最終話 転生令嬢は幸せに生きたい
久しぶりのセリィ視点です。
カトレア様の葬儀が終わった後、私は領地に帰り、ヴァニィと話し合うことにした。
カトレア様の最期の願いを聞くと約束した以上、私は王都に住まなければならないから。
これまでカトレア様は、何度も私の研究をサイサリス前公爵のために利用してきたけど、その都度、律儀に対価として私の利益になる何かを用意していた。
私が王城に上がらなくてすむよう計らってくれたのもそうだし、私の開発した作物の全てをジェラード領で自由に栽培できるようにしてくれてるのもそう。
それは、私と対等な友人であるために。
ビジネスライクに割り切ることで、貸し借りを作らずにお互い相手の力を借りる。
それが私達の暗黙の了解だった。
けれど、最期にカトレア様は、「友人として最期のお願い」と言った。
王都に用意された屋敷も使用人も、私が研究所の職員になるなら便宜でもないし、そういう意味では、確かに取引材料を用意できなかったのだろうと思う。
本当にマリーを救いたいだけなら、何も私に弟子入りさせなくてもいい。
マリーを公爵家の庇護下に置くためなら、ガーベラス様の秘書にでもすれば足りる。
でも、それでは私亡き後の研究所が立ちゆかない。
私も、もう50だ。
いつまで研究していられるか、どころか、いつまで生きていられるかもわからない。
研究者としての私の後継者が必要なのは、火を見るより明らかだ。
そして、現状、後継者として最も相応しいのがマリーであることも。
サイサリス様は、きっとマリーを研究所に入れて私の跡を継がせることをカトレア様に頼んだんだ。
多分、それがゼフィラス公爵家の利益になるとかじゃなくて、研究者としてマリーが力を付けることが、身を守る最善だと信じて。
どこまでも研究者としてしかものを考えられなかったサイサリス様の独りよがりとわかった上で、それでもカトレア様は引き受けた。
カトレア様にとって、サイサリス様が世界そのものだから。
カトレア様は、愛する夫を失った痛みに耐えながら、サイサリス様との約束を果たすこと、それだけを支えに必死に準備してきたんだ。
私との友情に縋るまでして。
「友人としてのお願い」、それはカトレア様がこれまで決して使わなかった言葉。
それを持ち出せば私が必ず応えるだろう、一度きりの切り札。
私は、彼女の信頼に応えなければならない。
「ヴァニィ、2つ、お願いがあります」
「例の、公爵夫人の件か?」
「そうです。
1つめ、ノアに爵位を譲って、私と一緒に王都に来てください。
私は、カトレア様との約束で、王都で研究所に入らなければなりません。
でも、あなたの隣にいることができなくなるのは嫌ですから、一緒に来てください。
幸い、ノアはもう1人で領地経営できるくらいの力はあります。
後は、経験を積むだけです」
「俺は、お前を守ると誓った。傍にいないと守れないからな。
お前が王都に行くというなら、俺も行くよ」
「ありがとう。
もう1つのお願いです。
絶対に、私より先に死なないでください」
「…え?」
「カトレア様を見てよくわかりました。
私は、ヴァニィを失ったら、きっと生きていけません。
私はカトレア様ほど強くありません。
カトレア様のように、1人残されて頑張ることなどできない。
ですから、私より先には死なないでください」
「それだと、残された俺はどうなるんだ?」
「私が死んだら、死んでもいいです」
ヴァニィが吹き出した。
ひどい。私は本気で言ってるのに。
結局、ヴァニィは爵位をノアに譲り、私と共に王都の屋敷に住むことになった。
王都では、マリーも一緒に住むほか、使用人が一通り揃っていた。
これは、私に対する研究所からの特別扱いの一環だ。
私の立場は、これまでどおり所長直属の在外研究員だけれど、今後は学院内の研究室で勤務することになる。
要するに、まだ学院の研究科に所属しているマリーの指導と研究の引継が私の仕事だ。
マリーは、私がそうだったように院生のまま研究員になり、更に特例として寮を出て私の屋敷に住むことになった。
名目としては、私と生活を共にして、常に指導を受けるため。
もちろん、本当は、できるだけ1人でいる時間を減らすためだけど。
マリーは、兄がいる関係で幼少期はかなり自由に育った。
家を継ぐのは嫡男のオルガと決まっているわけだから、いずれどこかに嫁ぐだろう程度で制約が少なかったせいだ。
というより、オルガが跡継ぎとして色々な教育を受けている脇を、まだ3歳のマリーがうろちょろして教師から邪魔がられたのだ。
兄のことが大好きな妹としては、傍にいたいと思うのは当然かもしれないけれど、勉強の邪魔になるのも確かだ。
そんなわけで、私はマリーを連れ出して、色々と構うことが多かった。
マリーは好奇心も旺盛で、私が外に連れ出すと、屋敷の中では見られないものが多くて、とても喜んだ。
そうして研究用の畑に連れて行ったり、受粉を手伝わせたりしているうちに、私は、マリーの飲み込みの良さに気付いた。
ノアに経営学を教えていた時とも、リリーに簿学を教えていた時とも違う、打てば響くような反応の良さ。
試しに簡単な足し算をさせてみた。
最初は、指を折って数えられる足し算をやっとできる程度だったのに、ちょっとコツを教えたら、簡単に2桁プラス1桁の足し算や2桁マイナス1桁の引き算を解いてみせた。
この子は、飲み込みと要領がいい。それも、異様に。
基礎からきちんと教えたら、かなり伸びる。
もしかしたら、私より高みに登れるかもしれない。
そう思ったら、教えずにはいられなかった。
特に、植物学を。
私がいなくなれば、ジェラード領は新しい作物の優先栽培権を失う。
あれは、私が開発したものだから優先させてもらえるのだ。
もちろん、これまで作ったものはずっと作り続けられるけれど、新しいものは入ってこなくなる。
もし、新しい作物を開発し続けられる研究者がここにいれば。
マリーが望むなら、私以上の研究者になれる。
どこまでもヴァニィが判断基準になってしまう私と違い、自分自身の利益や大局的な視点からの研究ができるマリーなら。
結果として、それが領地のため、ノアやオルガのためになる。
私は、「遺伝」という、サイサリス様にさえ理解しきれなかった概念を教えるための下準備を始めた。
予想どおり、マリーは砂浜が水を吸い込むように知識を吸収していく。
かけ算、九九も教えてみた。
前世のことはほぼ全くわからないし日本語も話せないけれど、九九とかは頭に浮かんでくる。
こちらの言葉に直すというか、要するに節をつけて覚えるわけだから、適当な節で九九を教えてみた。
面白いほどよく覚える。
試しに二進法を使った指での数え方を教えてみたら、これも覚えて片手で31まで数えられるようになった。
ある日、親子4人でのティータイムの時に、マリーが、皿に盛られたクッキーを少し眺めて
「お父様とお母様は4つずつね。マリーとお兄ちゃまが5つずつ」
と言い出して、全員絶句したそうだ。
私は、その話をドロシーから聞かされて笑ってしまった。
「どういうことですの?
マリーはお義母様に教えていただいたと言ってましたが、どうして3歳の子供が声も出さずに18まで数えた上、1人何個ずつなんて計算までできますの?
あんな計算、オルガでもできませんのよ」
「私は、片手で31まで数える方法と、簡単なかけ算を教えただけよ。
それを組み合わせて応用してみせたのよ、マリーは。
応用力も並じゃないわね。
ねえ、あの子の教育は私に任せてくれない?
オルガの立場を脅かすようなことはさせないから」
「お義母様が、マリーを?
もしかして、あの子、お義母様みたいに特別なんですの?」
「飲み込みと要領が良くて、好奇心が強くて応用力もある。
研究者向きなのは確かね。
特別かどうかはともかく、私みたいになれると思うわ」
「そういうことでしたら、お任せします。
ノアには、私からお話ししておきますわ」
こうして、私はマリーの教育を始めた。
オルガの立場を脅かさないために、経営学は教えないことにしたけれど、簿学は教えてみた。
やはり、ノアより覚えがいい。というより、比べるのが烏滸がましいほどだ。
この子は、本物だ。
そう確信した私は、マリーに系列立てて教えることを心がけた。
あと、体を動かして遊ぶことも。
この子は、学院に入ったら、きっと二段飛び級する。
最初からそれを見越して、社交や腹芸、簡単な護身術などを学ばせた方がいい。
護身術は、さすがに私には教えられないけれど。
予測どおり、マリーは植物学で二段飛び級した。
算術や簿学も飛び級していた。
私以来となる二段飛び級をしたのが私の孫娘とあって、学院では「奇蹟の再来」と呼ばれているそうだ。
そして、これも予測どおり、マリーを取り込もうとする勢力も出てきた。
単純に言い寄ってくる男の子だけでも、両手で足りないとか。
マリーに婚約者がいないことがネックになっているけれど、困ったことにマリーは研究が楽しくて男の子に興味がない。
いずれ、運命の人に巡り会えるだろうから、そこは焦らなくていいけれど。
マリーには、王都にはカトレア様がいるから何かあったら頼るようにと言っておいたので、マリーはカトレア様の庇護を受けてこれまで無事に過ごしてきた。
次は、私が守る番。
でも、さほど心配はしていない。
マリーは、柔な子じゃないから。
そして、私は今、学院の研究室で、マリーと共に研究している。
すっかり改装された研究室で、私の知識と技術の全てをマリーに引き継ぐ。
そうやって身に付けた全てを、幸せに生きるために使いなさい。
マリーは、マリーの人生を幸せに生きなさい。
私も私の人生を好きに生きてきた。
私の隣には、ヴァニィがいる。
私の運命の人。
最愛の夫。
ヴァニィが隣にいてくれる限り、私は何をやったって幸せでいられる。
これからも精一杯日々を生きていく。
そして、いつか私が死ぬ時、ヴァニィにこう言うのだ。
「あなたのお陰で、幸せに生きられました」と。
これにて、完結です。
一旦完結したものの、リリーのその後を気にしていただけたり、子供達の話を思いついて書きたくなったりで、後日談として復活させました。
思いがけず、ヴァニィの父親視点をリクエストいただいたりと、とても楽しく書けました。
カトレアがお気に入りなので、前話で随分精神的ダメージを受けてしまい、最終話を書くのにとても手こずりました。
セリィの物語はこれで終わりですが、ローズマリーはまだ4年生になったばかりなので、あと1年弱学院にいます。
その後、セリィと共に王城に入って色々やらかしていくことになりますが、需要がありそうなら(それとちゃんと書けたら)、「薔薇は七色に咲き誇る」シリーズの新作としてアップしたいなと思っています。
「薔薇は七色に咲き誇る」シリーズとしては、ほかにも、リリーナ攻略バージョンのアナザーストーリーなんかも温めているのですが、こちらはレズものになってしまうので、これも同シリーズ別作品として書ければなぁ、などと思います。
当面は、毎週日曜更新の「赤い糸、いかがですか?」を続けながら、書き上がった作品をアップするという方向になると思います。
セリィの物語を楽しんでいただけましたら、とても嬉しいです。
※10/8追記
上記のローズマリーの物語「奇蹟の少女と運命の相手」の連載を開始しました。
毎週土曜日午前零時更新です。
よろしければ、そちらもお楽しみください。




