第一話 世の中そう上手くはいかない
馬車の振動がお尻を通じて体を揺らす。何度も何度も日が昇り、沈んでいくのを繰り返してジンジンとした痛みがお尻と腰回りに響いている。だが、気分は悪くない。最高の興奮がそんな痛みを打ち消していた。
「おっちゃん! あの街か!?」
「おう、でかいだろ! これなら昼には付きそうだな」
御者台から聞こえる商人の声に頷き、荷台から乗り出すと不安定な体勢で目の前の景色を、巨大な都市へと目を凝らす。遠目から見ただけで分かる発展具合。同じような馬車が幾つも活気に満ち溢れた街並みへ消えていく。
辺境の村であり得ない光景だった。故郷の村なんてあまりに小さくて、それが一段とその人物を、少年を熱狂させる。
燃える炎のような赤い髪。急所を守る様に身につけられた皮鎧はやや古ぼけていながらも、職人の腕の良さが分かる丁寧な作りをしている。それに対して、腰に差している片手剣は僅かながらに装飾で彩られた美しい柄と刃を持っていた。
やや鋭さを感じるが、どこか愛嬌のある瞳は目の前の都市を見て、大きく見開かれている。口からは勝手に感嘆の声が漏れてしまっていて、それを間抜けな姿とは誰にも言えまい。
年若い少年が未来の希望に向けた表情は、ただひらすら眩しいものであり、蔑む対象ではなかった。
そして少年の視線はとある一点に、街の中心にそびえ立つ塔へと向けられる。
「待ってろよダンジョン! 俺がお前を制覇して、名前を轟かせるっ!」
確かな目標を掲げて、赤髪の少年──ルーク・カーライルは吠える。苦笑する商人と、同じく声をあげた二頭の馬が、彼を祝福しているようだった。
☆ ☆ ☆ ☆
「……誰も来ない」
そして翌日。先日の晴れやかな笑顔もどこへやら。ルークは不機嫌そうにテーブルに突っ伏していた。賑やかに人々の話し声が聞こえるが、それが今のルークには騒音にしか思えない。
「暇だ……」
ここは冒険者ギルド、そしてそれと建物を同じくする酒場の中である。様々な依頼を引き受けたり、冒険者同士で交流する場。長年、冒険者に憧れを抱いていたルークには輝かしい空間だ。
昨日の昼頃、ここウルティアの街へ到着したルークは早速とばかりにこの場で冒険者として身分を登録。ついでに共にダンジョンへ潜る仲間を募るべく張り紙を受け付けに申請し、当日登録した宿へ退散したのだ。
冒険者にとって、仲間とは大事なもの。お互いを助け合い、共に危険な世界で過ごし、命を預け合う。なんて素晴らしい関係だろうか。少なくともルークはそう思っている。
だからこそ、朝イチにギルドに現れたルークは一体どんな人物が仲間になってくれるのかと、目を輝かせてそわそわとテーブルに陣取っていた。第一印象はとても大切。背筋を伸ばし、キリッと表情を作り上げ、待ち続けた。
「なのに、誰も来やしねえ!」
そして、時刻は昼食の時間を少しばかり見逃した頃合いである。テーブルに両手を叩き付け、吠えるルークの声は昼間から繁盛する酒場の活気に消えていった。何だか虚しくなる。
時折掲示板に人が流れていき、思わず期待から身を起こすが、彼らがこちらに駆け寄ってくることは一度たりともない。
「一日待って誰も来ないならいっそ一人で……いやさすがにそれはダメかぁ」
このウルティアの街、最大の特徴は中心部にそびえ立つ巨大な搭だ。──ヒュライドの搭、そう呼ばれる所謂ダンジョンと呼ばれる神秘の建造物である。
内部の空間は歪んでおり、屋内なのにあり得ない広さの平原や森、はたまた砂漠や火山などの環境が自然法則を無視して支配している。
そんな環境だけでも人間には厳しいと言うのに、魔力から何処からともなく魔物が生まれ、襲い掛かってくるのだ。それこそがダンジョン。考えるだけ無駄。正体不明の魔法によって実現する、正しく神秘の建造物だ。
しかし、何も悪いことだけではない。魔物が何処からともなく現れるということは、いくら狩っても資源が枯渇することはないと言うわけであり、時折貴重な道具の入った宝箱などが出現することだってある。
チップは自らの命。一瞬の油断で全額敗退。ただし倍率は規格外。一攫千金を目指して、多くの冒険者が挑戦するのも頷ける話だった。
「何よりも、制覇できれば最高の名誉が手に入る! カーライルの家名は色んな場所に広がる!」
そしてそんな大金よりも。ルークが求めるのは名誉だった。六年間経っても未だヒュライドの搭は二十六層までしか踏破されていない。予測される搭の規模は全三十層だ。
搭の頂上へ辿り着く、正確には三十層に存在するボス全てを誰よりも早く打倒して見せれば、ヒュライドの搭、初の制覇者としてルークの名前は轟くだろう。それこそがルークの目標、そして夢だった。
「そのはずなのに、まさか挑戦する前から問題発生とは……」
「坊や、朝からずっと座りっぱなしだけど、どうしたんだい?」
ふと頭上から年季の入った声が聞こえて、顔をあげるとそこにいたのはこの酒場のオーナーである五十代ほどの女性。明るい茶髪にふくよかな体の特徴的な人物だ。
その大きな体からは優しげな包容力と共に大人の落ち着きを漂わせる。そのようにルークには見てとれた。
「搭に潜る仲間を募ってるんだけど、誰も来ないんだよ……」
「まあ、そう落ち込みなさんな。選ぶ側だって慎重なんだ。一日やそっとで集まったりはしないよ」
再びテーブルに顔面を押し付け、酒場のママは苦笑する。同情するなら仲間をくれ。そんな要求を全身で表していると、僅かに考え込む様子を後頭部から感じた。
「それなら教会に挨拶でもしてきたらどうかな?」
「教会に? 俺そこまで熱心な信徒じゃないし」
「いやいやそうじゃない。教会にいる神父様にさ」
酒場のママの言葉に次々と疑問符が浮かび上がる。再び苦笑。酒場のママは説明を続けた。
「この街のヒュライド教の神父はね、治癒魔法、神聖魔法のスペシャリストで緊急時にはみんなお世話になる人物なのさ。予め好印象を与えておけば、それだけで生存率が上がると有名なんだよ?」
「へえ、神父ってそんなに凄いのか。俺の故郷のちっこい教会なんて、ボケの始まったよぼよぼの爺さんしか居なかったぞ」
話が長いくせに自分でも話してたことを覚えていない始末だから、毎月の教義が苦痛でしかなかった記憶は痛々しい。居眠りしたらすぐに叱ってくる母親さえ、一緒に眠気眼を擦っていた。閑話休題。
「とにかく、数日は暇だろうからね。暇潰し……って言うとあの方に失礼だけど。……変わり者だから話してて飽きないし」
最後の方は聞き取れず、誤魔化すように曖昧な笑みを浮かべた酒場のママに怪訝な視線をぶつける。だが、やることを教えてくれたのは感謝だ。確かに座りっぱなしはしょうにあわない。
「よし、じゃあ行ってくっか!」
「そうそう。若者なら元気に動き回るべきさ。あ、ただ一つだけ」
「なんだよ?」
少しばかり軋みを上げる体を伸ばして、早速ギルドを飛び出そうとしたところを止められた。首だけで振り返り、抗議の視線を向ける。
「お金に余裕はある?」
「え、うん。都に出てくるってことで余裕は作ってあるけど」
「じゃあいいさ。気を付けてね」
ただ一人の人物に挨拶しにいくだけなのに、一体何に気を付けるというのか。しかし、それに答えてくれる様子は無くて。疑問符を浮かべながらも黙ってギルドを後にする。
初めての都は、奇妙なことだらけであった。