002 黒の少年と白の少年
フォルスフォード王国の有名な名言に『自分の道は、自分で切り開け』というものがある。
初代国王の座右の銘らしい。
だが、その名言はこのフォルスフォード王国の実力主義社会を表す言葉として、近隣諸国まで広く伝わっている。
努力次第で、才能次第で平民から貴族に成り上がれる国。
逆に言うと、いくら良家の出でも、その地位に胡座をかいているとすぐに蹴落とされる国。
王家や公爵家に産まれた者でも、成人過ぎての穀潰しの我が儘し放題は容赦なく縁を切られてしまうのだ。
フォルスフォード王城の離れに宛がわれた自室のソファで寛ぎながら、近くのテーブルに置いている水晶から流れる声に耳を傾けて、不意にそんな事を思い出していた。
今日は王城の中心区画にある大議会場で、今年度の外交についてや関税について等々の会議がされているらしい。
でも今日の一番のメインは、今年度から第一王子と4国同盟を結んでいる隣国3国の王子が学園に入学してくる事についての、最終確認だ。水晶から流れてくる司会の声がそう言っている。
フォルスフォード王国第一王子キランルード・フォルスフォード、
北のエイブラハム王国第三王子ヨハネス・エイブラハム、
東のラティングリューン王国第十王子ブッシュ・ラティングリューン、
南のランバード王国第一王子ゼスト・ランバード。
この4人は同い年で将来の4国の友好の為と称し、一番力の強い大国、フォルスフォード王国にあるフォルスフォード王立魔武術学園に通うことになっている。
狙いは仲が良いことを周辺諸国に見せびらかす、一種のパフォーマンスだ。
特に南の小国、ランバード王国の第一王子ゼスト・ランバードは既に立太子しているし、フォルスフォード王国第一王子キランルード・フォルスフォードは卒業後に立太子する予定なので、効果は大きい筈。
……と、まあこんなに王子が出てきたのに、悪い意味で有名な第一王子の双子の弟である第二王子、すなわち僕の話が出てこない訳がない。
王族と公爵家の子息令嬢は、中等部までの義務教育を免除されている。
僕、王族なのに免除されなかったんだけど。
公式発表では、病弱の第二王子が学園に通うのは難しいとしているらしい。
隠れて学園に通っているという事情を知っている王家や公爵家以外の一部の貴族は、“呪われた王子”で公務も何もしていない僕と縁を切ってしまえと騒いでいる。
まだ成人過ぎてないし、穀潰しでもないんだけど。というか、下手したら会議に出ている貴族より仕事してるよと溜め息をつきつつ、内心突っ込んだ。
左手にある分厚い書類に目を通しながら、右手の人差し指で近衛騎士の帽子をクルクル回して遊んでいると、不意に人の魔力が近付いてきて僕は目を瞬かせた。
だらけた体勢を気持ち分だけ整え、水晶から流れる声を消して相手を待つ。部屋の扉のノブが動いた瞬間、右手の帽子を相手に向かって投げ付けた。
「やっほー!リンくんの唯一の親友のとうじょへぶっ?!」
帽子は一直線に扉から現れた奴の顔面に当たって、床に落ちる。
それを視界の端に捉えながら、顔を押さえて蹲る白い髪をした奴に冷たい視線を送った。
「ジン。何か用?」
「何か用?じゃねぇよ!いきなり物投げてくんな……って、投げたの帽子かよ?!すっげぇ痛かったんだけど!シェリーちゃんに優しくするみたいに、俺にも優しくしてくれよ!」
赤くなった鼻を押さえながら、今にも噛み付きそうな勢いで僕に抗議するジン・ホワイトネル。
白色を司る隠れ攻略対象者で、ノートリア公爵家の分家出身の有能な側近だ。
「じゃあ、ちゃんとノックしてよ。でも、男に優しくしてなんの価値があるのさ?」
「えぇー?大体、部屋に近付いただけで、リンは誰が来るとか分かるのにノックとか面倒なの要らねぇじゃん。確かに、野郎に優しくされたら鳥肌立つな」
落ちていた帽子を拾って、遠慮なく僕の向かいのソファに腰を下ろすジン。まだ鼻が痛いらしく、頻りにさすっている。
深紅の瞳は、涙で少し潤んでいた。
「ジン」
少し真剣な色を含めた声で呼び掛けると、ジンはだらしなく歪んでいた中性的で端正な顔を引き締めて居住まいを正す。
「今、大議会場で国王と王妃、第一王子と男爵以上の貴族が集まってるんだけど」
何があったのか、と面差しに険を乗せたジンに、僕はとびきりの笑みをプレゼントした。
「そこに忍び込んでみたら、楽しそうだよね」
「お願いだから絶対止めろよ!!」
思いっきり顔をひきつらせたジンは、必死に説得してくる。
「冗談だよ。…………半分位」
「ボソッと恐ろしい事を付け足すなよ!」
「冗談だってば」と宥める僕に「この快楽主義者め……!」なんて事をジンが頭を抱えて言った。
僕は快楽主義者みたいに、苦痛を避けて生きるなんてしてないよ。
こんなやり取りをしていると時間を忘れてしまいそうなので、さっさと本題に入ろうと右の人差し指と中指の2本を立てる。
「2つ、情報が入ってきてる。良い方と悪い方。どっちから聞きたい?」
「マジかよ……。取り敢えず良い方で」
ジンの答えに、パチンと指を鳴らす。
それと時を同じくして、部屋の中に中年男性達の怒声が響き渡った。
『リンプレット殿下は公の場に出られたことなんて、1度も無いとの事。国民の税を使っている身というのを分かっておられるのですか!』
『跡継ぎにはキランルード殿下がおられます。我々はリンプレット殿下が王子の務めを果たしておられない以上、王族として認められません!』
『“呪われた王子”が王家にいてはなりませぬ!』
重なるように続いていく様々な声の後、まだ若い少年の声が静まり返った空間を通った。
『弟はその、無能なんだ。だから、そんなに責めないでやってくれ』
呆気にとられて口をあんぐりと開けるジンに、僕は分かりやすい解説をした。
「今、大議会場で僕を王族から抜けさせろって。声からして侯爵と伯爵位の連中かな?騒ぎ立ててるんだ」
「いや、盗聴してるなら、大議会場忍び込まなくていいよな!つか、これの何処が良い情報?!どう考えても悪いだろ!最後の声、第一王子だよな?!お前の兄貴何とんでもないことを言ってくれちゃってんの!!阿呆だろ!」
「本当、フォルスフォード王国の政治体制が特殊だからこんな事言えるけど、他の国だったら不敬罪で死刑だよね」
「そこよりもまず突っ込む所あるだろうが!お前が裏の仕事で忙しすぎるから、表の仕事が出来ていないだけだろ!第一王子め、たまに溜めた仕事をリンに回してくる癖に!」
ぶちぶちと第一王子キランルード――キラに対しての文句を並べているジンに、1つ訂正しておく。
「本当に悪いのは国王陛下だよ。キラは何も知らない、父上から偽りの弟像を教えられてきているからね。ま、父上は僕をフォルスフォード国王直属暗部のトップという椅子に縛り付けておきたかっただけなんだろうけど、こういう詰めが甘いよね。別に僕は王族から除籍されても、裕福な暮らしが出来るだけのお金があるから大丈夫だけどね」
「リン。無知は時として罪だぞ。次期国王になる第一王子がそんなので良いのか?」
「知りすぎる事も良くないけどね。キラは思い込みが激しい以外は、優秀だよ」
尚も言い募ろうとするジンを右手を軽く上げて遮る。
これ以上は不毛な言い争いにしかならない。
「悪い方の情報を話すよ」
僕達の間に流れる軽快な雰囲気はとうの昔に霧散していて、ピンとはりつめた糸のような緊張感が漂う。
「ラティングリューン王国で密偵をしていた暗部所属の3人がやられた。1人は連れ去られて、2人は満身創痍でなんとか昨日帰ってきた。けど、未だに意識は戻っていないから、何があったのかは分からない。暗部から6人派遣して残りの1人の行方を探してるけど、生存は絶望的だろうね。ある程度の所で捜索は打ち切るよ」
「そう、か……」
大きく目を見開いて、悲痛な顔をするジン。
僕も数少ない大事な部下が居なくなった事に対して、かなりショックを受けている。でも、僕は暗部を束ねる人間だから、いつまでも悲しんでいる訳にはいかない。
左手で持っていた書類をジンに差し出す。
「“これ”といい、どうやらラティングリューン王国はかなり危ない事をやっているみたいだね」
「これは……?」
書類を受け取って、一行目を読んだらしいジンの顔が驚愕に彩られていく。
僕は眉間に皺を寄せて、答えた。
「“人体実験”。非人道的な行為だよ」