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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
8章 天文21年(1552年)老いてなお鬼神なり
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80話 水門攻防戦

【近江国/高時川 水門】


 高時川から枝分かれした稲作の為の用水路は、簡素な板の水門が取り付けられている。

 本来なら板を引き上げるだけで水流は復活させられるのであるが、織田軍の工作により水路には杭が隙間なく打ち込まれ、補強する様に大小の石が積み上げられて、水門の状態に関わらず水流を遮断していた。


 そんな織田軍が築いた用水路の(せき)に、浅井軍が決死の、文字通り本当に決死の破壊工作を仕掛けていた。

 何故『決死』なのかと言えば、堰を壊さなければ来年は飢え死にが確定な上に、堰を見下ろす形で高時川砦は築かれており、織田軍の全鉄砲隊が堰に群がる浅井軍に狙いをつけて鉄砲を撃ち続けていたからである。


 浅井軍も織田に鉄砲が備えられて戦力として重要な位置を占めている事は把握していたので、ありったけの木盾を用意して防御担当と破壊工作担当を訳て堰に当たっていた。

 だが、鉄砲の威力は木盾を軽々と貫通破壊し、防御担当の兵士を端から順に削り倒していった。


 懸命に作戦を実行する浅井の兵士は、気が気でなかった。

 凄まじい轟音が響く度に、周囲の仲間が血を吹いて倒れていく。

 急所を外れて倒れなかった兵も居るには居たが、まるで見えない攻撃に戦意が低下し、辛うじて立って盾を掲げてはいても、足が動かず盾も含めた肉壁となり果てていた。


「も、もう嫌じ―――」


 当初の決意を撤回して背を向けた兵は、それ以上の言葉を発する事が出来ずに、もんどり打って倒れた。

 織田軍の銃撃が逃げた兵を射殺したのであった。


(外したか……)


 逃げた兵を撃ったのは明智光秀であった。

 光秀が今しがた撃った弾はちゃんと命中していたのだが、本当は逃げた兵の右隣の兵を狙っていた。

 だが、撃った弾は左に逸れ逃げた兵を襲ったので、撃たれた兵は背中を見せなければ死ななかった可能性もあった。

 ただし死ぬのは、時間の問題だった可能性は非常に高い。


 この時代の銃の銃身には、ライフリングが施されている訳ではない。

 ライフリングとは銃身に螺旋状に溝を施す事を指し、弾が発射される時に溝にそって回転させ空気を切り裂き直進性を高める効果がある。

 従ってライフリングの施されていない銃から出る弾は弾道が安定しない滑空弾である。

 弾も円錐状になっている訳では無く、空気抵抗をまともに受ける球状なので、野球で言う所の投手にも変化が分からないナックルボールと同じである。


 そんな安定しない弾道のクセを何とか掴もうと、光秀は射撃を繰り返しながら微調整を試みていた。

 次に轟音と共に放たれた弾丸は、今度は狙い通りの敵兵の足に命中して転倒させた。


(ううむ……当たらん)


 狙った兵ではあった。

 しかし狙った場所ではなかった。

 盾の裏に潜む頭部を狙ったが、弾が沈んで足に命中したのであった。


(手がどうしても震えてしまう。何とか抑える事は出来ぬものか?)


 弾が狙い通りいかないのは火縄銃の構造に問題があるのだが、射手に問題が無いかと言えばそうでもない。

 槍、刀、弓の様に長年の研鑽と歴史を誇る武器ではない。

 銃は突然日ノ本に現れた新機軸の武器である。

 しかもまぁまぁ重い。(約5Kg)

 とりあえず撃つ事は出来ても、先述の武器に比べて積み重ねたノウハウが無いので試行錯誤の真っ最中なのである。


 光秀が試行錯誤しつつ鉄砲隊が整然と射撃を浴びせ、半ば織田軍にとっての射撃訓練場と化した戦場。

 現時点で発揮できる鉄砲の効果を余す事無く発揮し、浅井家に轟音と供に死ぬ恐怖を与え、()()()()()()を存分に味あわせていた。


 さらに不幸な事に、浅井家はとある誤算によってパニックを引き起こしていたのであった。


「何故じゃ!? 奴らはどれだけ火薬を持ち込んでおるのじゃ!?」


 堰の破壊部隊を指揮する遠藤直経は叫ばずにはいられなかった。



【戦を仕掛ける前の浅井家の軍議】


 浅井久政は決死隊の選抜を断腸の思いで済ませると、指揮官の遠藤直経に戦略を伝えた。


「織田の鉄砲隊は確かに脅威じゃ。しかし、先日あれだけバカスカ撃った織田軍に残弾は多くない。数回一斉射撃があるか、少数による継続射撃が主となろう。そうなると問題は弓による射撃じゃ。ならば十分に防備を整え耐え切れば堰の破壊は不可能ではない」


 これは久政が単独で考えた事ではない。

 朝倉軍も含めた共通認識である。

 先日、300丁もの鉄砲で撃ち続けたのであれば、火薬の消費量も増大する。

 高価極まりない火薬を惜しみなく使って、雨森城を攻略した手腕と破壊力は脅威であるが、どう考えても次の戦に回せる量が無いのは明らかな程に織田軍は撃っていたのである。


 推測に足る根拠は他にもある。


 それは地域の問題であって、火薬の原料を多く扱うのは堺や博多と言った西日本が主流である。

 一方、織田家は現在堺を支配下にしている訳ではないので、いくら織田に津島、熱田、伊勢と言った商業地域はあっても、硝石はそう簡単に回ってこないのである。


 史実でも、信長が鉄砲の大量運用を始めたのは、堺を支配下に置いて独占した後である。

 なお、この独占行為が東国に鉄砲戦術がいまいち普及しなかった原因でもあった。

 例えば武田軍も鉄砲は運用していた史実があるが、主戦力にはならなかった。

 それは火薬が潤沢に使えなかったので、運用方法を研究する余地が無かったのである。


 そんな訳で浅井朝倉の総意として、次の戦いでは鉄砲に対して無警戒にする訳では無いが、今回の戦で主戦力にはなり得ないと判断したのである。


「喜右衛門(遠藤直経)。これは十中八九死ぬ任務である。しかし、それでも死ぬ事は許されん。お主は浅井の次代を担う者。よいな?」


「猿夜叉丸様を見失ってしまった某に対して勿体なきお言葉! 必ず任務を達成して堰を破壊してご覧に入れましょう!」


「朝倉殿は側面から、ワシ等はお主の突撃を補佐すべく行動する! 必ず生還して奴らを叩き出す! いくぞ!」


 これが開戦前の浅井家の様子であった。

 浅井朝倉の読みは全く間違っていない。

 硝石の流通や価格を考えれば、今並んでいる鉄砲は殆ど脅しに等しい飾りである―――ハズであった。



【近江国/高時川 水門】


 浅井の誤算は唯一つ。

 織田家は硝石の自力生産に成功していただけである。

 その誤算がもたらした結果は先述の通りで、鳴りやまぬ轟音に当初の目論見は崩れ、遠藤直経の堰破壊部隊も、それを援護する浅井軍も大混乱を引き起こしていた。


 ただ、そんな中でも直経は味方の遺体を盾にしながら堰に辿り着いて、唯一安全な堰の裏側、つまり用水路ではなく高時川側に回り込む事に成功した。

 この場所だけは、堰が壁になり鉄砲も弓も届かない唯一の安全地帯であった。


「この杭と石を排除できればッ!」


 直経は小石を投げ捨て重い石を渾身の力でどかして、杭を蹴り飛ばす―――が、杭はビクともしなかった。

 相当な深さまで打ち込まれており、引っこ抜くには人手が足らな過ぎたが、しかし何もしない訳にはいかない。

 川底に潜って脇差で杭の周辺の砂や土を掻き分けて、杭との隙間を作っていった。


(よしこれで杭をグラつかせて隙間を広げれば!)


 土に打ち込まれた杭ならともかく、水底に打ち込まれた杭である。

 グラグラと動かし続けた結果、水で緩んだ土の杭の隙間は見る見る内に広がり、引っこ抜く事に成功した。


 この頃になると、直経と同じ様に杭の裏側に辿り着き、同じ様に行動する者が現れ始めた。

 一本引っこ抜く事ができれば、残りの杭は隣にできた穴を利用しすぐに除去する事ができ、加速度的に堰の破壊は進んでいった。

 既に石もかなり撤去され、用水路への水の流入は9割方回復していた。

 ひび割れた用水路が急速に潤っていき、近い場所の水田から順次水が満たされていった。


「これで最後の杭!」


 直経が気合を入れながら杭を引っこ抜くと、そのまま後ろに尻餅をつきながら川に倒れこんだ。

 足場の悪い川での作業故に、疲労困憊で立っているのもやっとだったのである。


「殿! やりましたぞ……ッ!」


 疲労で火照った体を川で冷やし、天を仰ぎながら任務達成を叫ぶ直経であった。

 生き残った十数人の決死隊も、同様に倒れこんで達成感を味わっていた。


「……では、さらばでござる! あの世で浅井の隆盛を祈っております! ……?」


 堰を破壊することは身を隠す障害物も無くなったと同義であり、身動きの取り難い川にあっては、順次狙い撃たれて討ち取られるだけである。

 杭の大半を自分で抜いた直経には動ける体力も残っておらず、銃弾の雨を仲間の遺体で防ぐ体力も無く、潔く死を迎えるつもりであった。


 だが―――


「……なぜだ!?」


 直経は戦場に違和感を覚えた。

 砦の鉄砲隊が自分達を狙っていないのである。


(そう言えば……堰に辿り着くまでは妨害が凄まじかったが、堰の破壊作業には一切妨害が無かった? どういう事じゃ!?)


 やや遠くに見える戦場には相変わらずの轟音と歓声が響き渡り、今も激闘が繰り広げられているのが容易に判る。

 しかし、少し離れたこの場所では、ポッカリと出来た安全地帯であるかの様に何もない。

 直経は疲労で痙攣する膝を抑えつつ、引っこ抜いた杭を杖代わりに立ち上がった。


「堰の破壊、ご苦労であった」


 不意に声が響いた。

 甲高い声なのに臓腑にずしりと響く、警戒感を抱かずにはいられない声であった。


「貴様は、遠藤直経じゃな?」


「だ、誰じゃ!?」


「織田三郎信長。貴様らの敵じゃな」


 信長は前々世にて直経との接触があったので、直ぐに堰に向かう武将の正体を見抜いて堰への攻撃は止めさせていたのであった。

 それに用水路が復活する事は、土地を狙う斎藤織田連合軍にとっても悪い事ではない。

 目的は鉄砲を効果的に使う為に敵を誘い出す事なので、刈田狼藉は手段であって目的では無かった。


「ところで猿夜叉丸に会いたくないか? 行方不明なのじゃろう?」


「何故それを……あッ!」


 直経は失言に顔を歪めたが後の祭りであった。


「フフフ。まぁ尋ねはしたが言うまでも無く強制じゃ。捕縛せよ!」


 信長が手を振ると背後に控えていた親衛隊が一斉に動き出し、疲労困憊の直経以下堰破壊部隊の生き残りは抵抗空しく捕らえられていった。


「さて、残りの浅井軍と朝倉軍を対処するか。浅井を釣り出せたお陰で、あちらは何とか互角の攻防で済んでいる様じゃな」


 今回の堰の目的は『鉄砲の効果的運用』と『火薬の所持量を見誤らせ戦力を把握させない』と、最後に『少しでも浅井兵を釣り出して朝倉と連携させない事』である。


 これは兎にも角にも朝倉宗滴対策である。


 宗滴が自由にできる兵を可能な限り減らし、砦の防御力を活かして互角の戦いに持ち込む事である。


 仮に浅井が堰の破壊をせず、朝倉と一丸となって砦に攻め寄せたらどう転ぶか解らない。

 先日の戦いを鑑みても、野戦においては宗滴に分があるのは明らかで、相手の土俵に立たない様にする為の『堰作戦』なのであった。


「よし! これより斎藤軍を援護し奴らを追い払うぞ! この一手で北近江の覇権を確立させる!」



【近江国/朝倉宗滴軍】


 宗滴には信長の考えは大体の所で読み切っていた。

 火薬の所持量こそ見誤ったが、それ以外の思惑は読み切っていた。

 しかし読み切った上でも、どうにもならない事も理解していた。


(この先、例え局地的に勝ったとしても、結局は奴らに一手及ばないのは明らか……!)


 どんなに局地的に勝ち続けたとしても、年中戦える斎藤織田軍に対し、今は無理して戦っているが農兵主体の朝倉軍では、毎年争うものなら必ず疲弊してしまうのは明らかである。

 専門兵士の育成も間に合っていないので、先延ばしにしかならないのは自明の理であった。


「弓隊準備! 火も起こせ! これより砦に向かって火矢を射かける! 目標は織田の鉄砲隊じゃ!」


 簡素な砦なので火災を期待する訳では無いが、運良く鉄砲隊の火薬に引火したら儲けモノと考えての指示であった。


 火薬は水に弱いが、適切な使い方をしなければ火にも弱い。

 誘爆すれば火薬を減らせるし、死傷者も出るかもしれないのである。


 ただ―――

 宗滴は極めて不満顔であった。


(この朝倉宗滴ともあろう者が、こんな運に頼った希望的観測で指示を出す事になろうとは!)


 戦いにおいては楽観的思考ほど危険な思考は無い。

 どうしても運に頼るとしても、それは『人事を尽くして天命を待つ』との例えの様に、出来る事をやり尽くした上での話である。

 それは宗滴が長年戦場で経験し、学んで辿り着いたシンプルな答えであった。


(仕方ない。危険な手ではあるが試すか……)


「よいか! 弓隊の射撃が終わったら、一旦砦から離れる! その時は―――」


 一つの策を指示して宗滴は、長年の経験と戦局を読む心眼で、既に居場所を捉えている斎藤義龍を見据えるのであった。

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