閑話 女神の前髪を掴み損ねた日
今回は、ルーシュパスト・フォア・ガルデンの視点となります。
彼は、現在「奇蹟の少女と運命の相手」で国王となっています。
今回は、彼が7歳の頃、マリーの母ドロシーと出会った時のお話です。
ぼくはルーシュパスト。この国の王子だ。
大人になったら王太子になって、いつかは王様になる。
今は、お祖父様が王様だけど、とってもいい王様なんだって。
いい王様になるには、いっぱい勉強しなきゃいけないから、6才になったら勉強の時間ができた。
言葉とか、算数とか、いっぱい。
先生は、ぼくの頭がいいってほめてくれる。
ぼくは、もっともっと勉強して、いい王様になるんだ!
「ルーシュ、来週、お前の従妹が会いに来るから、楽しみにしておけ。
お前の妃になるかもしれない娘だ」
って父上から言われたけど、よくわからない。
「きさき」ってなんだろう?
「父上、“きさき”ってなんですか?」
「ん? ああ、つまりお前と結婚する相手ってことだ」
「父上と母上みたいにですか?」
「そうだ。理解が早くていいぞ」
父上にほめられた。
そうか、母上みたいなんだ。楽しみだな。
きさきに会う日がやってきた。
お城のお祖父様に会いに来たついでに、ぼくにもあいさつに来るんだって。
なあんだ、ついでか。面白くないと思ってたら、先生は「そういうことにしておかないと、殿下にはお会いできないんですよ」と笑ってた。
そういうことってどういうことだ?
ぼくは、お城で、用意された部屋にとおされた。
ここで、きさきと2人で会ってお話するんだって。
いすに座って待ってたら、部屋に入ってきたのは、白金色のふわふわの髪の毛の、すっごくかわいい女の子だった。
きさきは、ドレスをつまんで
「ドロフィシス・ゼフィラスともうします。お目にかかれてこうえいです、でんか」
って言っておじぎした。
すごいかわいい子だ。
この子がぼくのきさきになるんだ…。
えっと、先生がいつも言ってたな。「何事も最初が肝腎です。けして侮られてはいけません」って。
うん、ぼくは王子だ。なめられちゃいけないんだ。
かわいいからって、ぼくは負けないぞ!
「なんだ、このちんちくりんは」
そう言うと、女の子は、おどろいたような困ったような顔で
「わたしは“ちんちくりん”なんて名前じゃありません。ドロシーとおよびください、でんか」
って言い返してきた。
かわいい。
このかわいい顔は、ぼくが引き出したんだぞ。
もうちょっとからかったら、もっとかわいい顔を見せてくれるかな?
「ふん。
ドロシーってのはだれだ? ぼくにはちんちくりんしか見えないぞ」
って言ったら、目にいっぱい涙をためて、ぷるぷるふるえてた。
泣きそうなのをがまんして、本当にかわいい。
「ごぜん、しつれいします!」
え? あ、ちょっと待って!
ぷいって逃げていっちゃった。どうしよう。
ぼくは、どうしたらいいかわからなくて、迎えが来るまでひとりで部屋で立ってた。
あとで、父上から何があったかおしえろって言われてお話したら、
「ああ、それは失敗したな。
ドロフィシスはひどく傷付いて──しょんぼりしてたそうだから、暫くは会えないぞ」
「ええっ!? ぼく、ドロシーがかわいいから、ちょっとからかっただけなのに」
「気持ちはわかるがな、お前はからかっただけのつもりでも、初めて会った相手にそんなことを言われたドロフィシスの気持ちを考えてみろ。
母上が、お前を大嫌いだと言ったら、どう思う?」
母上が、ぼくをだいきらい…そんな…。
「みろ、7歳のお前でもそんなに辛いんだ、5歳で、しかも初めて会ったお前にからかわれたドロシーは、とても悲しかったのではないかな?」
「…あやまります。
あやまって仲直りします。
だから、もういちどドロシーに会わせてください」
「会わせてやりたいが、今すぐは無理だ。
ほとぼりが冷めるまで、少し時間をおかないとな。
会えるようになったら、また教えてやる」
父上はそう言ったけど、ぼくはいつまでたってもドロシーに会えなかった。
父上に「いつ会えるの?」と聞きたいのをがまんしてたら、そのうち父上から「しばらくは会えない」って言われた。
ドロシーは、ほかの人と結婚することになったって。
「どうして?」って聞いたら、
「ドロフィシスは、意地悪したお前を嫌いになったそうでな。
よその貴族の嫡男と結婚したいと言ってるんだそうだ。
いずれ気が変わるかもしれないが、しばらくは無理だろう」
「そんな…。ぼくは王子なのに…」
「王子だからといって、誰もが従うわけじゃない。
人を従わせるには、それなりの知恵が必要だ。
お前は、これからそういった知恵を身に付けなければならないということだ」
「ちえ?」
「王が正しいことを言っていれば、普通は誰もが従う。
だが、正しいだけでなく、時には、相手を褒めたり喜ばせてやったりといったことも必要だ。
いつもやっていては駄目だ。いつ、どこで、どんなふうにやれば効果的か、そういうことを考える力がいるんだ。
まして、相手を無意味に怒らせてはならん。
不用意な一言が相手を怒らせることもある。
今回、お前はそれを学んだ」
「よくわかりません」
「いずれわかる時が来る。
高い授業料だったが、十分価値のある経験だ。
今の悔しさを忘れないようにな」
3年たっても、ドロシーには会えないままだった。
10歳になった僕に、父上が言った。
「ルーシュ、今日、ドロシーの弟のガーベラスがお前に会いに来る。
お前にとって大切な友人となるだろう相手だ。
間違っても無駄に怒らせるなよ」
ドロシーの弟? 僕の友人になるの?
よくわからないけど、「怒らせるな」ということだけはわかった。
「はじめましてでんか、ガーベラス・ゼフィラスともうします」
ガーベラスは、とても頭のいい子だった。
見た目はドロシーとあまり似ていないけど、ちょっとした仕草が似ていて、嫌でもドロシーを思い出す。
だから、つい、聞いてしまった。
「姉君は、元気か?」
言ってからしまったと思ったけど、もう遅い。
内心ドキドキしながら、答えを待っていると
「はい、淑女教育でいそがしいです」
と、当たり障りのない返事が返ってきた。
そんなことじゃないんだ、僕が知りたいのは。
「婚約者との仲は、どうなんだ?」
ガーベラスは、なぜか嫌そうな顔をした。
「ええ、まあ、仲はいいんですけど…」
なんだろう。
「仲がいいんなら、よかったじゃないか」
「そうなんですけど、姉上が会いたがってうるさいんです」
「うるさい?」
「婚約者のノアとは年に一度しか会えないから、会いたい会いたい、なんで会えないのって、いつも」
ドロシーは、そんなにそのノアって奴に会いたいのか。
すごく、嫌な気分になった。
ドロシーがほかの男に会いたがるなんて、許せない。
でも、せっかく会いに来たドロシーをからかって怒らせたのは僕だ。
父上は、こうなるからやっちゃいけないことだって言ってたんだ。
その後も、ガーベラスとは何度か会ったけど、ドロシーに会うことはできなかった。
後で聞いた話では、ドロシーとガーベラスのいるゼフィラス公爵家は、王国にとってなくてはならない家なので、父上は俺とドロシーを結婚させようと思っていたんだ。
そして、それが駄目になったので、次にゼフィラス公爵家を継ぐことになるガーベラスと仲良くなるよう、会わせたんだそうだ。
今年、ドロシーが学院に入ってきた。
7年ぶりに再会できる。
入学式の後、会いに行ってみて驚いた。
信じられないくらいの美少女だった。
気の強そうな眼差し、日の光を受けて輝く白金の髪、幼い頃も可愛かったが、こんなにも美しく成長したのか。
ドロシーに近付き、声を掛けた。
「久しぶりだね、ドロフィシス嬢。
いつぞやは申し訳ないことをした。
君のあまりの愛らしさに、つい意地悪をしてしまったんだ。
どうか許してほしい」
ドロシーはにこりと笑って
「ご無沙汰をいたしております、殿下。
こちらこそ癇癪を起こしまして、申し訳ございませんでした。
水に流していただけると助かります」
と返してきた。
隙のない笑顔も、柔らかな物腰も、全ては社交辞令でしかない。
俺が王子だから立てているに過ぎないんだ。
仕方ない。すぐには修復できないことは覚悟していた。
俺の卒業まで、まだ3年ある。その間に何とかしよう。
だが、やんわりと拒絶され続けた。
日に日に美しさを増していく彼女は、2年もする頃には、学院で「女神」と呼ばれるようになっていたが、誰に対しても柔らかく微笑む彼女は、しかし、誰に対しても本音を見せていないようだった。
そして、俺が卒業する日が来て、初めて彼女の本当の笑顔を見ることができた。
といっても、俺に向けた笑顔ではなかったが。
「来月には、ノアジール・ジェラードが入学してくるのだったな。待ち遠しいかい?」
「ええ、そうですわね。その日を待ちわびております」
そう答えた彼女の笑顔を、俺は忘れないだろう。
俺には決して手が届かない、そう確信するほどに眩しい笑顔だった。
この日、俺の長かった初恋は終わりを告げた。
不用意な一言を言い放ったあの日、俺は既に女神の前髪を掴み損ねていたんだ。
そして1年が経ち、俺はフラボア公爵家の令嬢スーリアを娶った。
このエピソードは、「後日談2 天使に出会った日」と対になっています。
また、この週末に更新する「奇蹟の少女と運命の相手」裏49話とも連動していますので、そちらも併せてお読みいただければ幸いです。




