Gの告解 -4-
「その後、しばらくは私の懸念が杞憂であったと思える日々が続いたんだ。もちろん、こう前置きしているぐらいだから、その逆だったんだけれどね」
自嘲気味に笑った私の声はだいぶ乾いていたように思う。目の前の少女がコーヒーを啜るのと同時に、私もそれを口に含む。やけに苦いコーヒーだ。
三人の仲は、ある意味では今まで通りだった。でも、次第に私は彼と二人になる時間が少なくなって行ったんだ。彼の方から私を避けていたのは言うまでもないけれど、私もなんとなく彼の存在が疎ましく思い出していたのも事実だった。私は卑怯な男だ。今からでも間に合うのならば、あの時に戻って二人に謝りたい。あるいは当時の自分を張り倒してでも謝らせたいぐらいだよ。
だけど、それはもう意味をなさない。壊れ始めた私たちの関係は修復できないほどまでに拗れていたんだ。滑稽なことに表面上はお互いに仲がいいふりをしていながら、ね。
それからしばらくして、私たちの穏やかな、いや、もう穏やかとは言えなかったかもしれないね。とにかく普通の日常は突然に終わってしまった。大東亜戦争、君たちの世代ならば太平洋戦争と言った方がわかりやすいかな?
私たちが中等学校の三年生の冬、大東亜戦争が始まったんだ。まだ、徴兵年齢じゃなかったし、そもそも学生のうちは兵役は免除されるから、私たちは何処か遠いところで起きている出来事だと思っていたんだ。
でも、次第に悪くなる戦況は嫌でも感じられるようになっていった。そして、遂に本土への空襲が始まった。
丁度その頃、私たちは中等学校の卒業の時期だったからか、志願兵についての話題が増えていたんだ。私たちのクラスからも志願する人がいると聞いた時は驚いたものだった。あとから聞けば、親戚が空襲の被害にあったから、だとか、私怨に近いような理由だったけれども。
ある日の放課後、私はたまたま彼と二人で帰る機会があった。自然と話題も進路の話になっていた。
「水嶋の奴、あいつ本当に志願するらしいな。書類抱えてたぜ」
「俺も見た。しかし、馬鹿だよな。あんなの大人に任せとけばいいのに」
「なぁ、お前には悪いんだけどさ……」
「なんだよ、無駄にあらたまって」
「実は、俺も志願したんだ、海軍」
今も忘れないよ。彼のその時の顔は後にも先にも無いぐらい、とても真剣な顔をしていたんだ。そして同時に私は後悔していた。志願した奴を馬鹿といった事、彼からさっちゃんを奪った事、いつかの校庭の事。
その時既に彼は私より幾分も大人だった。馬鹿なのは自分だった。悟りに近いような、そんな考えが頭をよぎった時には彼は私の先を歩いていた。もう追いつけないほど先を。
私は大学予科、さっちゃんは師範学校二部へ進学。さっちゃんは昔から先生になりたいって言っていてね。前から知っていたことではあったんだ。問題は、彼だ。私以外の人には進学先については明言していなかったらしく、私も下手には喋れない状況だった。
その後、学校から配られた進学詳細には就職の欄の他に、「その他二名」と書かれていた。その二名が彼と水嶋の二人であるのは言うまでもないことだね。
彼は中等学校を卒業してすぐ、家族と引越して行ってしまったんだ。私以外の人には実家に戻ったって言っていたけど、彼はすぐに寮に入ったはずだから家族の引越しはそれを誤魔化すためのものだったのかもしれない。それは私には判断出来なかった。ただ、驚いたのは志願の話をさっちゃんにもしていなかった事だ。彼から話したいのだろうと思って、私はさっちゃんにその事を話していなかったから、彼の引越しの真実を彼女は知らなかった事になる。
しばらくして、彼から手紙が届いた。中には二通入っていて、私宛とさっちゃん宛で内容が異なっていた。
無論、私は人の手紙を見るほど礼儀がなってないわけではないからね、流石に封は開けなかったよ。そして、そうしないで欲しいという旨が私宛の手紙に書いてあった。つまりは、入隊した今でも自分の近況をさっちゃんに伝えたくない、という事だろう。私はそう察して、敢えて伝えなかった。それがせめてもの彼への誠意だと考えたからだ。
そんな私たちをさて置いて、戦況は悪化の一途を辿り、私たちのような学生でも敗戦の臭いを嗅ぎ始めていた。尋常小学校疎開が始まって師範学校の生徒も手伝いに駆り出されはじめると、さっちゃんと会うことさえ難しくなりだしていた。
私はと言うと、ちょっとした不注意で足の骨を折ってしまって苦労していた。そのおかげで召集も回避できたから助かったとも言えるんだけれどね。
終戦までは歴史の教科書を見た方が早いだろう、つまりは何も無かったんだ。私自身も、彼からの連絡も、さっちゃんとの進展も。
強いていうならば大学予科が二年制になった事ぐらいかな。そのおかげで今で言う就活に苦労したよ。
……話が逸れたね。結局3人の中で地元に残ったままだったのは私だけだった。幸いな事にほとんど戦争の被害も無いに等しいぐらいで、さっちゃんの家も無事だった。おばさんに聞くと、どうやらさっちゃんも無事だったとの事で私は安堵していた。
ほどなくして、風の噂で彼の無事も知ることになった。特攻隊に指名されたらしいが、どうやら外されてしまったらしい。偶然にも、飛行機に乗ろうとした時に足を滑らせて、私と同じように足を折ってしまったらしい。
私はと言うと就職先の会社で海外出張の際の通訳者に抜擢されていた。さっちゃんに触発されて熱心に勉強していた海外文学が役に立ったんだ。おかげでその後は日本にいる時間の方が短かったかも知れない。さっちゃんとは文通していたんだけれど、同窓会や旧友の集まりにはほとんど出られなかった。そうこうしている内に、さっちゃんとの関係も有耶無耶になってしまったんだ。そして、手紙で彼女に新しい恋人ができたことを知った。悔しかったけれど、さっちゃんにとってそのほうが幸せだったんだろうね。
先にも言ったけど、この後のことは私は殆ど手紙でしかわからない事だから詳しく話す事は控えさせてほしい。勘違いがあったらいけないからね。
「その後、そのお友達はどうなったんですか?」
興味津々な少女の視線が私を射抜く。
「さっちゃんが結婚してすぐぐらいに彼も嫁さんを貰ったんだ。そう考えると、あの時出し抜こうとした私が罰を受けたみたいだね。残念だけど、その後のことは本当にわからないんだ。なにぶん、定年を迎えるまでは色々と飛び回っていたからね」
……いや、実際に受けたんだ。こうやって数十年が経ってから、地獄の閻魔様の代わりに自らの罪状を読み上げているわけだから。
「なるほど、それなら知らなくても当然ね」
自嘲を込めた私の笑いをかき消す、冷たい声。振り返ると、そこにはエプロン姿の中年の女性が立っていた。
「ママ!」
少女が立ち上がり、その女性の元へ駆け寄る。
確かに少女、ひいてはさっちゃんの面影がある。が、その表情は私の記憶のさっちゃん、そして目の前の少女とは対照的に、あまりにも攻撃的なものだった。
「あなたと母のご友人、あの方について母から貴方にいつか話すように言われていました」
そう前置きをして始めた女性の話は、私にとって本当の地獄の刑罰であった。