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信長Take3【コミカライズ連載中!】  作者: 松岡良佑
8章 天文21年(1552年)老いてなお鬼神なり
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79話 浅井の決断

【近江国/田部山城 斎藤織田連合軍】


 斎藤織田連合軍は、朝倉宗滴の出撃を最大限警戒して田部山城攻略を開始した。


 しかし、攻略ではあるが直接的武力行使ではない。

 やはり朝倉宗滴がネックになっていたが、だからと言って近江を諦めるわけには行かない。


 昨日の軍議で決まった事を実行すべく、斎藤、織田各軍が二分して『とある地点』に向かうのであった。



【昨日の軍議 斎藤織田連合軍】


 斎藤織田連合軍は現在、朝倉宗滴がどこで軍を指揮しているのか把握しきれていなかった。

 従って宗滴が田部山城に籠っていれば、その城の防御は格段に高まるだろう。

 しかし宗滴が城に居なければ、厄介な山城の攻略をしながら、どこかから襲撃してくる宗滴の警戒をしながら城を攻めなければならなくなる。


 昨日の大惨事を思えば、朝倉宗滴を考慮しない攻略はあり得ないのである。

 それを踏まえた上での軍議が始まった。

 今回の作戦を練った信長が、地図を見ながら目標を指揮棒で指した。

 指揮棒は、田部山城から少し外れた地点を指していた。


「明日の目標は田部山城近辺の高時川!」


 信長の『川を目標にする』との言で、諸将がまず頭に浮かんだのは『背水の陣』であった。

 それを口には出さなかったが『絶体絶命まで己を追い込まねば、朝倉宗滴は倒せない相手なのか』と、改めて伝説の武将を相手にする恐怖と戦の難しさを感じたのであった。


「……何か勘違いして居るようじゃが、別に背水の陣を敷く訳ではないぞ? ちょっと川に細工に行くだけじゃ。上手くすれば敵を釣り出して一網打尽にする事も出来よう。その為に軍を二手に分ける。細工担当は織田軍、その間の警護を斎藤軍、細工完了後は細工を施した場所を狙うように布陣する」


 諸将の緊張と不安を感じ取った信長が補足説明をする。


「水攻め……と言う事ですか?」


 水攻めには色々種類がある。

 相手の城の水脈を破壊して、生活に必要な水を奪ってしまう事も立派な水攻めだ。

 ダイナミックな水攻めも存在し、洪水を意図的に引き起こして敵を流す、と言う戦術もある。

 しかし梅雨も明けて初夏のまだ台風も来る気配のない今の時期では、そんなに効果が見込める戦術ではなかったし、地形的にも人員的にもまだ難しい。


 他の水攻めと言えば、羽柴秀吉や石田三成が行った常軌を逸した城丸ごと水没作戦は、未来の戦術なので誰も知らない。

 転生した信長にしても、秀吉からの報告で聞いた事がある位の戦術で見た事はないし、そもそも田部山城はその名の通り山城なので水没のさせ様が無い。


「水攻めか……。まぁそうじゃな。これも一種の水攻めじゃ。明日は黒鍬(くろくわ)の力が必要となる故に準備を怠らないように!」


 朝倉宗滴が相手なので間者を警戒して詳細は伏せられたが、不安な武将たちとは裏腹に、信長と義龍の顔だけは自信に満ちていた。


 次の日には軍を開始し、到着した高時川の目標地点にて『やるべき事』を伝えられた諸将は、『成程!』と得心して持ち場に散っていった。


「さて浅井久政よ。貴様はこの暴挙にどう行動するかな?」


 信長は自信たっぷりに言って小山に(そび)える田部山城を見据えるのであった。



【近江国/田部山城/ 浅井朝倉軍】


「何故あの場所なのじゃ……?」


 朝倉宗滴は田部山城の眼下に広がる土地の東の方で、強固な陣を敷き砦を作る斎藤織田連合軍の真意を計りかねていた。

 昨年の『姉川砦』同様に、拠点を築いて攻略の足掛かりにしようとするなら意図は分かる。

 しかし、それなら距離的にも奪った雨森城でも構わないのである。

 焼け落ちてしまったとはいえ、ゼロから砦を作るよりは効率的であるのに、高時川周辺で作る理由が分からなかった。


「建設現場に織田木瓜の旗が目立つと言う事は、あの砦は信長の策。あ奴が無意味な事をするとは思えぬ。必ず隠された真意があるはず! あの場所でなければならない何かが!」


 敵が高時川に付近に陣を構えて、何やら防備を固めているのは浅井家の者にも理解はできた。

 その防備が田部山城攻略に向けての動きであるのは明白で、何度か襲撃を行ったが徹底的な防御を敷いた斎藤軍を突き崩す事が出来なかった。

 途中から朝倉宗滴も攻撃に加わったが、方円陣で亀の様に固まる斎藤軍には流石の宗滴をもってしても崩せず、いたずらに時を浪費していった。

 こうして膠着状態が続き、数日が経過したある日、浅井久政と朝倉延景(義景)に急報が飛び込んできた。


「も、申し上げます! 領内の水田の水が干上がってしまいました!!」


「何じゃと!?」


「……何が原因か?」


 驚く久政とは対照的に延景は冷静であった。


「高時川に布陣している敵が、用水路を堰き止めた事が原因と思われます!」


「……ッ!!」


 伝令の言う通り、田部山城の麓に広がる広大な水田に、本来あるはずの水が無くなっていた。

 稲にとっては今の時期がより一層成長する為に水が必要であるが、供給が絶たれ残された水も稲の絶大な吸水力で水田の水を吸いつくしてしまい、一部の水田は地面のヒビ割れも確認できる程に干上がっていた。


「成る程。そう言う戦術もあるのか。爺が認めるだけあって敵はズル賢いのう」


 浅井の領地を完全に把握していなかった朝倉出身者にとっては、慮外の戦略であった。


「何を悠長な! ッ! も、申し訳ありません、無礼な物言いでした! しかし堰を切らねば、只でさえ不足気味の兵糧がこのままでは壊滅的な被害を受けてしまいます!」


 本来は浅井の配下や領民が気付かなければならない事なのだ。

 しかし、地元の領民は兵として田部山城に籠城しているか、既に安全な場所に逃げている。

 更に、浅井家の者も昨年の敗北から立て直しが済んでおらず、久政の戦に対するセンスの無さも合わさり、易々と領地の急所を押えられてしまったのであった。


 その急所を押えられた浅井の領地は昨年、農繁期に侵略を受けて農作物にもダメージを受け、慢性的に兵糧が不足していた。

 いま戦を行えるのは、戦後の必死の回復処置と不幸中の幸いと言うべきか、領土が半減して領民が流出したので、運良く兵と兵糧のバランスが辛うじて取れているだけである。

 今年も侵略がある事を見越して可能な限りの人員総出で水田の整備を行ったが、戦が長引けば当然の事、水路まで塞がれてしまっては、稲が兵糧が軍が国が、挽回不能の壊滅的被害を受けてしまう事になる。


 そんな非常事態に対して二人が話している一室に、作戦を統括する宗滴が入室してきたので、延景が今後の展望を尋ねてみた。


「爺よ。聞いたか?」


「聞いた!」


 宗滴が短く答えた。


「ならば今、面白くない状況なのじゃが、なんぞ手立てはあるか?」


「……手立てが無い事も無いが、これは本当に厳しい攻めじゃな……!!」


 今までずっと頼もしく振舞ってきた宗滴が、昨年も含めて一番の苦渋の表情を浮かべて唸った。


「そんな……宗滴殿!」


「堰き止められた部分と、今の敵の陣が我らにとって最悪なのじゃ」


 宗滴は今現状を把握した二人と違い、より詳細な情報を伝令から聞いていたので、地図を用いて状況を説明した。


挿絵(By みてみん)


「ここが奴らの築いた砦。砦と言っても柵を並べて囲っただけの貧相な砦。それで、ここが堰き止められた場所じゃ。高時川からの用水路の根元を塞がれてしまっておるから広範囲渡って水が枯渇した訳じゃ」


 田部山城の麓を流れる高時川は、周辺の水田への水の供給を一手に引き受ける川であった。

 だが、その根元を塞がれたので、最低限の労力で最大限の効果を発揮させる事を許してしまっていた。

 その時、別の伝令が三人の協議する一室に飛び込んできた。


「申し上げます! 敵軍の一部が川沿いに南下を始めました。数は100程です!」


「爺、これは別の個所を堰き止めに行ったと見るべきじゃな?」


「そうでしょうな」


「ならば! 直ぐに堰を破壊しに行きましょう!」


 久政はそう叫んで出陣を促したが、宗滴と延景は久政の熱意とは裏腹の冷めた目で対応した。


「……新九郎よ。その言葉に二言は無いか?」


「え?」


「もう一度聞くぞ? 二言は無いのだな?」


「え? ……え?」


 延景が念押しして聞くが、久政は要領を得ない反応しかできなかった。

 そんな久政に宗滴が助け舟を出す。

 出すが―――


「若。ここはワシが。……新九郎殿。もう少し分かり易い表現で言いましょうか。浅井家は死んでくれると解釈して宜しいか?」


「え!? 死ぬ!?」


「先程、途中で伝令が入ってきて説明が不十分であったので続けようか。用水路の堰と砦の位置関係がこの様になっておるが、堰の目と鼻の先に砦がある。これが非常に厄介じゃ。何故か分かるか?」


「何故と言われても……あ!」


 戦の才能が無い久政は位置関係を見て、ようやく砦の危険度を理解した。


「そう。堰を破壊しようとする軍を狙い撃ちできる位置関係にある訳じゃ。しかも奴らは鉄砲部隊を揃えておる。柵で守られた鉄砲隊を排除するのは困難じゃ。弓兵もおるじゃろうし、他の軍勢もボケっと眺めておる訳でもあるまい。本来なら砦を攻略して安全に堰を破壊したい所じゃが、水田の状況を鑑みるに一刻を争う。そうなると敵の攻撃を凌ぎつつ堰を破壊する事を強いられるのじゃ。それ故に新九郎殿に我らは確認したのです。『二言は無いか?』『浅井は死んでくれるのか?』と」


 そこまで説明を受けて、ようやく久政は己の発言の重大性を理解し、如何に無責任な提案であったのか気が付いたのであった。


「勝敗とは別に、水田を諦めて戦うか? 決死の覚悟で堰を破壊するか? ……はたまた大幅な譲歩の土産を持って交渉するか? これを決めねばなりません。朝倉は浅井の方針を踏まえた上で動きます。新九郎殿は朝倉に臣従したとはいえ北近江の管理者。意思は尊重しましょう」


 久政の領地の問題で、朝倉軍が決死隊となって戦うのは筋が通らない。


 その上で米を選ぶなら、浅井家は玉砕覚悟で射撃の雨の中で堰の撤去を行わなければならない上に、朝倉単独で敵と戦うので、堰を破壊できたとしても負ける可能性は十分に考えられる。

 しかも、堰の破壊が成功しても戦に負けては、特攻は全くの無駄な努力となる所か、復活した水田は敵の物となる『骨折り損のくたびれ儲け』にも程がある結果となる。


 米を諦めるなら、全戦力を持って戦に集中できるが、勝っても待っているのは飢餓地獄である上に、領民の求める領主の責任、つまり領地の保護を放棄するので民心を失う事になる。

 まさに、浅井の未来は潰えたも同然で『本末転倒』にも程がある結果となる。


 一番良いのは堰を即座に破壊し、斎藤織田連合軍を追い払う事である。

 だが、そんな事が出来たのであれば最初から今の苦境には陥っていない。

 しかも、敵が簡素とは言え砦を拠点にするので、先日の宗滴の様な敵陣の蹂躙は期待できず、希望的観測をふんだんに含む『画餅』に過ぎない分の悪すぎる賭けである。


 残るは交渉であるが、人的被害は最小で済むかもしれない。

 現在の所、敵は地の利を得て水田まで人質に取っている有利状況なのに交渉で退かせるには、戦って失う以上の領地を失う事は間違いない。

 結局、滅亡に至るタイミングが先延ばしになるだけの『臭いものに蓋』をしただけである。


 宗滴が示さなかった選択肢として完全降伏も選択肢としてある。

 だが、昨年までの久政ならともかく、大名として成長してしまった久政にその選択をする『厚顔無恥』の性根は無い。

 そもそも、そんな素養があるなら昨年真っ先に降伏しているだろうし、根本的に『天下布武法度』には到底従えない。

 仮にそんな事をすれば、頼もしい朝倉宗滴の武が浅井に牙を剥く事になる。


 あとは強いて言えば現状維持の篭城継続と、後方の拠点への退却であるが、今までの選択肢以上に碌な結果にならないのは明白であった。


「うぅ……ワシは……ワシは……―――!!」


 浅井久政は『八方塞がり』の現状の中、決断を下すのであった。



【近江国/高時川砦 織田軍】


 信長が用意した鉄砲隊は、全て堰止めた用水路に向けて構えられていた。

 信長の鉄砲運用の肝は、先日の雨森城の城門への狙いも、転生前の長篠の戦いでも、敵が鉄砲隊の前に身を晒さざるを得ない状況にする事である。


 無論、最初から100点満点の運用を出来ていた訳では無い。


 色々な試行錯誤を経て完成したのが長篠の戦いでの運用である。

 かつての武田軍が解っていても鉄砲隊の前に突撃せざるを得なかった様に、今回は堰き止めた用水路を回復させようとする敵を狙い打つ、鉄砲が最大限の効果を発揮できる状況を作り出した。


 信長は、この言わば工夫によって殲滅エリアを作る運用方法を持ってして戦うつもりでいる。

 その他の未来の工夫である集団鉄砲運用戦術や早合、散弾等を全て封印して敵に与える情報を最小限に絞る。

 それでもこの布陣は、凡将では容易には真似出来ない運用方法で優位性を保つ。


《こんな……見え見えの死地に本当に飛び込んできますかね?》


 この余りにも露骨な罠とも言える状況に、ファラージャは不安を感じずには居られなかった。


《来ないなら来ないでも良い。それならば『刈田戦術』で損害を与えるだけ。むしろその方が火薬を節約できた上に敵に壊滅的な損害を与える事ができる》


 刈田戦術とは、他国の領地の稲を刈り取って兵糧にダメージを与える戦術である。

 実った稲は当然の事、実る前の稲に仕掛ける事もあり、信長が今回行った用水路の堰き止めての稲を枯れさす行為は大規模な刈田戦術と言えた。

 兵糧に余裕のある斎藤織田と、兵糧に余裕の無い浅井故に特に効果覿面であった。


《じゃが、まぁ……ここで命を賭して堰の破壊に動かねば、浅井は領主失格故に十中八九来るじゃろう》


《十中八九? 断言は出来ないのですか?》


《奴には前科がある。前々世の話だがな》


 浅井久政、と言うよりは長政も含めた浅井家全体の前科であるが、前々世で信長が浅井を攻めた時、城下町を焼き払っても浅井は城に篭ったままであった。

 前々世とは状況が違うので断言は出来ないが、領地を守るのが領主の責務であるのならば、この様な状況になれば基本的には出撃しない訳にはいかないはずであった。


 果たして『浅井久政の選択は?』と内心気を揉んでいた信長の元に、敵の動きを知らせる伝令がやってきた。


「田部山城より敵が出撃してきました! 敵は二手に分かれ、その内の一方が、どうやら堰の破壊に動く模様です!」


「分かった! 鉄砲隊準備せよ! 浅井の心意気に敬意を表し鉛球を馳走せよ! ()()()出し惜しみはしない!」


 武士として、大名として成長した久政は、領主の責任を果たすべく堰を破壊する事を選んだのであった。

 それは、武士として、大名として、領主として、男として、領民の安寧を常に考えた久政にとって、ある意味清々しいまでの決意と意地と矜持を見せる一世一代の突撃となった。

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