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妻の念願を叶えるべく、新婚旅行はパリに行った。
ツアーには参加せず、二人だけの旅程を色々と計画したが、
その行動は多数のツアー客と概ね変わらなかった。
それはつまり、ルーブル、オルセー、オランジュリーといった美術館を見て回り、
オペラ座へ観劇に出掛け、凱旋門で記念撮影をし、
シャンゼリゼ通りを買い物がてら気ままに歩く、といったものだ。
私は芸術に対する素養も心得もないし、女性のファッションにも詳しくない。
寧ろ、旅のハイライトはサンジェルマン・デ・プレにある一軒で、
それをきっかけに、以降私たちは旅行を計画しては、
事前に調べてまで様々なカフェを訪ねるようになった。
私はオリジナルのブレンドかエスプレッソ、
妻はカフェ・オ・レやカプチーノを好んでオーダーした。
莉奈が生まれてからも我が家のカフェ巡りは続き、
そのせいで娘は小学五年にして、生意気なハワイコナ愛好家に育った。
私たちは普通の幸せな家族であったが、妻とは一昨年、突然のように終わった。
突然のように、私が終わらせた。
それ以外の方法はもう見出せないと、
夫婦という人生を選択した者が無言の中に内包する禁を破り、
周囲の反対でさえ押し切った私が選んだのは、罪と共に生きるという道だった。
人生でこれ以上は犯せないであろう愚かな大罪は、
当然ながら妻と莉奈に大きな傷跡を残した。
ふたりだけでなく、妻の親族をも深く傷付けた。
その事実と向き合って、残りの人生を過ごす。それ以上は望むべくもない。
私はふたりの元から離れた後も、中年男一人だけのカフェ巡りを継続している。
ふたりの面影を辿る様に、カップに注がれたコーヒーへと想いを馳せる。
犯した罪が際立ち、私の周りを覆う。その外にある世界から私を隔離する。
そのための時間を過ごしている。
広すぎるほどのフロアにあって、私は片隅に配置された窓際の席に座っていた。
アーチ状の小さなピクチャー窓はその数も少なく、琥珀色の扉で閉じられていて、
外を眺めることへの興味を失わせていた。