後日談5 最期の願い
今回は、3人称になります。
※当初、後日談4としてアップしましたが、その後、「息子の妻」を挿入したため、後日談5になっています。
彼女は、今、生死を彷徨っていた。
2年前に夫に先立たれ、爵位を継いだ息子夫婦と孫に囲まれて生きてきたが、最愛の夫を失った喪失感は強く、僅か2年で随分やつれてしまった。
食が細り、最低限にしか屋敷から出なくなり、かつての溌剌とした輝きは失せていた。
まだ50も半ばというのに、美しかった金の髪は大半が白くなり、自信に溢れていた眼差しは虚空を見つめることが多くなった。
年末にひいた風邪から、年明けに肺炎をこじらせ、高熱のため意識も朦朧としている。
幸運だったのは、年明けに孫が屋敷を訪れていたことで、孫娘のローズマリーが甲斐甲斐しく看病していた。
「お祖母様、もうじきお母様達がいらっしゃいますから、頑張ってください」
ローズマリーの声に、彼女は、薄れる意識の中、亡き夫の最期の言葉を思い出していた。
「お前には、世話を掛けっぱなしですまなかった」
「いいえ、あなたのお世話をするのが私の幸せでした。
謝らないでください。もっとお世話させてください。
あなたがいなくなったら、私も生きてはいられません」
「最後の、世話を…ローズマリーを、あの子の才を…」
「はい。はい。きっと…」
力なく差し出された夫の手を胸にかき抱きながら、彼女は約束した。
彼らの孫娘ローズマリーは、36年ぶり2人目となる王立学院二段飛び級を果たし、「奇蹟の再来」と呼ばれていた。
ローズマリーを王立研究所に入れ、「不世出の才媛」の研究を引き継がせること、それが、ローズマリーの身の安全を図る最良の方法であると信じ、夫は最期にそれを託して逝った。
残された彼女は、深い悲しみの中、夫の最期の願いを叶えるべく、弱る体にむち打ってなんとか道筋をつけた。
そして、ホッとしたところに今回の肺炎だった。
「マリー…」
意識が浮上した彼女は、傍らに座って看病してくれている孫娘に呼び掛けた。
ローズマリーは、祖母の左手を両手で包むように握って答える。
「お祖母様」
「お祖父様の遺言を、研究を、お願いね」
「はい、お祖母様。約束します。すぐに卒業して、研究所に入りますから」
「もう少し…あと少しで、あの人のところに行ける…」
再び沈み込もうとする彼女の意識を繋ぎ止めたのは、ようやく屋敷に着いた彼女の親友セルローズと、その息子ノアジールに嫁いだ娘ドロフィシスだった。
2人は、彼女の手を取り声を掛けた。
「お母様! ドロシーよ、わかりますか? セリィお義母様も一緒よ!」
「カトレア様! しっかりなさってください!」
彼女の脳裏に、前世を思い出してからの40年にわたる思い出が甦った。
婚約者サイサリスをセルローズに奪われるのではないかと恐れていた日々、出会ったセルローズを牽制しつつ友情を育み、彼女の研究をサイサリス名義で発表させてもらったこと、そして、無事夫と結ばれた後も続いた友情と好意。
「セリィ…ありがとう。
あなたのお陰で、あの人は研究だけして生きられました。
あなたの研究を利用させてもらったことは、感謝してもしきれません。
その上、今度はマリーを研究所に引き入れなければならなくなりました。
ごめんなさい。
もう、そうしないとマリーの安全を守れないところまで来てしまったの」
前王の三男であったサイサリスは、特異な発想による作物の改良によって前王を動かし、王城内に王立研究所を設立してその所長となった。
大量に収穫できる上に品質は従来の最高級品並という新型作物の数々を生み出す研究所は、時代の寵児として花形部署となり、多くの優秀な頭脳を擁することとなったが、サイサリスが勇退し嫡男ガーベラスが二代目所長となったことで、その性格を若干変えた。
自身も優秀な研究者であったサイサリスと違い、ガーベラスは植物学に造詣を持たなかったのだ。
元々、王城内部において、研究所の成果のほとんどが在外研究員セルローズのものであることは周知の事実であった。
純粋に研究所内で実用化された作物は、30年で僅か2品種。
セルローズ1人で10品種以上の基礎研究を終えていることを考えると、研究所の実質的な役割は、セルローズが開発した作物を王家直轄領で栽培実験した後、領地貴族に順次栽培許可を出していく行政機関的なものであった。
それでも、サイサリスが所長のうちは研究所としての体裁が取れていたのだ。
しかし、研究者でない者が所長になるということは、所長職がゼフィラス公爵家の世襲となったことを意味していた。
一方、サイサリスの長女ドロフィシスは、ジェラード侯爵家の嫡男ノアジールに嫁ぎ、嫡男オルガと長女ローズマリーを産んだ。
王家の血と、不世出の才媛の血を継いだ長女ローズマリーは、植物学で二段飛び級を果たし、血筋としても才能としても最上級となり、妻にと求める貴族が後を絶たなかった。
ことに前王の第2王子であったラビリスは、王太子になれず、特段の成果もなかったせいで公爵家を興すこともできず、スケルス公爵家に婿入りする形で臣籍降下した。
王になった兄、王城に世襲職を持つ公爵家を興した弟に挟まれた彼は、娘に恵まれなかったために王家と婚姻を結ぶこともできず、臍を噛んでいた。
そんな時、ローズマリーが二段飛び級したという情報が流れた。
ゼフィラス公爵家の血を引く優秀な研究者であり見目も良く、しかも家格は侯爵に過ぎないから、ある程度力押しができる。
ラビリスの孫パスールがローズマリーと婚姻を結べば、研究所長職を奪うことも可能。そう考えたラビリスは、学院に通うパスールに命じ、ローズマリーを籠絡することにした。場合によっては既成事実を作ってでも、である。
しつこく言い寄ってくるパスールに辟易していたローズマリーは、祖母であるカトレアに助けを求め、カトレアとサイサリスによって保護されてきた。
しかし、サイサリスが急逝し抑止力が低下したことから、ローズマリーを研究所職員としてガーベラスが直接庇える体制を整える必要が出てきたのだ。
ローズマリーが力ある貴族と婚約でもすれば解決できる問題だが、彼女にはまだその意思がなく、適当な相手もいなかった。
セルローズの時と違い、所長と共同研究者でないため、在外研究者の役職をすぐ与えることができない。
その名目を与えるために、カトレアはこの2年奔走してきたのだった。
「セリィ、あなたの力を借りなければなりません。
マリーを導く役を。
あなたがジェラード領を出たくないのは知っています。が、王都で研究の引継を…。屋敷は用意しました。
ジェラード領への還元は、今後もできるようにしておきましたから、あなたがマリーを支えてあげて…。
今回は、取引する材料がないの。
ごめんなさい。卑怯だけれど、友人として最期のお願いよ… 」
「わかりました。
カトレア様との友情に誓って」
「ありがとう。
あなた、最期の誓いは果たしました。
これで、ようやくあなたのところに行けます…」
心残りを晴らした彼女は、静かに息を引き取った。
その顔に、安らかな笑みを浮かべて。
なんだか暗くなってしまいました。
王様は代替わりしています。
1人称だとぼかせるところが、3人称だと全部入ってきちゃうので、裏事情がモロ出しです。
近日中に、この後のセリィの話をアップします。