2周年記念 隣で笑っていて
この「転生令嬢は修道院に行きたい」を書き始めてから2年が経ちました。
二度の完結後も、時折閑話を書き続けていますが、今回は2周年記念として、続編「奇蹟の少女と運命の相手」52話「私じゃない」とリンクしたヴァニィ視点の物語をお送りします。
「奇蹟の少女」も読んでいただけると嬉しいです。
王都に出てきて3年目。
セリィの体調は、どんどん悪くなっていく。
セリィは、ノアを産んで以来、季節の変わり目には必ずと言っていいほど体調を崩すようになった。
特に秋は、起きていられないほどに具合が悪くなることが多い。
それは、きっとノアを産んだ時期だからだろう。
“セリィを守れる男になる”というのが俺の目標だったのに、俺の子を産んだせいでセリィは体を壊してしまった。
何が守るだ。俺さえいなければ、セリィはこんな体にはならなかったろうに。
だが、詫びる俺に、セリィはいつも言うのだ。
「私の体が弱いのは、私が出来損ないだからだわ。
謝るのは私の方。
ヴァニィがいないと、私は生きていけないの。
こんな私だけど、見捨てないでね?」
セリィは、自分のすごさがわかっていない。
領地がこんなにも栄えているのは、全部セリィの研究のお陰じゃないか。
俺の方こそ、セリィにちっとも報いていない。
謝らなければならないのは、俺の方だ。
セリィは心が強い。
寝込んでいる時でも、けして弱音を吐いたりしない。
だから、俺はできるだけセリィには体調の話はしないようにしてきた。
だが、それもそろそろ限界だろう。
王都に来てからというもの、セリィが寝込む頻度が上がっている。
それはつまり、セリィの体が弱ってきているということだ。
「セリィ、マリーが可愛いのも、公爵夫人との約束が大切なのもわかるが、このまま王都にいたら、お前の体が持たないだろう。
領地に帰らないか」
だが、領地へ帰るよう勧める俺に、セリィは頭を振った。
「帰っても無駄よ。
体調が悪くなってるのはね、私の体にガタが来てるせいなのよ。
きっとね、あと1~2年で駄目になるわ。
せめてそれまではマリーの傍にいてあげたいの。
ごめんなさい、ヴァニィ。ずっと領地にいれば、あなたとの2人の時間が沢山取れたのに」
セリィは、いつもそうだ。
誰かのために自分を犠牲にして、それなのに力が及ばないと謝る。
そんな必要はないというのに。
お前がそんなに身を粉にする必要はないのに。
「セリィ、2人の時間なら、王都でもいくらでも持てるさ。
いや、実際、領地にいた時より多いだろう。
俺は王都ではすることがないからな」
「ヴァニィ、お願いだから、最期の瞬間まで傍にいてね。
私、きっと最期にはあなたに手を伸ばすから、その手を取ってほしいの。
私が死ぬまで、手を放さないで。
そうしたら、私、きっと幸せに死ねるわ」
セリィは、本当にもう限界だと悟っているらしい。
縁起でもないことを、とは言えなかった。
今俺がすべきことは、セリィを安心させてやることだ。
別に、こんな話をしたからといって、本当にすぐセリィが死んでしまうわけではない。
「わかった。絶対に手を握る。安心しろ」
セリィを守る。それは、セリィの気持ちを守るということでもある。
だから、約束した。
セリィが安心して日々を過ごせるというなら、その価値は十分にある。
そして、不幸にしてその日が来てしまったなら、約束を果たすだけだ。
そんな日は、永久に来てほしくないが。
だが、やはりその日は来てしまった。
季節の変わり目でなく夏の暑い日に倒れたセリィは、一晩意識が戻らなかった。
このまま意識が戻らないかもしれない…そんな弱気が心をよぎる。
大丈夫、そんなことはない。ないはずだ。
セリィが、俺との約束を破るはずがない。
絶対に意識は戻る。俺は信じてその時を待った。
セリィが俺に別れを告げる時を。
俺に手を伸ばす時を。
セリィの部屋に持ち込んだベッドの上で、一睡もできずに、ただひたすら。
俺も、セリィに言ってやらなければならないことがあるんだ。
絶対にセリィに言わなければ。
翌朝、セリィは目を覚ました。
ベッドに横になっていなければ、昨日倒れたことなど信じられないくらい元気に、マリーと語らっている。
きっと、これが最期の輝きだ。蝋燭が燃え尽きる寸前の。
今は、マリーと過ごす最後の時間。
俺の出番は、手を伸ばされてからだ。
もう一晩、セリィの部屋で過ごしたが、昼の様子からすれば、今夜は大丈夫だろう。
それでも、あまり眠れはしなかった。
セリィと過ごした日々を思い出す。
思い出の中のセリィは、いつも笑顔だった。
考えてみれば、セリィの泣き顔など、学院でのプロポーズの時と、ノアが産まれた後くらいしか見ていない。
プロポーズの時の「俺の隣で笑っていてくれ」という願いに応えるかのように、セリィはいつも笑顔だった。
強がりでなく、本当に幸せを感じてくれていたらいいと思う。
俺がお前から貰った幸せと同じくらいの幸せを渡せていたら、いいんだが。
朝になると、マリーがまた顔を出した。
セリィは、本当にマリーを大切にしていた。身を削ってでも、マリーを育て上げようとしていた。
マリーもまた、幼い頃から誰よりもセリィに懐いていた。
今も、これだけ心配してくれている。
祖母と孫、師と弟子、上司と部下、色々な呼び方のできる間柄だが、お互い愛情を持って接しているのは間違いない。
だが、それでも、最期の時は譲れない。
最期の瞬間、セリィの隣にいるのは俺だ。
その時が来たようだ。
意識はあるものの、朝食も喉を通らない。
案の定、しばらくすると、セリィは意識を失った。
いよいよだ。
セリィに涙は見せない。俺はそう決めていた。
笑顔で見送る、と。
セリィの目が薄く開かれ 約束どおり手を伸ばしてきた。
そう、セリィが俺との約束を破るはずがないんだ。
差し出された手を掴むと、セリィはか細い声で「ヴァニィ…」と呼び掛けてきた。
「セリィ、俺はここだ。ちゃんとここにいる」
俺がお前との約束を破るわけないだろう? 絶対に、最期の時までこの手は放さないからな。
「ヴァニィ、愛してるわ。いつからかわからないくらい、ずっと。
傍にいてくれてありがとう。
ずっとずっと幸せでした。
あなたがいてくれたから…私は、幸せに、生きられ、ました」
幸せだったと言ってくれた。
心から言っているとわかる、そんな言葉だった。
俺の隣で生きて、お前は本当に幸せでいられたんだな。
セリィは目を閉じた。だが手の中の温もりは、まだ消えていない。
「セリィ、俺もだ。愛してる。初めて会った日から、ずっとだ。
俺の方こそ、お前が隣にいてくれて幸せだった。
あの日の約束どおり、お前は俺の隣で笑っていてくれた。
マリーのことは、俺が見守っていくから、お前は安心して眠ってくれ」
手の中の温もりが、ゆっくりと消えていく。
出会ってから45年。
そのうちの43年を共に過ごしてきた。
セリィは、今日、逝った。
葬儀が終わり、仮喪が明けると、マリーは公爵邸に移っていった。
元々侯爵邸はセリィとマリーが共に過ごすために用意された場所だから、セリィ亡き今、マリーはいられない。
「叔父上はどうされます? 領地に戻られますか? それともこのままこちらで過ごされますか?」
気を遣って、公爵が言ってくれた。領地に戻ってもいいと。
だが。
「私は、セリィの代わりにこのまま王都でマリーの行く末を見守りたいと思います。
何ができるわけでもありませんが、あの子のことをあの世でセリィに伝えてやりませんと」
セリィのいない日々は思った以上に堪えるが、セリィにこんな想いを味わわせないですんだと思えば、どうということもない。
いつかセリィのところに行く日まで、俺はマリーを見守ろう。
「奇蹟の少女と運命の相手」では、マリーは自分のことでいっぱいいっぱいで、ヴァニィの言葉は聞いていませんでした。
最終話ラストのセリィの台詞を思い出していただけたら、嬉しいです。
ヴァニィとセリィの最期の別れは、鷹羽にとって理想の形です。