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すべては夢なんだ。そして俺はただ夢を見てるだけなんだ。そうだろ?わが人生瞑想ノートより

作者: 舜風人

だってそうじゃないか?


花のように小鳥のように

花びらをひとひら

またひとひら

占うのは誰への想い?


遠い日の思い出よ、


村はずれの水車小屋の影で


あの子はハコベを摘んでいたっけ。


山のかなたには夕焼けが

きれいだったなあ。


でも


その思い出よ


今どこにある?


今どこに


あの水車小屋がある?

今どこに


あの子がいる?


そしてあのきれいな夕焼けよ、


今どこにある?


どこにもない。


もうどこにもない、


ただ、、



この私の心の中にだけある。



そうして


現実界には


もう


どこにも


ありゃあしないのさ。






もしある日あなたの所へ、だれか、グルのような、、聖者のような、、人が来て


「お前の今までの人生のすべてが実は、うそであり、夢であり、虚構であり、


妄想にすぎなかったんだよ」



っていったら、どうだろう?


「え?そんな馬鹿な?俺は俺だし、俺はこれこの通り、ここに実在するし、

ふざけんなよ」


ってあなたは言い返すことでしょうね?


でも次の瞬間。


いきなり背景が急に消えて、、

あなたは真っ白な虚空に、ホログラムと化して、

漂っていたとしたら?


あなたの体はまるで透けてしまっていて、

透明クラゲ❓みたい。


気が付けば

虚空のかなたには大いなる実在界があって

そこでは神が、双六遊びのように


あなたというホログラムの糸を引き、操作しているとしたら。

そして

神がその糸をぷつんと切った瞬間


あなたというホログラムは、消え去ってしまって


あなた自身も意識を失ってしまったとしたら。



そうです


それはまさに

死という状態と似てませんか?


我々は死ぬとき、どうなるのだろうか?


だんだん意識が薄れてゆき


背景が次第に遠ざかり


昏睡状態になる。


そして

そうです、


もう二度と目覚めない。


それが死です。



死の先に何があるのか?


古代人は死の先には


冥界がありそこでは死の神が支配する国があるのだと信じていました。



私はもう人生の大半を生き終わってしまいましたよ。



ほんと


あんなにも

若くって


健康で


生命が満ち溢れていた私も


気が付けば


もうこんなに老いぼれてしまいましたよ。


月日は残酷ですね。


時間は残酷です。


あんなに若くて、きれいで、清純で、まるで天使か妖精すぎるような


少女が


今では


こんなにも


老いさらばえて


醜い魔女の老婆ですよ。



人生ってなんて残酷なんでしょう。


それとも?


みんな悪夢?だとでもいうのでしょうか?



すべては夢なんだ。そして俺はただ夢を見てるだけなんだ。


そう叫びだしたいのは


わたしだけなんでしょうか?





神様、私の人生の残り時間ももう


そんなにも残されていませんよ。






だから本当はもう人生のことなんてどうでもいいんですが、


でも?


冥途の土産にどうしてもいくつか聞いておきたいことがあるんですよ。


前置きや、導入はやめて端的に、


神様、あなたに問います。



まず初めに


あなたは「すべて尋ねる者は見出す」と


おっしゃいましたよね?


私もいろいろ人生において尋ね廻りましたが


結局何も 何一つ、、目的のものは見出せませんでしたよ。


これはいったいどうゆうことですか?


神様お答えください。


私が沈思黙考して心を集中させると、


神は私の心に直接、言葉ではなくて、直感で、テレパシーで、答えを送信してきた。


それを以下に、私が、日本語に翻訳するが、私の誤訳の可能性かもしれない?ので、


信憑性は保証はできないことをはじめにお断りしておく。



神の答え


「お前は本当にさがしたのかね?その前にお前は何を求めていたのか本当にわかっていたのかい?」

お前にとってこのつかの間の人生という、遊園地で、どんな遊具にに乗るべきだったのか、

それは満たされたと思うよ。おまえは何も見つからなかった、と言い張るが、じゃあ、

お前はそれ以上の人生をどうしたいというのかね?

お前は喜び。怒り。泣いて、愛して、憎まれて、いろんなことをこの人生で体験させてもらったね。

それで、、十分だろ?それ以上の人生の何を求めるというのかね?

人生とは経験の総体だよ、お前はいろいろと経験させられて魂を磨かれた、そりゃあお前にとってそれはつらい経験だった子も知れない。でも、魂は痛い目に合わないと何も学ばないからな。

いつも生暖かい春のような季節で、食い物も溢れるほどあって、満足しきってたら魂はだらけて

しまって人生から何も学ばないだろう。人生に悲しみや苦痛がなくならないのはそういう意味もあるんだよ。今までどれだけの賢人が理想社会をユートピアを作ろうとしたか、お前は知ってるよね。

でも、どうだろう、みんな、現実に裏切られてきただけだろう。宗教国家も社会主義国家も

結局、恐怖政治と粛清だけだったじゃないか?

いいかね?この世は、この人生は私の操り糸で、どうにでも動かせるのさ、


そうしてお前たち神の操り人形でしかない肉の子、、つまり人間は、私が操るままに


ある時は喜劇を演じさせられ


またある時には悲劇を演じさせられてるだけなんだよ。


それが人生の真実さ、」



「で、、神様。それから私たちはどうなりますか?」




「どうにもならないさ。人生はそこに、、そのように、ただ、、ある、、というだけだからさ。それ以上でも、、、それ以下でもない。


人生に良いも悪いもない。人生は神が操るままに、そのようにそこにある、、、。


それだけさ。そうしてある日、命の糸が切れる時が来る。


それは肉の子の宿命の命が終わる時なのさ、

そのとき

お前たち人間は


また泥に帰る。


なぜなら


お前たち人間は神が泥をこねて作った、「泥人形」にすぎないのだから。


生前幾ら、権力を振るい。、王者として人間どもに君臨していようとも、


神が命の糸をぷつんと切ったら


誰でもまた泥に帰るしかない。


なぜなら




「泥から作られたものは、時が満つれば、また、泥に帰るしかないからなのだ。それが被造物の宿命だからなのだ。」




私が小学生の時

クラスにとってもかわいい少女がいた。


その子はその後、23歳で癌になり


3か月入院しただけで、あっけなく死んでしまった。



私が中学生の時


同級生に、すごい成金の子がいて


なんかのやばい?儲けで一攫千金で


そのあぶく銭で


我らの村で見たこともないような


すごい豪邸をたてたものさ、


その豪邸はその後、


あるじが梁に首つって自殺で


破産した一家が夜逃げして行方知れずで


数年後には買い手もなくて


取り壊されて今は


更地で資材置き場になってるそうだよ、



それもこれも


すべてが夢にすぎないのだろうか?


この世は、、夢の電脳仮想空間で


我らはその仮想空間上のホログラムにすぎないのだろうか?


そうかもしれない


そうではないのかもしれない。


しかし


いずれにしても


私の夢みる生の時は



やがて終わる。


そう


わたしにもやがて死の時が来る。



そのとき


私は

かき消える


ホログラムにすぎないと


自分の虚構性に依拠したこの生の時を


自ら閉じるのだろうか?


それとも


夢は冥途にまでも続く


鏡の回廊なのだろうか?



それは


まさに


死んでみなければわからないことなのであろうよ。



































































































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