6 飛び級
学院に入学して1か月が経った。
とても驚いたことに、僕は経営学、算術、植物学の3科目で飛び級した。
女性で飛び級は初めてだそうだ。
次からは、経営学はヴァニィと一緒に講義を受けることになる。
僕は飛び級したことを最初にヴァニィに報告したんだけど、すごく驚いていた。
「家庭教師から経営学も学んでいる話は確かに聞いていたが、まさかそれほどの成績とは…。
しかも、3科目で飛び級か」
えっへん。褒めていいんだよ?
「かなり難しいのを教わっていると手紙に書きましたでしょう?
あなたの隣に立って恥ずかしくないようにと、随分頑張りましたのよ?」
基本科は、家庭教師から習っていたレベルで足りたからね。アドバンテージは相当あったんだよ。
「セリィのことだから、真面目にやっているとは思っていたが、そこまで真剣に取り組んでくれていたんだな…」
あ、やっぱり褒めなくていい。そんなに正面切って褒められると、ちょっとくすぐったい。
修道院に行っても役に立つから頑張ったなんて、とても言えないよ。
「さすがに飛び級できるほどとは思っていませんでしたけど…」
「自分の器の小ささが嫌になるが、俺でも嫉妬するくらいだ。
これからはもっと気をつけないとな」
ヴァニィがなんか複雑な顔をしてる。
嫉妬? ヴァニィが僕に? なんで?
ヴァニィが心配していたのは、周囲の反応のことだった。
なんでも3科目で飛び級した院生は5年ぶりという話で、羨まれたりやっかまれたりと、結構大変だったんだけど、更に1か月後、植物学と算術で2度目の飛び級が決まった。
一気に研究科まで飛び級なんて、学院創立以来の快挙だそうだ。
この世界では、植物の仕組みとかの研究はあまり進んでいないらしく、中学レベルとはいえ知識が残っていた僕からすると、全然大したことなかったんだよね。
正直、この辺まで来ると、周囲の空気もかなり剣呑なものを感じるようになってきた。
女性の飛び級自体初めてなのに、二段階飛び級を初めて達成したのが女性だったというのは、学院の男性陣のプライドをいたく刺激したらしく、どこに行っても敵意の視線か珍獣を見るような目に晒されるようになった。
幸い、これまでに仲良くなった女友達の皆さんは、一歩引かれるようにはなったものの、概ね好意的に捉えてくれる人が多かった。
ヴァニィも変わらず接してくれる。
いや、少し過保護の度合いが増したかな? 毎日のように送り迎えしてくれてる。
逆恨みとかで僕に嫌がらせとか闇討ちとかする人がいないよう、目を光らせてくれてるらしい。
ナイト気取りだねぇ。可愛いなぁ。
さて、植物学が研究科に編入されたことで、入学式の日の温室に入れることになった。
ここは、研究科の実験施設で、品種改良の研究を行っているらしい。
今は、人工授粉による遺伝の研究中だそうで、中に入る際には白衣に着替えが必須だ。
そりゃあリリーナが怒られるわけだよ。
あの時のキラキラ白衣さんにも再会した。
ここの5年生で、なんとこのガルデン王国の第3王子だそうな。
あの日のことを覚えていてくれて、すんなり受け入れてもらえた。
良かったよ、「飛び級なんて生意気だ!」とか言われなくて。
というか、王子様はむしろあの時の対応を褒めてくれた。
あの時は、何を言っても斜め上の反応を見せるリリーナのペースに巻き込まれてヒートアップしてしまっていたけど、遺伝とかなじみがない概念なので、普段は単に「関係者以外立ち入り禁止」と言って追い返すんだそうだ。
それを、リリーナが「私も院生なんだから、関係者です」とか反論したせいで、あんな言い合いすることになったらしい。
ちなみに、リリーナとは、経営学、簿学(帳簿を付ける知識とか)、出納学(会計書類の見方・まとめ方)、植物学、算術の5科目が被っていた。
今は、このうち3科目で僕が飛び級したから、2科目だけだけど、両方とも僕の隣を指定席にしていて、僕を「セルローズ様」と呼んでいる。
前にヴァニィの前で「セリィ様」と呼んで、「君がセリィなどと馴れ馴れしく呼ばないでもらいたい」とか怒られたせいだ。
なんで僕の呼び方でヴァニィが怒るかなぁ。
僕の方は、彼女を「リリーナ」と呼び捨てにするようになった。
僕が貴族で彼女が平民という関係上、敬称は付けない方がいいらしい。
まぁ、親しくなったから、というのもある。
敵対する気はないし、愛称で呼ぶほど接近したくもないから、適度な距離感を計った結果だ。
一応、注意して見てはいるけど、ヴァニィと会う時はいつも僕も一緒にいるので、というより、僕と一緒にいるからヴァニィに会うという感じだから、まだまだ好感度は上がっていないようだ。
で、キラキラ王子様は、遺伝なんて風変わりな研究をしているせいで周りには理解されていないけど、かなり凄い人だ。
例の温室では、数種類のバラを栽培していて、交配による色の変化を実験している。
赤と白で交配させてもピンクになるわけじゃないのは何故かということを突き詰めているわけ。
奇しくも僕がリリーナに説明したバラの話は、正鵠を射ていたわけだ。
そんなことも、王子様の僕への評価に反映しているらしい。
王子様の実験は、僕がやりたいことと似通っているから、協力できそうだ。
僕の目標は、大量に収穫できる品種と味の良い品種を交配させて、大量に収穫できる味の良い品種を作ることだと言ったら、えらく感動していた。
感動した勢いで、僕の両手を掴んで熱っぽく語り始めたところに、王子様の婚約者が顔を出したものだから焦ったよ。
王子様の婚約者は、カトレア・ランイーヴィル様といって、ランイーヴィル公爵家のご令嬢だ。
変わり者扱いされることの多い王子様の理解者でもある。
プラチナブロンドに涼やかな切れ長の蒼い瞳を持つ美人さんで、すごく理性的な人だ。
あんな、見ようによっては口説かれてるかのような状況を見て、顔色も変えずに平然としていた。
「殿下。婚約者のいる令嬢に言い寄っていると誤解を受けかねない行動は慎みなさいませ」
ため息をついて口にしたのはそんな言葉で、王子様への信頼と慣れが透けて見えた。
…多分、この王子様、自分の話に理解を示した相手には、いつもああいうことするんだろうな。
「気を悪くなさらないでね。
貴女はセルローズ・バラード様よね? ヴァニラセンス・ジェラード様の婚約者の」
「は、はい」
僕とヴァニィのこと、なんで知ってるんだろう。
そう思ったのが顔に出ていたらしい。
「貴族の間では、そういった情報は早いものよ。
貴女も。婚約者以外の殿方と2人きりになるものではないわ。
口さがない者達の格好の獲物よ」
優しく諭してくれたカトレア様は、以後、僕が王子様と研究の話をする時には、ご自分も一緒にいることで悪い噂を防ぐと共に、夢中になるとスキンシップが多くなる王子様からの防波堤にもなってくれている。
1か月も経つと、「カトレア様」「セリィ」と呼び合う間柄になり、時にはヴァニィも加えて4人で過ごし、その後みんなで食事ということもあった。
この温室に興味津々だったリリーナは、一度だけ連れてきたけど、カトレア様に気後れし、王子様と僕の会話について行けず、咲いている花もありふれたものばかりだったことから、二度と来なかった。
カトレア様ご自身も植物や遺伝には詳しくないため王子様と僕の会話にはついてこられないけど、熱く語る王子様の姿が見られるのが嬉しいから苦にはならないのだそうだ。
恋って凄い。
以後、カトレア様は何かと僕の面倒を見てくれるようになり、ヴァニィのいない場での僕の保護者的立場になってくれた。
ヴァニィがいる時は、「殿方を立てるものよ」だそうで、ヴァニィに任せてどこかへ行ってしまう。
王子の婚約者たる公爵令嬢という存在は、僕の人脈の中で最も大きなものとなり、色々と敵を作りかけていた僕にとってありがたい後ろ盾となった。