第二話 英雄の対価
ヒュライドの搭から東方面のすぐそば。そんな街の中心にその教会はあった。新築、とは言えないがそれなりに新しく見えるのは、六年前の事件で崩壊したものを建て替えたからだそうだ。
突如として広場に生えてきたダンジョン。その騒ぎに巻き込まれて半壊したとかなんとか。
しかも信仰対象は何を隠そう、その搭の名前でもあるヒュライドなのだから皮肉なものか。自らの信仰対象に教会を破壊されるとは、中々酷い体験である。
「たーのもーっ!」
「……この場を訪ねるには、あまり適切な挨拶ではないようですが」
「ああー、ごめんごめん。こういうのはノリが大事だし、な?」
正面の扉を開け放ち、迎えてくれたのはどこか呆れた男性の物言いだった。金髪金目のややシワの増え出した顔から見るに、年齢は三十後半と言ったところか。参列席の一角に腰を下ろしていたその神父姿の男性は優雅に立ち上がり、ルークへ小さく頭を下げた。
「まあ、誰であろうともひとまず歓迎しましょう。私はジェームズ・カント。ヒュライド様の御威光を受けたこの教会を預かるものです。今日は如何なさいましたかな?」
丁寧に品のある仕草で名乗るその姿は、なるほど。故郷のなんちゃって神父とは訳が違う。これぞ本物の聖職者だと言わんばかりの威厳を持っていた。
どこか蛇のような、或いは背筋に冷や汗が流れるような、冷たい迫力も見え隠れしており只者ではないことを知らせる。
思わず怯みそうになるが、それはルークのプライドが許さない。出来る限りの大胆に、余裕を持った態度を装った。
「いや別に用はなくてさ。なんか凄い人で世話になることもあるだろうから、先に簡単な挨拶をしようと思って」
「では特別な要件などは?」
「うん、ない」
その一言に何を思ったのか。一瞬だけ目を細めて、すぐに興味を失うと背中を向けて再び座り込んでしまった。奇妙な静寂が昼過ぎの教会を支配する。
「え、いやえっと……俺はルーク・カーライル。辺境の村の出身で昨日この街に……」
「必要ありませんよ。新米冒険者の素性など一人一人覚えてられませんし、覚える気もありません。上客であれば話も違いますが……少なくともあなたがお金を落とす様子もない」
ルークの必死な話術も、その言葉に両断されてしまった。思わず固まるルークと、気にせずに何かの作業を始めるジェームズ。本当にルークには興味がないらしい。
「そ、その神聖魔法のスペシャリストって本当なのか? 色々と凄い儀式ができるとか……」
「できますね」
「あと治癒魔法も……」
「物理的な欠陥でなければ大抵は治しますよ」
「えっと……」
会話がまるで続かない。話を振る側が口下手なのもあるが、受け手に言葉を返す意思が微塵も見られないのが原因なのは明白だ。もっとこう、聖職者とは優しげな美人の女性とかそのような夢を持たせてはくれないのだろうか。
故郷のボケ爺さんといい、目の前の神父といい、変わり者ばっかりでうんざりである。このまま帰ってしまうかとと思ったが、それでは何のために訪ねたのか分からなくなってしまった。
「蘇生魔法とかってやっぱり準備に色々と必要だったり……」
「いえ、そこまで手間のかかるものでも。相応の対価は頂きますがね」
「……金を取るのか」
「勿論でしょう。対価さえ払うのなら、全力で仕事はします。ですが、タダ働きは勘弁願いたいところですね」
その単語を出した途端、僅かながらに饒舌になった神父を見てルークは酒場のママの言葉を理解する。つまり、この男は金にがめつい聖職者あるまじき理念で動いているのだろう。
金が大事なのは社会の中で生きる人間にとって共通の価値観だ。それを悪だとは言えない。しかし、程度と言うものがあるはずではないのか。ジェームズの言動からは、金こそを何よりも至上とする姿勢が垣間見れて。
──ルークの中で何がざわめいた。
「じゃ、じゃあ、金が用意できないような立場だったら……もしそうなら……」
「後々払える保証か確証があるのなら、ツケに回すことも吝かではありません」
「それさえ無かったら……?」
「門前払い。それ以外にありませんよ」
その言葉を聞いた瞬間、ルークは左手に収束した魔力を抑えるのに必死だった。ピクリとジェームズが背中を見せたままに警戒心を露にする。
「お前は、救う力があるのに金がなければ見捨てるのか……!?」
脳裏に浮かび上がる後悔の風景。大好きだった父親が、尊敬していた冒険者が、異形の化け物に立ち向かう姿が。弱かったルークにはただ無事を祈るしかなくて。
そして、化け物と共に血溜まりに沈んだ小さな英雄を唖然と見下ろすしかなかった。
当時のルークは弱かった。共に剣を振ることも、傷を癒すこともできず、誰も救えない子供だった。もっと自分に力があればと何度も後悔した。
「そんなに凄い力があるなら、もっと人助けのために使う気はないのかよ!?」
「嫌ですよ。一度タダでやってしまえば、二回目からも無償でやらなくてはいけなくなる。そのような収入を下げる愚行など……」
「金金カネかね……それしか言えねえのかよッ!」
ジェームズのすぐ背後にまで駆け寄り、後ろから首を掴むと参列席から引き剥がす。そのまま正面を向かせ、魔力を溜め込んだままの左手で襟首を鷲掴みにした。
息苦しさにジェームズが表情を歪め、ルークの手の隙間から赤い光が漏れ出す。
「力を持つなら弱きを助けろと。あなたは私にそう説法を解きたいのですか?」
「そんな大層なもんじゃない! 人として当たり前のことだろうがぁ!!」
世の中にどれほど己の無力を嘆くものがいるか。才能どころか、努力する機会さえ与えられず、それでも人を助けたいと願う人々がいるはずだ。そのほんの一握りの能力を与えられ、何故この男は私利私欲に走れるのか。
「ならば欲望もまた、人として当たり前のことですよ」
「お前ぇ……!」
一段と溢れる光が強くなる。心の奥底から湧いてくる怒りが激しく燃え盛る。それを解放してもいい。或いは空いた右手で剣を抜いても構わない。こんな痩せ細った神父などどうにでもできるのに、
「どうしましたか? 私が嫌いなのでしょう」
「くそっ……」
乱暴に神父を投げ飛ばして、解放した。不完全燃焼に終わった憤怒は、嫌な音をたてながら残り続けて最悪の気分だ。しかし、あのままではきっと、ルークは取り返しのつかないことをしていただろう。
「……猪突猛進、常識知らず、ついでに偽善者でもありますが、愚者と言うわけでもない。ここで私を殺せるほど軽い頭でしたら、少しは溜飲も下がったでしょうに。実に哀れな少年だ」
「黙れ……」
「黙りませんよ。私もあなたのことは好ましく思っていませんので」
これまで落ち着き払い作り物めいた笑みを浮かべていたジェームズ。そんな彼が初めて表に出した感情は静かな苛立ちだった。激しい憤怒を燃やすルークとは真逆の、静かに音を立てる冷たい苛立ち。先ほども感じたゾッとするような気迫に当てられ、喉が一瞬だけ詰まる。
「あなたが私を殺すことは所詮エゴでしかない。何より私の元には多くの救いが求められるのは聞いているのでしょう?」
「ああ、聞いてる……」
酒場のママも言っていた。曰く、教会の敏腕神父は多くの人々に頼られていると。治癒魔法と神聖魔法の極めた者であり、成功率に目を瞑っても人間の蘇生という神の領域にまで踏み込んだ神官。もしもこの街が彼を失えば、ダンジョンからの死者や怪我人で溢れ返る可能性だって決して否定できない。
「例え庶民にとって法外な金銭であろうと愛する者のためなら、救いを求めて教会の門をたたく人々は後を絶えない。私を殺せば、その救いさえ途絶えてしまう。あなたがそれを理解できてしまう限り、あなたは私を殺せません」
「…………」
そんなことは分かり切っている。なのにそれをわざわざ言葉にして叩き付けるのは、悪意を持ってルークに接しているからに他ならない。返す言葉も見つからないルークに、ジェームズも表面上だけは無感情を保ち続けた。
「然るべき救済には、然るべき対価を。言わば需要と供給の均衡を保つため……ついでに私の懐が潤えば一石二鳥でしょう」
「何が需要と供給だ……! 最後の言葉がお前の本音──っ!?」
「ええ、その通りです」
気が付いた時には、ジェームズの顔がすぐ目の前に接近していた。特に鍛えてもいない神父如きがルークの反射神経を抜けられるはずは無いのに。何故かぬらりくらりと懐に入られて、首に指を当てられる。
「言ったでしょう? 人間にとって欲望を満たすことは“当たり前”の行為なのです。ヒュライド様でさえ、生贄を対価に我々人間を介護してくださる。あなたの言う“当たり前”など、御伽噺の中の英雄にしか当てはまらない」
「ああ、そうかよ……だったらな!」
押されていた気持ちを前に踏み込ませて、自分を鼓舞するように叫ぶ。神父が僅かに眉を潜め、その隙に首に当てられていた手をつかみ取った。神父を捕まえ、その金色の眼を睨み付け、そして吼える。
「俺がその“当たり前”を変えてやる! 俺が英雄になって多くの人間を救ってやる……父さんが救えなかった分だけ!」
「……それで具体的に何をするというのですか? 覇気だけでは何も解決しませんが」
「人を救うには誰よりも強くならなくちゃいけない。それを証明するために、ヒュライドの塔をこの俺が踏破するっ!」
その高らかな宣言に、ジェームズは今度こそ驚いたように目を見開いた。言ってやった。胸を張りルークの誇れる目標を掲げてやった。すまし顔で驚くジェームズの顔を見下ろしてやって、不気味な音に眉を潜める。
「くくくっ……なるほどなるほど……!」
それはジェームズの押し殺した笑い声だった。先ほどまで僅かな感情の漏れはあれど、無表情を貫いていた鉄の仮面までもを剥ぎ取って。神父は笑っていた。ただひたすらに悪魔のような好奇心だけを乗せて。
「何がおかしいんだよ!?」
「おっと失礼。あまりに行き過ぎた大望をおっしゃるものですから、つい」
ひとしきり笑い終えたジェームズは口先だけの謝罪をすると、取り繕うように自らの顔を撫でる。それで後は元の無表情の完成だ。射殺さんとばかりに睨み付けるルークもどこ吹く風と言った様子だった。
「御伽噺の英雄ですか。そのためには誰よりも強くあるべきだと。そのためにヒュライド様の塔を踏破すると。なるほど、実に合理的思考です。実に理知的で、あまりに無鉄砲すぎる」
「無鉄砲なんかじゃない! 俺はあの時からもう変わった……強くなったんだッ! 絶対に今の俺なら……」
「ならば証明すればよいだけです。見事三十層まで辿り着けば、あなたの名前はすぐ間近の教会になどすぐさま伝わるでしょうから。……では私は忙しいので。取られた時間分の対価は頂きましたよ」
ルークの懐からササッと離れていき、その手には数枚の銀貨が握られていた。慌てて腰のポーチを覗いてみれば財布の中身が減っている。それはジェームズの持つ銀貨と同じ枚数だ。
「そうさせてもらうぜ……! お前はできないって思ってるんだろうけど、その予想は絶対に外してやるッ!」
今さら銀貨数枚に固執する気も無かった。それ以上の何かを消耗した気分で、背を向けると入口へ大股で進んでいく。本当に腹立たしい。いっそのことぶん殴ってしまいたいのに、最後の理性までもがジェームズに味方してしまう。
「最後にもう一度言っておきましょう。物事には何であろうと対価を用意しなくてはならない。それが大きければ大きいほど、要求される対価もまた膨れ上がる」
教会正面のドアに手を掛けて、そこで立ち止まった。あれだけ苛立ちばかりを募らせる声なのに。何故だかその言い回しには意識が吸い込まれるような気分で。
「身に余る大望に要求される対価は如何なものなのか。あなたの賭け金の限度額には、少しばかり興味が湧きました」
「…………」
「お金さえあれば私は何時でも歓迎しますよ」
それが最後の言葉だった。勢いよくドアを開け放ち、怒りを隠すことも無く外へ踏み出す。そんな時、ふと視線を感じて正面を見て見れば。そこにいたのは、金と青のオッドアイに毛先につれて白から桃花に色合いを変える髪が特徴的な一人の少女だった。
ルークと同じように皮鎧に身を包む姿からして冒険者だろうか。その割には鎧と背中のマントがあまりに大きすぎて、仮装か或いは姉の装備を勝手に持ち出した妹とも見て取れる。
そんな小柄な少女は、勢い良く開け放たれたドアと、怒り心頭と言った様子のルークを交互に見つめ、状況を掴めないとばかりにオドオドしていた。普段であれば村の子供たちのように優しく接するところだが、残念なことに今のルークに余裕など微塵も無い。
「お前もあのクソ神父に用か? 金が無ければ子供も見殺すクズ野郎だから、できるなら帰ったほうがいいぜ」
「ええっ、なにそれこわい!」
大げさな仕草で驚きを表す少女は、あの鉄仮面の神父とは真逆のようだ。その可愛らしい声にほんの少しだけ怒りの炎が弱まるのを感じる。
「でも、大事な用だから……教えてくれてありがとう」
「んいや俺も変なこと言って悪かった。気を付けろよ」
それでも根はしっかりしているようだった。健気に自分の意思を表明する少女に破願して、すれ違うようにギルドへ足を進めていく。重たいため息が自然と溢れてしまう。この気分を少しは解消するため、今晩は上手いステーキでも食べようと心に決めた。