べたら、今は格段に話の通じる相手じゃ! ……と思う》
《な、なる程! 朝倉と何かしら繋がりが持てれば、とんでもない歴史の修正になりそうですね!》
《そう言う事じゃ。降って沸いた好機じゃが利用せぬ手は無い! 仮に今回で関係が持てなくとも、将来に繋がるやも知れぬ。やってみる価値はあるじゃろう》
【近江国/田部山城近隣の寺】
「さて。儀礼的な挨拶や親睦の宴は不要であろう? 我らは停戦中であって、決して戦が終結した訳ではないのだからな」
そんな両者の思惑の中始まった交渉は、一際威厳のある朝倉宗滴の一言で始まった。
決めねばならぬ事は多くない。
浅井家の領地の処遇。
朝倉家との関係。
この2点だけである。
猿夜叉丸の解放は、交渉の中で使われる材料であって、メインテーマではない。
浅井朝倉としても、猿夜叉丸に執着して弱みを見せるわけにはいかないし、斎藤織田としても効果的に使う為にも迂闊な事はできない。
あくまでも基本路線は、北近江の浅井領をどうするかであった。
斎藤義龍が、宗滴の重く威圧感のある視線を受け止めつつ、話し始めた。
「然り。我ら斎藤織田の望みは天下布武。乱れた世を正し民が餓えて苦しむ事なく、誰もが秩序ある世を享受できる世を作る事。然るに北近江は特に乱れに乱れ見るに堪えない。京極や各地の土豪に荒らされて、民の困窮は限界を超えておる。浅井殿も民を思うなら、我らに道を譲り静観するが良かろう。従うというなら便宜は図りますぞ?」
「な、何を勝手な! 貴様らが攻めて来ねば民は困る事は無かった!」
聞き様によっては、義龍の言い分は酷い言いがかりであるが、その感想は現代人だから持ち得るのであって、乱世で通用する常識ではない。
弱者は悪なのである。
「ほう? 確かに、我らの侵攻で民に死傷者が出た事は否定はせん。しかし、我らの領地に組み込まれた民は兵役を免除され、被害を受けた土地は年貢も免除し、餓えぬ様に施しも与えておる。果たして我らが来る前の北近江でそれが可能であったかのう? 民は強い支配者を望んでおる。その証拠に昨年から民の流出が止まらないのではないかな? 別に構いませぬぞ? 今年はこれまでにして来年また農繁期に決戦を挑んでも」
「グクッ!!」
民は正直である。
弱い浅井よりも、強い斎藤に鞍替えする者が後を絶たなかった。
それに加えて農繁期に攻め込まれては、今度は戦にすらならないのは誰もが予想できた。
「浅井殿。貴殿は民を守る大名たる資質が無いのですよ。しかし、民を思う気持ちが無いとは言わぬ。支配者になれぬが導く事はできる。その証拠に、貴殿が行った善政はこちらも聞き及んでおる。貴殿には貴殿に相応しい適材な場所がある。降ると言うのであれば、実力を存分に発揮できる場所を提供しよう」
厳しい言葉の後での懐柔案である。
もはや死に体同然の浅井家は、どれだけ不満があろうとも受け入れるしかない宣告であった。
だが―――
「ワシに力が無いのは分かって居ったよ……!! だが! それでも民を思うのであれば! 将軍家の家臣として、支えて従うべきなのではないか!?」
(やはりソコか……)
(将軍家か……)
(まぁ間違ってはおらんが)
信長、宗滴、延景が、三者とも同じ事を感じつつ、成り行きを見守っている。
「将軍家か。本来ならば、貴殿の言う事は正しいのじゃろう。しかし今の将軍、管領は京を追われ、北近江の西に避難しておる身」
本当は一時的に尾張と美濃に居たが、義龍は今は伏せておく事にした。
「貴殿の言葉を借りるなら、今のワシらは将軍家の家臣同士の争いなのじゃろうが、実際の所、将軍家は家臣の家臣に敗れ京から叩き出されて、三好長慶が力の無い将軍に代わって天下を差配しておる。貴殿はそんな将軍家に与してあの三好長慶と戦う覚悟があるのか? 山城、丹波、和泉、阿波、淡路、讃岐、播磨を領し、大商業地である堺を押さえ、他にも近江、河内、若狭にも影響力を持つ超大大名たる三好長慶と」
「それはッ!! それは……」
戦うと言うは容易い。
しかし、北近江を満足に支配できない身で口にできる覚悟ではなかった。
三好長慶は通称『日本の副王』とも呼ばれ、信長の前に天下を取った人物と言っても過言ではない。
あくまで『取った』であって『統一』ではない。
しかし、京を軍事力で支配し、天皇を押さえ周辺地域に影響を与えうる勢力ならば、それはもう『天下を取った』と言ってもよく、東北や関東九州などの田舎の情勢など関係ない。
信長、秀吉、家康が抜きんでて有名なので、長慶の存在はついつい忘れがちである。
だが戦国時代に入って、信長より前に天下を取った先駆者こそが、三好長慶。
将軍家の家臣の家臣と言う、斯波家の家臣の家臣から身を起こした信長よりもスケールの大きい下克上を達成したのが、現時点での日本の支配者たる三好長慶なのである。
そんな絶大な力を持つ長慶と、戦う気概があるのかと義龍は問うたのである。
将軍家に従うとは、そういう事なのである。
「対してワシらは違う。将軍家は当然、細川家も三好家も最終的には必ず倒す。そこにいる我が義弟、織田を盟主とした新しき世を作る者達と共にな」
そこで義龍は信長を見た。
後は任せたと言わんばかりである。
「……書状では近江の危機を救うなどと宣ったが、今からは濁したりせずに端的に言おう。昨年今年と侵攻したのは三好に対抗する力を得る為である。もっと言うなれば日本海に面する土地が欲しい。堺を押さえられている以上、新しい商業地は自ら開拓するしかないのでな。それが明との距離も近い北陸が必要な理由であり、その通り道にある近江を欲した理由でもある。まぁその辺りは察しておるのでしょう?」
後を引き継いだ信長は、身も蓋もない様な腹を割った話を始めた。
それでも立ち塞がるなら、今度こそ叩き潰すと言わんばかりの圧力を放射しながら。
その圧力を感じ取った延景は、同年代とは思えぬ信長の姿に驚きつつも、何とか受け止めて答えた。
「……ッ!! まぁな。それが分からぬ者はこの乱世で生きては行けまいて」
「朝倉殿。朝倉殿は天下を望まれるか? ワシは……ワシは望む!」
信長は、久政の背後に控えていた、延景と宗滴に向き直って問うた。
かつて信長は、史実にて朝倉との和解時に『天下は朝倉殿持ち給え。我は二度と望みなし』と言った事があった。
信長としては劣勢を挽回する為の方便であったが、当時の義景は信長の言葉に満足げに応え和解に応じた。
尾張の成り上がりに天下を渡す気が無かったのか?
分を弁えた信長の殊勝な態度に気をよくしたのか?
天下を統べる欲が沸いて来たのか?
理由は定かではないが、義景は納得して矛を収めた。
朝倉家は、史実でも家格や文化的功績からも、天下に関わる立場にあったのは間違いない。
だが、今は発展途上の越前を、必死にまとめる地方領主である。
ただし決して貧弱ではなく、むしろ戦力としては今の方が人材的にも強いかもしれない。
たが、一向一揆が盛んな加賀からの飛び火も逼迫した状況で、南にばかり気を回す訳にもいかない。
天下どうこうよりも、足元が油断ならない状況であった。
しかも延景も堕落していなければ、宗滴も健在である。
あらゆる状況が、史実と違う。
それを踏まえた上での、信長の問いかけであった。
「天下か……―――」
延景は信長の問いに答えるのであった。