1 目指せ! 修道院
短編で上げた作品の連載版です。1話目は、ほぼ短編のままです。
あ~、え~っと…ここ、どこ?
僕はさっきまで…えっと、あれ? 何してたんだっけ?
ていうか、僕、なんて名前だっけ?
なぜかは分からないけど、僕はベッドに寝かされているらしい。
妙に豪華なベッドで、天蓋まである。
見覚えはないけど、そもそも自分が誰なのかも分からないんだから、理由は考えるだけ無駄だろう。
とりあえず起き上がろう。
体には、特に痛いところはないようだし。
「よいしょ」
っと、声が出ちゃった。
「よいしょ」って…年寄り臭い。
いや、驚くところはそこじゃなくて……何、今の声? 僕の? こんなに高い声だったっけ? まるで女の子みたいな…。
僕は男だった。…はず。
名前も思い出せないけど、少なくともそれは間違いない。
年は15だった。
高校を受験した記憶はある。
高校の名前は思い出せないけど。
ベッドの上に上半身を起こしてみると、やっぱり見覚えのない部屋だった。
自分の手を見てみる。小さい。
おまけに、うつむいて垂れた髪はきらきらした金色で、長さもかなりあった。
多分、肩より少し長いくらい。
絶対僕の髪の毛じゃない。
僕の髪は黒かったし、肩に掛かるほど長くもなかった。
僕は、男なんだから。
とんでもない事態のはずなのに、妙に冷静な自分が不思議。
多分、びっくりしすぎて却って冷静になってるんだろう。
すごくバカみたいな考えだけど、これってラノベなんかでよくある「異世界TS転生」ってやつだったりして。
それじゃあ、もう少し情報を集めてみよう。
ベッドの端まで寄って、ベッドから降りようとしたんだけど、足が届かない。
ベッドは妙に広いけど、巨大ってわけじゃない。
僕の背が低くて、足が届かないんだ。
身長は1メートルちょっとってとこかな。
見た感じだとこの体は8歳から10歳、小学校低学年ってところだろうか。
きょろきょろと周りを見てみると、部屋は20畳くらいあるみたい。
もちろん畳じゃなくて、毛足の長くない、薄いピンク色の絨毯が敷かれている。
絨毯の柄はよく分からないけど、色といい、女の子の部屋って雰囲気がする。
これが転生だとして、よくあるパターンだと、頭を打ったとか誰かを見た衝撃で前世の記憶を取り戻したってとこだけど、それだと何日か寝込んでたりするんだよね。
この幼い体だと、2~3日も寝込んでたら体力が尽きて歩けなくなってたりする可能性もあるんだけど。
まあ、考えてても始まらないし、部屋の中だけでも調べてみよう。
あ~、うん。
あまりにも予想どおりで悲しくなる。
2歩歩いただけで転んだ上に、自力で起き上がることもできやしない。
生まれたての仔牛みたいに四つん這いでプルプルしたまま動けない。
このまま四つん這いでいるのも限界っぽいし、そろそろ何とかしないとなぁ。
あ、現状打破の糸口が接近中。
ドアの外から、パタパタと走る音が聞こえてきた。
転けたときにそれなりの音がしたからね、誰かがその音を聞いて駆け付けてくれるんだろう。
これはますます僕寝込んでました説の可能性が上がったなぁ。
バタン。
『お嬢様! まだ歩かれてはいけません!』
お、焦げ茶色の髪にメイド風コスチュームのおばさんが助け起こしてくれた。
「お嬢様」、か。
やっぱり、僕、女の子なわけね。
ていうか、今の、何語かも分からなかったのに、すんなり理解できたよね。
やっぱり転生系かなぁ。
言葉が分かるのって転生もののテンプレだもんね。
『大丈夫。ちょっと足がもつれただけよ』
って、あ、僕、謎言語なのにちゃんと話せてる。
『私、どうしてベッドで寝ていたの?』
一人称が「私」だぁ!
今、僕、「僕、どうしたの?」って言おうとしたよね? 日本語で!
なのに、謎言語で「僕」が「私」になってて、しかもちゃんとそれも分かる!
もしかして自動翻訳機能付き?
もう1回、今度は日本語で話すよう意識して言ってみよう。
『なんだか力が入らないの』
うわあああ、日本語話せなくなってるよ。
あああ、なんか涙出てきたよ。
泣きたいのはこっちだよって、そうだよ、泣きそうなの、僕じゃんか!
体が子供だからか、涙腺が緩いよ!
あ、おばさんが僕を抱き上げてベッドに載せてくれた。
軽く抱きしめながら、『お嬢様、御心配なさらなくても大丈夫です。マリーがお側におりますよ。』って言ってくれる。
この人に触れていると、なんだか落ち着くなあ。
おばさん(マリーって名前なのかな)は、僕が落ち着いたのを見計らって、優しく『今、医師を呼びますので、少々お待ちください』と言って、ドアから顔だけ出して『お嬢様がお目覚めになりました』と叫んで、ベッド脇に戻ってきて、僕の手を握ってくれた。
なんだかこのマリーさんって人、見覚えがある気がしてきた。
マリー、マリー…、そうだ、僕の乳母だ。
どうやら、最初に思ったとおり、僕はTS転生して、何かのきっかけで前世の人格と記憶の一部が蘇り、その影響で寝込んでしまったというところだろう。
マリーを思い出したということは、他のことも思い出せるかもしれない。
そう思うと、少しホッとした。
しばらくすると、40代くらいのお医者さんらしき人と、僕と同じような色の髪で身なりのいい若い女の人が部屋に入ってきた。
きっとこの女の人が僕の母親なんだろう。
お医者さんに診察と問診を受けていると(まさか「この指、何本ですか?」をやられるとは思わなかった)、知らない情景が浮かび上がってきた。
誰かが池に落ちそうになったのを助けようとして、僕の方が池に落ちたんだ。
誰か…そう、「ヴァニィ…ヴァニィは、大丈夫だった?」
思わず口から出た言葉に、お医者さんは満足そうな笑みを見せた。
「池に落ちたのを覚えておいでですか? どこか痛いところはございますか?」
といくつか質問した後
「体に不調は見当たりません。消化の良いものを召し上がってゆっくりお休みいただけば、明日には歩けるくらいに回復なさるでしょう。しばらくは少しずつ体を動かすようにして慣らしていくとよろしいかと存じます」
と、暫定母親さんに説明して部屋を出て行った。
「セリィ。目が覚めて良かった。すぐに軽いものを持ってこさせるわね」
暫定母親さんがそう言うと、すぐにマリーが部屋を出て行った。
多分、お粥みたいなものを持ってきてくれるんだろう。
暫定母親さん、というか、なんだか見ているうちに分かってきた。
この人は、僕の母親だ。
さっきから、どうやら見たものや聞いた言葉に関して記憶が戻ってきているみたいだ。
「お母様、ヴァニィはどうなりましたか?」
僕は、お母様(これも翻訳マジックでそうなるみたい)と話をしているうちに、色々思い出してきた。
僕の名前は、セルローズ・バラード。
王国の西方に領地を持つバラード伯爵家の長女で、2つ年上の兄がいる。
ここは領地の屋敷で、父と兄は王都の屋敷で暮らしている。
父は王城で役人をしていて、兄は今年、王立学院に入学した。
僕が倒れたあの日、お母様の古くからの親友であるジェラード侯爵夫人と一人息子のヴァニィが我が家を訪れていた。
王国の爵位は、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵、騎士爵となっていて、騎士爵は1代限りだけど、後は世襲になっている。
お母様とジェラード侯爵夫人は、王立学院時代からの親友だそうで、それぞれが結婚して子供を産んだ後も、手紙のやりとりが続いていたらしい。
ジェラード侯爵領は、王都を挟んでうちの領地の反対側にあるから、片道だけでも1週間掛かる大旅行だから、王都以外で会うのは5年ぶりだそうだ。
ヴァニィは僕より1歳年上で、初対面だったけど、子供同士の気安さなのか、ヴァニィの人懐っこさのせいなのか、すぐに「セリィ」「ヴァニィ」と呼び合うようになった。
もっとも、僕はそんなに気さくな性格ではなく、ヴァニィに呼ばされていたという方が正確だ。
ヴァニィは、貴族のボンボンだけあってワガママで自分勝手なところがある。
お母様が僕を「セリィ」と呼ぶのを聞いて、「僕もお前を『セリィ』って呼ぶから、僕のことは『ヴァニィ』って呼べ」なんて言い出したんだ。
ヴァニィは、年下の僕のことを子分か何かと思っているらしく、僕のお母様とヴァニィのお母さんが昔話に花を咲かせている間に僕の手を引いて強引に庭の探検に出てしまった。
僕は元々貴族のお嬢様らしくインドア派で物静かなタイプだったみたいだけど、庭の花壇については、お母様と一緒に作ったものだったから(もちろん、指示しただけで実際の作業は庭師がやったんだけど)、ヴァニィに引っ張り回されながら花の説明なんかをしていた。
そして、ヴァニィは、庭の片隅にある池の中に魚を見付け、捕まえると言い出したんだ。
この池の魚は日本でいう錦鯉みたいなものなんだけど、基本的に人の足音を聞くと池の真ん中の方に集まる。
こっちには日本と違って池の縁の方で餌をやるという習慣がなくて、餌は池の真ん中に放り投げるんだ。
池とは言ってもそれなりに水深はあるし、広さだって直径10メートルくらいはあるから、ボートでもなければ魚を捕まえることなんてできっこない。
ところが、僕が口を酸っぱくして危ないからやめろと言っても、ヴァニィは聞く耳を持たず、むしろムキになってしまい、本当に池の中に入ろうとした。
それで前に回って止めようとした僕は、勢い余ったヴァニィに弾かれて池に落ちてしまった。
慌てて僕の左手を掴んで引っ張り上げようとしてくれたヴァニィだったけど、池の底は泥が深いらしくてヴァニィの力では僕を引き上げることが出来なかった。
それどころか、尻餅をついた形になった僕は、腰と右手が泥に沈んでしまい、力を入れるほどに沈み込んでいく。
必死に僕の左手を引っ張るヴァニィに、僕は大人を呼んでくるように頼んだ。
しばらく躊躇していたヴァニィだったけど、自力で僕を助けるのは無理だと悟って大人を呼ぶために走っていった。
その後、僕は水面が口元に来るほどに沈んでしまった。
覚えているのは、と言うか、思い出せるのはここまでだ。
お母様の話では、その後、ヴァニィはすぐ近くにいた庭師を連れてきてくれて、溺れかけていた僕は庭師に助け上げられたらしい。
その時、僕は意識があって、ヴァニィに何か言っていたらしいんだけど、何を言ったのか全く覚えていない。
まぁ、お礼を言ったか文句を言ったかだろう。
僕を溺れさせてしまったことに責任を感じたヴァニィは、僕が目を覚ますまで傍にいると言っていたらしい。
でも、びしょ濡れの女の子(僕)を着替えさせるところにいさせるわけにいかなかったのと、元々がヴァニィのワガママから起きた事故だったのとで、ヴァニィのお母さんはヴァニィを客間に閉じ込めてしまった。
部屋で反省してろってことだったらしい。
さて、僕が目を覚ました翌日、僕は熱も下がり食欲も出てきたことから、もう大丈夫だろうということでヴァニィに会えることになった。
ヴァニィは、僕を心配してくれていたらしく、もう目も鼻も真っ赤にして、しがみつきそうな勢いで謝ってきた。
やんちゃだけど、素直で優しい子だ。
「本当にすまなかった。この償いはきっとする」
ヴァニィは、僕の両手を包み込むように握ってそう言った。
怪我をしたわけでもないし、気にしなくていいのに。
まぁ、それはいいのだけど。
元々ヴァニィが我が家を訪れたのは、僕との顔合わせのためだったらしい。
何の顔合わせかと言えば、僕との婚約のためだ。
まだ11歳と10歳なんだけど、このくらいの年齢で婚約者を持つのは、貴族の間ではよくあることだそうだ。
政略結婚と言うよりは、お母様とヴァニィのお母さんの友情に基づくもの、要するに親友同士、子供の年も近いし結婚させようという話だ。
…って、えぇぇぇぇ!?
いや、結婚とかムリだから!
今の僕は精神的に男なわけで、男と結婚なんてできないってば!
名前がローズで姓がバラって、そういう意味じゃないでしょ。
シャレになんないから!
今回は顔合わせってこともあって、婚約の話は決まらず(永遠に決まらなくていいよ)、翌日、ヴァニィ達はジェラードの領地に帰ることになった。
帰り際、ヴァニィは笑顔で「王立学院で再会するのを楽しみにしている」と言っていた。
前世(多分)の記憶を取り戻した僕は、それでもそれまでのセルローズとしての記憶も持っているお陰で、問題なく伯爵令嬢として振る舞えている。
そして、3か月後、僕はヴァニィとの婚約が正式に決まったことをお母様に知らされた。
どうやら、僕の命を危機に陥れた先日の失敗は、首尾良く僕を助けたことで挽回していたらしい。
まるで何かの強制力が働いているかのようだ。
まさか。
「王立学院で再会」? 幼い頃からの婚約者? これってまさか、ラノベでよくある「乙女ゲーム世界に転生」ってやつ?
待って待って待って!
貴族同士の婚約者で、ヴァニィの方が爵位が上で、一緒に学校に行ってって、僕の立ち位置はライバル役の悪役令嬢?
乙女ゲームはやったことはないから詳しく知らないけど、よくあるパターンは、ヴァニィが学校で知り合った平民のヒロインに夢中になって、僕はヒロインへの嫌がらせを糾弾されて、婚約解消の上国外追放とか死刑とか?
まずい。
元々ヴァニィは僕に恋愛感情なんて抱いてないし、婚約だって義務的だし(そういや償うって言ってたし)、ヒロインに初恋とか、すっごくありそう!
それは構わないし、政略的な意味も薄いから婚約解消は願ってもない話だけど、国外追放とか死刑とかは困る!
どうすれば円満に婚約解消できるだろう。
どうせ何をやっても強制力が働くんだろうし、ダメージを最小限に抑える方向で考えよう。
そうだ、悪役令嬢の末路として、修道院に入れられるってパターンがあったはずだ。
この世界がどんな乙女ゲーだったとしても、上手く立ち回りさえすれば、僕が修道院に入るだけで丸く収まるはず。
修道院だとあまり自由とかなさそうだけど、少なくとも男と結婚とかしなくてすむわけだし。
ようし、目指せ、修道院!