珈琲兄さんと太陽の憂鬱
「はあああ・・・」
東京の中心街のビルから出てきた私こと多田野ヒカリは思いっきりため息をつく。
(またやらかした、またやらかしてしまった)
今日はこのビルで面接をしたのだ。だが、結果は見えている。もうわかりきっている。
(この会社で何をしたいんですかって聞いて楽をしたいって言ったやつ受からせないだろうな・・・)
ずーんとやっちまった感が肩にのしかかる。
振り返ってもう入ることもないであろうビルを見る。
ここが面接で負けたのは199連敗を更新したところか・・・でも、大丈夫。
(次こそは、打ち勝ってやるんだから!)
そう思いながら今日の反省会と称した自分へのご褒美に新しくできたカフェに足を運ぶことにした。
入ると、ちりんちりん、と音がしていらっしゃい、と声をかけられた。
一人でテーブルに座るのも気が引けるのでカウンターに座ることにした。
あたりを見渡すと、清潔そうな木の壁に木の椅子、何気ないフクロウのミニチュア、珈琲のいい匂い、静かな店内。
これはいい店かも、と一人心でほくそ笑んだ。
マスターらしき人がキッチンから来てそっと水を置いた。それから
「ご注文はお決まりですか?」
マスターに言われ、慌ててメニューを開く。・・・よくわからないコーヒーばかりだったし、甘いものの気分だったので
「えーと・・・カフェオレで」
「かしこまりました」
そう言って去っていった。
ふう、と息をついてから笑みを出しどんな味がするのかなー楽しみだなー、と年甲斐もなく小さくはしゃぐ。
反省会のことなんかすぐに忘れてしまった。暇つぶしにもう一回メニューを見ているとまたもちりんちりん、と音が響く。ドアを見ると、息が止まる。
入ってきた男の人は、サラサラと言える短髪にすこし大きめの眼、赤いメガネに高い鼻、小さな唇、細身の体に長身。つまりイケメンだった。イケメンについての定義が厳しい私でもこの人は、もうカンペキじゃね・・・?と言えるくらいだった。
謎のイケメンは隣の隣に座り、「マスター、今日はキリマンジャロ。」と手慣れているように注文した。ちなみに声もイケメンだった。
マスターは渋い顔をして
「藤豆さん、今日何かあったのかい?キリマンジャロなんて」
「ああ、明日にちょっとな。苦い気分に浸りたいんだ」
藤豆さん?は明日、嫌なことが起こるらしい。聞き耳を立てていると
「今日も今日で逃げられたよ・・・用事が終わったらすぐ行かなくちゃnいけない」
「大変だなあ、一人で」
「まあね」
何か大変な仕事をしているのだろうか、どんどん気になっていく。逃げられる?何を追っているのだろう。
それから本を読みだす藤豆さん。マスターとしゃべらないのかな、と思っていると
「お待たせしました、カフェオレです」
と持ってきてくれてありがとうございます、とマスターに会釈する。
カフェオレは少しコーヒーの色が強いのだろうか、少し緩やかな茶色だった。
カフェオレのグラスから冷たい水滴がしたたり、こんな暑いときに飲んだらスカッとするんだろうな、とニヤニヤしながらカフェオレに口をつける。
カフェオレにしてはビターだが、その控えめな甘さが甘党ではない私にはぴったりで思わずうっとりする。グラスを置いてため息をつき、もう一口、と冷たいカフェオレを手に持つと何か右から視線を感じる。
私を見ていたのは、イケメンである藤豆さんだった。眼鏡越しに細めた目で
「・・・あんた、いいね」
「・・・へ?」
イケメンから発した言葉は、私が今まで言われたことのないセリフだった。そう、この24
年間誰にも・・・驚いて固まっていると
「あんた、すげーいい表情でコーヒー飲むね。美味しいってすごい伝わる。マスター!」
奥からマスターが出てくると
「俺もこの人と同じもの、一つね」
「藤豆さん、そんなに飲むのか?」
マスターが驚いた顔で藤豆さんを見ると、藤豆さんは肩をすくめて
「コーヒーだったら何杯でも飲むぜ、紅茶は勘弁だけどな」
「わかった」
またも奥に引っ込むマスター。何しているんだろう・・・
というより、彼は私個人ではなく、私が美味しそうなコーヒーを飲んでいるところを反応しただけなのか、と気づき少し恥ずかしくなる。少し氷が溶けてきたコーヒーをぐいっと飲む。
「あんた、就活中なのか?」
それに構わず話しかけてくる藤豆さん。私はグラスを置き、はい、と緊張気味に答えた。
「そうかそうか、だけどあんたさ」
藤豆さんは綺麗な笑顔で
「コーヒーを飲む時だけは綺麗な顔してんな」
私は数秒固まって
「・・・は?」
とだけしか言えなかった。混乱で何も言えなかった。
「だからさ、コーヒー飲む時だけ綺麗」
途端、私はバカにされていることに気づく。怒りで顔が赤くなる。
「いいぜそういう人。なかなかいねーからさ」
私はバン!と音を立てて立ち上がり、残ったカフェオレを置き去りにして
「勘定、お願いします!」
「え?どうしたんだ?急に?」
それを無視して会計の通りの金をレジに置いて暑い外に出ていく。
ずんずん肩をいからせ、私は歩く。周りの人はぎょっとしたり、視線を送ったり。
でも気にせずビルの森を歩く。
この思いは一言
――あのイケメン、ありえねー!
「ただいまー」
電車に揺られること30分、駅からバスで15分揺られ、我が家に帰ってきた。母に面接はどうだった?と聞かれ、私はだめっぽそう、と答えると
「これぞ就ショックね」
と自分で声を出して笑った。就職とかけてるみたいだが・・・笑えねー。寒いし、就活で悩んでる私に対してその対応・・・ありえねー。二階に上がり、自分の部屋で荷物を置き、着替える。一人でいるとあのイケメンを思い出すので居間に下りることにした。戸をあけると、珍しく父がいた。テレビを見て笑っていたが、私に気づくと、よう、と言ってテレビを見始める。私もよう、とだけ言ってテーブルに座る。
またも父が笑って、母が居間に来てご飯は何がいい?って聞くと
「今日はかつ丼がいいな。あ、そうだ、ヒカリ」
「あ、言ってなかったの?あなた」
二人が何か言い出そうとしている。まあどうでもいいことだろうな。
「何?」
「明日、暇?」
「何もないけど・・・」
「じゃあ、明日、お見合いだから、行ってきて」
「・・・は?」
「あなたのお見合いなの、明日」
「いやいやいやいや、ちょっと待って、お見合い?お見舞いじゃなくて?」
「お見合い、結婚のための下準備」
「いやいやいやいや、何お見合いについて説明してるの?何?いきなり?明日?・・・えー?」
「だってー就活がダメなら結婚した方が・・・」
「今頑張ってるからね?私頑張ってるからね?」
「だって幼稚園の頃から将来の夢がとにかく楽したいって言ってたから不安なのよ」
それを今日現実の面接で言ったのは黙っておこう。
「とにかく、私は嫌だからね!ほんと嫌だから!」
「わがまま言うたらあかん」
「関西弁を何故今ここで使う」
「とりあえずそういう経験は大事だから行きなさい。結婚するしないは自由だから」
「結婚しろってわけじゃないの?」
「お前の意思次第だよ。あと」
父の目が光り
「美味しいものが食べれるんだ、あちらの人の会計持ちで」
「それが目的か!行くけど!」
やっぱ経験って大事だよね!
お見合い当日となり、畳と掛け軸のある部屋で、私たち親子三人はウキウキしながら料理もといお見合い相手を待っていた。どんな料理だろう、と思いをはせていると、相手方の仲人の奥様が部屋に入り、汗をハンカチで拭きながらお見合い相手が荒れていて、なかなか来たがらない、と言った。私たちは(料理のため)いくらでも待ちます、と笑顔で言った。
10分後、なかなか来ないなーとふすまを眺めていると、奥様が申し訳ない、と言った表情で私たちを見る。すると父が
「ヒカリ」
私の名を呼ぶ。そのあまりにも真剣な声に私は緊張して
「どうしたの?」
父は重々しく口を開く。
「足が、つった」
「一生つってろ」
心からそう思った。
「実は、お母さんも・・・」
「のらないでいいからね?」
そんな親子のやりとりをしているとふすまの外側から若い男の声が聞こえた。
「わかったよ!行けばいいんだろ!ったく!」
この声は、昨日二度と聞きたくない、と思った声だ。帰ろうか、と思った直後、ふすまが開く。
「はじめま・・・?」
私の顔を見て、動きを止めた。間違いない。昨日カフェにいたくそイケメンだ。
くそイケメンは席に座ってから気まずそうに私と対峙して黙っている。
私は顔を合わすもんか、とそっぽを向く。
部屋の中が気まずさで充満している中、私の鼻腔に刺激が走る。もしかして・・・とふすまを見るとその入り口は開き、和風の料理が出てきた。
私と親子三人は顔を輝かせる。私の顔はもうきらっきらに輝いていたに違いない。
それを見ていた藤豆さんは驚いた顔で見ていて、視線を感じ、その先が藤豆さんと気づいたらふんっとまたも不機嫌そうに顔をそらした。
それを見て、藤豆さんは少し笑った。
ちなみに相手方の奥様方は少し引いていた。
「おいしかったー和風の料理最高!」
そう言ってお腹をさする。親子三人でもりもりばくばく食べていたから言うまでもなく奥様方二人は引きつった笑いだった。だが、藤豆さんだけ、素直に笑って楽しそうだった。
ふすまが開き、最後のデザートが出てきたが
「・・・コーヒーゼリーとコーヒー・・・?」
何で和食なのにコーヒー2種類なんだろう、と訝しんでいると
「その二つは俺の大好物なんだ。俺が二つとも作って自信作だぜ。」
意気揚々と言う。
「へえ・・・」
コーヒーが本当に好きなんだな、この人。とりあえず見た目はどこかのレストランで出してもおかしくないくらい綺麗でおいしそうだ。この人の作ったものは食べたくないが、食欲につられて食べてみると
「このコーヒーゼリー・・・コーヒーが濃い・・・」
「ああ、その方がうまいと思うからな。甘さも控えめにしてみたぜ」
「美味しい・・・」
つい言ってはいけないけど言ってしまった。それくらい美味しい。
スプーンでつつくと反動でプルプル震え返すのがまた面白い。
味も甘さが控えめなのがまた嬉しい。
美味しいって思っているのが顔に出たのだろうか、彼は眼鏡越しに目を細め
「やっぱいいなその顔。美味しいって思って食べてるって確信できる顔でいい」
その言葉を聞いて、カフェでのことを思い出し、顔を引きつらせる。
私の様子を見て、やばいと思ったのか彼は慌てだす。
「いや、違うんだ。あの後マスターに言われたんだ。その時だけってのがダメだって。だから、その」
「ヒカリ」
父さんが話を遮った。きっと娘がこの男に傷つけられたと察して、この空気を読んで私たちは帰ろうと促しているのだろう。私は頷く。そして父は口を開く。
「デザートも食べてお腹いっぱいだから、父さん帰るわ。あとは二人でごゆっくり」
・・・何も読んでいなかった。己の欲望に忠実なだけだった。
「じゃあ、私も・・・」
母までも・・・てかこの二人、いらなかった。ただご飯食べたかっただけなのね。
二人は立ち上がり奥様方二人に頭を下げる。奥様方は意表を突かれた顔で二人を見て、慌てて頭を下げる。そして夫婦は出ていく。・・・ごめんなさい、奥様方。
奥様方も二人にしよう、となり部屋から出ていき、私と藤豆さんだけになった。
藤豆さんは
「・・・怒って、るよね?」
「・・・別に」
私は相変わらず視線をふすまに向けている。
「・・・俺、慣れてないから上手に言えないかもだけど」
「・・・」
「カフェラテを飲んでる時にその時だけキレイって言って」
小さな声で
「・・・ごめん」
「・・・」
私はふすまを凝視しながらため息をつく。
「いいですよ、私も子供っぽかったですね、すみません」
「あ、ありがとう。こんな風に謝ればいいのか・・・」
「そういえば、謝りなれていないんですか?」
この人結構人を怒らせるの上手そうなのに。
「あ、うん。基本謝らないかな」
「何でですか?謝った方がいいのに」
「どうでもいい人が怒っても関係ないから。あんたは・・・」
ら、と言いかけたが
「今の、忘れて」
と赤い顔で言った。その後怒ったように
「あんた何でそっぽ向いてんだよ!謝っただろ?まだ怒ってんの?」
「気づきませんか?」
「気づく・・・?」
私は首で彼にふすまを見ろと指す。
そこには去ったはずの奥様方が私たちを隙間からほほ笑みながら覗いていた。
ちなみに父母は本当に興味がなかったみたいで帰ったらしい。
「じゃあ、コーヒーで乾杯しようぜ」
「そうですね」
お互いアイスコーヒーを持ってカチっとぶつけて音を立てる。砂糖は少なめに、ミルクは多めに、ごくっと飲んでおいしそうな息が漏れる。それを見ていた藤豆が小声で「いいな・・・」と呟く。
そして藤豆から「就活してんの?」「趣味は?」「何が好き?」など質問を浴びせられ、答える形となった。彼が一番いいにくそうにしていた質問である「か・・・彼氏とか・・・いる?」に私がNOと答えるとほっとしたように見えたのは気のせいだろうか。
店側から次の予約の人がいるので、と言われたので帰ることになった。帰り際、藤豆は名残惜しそうだったが私を駅まで送って藤豆も去った。
(・・・連絡先も聞かなかったな、そういえば)
彼は帰る時、振り返らなかった。また会える、そう思っているのかもしれない。でも
(何だろう、ちょっと寂しいかも)
この寂寥感の原因はちっともわからなかった。
数日後の朝、私は顔を洗い、歯磨きをして父と母のいる居間へあくびをしながら行った。父は「おう、さっきお見合いの件断られたぞ」
「おはよ・・・ってそのタイミングおかしい」
そっか、断られたのか、つまりふられた?あんな男に?確かにイケメンだけどダメメンだったアイツに?朝からむかむかしてきて、文句の電話をしたいが
(アイツの番号知らないし・・・父さんに教えてもらうのしゃくだし・・・)
と悶々としていると
「お前の就職先、決まったぞ」
「・・・は?」
「地図のこの場所だ。ほら、さっさと着替えていけ」
「ちょ、ちょっと待って。どこに、誰が受かったの?」
「お前が」
「どこに?」
「・・・」
「なんで黙るの?」
「とりあえずお前は受かったんだ、はよいけ。朝から待ってるらしいぞ所長が」
「え、ええええ・・・」
意味わかんないけど、受かったんだ!もしかして、
(会社で何をやりたいか聞かれたときに楽をしたいって言った会社に・・・!?)
タイミング的にはその会社しかない。私は嬉しくなって
「やふううううううううううううううう!!」
と叫んだ。母は
「しゅうショックは無くなったのね・・・」
と何故か悲しげだった。
急いで着替えて、地図によるとバスに乗って15分、電車で5分で下りる・・・この時点でもうあの大きいビルの会社に受かっていないと気づかされる。地図の通り歩いて45分、目の前におんぼろの一階がレストラン、二階がなんでも事務所、と書かれている建物に着く。嫌な予感をひしひし感じながら二階に上がり、汚れた扉を開けると
「よ!待ってたぜ。」
私服姿の藤豆が嬉しそうに立っていた。中に入って右はお客様用のテーブルとしきり、左は所長用デスクと一般的なデスク3台と奥に給湯室がある。せまくて古い。だが一生懸命掃除したのか割ときれいだ。彼は言う。
「実は昨日のお見合いはお見合いじゃないんだ」
「・・・面接だったんでしょ?」
「やっぱ、ばれた?」
藤豆の家族は富豪らしい。藤豆の父に会社を建てる、と言ったら1年間だけは手伝ってやる、1年間でどこまでやれるか見せてみろ、と言われ、お見合いを兼ねて面接をしたが、藤豆のイケメンぶりに惚れたり口の悪さで怒ったりと面接は難航していたらしい。それを数日前の偽お見合いで私が怒ってはいたが、何とか気まずくはならなかったり、惚れなかったりで合格したらしい。
「199社受けてるからなんとなく面接っぽいなーとは思ったけど・・・今はっきりわかった」
「そうか、わかってるなら話が早い」
部屋の奥へ入ろうとする。
「ちょっと待って!私まだ働くって言ってない・・・!」
こんな一年間試用期間の上、不安定そうな職場、少し頼りないイケメン、絶対嫌だ!
「でも、就職難なんだろ?」
「う」
「俺との面接で受かったんだからそこの縁を大切にしろよ」
「う、うう・・・」
藤豆は赤い顔で頬をかいて
「それに、いざ会社が倒産とかなったら俺がもらってやるし」
と口にした。それを聞いた私は少し緩んだ顔で
「ありがと、私をもらうくらいの覚悟があるならこれからのことは自信があるってことよね」
「え?」
「大丈夫!私が一生懸命働くからそんなことにはさせないから!」
「ええ~・・・」
私が切り盛りしてこの会社をやっていかせる!
「じゃあ、仕事教えて、頑張るから」
「俺のプロポーズが・・・」
小声で言ったが藤豆?と私が言うと、彼は気を取り直し
「仕事の前に!」
そう言って私に手を差し出す。
「所長と部下だけど、俺らは対等にしよう。相棒ってことにしてやるよ。これから、何とか大きくして親父を見返そうぜ!」
私は少し不安げな顔を払うように、にっと笑って
「よろしく!パートナーさん!」
お互いの手を固く握った。
その後、何故かパートナーはす、す、と私に言おうとするけど、何かの暗号だろうかと、何だったんだろう?
「父さん、俺、あの子を雇うよ」
「・・・いいかもな。お前に惚れていないし根性もありそう」
「うん」
「何で好きになったんだ?」
「嬉しそうにカフェオレ飲んでるところがきっかけ。今は何をしてても好きだ」