閑話 初恋の君
俺がセリィと初めて会ったのは、5年前のことだ。
婚約者になる娘に会うからと、母に連れられていった先で出会ったのは、綺麗な金の髪と儚げな雰囲気を纏った天使のような少女だった。
一目惚れだった。
俺は、その子の特別になりたくて、愛称で呼び合うことを求めた。
恋人同士のように腕を組んで歩き、庭のあちこちを見て回った。
花の説明をするセリィは、最初の儚げな印象が嘘のような輝く笑顔を見せ、俺はますます惹かれた。
まだガキだった俺は、セリィにいいところを見せようと、セリィが止めるのも聞かずに池で魚を捕まえようとして、セリィは俺を庇って池に落ちた。
俺は自力でセリィを助けることもできなかった。
大人の力を頼ってようやく助け上げたセリィは、俺に向かって微笑み
「無事でよかった」
と言って気を失った。
俺は、セリィを助けることも、看病することもできず、3日間、部屋で考えた。
俺は、セリィを守れる強い男になりたい。
俺のせいで3日も寝込んだセリィは、それでも俺を責めなかった。
俺はセリィに「償いはきっとする」と誓った。
あれは、俺なりに「一生守る」と言ったつもりだった。
その後、手紙のやりとりだけで会えない日々が2年続いた。
俺は、手紙の中で、自分がどれだけ力を付けたかを報告していたが、セリィもまた、侯爵夫人となるに相応しい教養を身に付けるために頑張っている話を書いてくれていた。
2人の将来のために頑張ってくれていることが窺えて、気持ちは一緒だと嬉しくなった。
いつの頃からか、セリィの手紙には、口癖のように「あなたの隣に立つに相応しい淑女になるために」という言葉が書かれるようになっていて、俺ももっと頑張らなければという気持ちが沸いてきたものだ。
ようやく学院でセリィと会えた時は、嬉しかった。
2年ぶりに会うセリィは、思い出の姿より更に美しく、「可憐」という言葉を絵に描いたような美少女に成長していた。
控えめに腕を組んでくる様子といい、俺の言葉に楽しげに相鎚を打つ様子といい、まるであの日の続きのようだった。
本当に大切な相手にしかしないお休みのキスも返してくれて、あの夜、俺は舞い上がりすぎて眠れなかったほどだ。
セリィは、経営学で飛び級して、俺と同じ本科に編入された。
俺は、飛び級できるような成績は取れなかったのに。
正直、悔しい気持ちだったが、セリィは俺と一緒に講義を受けられることを素直に喜んでいた。
「あなたの隣に立つに相応しい」という言葉の裏に、どれほどの努力があったのか。
俺は、嫉妬した自分が恥ずかしかった。
結局、セリィは、3科目での飛び級と、前代未聞の二段飛び級をやってのけ、「不世出の才媛」とまで呼ばれるようになった。
このため、セリィは羨望と嫉妬に晒されることになったが、俺としてはそれらの悪意からセリィを守ることができて嬉しかった。
二段飛び級した植物学の研究室では、多少変わり者と評判だが、家柄は最高、顔良し頭良しの第3王子殿下と一緒だったが、セリィは殿下を特に気にしていなかった。
そして、気難しいと評判のランイーヴィル公爵令嬢に気に入られていた。
あれで、もし、セリィが殿下に興味を示そうものなら、きっと公爵令嬢を敵に回して、俺では守りきれなかっただろう。
セリィは、植物学で、荒れ地でも育つ美味い作物を研究していた。
ジェラード領では農業が盛んだからだ。
そして、完成した研究は、殿下に召し上げられてしまったが、その際、ジェラード領で作ることに制限を掛けないことを条件に出していた。
政治的な駆け引きに至るまで1人でこなす姿に、俺は自分の無力を感じずにはいられない。
新しい作物のお披露目の時、俺は遠征でセリィの傍にいてやれなかったが、遠征から帰ると、寮に公爵令嬢からの言付けが届けられていた。
不世出の才媛に目を付けた王城の者がいて、セリィが不安を感じているから、すぐに会うように、と。
早速セリィに会いに行くと、いつもと変わらない態度で、久しぶりの夕食を楽しんだ。
その後、セリィからゆっくり話したいことがあるとのことだったので、翌日会う約束をした。
そして、翌日、話を始めると、セリィは初めて見るほど取り乱していた。
セリィは、不世出の才媛を欲する者の悪意に触れて、怯えていた。
そんな奴ら、無視すればいい。
俺は、お前自身が欲しいのだから。
だが、セリィは、俺の気持ちにさえも不安を感じてしまっていた。
かつて俺が「償い」という言葉を使ったせいで、俺が罪滅ぼしのために結婚しようとしていると思ったらしい。
格好付けて素直に「好きだ」と言わなかった昔の俺を殴ってやりたい。
そんなんじゃない。
お前は、俺の初恋で、生涯ただ1人の妻だ。
「覚えてるか。あの池で、俺はお前に守られた。
池から引き上げられたお前は、俺に『無事でよかった』って言ったんだ。
俺は、お前を守れる男になることを誓った。
一生守るよ。お前を誰にも渡さない。王城になんか行かせないさ」
「ヴァニィ、私、ずっと、一緒にっ!」
涙を流しながら、それでも笑顔に戻ったセリィが俺にしがみついてきた。
この日、俺達は、初めて恋人としてのキスをした。
連載開始時から、9話ラストのセリィのセリフを書くのを楽しみにしてきました。
セリィの心情の変化は、自然に描けていたでしょうか。