閑話 凡人の憂鬱
家族から見たセリィについて読みたいというリクエストを戴いたので、セリィの兄視点で書いてみました。
時期的には、冒頭の部分が9話の後になります。
私は、ブルーノ・バラード。
バラード伯爵家の嫡男だ。
王立学院の4年生で、再来年の春、卒業したら領地に帰ることになっている。
父は王城で官僚をしているため、私が領地経営をするのだ。
今は、母が領地経営しているので、実地で学びながら引き継いでいく予定だ。
父のように王城に上がるという選択肢もないわけではないが、試験を受けるのはやめておいた。
正直、受ければ合格するだろうとは思うが、今は少し、セリィとの比較の声が聞こえないところに行きたい。
2歳年下のセリィは、今や時の人だ。
先日、第3王子殿下との共同研究が実り、大々的に発表された。
なんでも、荒れ地でも育つ上に、これまでの最高級品並の甘みを持つイモを作ったんだそうだ。
「作った」というのは、育てたではなく、文字どおり今までなかったイモを産みだすという殿下の研究だそうだ。
この前セリィに会った時に、色々と説明してもらったのだが、正直さっぱりわからなかった。
まあ、以前から研究していた殿下が誰にも理解されなかったらしいから、私のような凡人にはわからなくても仕方ないだろう。
むしろ、理解して一緒に研究できてしまうセリィが特殊なのだと思う。
セリィは、幼い頃から素直で愛らしい子だったが、決して勉強ができる子ではなかった。
私が学院に入った当時、簡単な計算を学んでいたが、かなり苦労していたはずだ。
それが変わったという話を聞いたのは、セリィが婚約した頃だ。
母の親友だというジェラード侯爵夫人が、息子とセリィを婚約させようという話を持ってきたそうだ。
本当は、私が産まれ、侯爵夫人が懐妊した際、女の子が生まれたら結婚させようという話を持ちかけてきたらしいが、産まれたのが男の子だったため、一旦立ち消えた。
その後、我が家にセリィが産まれた時にその話がまた持ち上がったわけだ。
我が家から見れば、侯爵家に嫁げるなら悪い話ではない。
顔合わせの時、私は学院にいたから詳しい話は聞いていないが、2人は互いに気が合ったらしい。
その後、セリィは人が変わったように勉学に励むようになった。
元々真面目に取り組んではいたのだが、学ぶ科目を増やしたとか。
一度、学院の長期休暇で領地に戻った際、セリィが「今は、こういうのを習っています」と言いながら見せてくれた問題は、当時2年生だった私がようやく習ったばかりのものだった。
習ったばかりだから、解いて見せて「さすがはお兄様」などと言われ、兄の面目は保たれたが、11歳のセリィが私と同程度のことを学んでいることに驚いた。
試しに、ほかにどんなものを学んでいるのか見せてもらったが、中には学院での講義より難しいものまであった。
どうやら、私は運良く答えられる問題に当たったらしい。
その辺りのことを、母に尋ねてみた。
「母上、セリィは何故あのような高度なことを学んでいるのですか?」
それに対する母の答えは、単純に「できるから」というものだった。
あんな高度なことがちゃんとわかるというのか。
1年前には、簡単な計算に苦労していたというのに。
セリィは、婚約以来、メキメキと力を付け、計算はむしろ得意になったという。
それどころか、領地経営に必要な技能を調べ、修得しているとのことだった。
「どうしてまたそんなことを」
「領主の妻になるためだそうよ」
確かに、我が家では領地経営は母がしている。
セリィはそれを見てきたから、領主の妻の必須技能と勘違いしているのかもしれない。
セリィが学院に入った後、友人から声を掛けられた。
「君の妹御が入学したそうだね。
君に似て、さぞ美しいんだろう。是非紹介してもらえないか」
この学院には、結婚相手を探しに来ている貴族子女も多いから、こうした話には事欠かない。
「紹介しても構わないが、妹は婚約者持ちだぞ」
「む…そうか」
そして、半月ほどすると、同じ友人からセリィの近況が入ってきた。
「君の妹御は、婚約者殿と随分仲がいいらしいな。
よく腕を組んで歩いているようだ」
「そうなのか。実は、婚約者殿とは俺は面識がないので、よくわからんのだが」
更に半月後、彼は目を剥いてやってきた。
「妹御が飛び級したって!?」
「ああ、そうらしいな。俺も驚いているところだ」
「随分似ていないようだが、本当に兄妹か?」
「失礼な奴だな。妹は数字に強いんだ」
正直、飛び級するまでとは思っていなかったが、入学前に2年生の問題が解けたんだから、出来がいいのはわかっていた。
だが、さすがに次のは驚いた。
「おい! 妹御がまた飛び級したって…」
「信じられないのは、俺も同じだ。何も言うな」
「いいのか? 結構あちこちから目を付けられてるようだが」
話したこともない妹のことを心配してくれるとは、いい奴だな。
「婚約者のジェラード侯爵子息が付いている。取り敢えずは婚約者に花をもたせるさ」
セリィは、第3王子殿下と同じ研究室に入り、対等に会話することを許され、殿下の婚約者であるランイーヴィル公爵令嬢の取り巻きの1人となった。
結局、セリィは、公爵令嬢を味方に付けて、敵対視する者を黙らせてしまったのだ。
なんというか、もう住む世界が違いすぎて何も言えない。
相変わらず婚約者殿とも仲睦まじいという噂は聞こえてくるが、休暇などの際、屋敷で会うことがあっても、幼い頃の素直で優しい妹のままだ。
自分より成績の劣る兄を侮ることもせず、「お兄様」とにこやかに話しかけてくる。
きっとセリィにとって、成績と人間性は全く別のものなのだろう。いいことだ。
能力では私を遙かに凌駕するが、それでもセリィは可愛い妹だ。
妹が幸せを自力で掴めるというなら、兄としては黙って見守るべきだろう。
どうせ、私の力で守ってやれるような話でもないしな。
幸い、婚約者殿との仲も良好なようだし、どのみち私の出る幕はないはずだ。
そして、今回の研究発表の後、王都の屋敷に父を訪ねると、今回のセリィの件で、びっくりするような話を聞かされた。
王城の中では、第3王子殿下の覚えめでたいセリィを取り込もうという動きがあり、父にも内々にセリィの婚姻について話が出ているそうだ。
「セリィには、もう婚約者がいるではないですか」
「政略とはいえ、母親同士の友誼によるものでしかないから、まあ仕方なかろう。
我が家の爵位そのものを上げるからといって話を持ってくる方もおられるよ」
「そんなことができるのですか?」
「領地貴族であり、官僚貴族でもあるという我が家ならではの小技でな。
官僚として爵位を上げれば、連動して領地貴族としての爵位も上がるという寸法だ。
一方で、ランイーヴィル公爵家からは、婚約を解消するなというお話があった。
どういうわけか、セリィは公爵家を動かせるほどの手管を持っているようだ」
「取り巻きの中でも、令嬢のお気に入りのようですからね、お願いでもしたんでしょう。
婚約者殿とも仲睦まじいようですし、引き離されたくないのでは」
「セリィなら王城でもやっていけるだろうが、それは望まんだろう。
すまんが、侯爵位は残してやれんぞ」
「いりませんよ。妹の力で昇爵など。
私は、卒業したら、領地へ戻ります。
母上から、実地で領地経営を学んで、いずれ爵位を継ぐことにします。
正直、王城で、才媛の兄にしては平凡だと言われ続けるのは、面白くありませんから」
「セリィは婚約して一皮剥けたようだが、お前はどうだ?」
「私にそんな伸び代はありませんよ。
恋をすると人は変わるとよく言いますが、あんなに変わるものなんですね。
好きな食べ物の話をするのと同じ口調で、難しい研究の話をするんですから、まったく。
力になってはやれませんが、ジェラード領に行ってからも幸せでいられるよう、祈ってますよ」
セリィは、予定より1年早く卒業して結婚した。
結婚式には、ゼフィラス公爵夫妻が幼子を連れて駆け付けたという。
そして、2年後には嫡男を産み、代替わりして侯爵夫人になった。
おかしい。
前侯爵はまだ40歳そこそこで、健康にも問題なかったはずだ。
それが代替わりするとは、いったいセリィは向こうで何をやらかしたのか。
本当にうちの妹は、当たり前のようにとんでもないことをしてくれる。
更に7年ほど経って、セリィが息子のノアを連れて我が家にやってきた。
私にも5年前に息子が産まれたが、その相手をしてくれているノアは、年の割に落ち着きがある。
なんでもゼフィラス公爵令嬢と婚約しているとか。
セリィが気に入られているのは、相変わらずらしい。
ノアからこっそり学院時代のセリィの話をせがまれたので、当たり障りのないところを話してやった。
どうやら、母の天才ぶりに、学院で比較されることを恐れているらしい。
大丈夫、あんな規格外の天才と張り合おうなどと思わず超然としていればいいんだと教えたが、どうも浮かない顔をしていた。
繊細な子のようだから、心配だ。
5年後、ノアも飛び級したという話が飛び込んできた。
なんだ、お前も規格外の天才じゃないか。
うちの息子は、お前と比較されるんだぞ。
息子が学院に入る時は、俺も凡人だったから、ノアのことは気にせず強く生きろと言ってやろう。