2 明るい修道院ライフのために
修道院を目指すと決めた僕の生活は一変した。
…なんてことはない。
なにしろ、元々箱入りのお嬢様だ。
1日1時間くらい庭を散歩するようにはなったけど、生活に大きな変化なんか起こりようがない。
修道院の清貧な生活に慣れるために食生活を変えるということもできない。
僕の分だけ別に作らせるなんて面倒なこと、させられるわけがない。
せいぜい、お茶の時間に出てくるお菓子をあまり食べないようにするくらいだ。
それも、極端に残すようになれば、不味かったのかとか、体調が悪いのかとか心配する人が出るから、不自然にならない程度に抑えておかなければならない。
そんなわけで、僕の生活には大きな変化はない。
ところで、僕には、セルローズとして過ごしてきた記憶がほぼ戻っている。
やっぱり、ここは異世界で間違いないようだ。
文明程度はヨーロッパ中世程度だけど、トイレは水洗だし、井戸を利用した水道があって、蛇口を捻れば水が出る。
これは、ある程度上流の屋敷限定らしいけど、それでも中世そのままというわけではないようだ。
考えてみれば、現代日本に生きていた僕が転生したんだから、中世ヨーロッパのわけはない。
前世の記憶をある程度持っている僕だけど、不思議なことに、あまり違和感もなくこの世界でお嬢様をやっている。
きっと、前世の記憶がほんの少ししかないから、今世の経験に基づく意識の方が勝っているんだろう。
男と婚約ってことを思い出すと身震いするけど、普段は平気。
ヴァニィはいい子だけど、だからといって男と結婚なんてごめんだ。
そのヴァニィからは、3か月に1回くらい手紙が来る。
交通手段のあまり発達していないこの世界では、結構な頻度だ。
ワガママ坊主のヴァニィらしく、手紙の内容は、家庭教師に褒められたとか、馬に乗れるようになったとか、狩りに連れて行ってもらって狐を獲ったとか、自慢話っぽい近況報告で微笑ましかった。
もちろん、礼儀として僕も返事は出す。
とは言っても、書くことがあまりないので、僕も勉強の話とか、庭の花壇にバラが咲いたとか、そんな話が中心になる。
そう、僕の生活で一番変わったのは、勉強の時間かもしれない。
修道院に入るために何が一番重要かと言えば、結局、貴族令嬢としての知識と教養、立ち居振る舞いだって気付いたんだ。
少なくとも王立学院を卒業する頃までは、僕はヴァニィの婚約者に相応しい存在でなければならない。
もちろん、最終的にはヴァニィから婚約破棄されるんだけど、それはまだ見ぬヒロインに追い落とされるか陥れられるという形になる。
大抵のラノベの悪役令嬢は、ヒロインに嫌味を言ったり意地悪をしたりして、卒業間際に婚約破棄を叩き付けられる。
この世界が何て名前のゲームか知らないけど、その辺りの基本的な流れは変わらないはずだ。
もし、僕がヴァニィに相応しくない低レベルの令嬢だったら、早々に見限られて、もっと質の低いどこかの貴族の息子と婚約させられるだろう。
それではヒロインは関わってこないから、「男と結婚」という最悪の未来を覆せない。
侯爵夫人となるに相応しいだけの品位と教養を持ち、けれどもヴァニィの心がヒロインに向いたために捨てられる、という形にしないと、修道院への道は閉ざされてしまう。
それに、明確にヒロインを虐めるのではなく、「見ようによってはきつく当たってるかな」程度の関わり方でいかないと、ヴァニィを怒らせすぎて国外追放とかになりそうだ。
口の利き方や受け答えとかは、十分気をつけないとね。
敵を作らない振る舞いとか、周囲の人を味方に付ける人心掌握術とかは、修道院に入った後でもきっと役に立つから。
それに、ヒロインが僕を陥れようとする存在だった場合は、一層上手く立ち回らないといけない。
周囲の人を味方に付けないと、ないことないことまくし立てられたら破滅一直線だもの。
そんなことを考えているうちに、僕は気付いたんだ。
なにも特別なことをする必要なんかないって。
社交術も腹芸も、貴族として必要な技術だけど、貴族だけに必要ってわけじゃない。
つまり、令嬢として教養を身に付け社交術を磨けば、来るべきヒロインとの対峙に役立ち、明るい修道院ライフのためにもなるんだ。
それに気付いた僕は、令嬢修行に精を出した。
領地を持つ貴族に嫁ぐということは、領地経営にも少なからず関わることになる。
元々家庭教師は付いていたから、僕は新たに帳簿の付け方とか出納書類の見方とかも学ぶようになった。
覚えていないとはいえ、さすがに高校受験を乗り切っただけあって、理数系に関する限り僕の能力はかなり高かったみたいだ。
記憶が戻る前の僕は、あまり数字には強くなかったようだから、急にデキが良くなって怪しむ人が出るんじゃないかと心配もしたんだけれど、不思議とみんな納得していた。
「目的がはっきりしていると違いますね」
なんて言う人もいたけど、僕の計画がバレたわけじゃないよね?