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05 《千》


 俺は軽自動車の後部座席から降り立った。後ろからおずおずと杏ちゃんが続く。


 運転席の窓を降ろしながら、ヤスが半笑いで言った。「じゃあ、まあ気ぃつけてな」

 特注で車高を上げたそのジープは悪路だって走れる――、いつかヤスはそんなことを言っていたが、ピカピカに磨き上げられたパールホワイトのそれでヤスが国道以外を走っているのを俺は見たことがない。

 皮肉の一つも言ってやろうかと思ったが、半笑いのヤスはさっさと車を発進させて帰って行った。

 

 吐き掛けた言葉を飲み込んでぼんやり見上げると、陽光は西の空へと陰り始める。

 のんびりとしている暇はなさそうだ――、俺は杏ちゃんに声を掛け、歩き始めた。


「センジュさんこれから仕事でしょ。こんなことしてる場合じゃないんじゃないですかぁ」


 正装たる復興戦隊の名称の縫い込まれた体操着。それを濃紺のジャージの下に隠したままで、足取り重くついてくる杏ちゃんがそう言った。その声はなんともいえないやるせなさに満ちている。俺と同じ奥二重に、しかし大きなはずの瞳は曇りがちに映る。

 正直言えば乗り気じゃないのは俺も同じだったが、町のために悪と戦わなければならないのがヒーローの務めだ。後進を育てる先人の、そして大人の余裕を俺は繕う。


「ああ、だからこんなのはやっつけ仕事さ。ぱぱっと終わらせるから見てな」


 俺の笑顔に嘆息で応える杏ちゃん。足取りの重さは相変わらず、それでも彼女はついてきてくれる。だから俺はその期待に応えなければならない。

 祖母から頼まれたらしい買い物を代わりにやっておくと言って、去って行った弟の青梅おうめくんを見送った杏ちゃんのあの寂しげな顔。俺は終生忘れないだろう。

 そう。ヒーローとは孤独なものなのだ。自らを犠牲にしてなお、得られるものなどないのかもしれない。奔放に過ぎるこの町ならなおさらだ。それでもヒーローたるものは、その信念の赴くままに進まなければならない。


 正面にそびえる馬鹿でかい円柱形の建造物を、俺はじっと見つめた。





 かの〝災禍〟から九年。時代は変わり、現実も変わった――。


 幾ら人類が進歩しても自然の力には敵わない。それを証明するかのように発生する第一級自然災害。通称――〝災禍〟。二級以上をそう呼ぶ中でも、九年前にこの国を、そしてこの町を襲った特一級のそれは〝大災禍〟と呼ぶに相応しい破滅の力でもって、地上を地獄へと変えた。

 太平沖のプレートが、急激な、そしてありえないまでの変形を遂げたがゆえに発生したそれは、環境破壊を原因として地層を構成する物質に科学反応が生じたせいとか、隕石の衝突説だとか、ネットで様々な憶測を呼びつつも、今も本当のところは分かっちゃいない。

 人知の及ばぬ自然の脅威。その前に人は無力だった。ライフラインを麻痺させるほどの大地震。そして後発的に発生した津波により、明香里市も海側は壊滅的な被害を受けた。


 それから九年。確かに以前どおりとは呼べなくとも、明香里市は町としての機能を取り戻していた。

 しかし、町に住む人間に残った傷跡は依然深く刻まれたままだ。この町で暮らす人たちは大きな傷を抱えたままで、今日も生きている。

 町の南部には、特定保護地区とは名ばかりのゴーストタウンが広がっていた。半ば廃墟と化した建造物に、だが、思い入れは人それぞれ。なんでもかんでもと残していった結果がそれだった。

 被災の記憶を風化さえまいとする配慮ではあったが、同時にそれは傷を残し得ることにもならないだろうか? そんなことを考えると、少し俺は歯痒くなる。


 ひと口に九年、さりとて九年という年月の移ろい。その中で。

 人が生きていくためには相応の変化が必要らしく、政治も変化した。そして当然、時代は変わり、現実も変わった。消費税は十五パーセントに引き上げられ、自衛隊も『国防軍』と名を変えた。

だが、変わらなかったものもある。それが……


 原子力発電所――つまりは『ゲンパツ』だ。

 

 代替エネルギー発電への軌道変更に失敗した我が国は、結局世界一の安全を謳うゲンパツの再稼働に踏み切った。国民の生活には変えられない、それが国の言い分だった。

 のど元過ぎればなんとやら。それでもやはり脱ゲンパツを強固に示す県や市も多く、その稼働率も〝災禍〟以前に比べれば半数以下。

 そんな折、白羽の矢が立ったのがこの町だった。

 なにも津波で壊滅的な被害を受けた町にゲンパツを造らなくとも。あまりにあまりな正論。だが、廃れ始めていた我が故郷は、〝災禍〟以降いまや過疎の極み。振興に繋がるならば、と前市長が苦肉の策にすがった気持ちも分からなくはない。だとして、それは当然大きな暗雲となって伸し掛かることとなった。

〝災禍〟前より合併を繰り返し、面積ばかりが肥大化しつつあった町は、津波の被害により明確な溝を作った。つまり甚大な被害を受けた『海場』と呼ばれる海側と、被害の少なかった『山場』と呼ばれる山側の人間だ。

 震災以後、町民たちの不満を置き去りにさらなる合併を行い、一応は一体感を取り繕う体裁で町の観光名所たる『明香里浜』にあやかり『明香里市』と町の名前を変えてはみたものの、その溝が埋まる気配は微塵もない。ついでにいえば町で推すほど観光都市として知名度が上がったふうでもない。


 奔放( 、 、)なこの町で、人々は右往左往するばかりなのだ……。


 ゲンパツの建造時は確かに潤った市の歳入や雇用状況も、出来上がってしまえばそりゃさっぱりだ。

 町への予算の増減もゲンパツの稼働ありき。造ったからには使わなきゃ損と、随分ざっくりしたマニュフェストを声高に掲げた前市長は、市長選でゲンパツ反対派の急先鋒にあっさり破れて、取って代わられた。


 そんなわけで、いつも二者の論争のやり玉にあがるゲンパツは、完成から七年の月日が経つ現在に至っても稼働の目処は立っていないはずだった――





 ――だが。


 この一ヶ月、ゲンパツ内では慌ただしい人の出入りが目撃されていた。なんの説明もない現状では、町の人たちが不安に思うのは当たり前だろう。

 結局オペレーションの最後らへんは、ゲンパツに対する不信感ということで参加メンバーの意見は一致した。

 町を楽しくするための、面白可笑しい企画やらを話し合うポジティブな会議になるはずが、どこでどう間違ったのか……。市政の役人でも相手にするような敵意丸出しの空気に、俺が予定していた企画書はその表紙すら読み上げられもしなかった。 

 とはいえ、ゲンパツ内で何が起こっているのか、誰かが尋ねないわけにはいくまい。そしてついでにいうなら、脱ゲンパツ派の俺としては責任者に「ノー」を突き付けてやらねばならないだろう。


 厳重なフェンスに覆われた円柱形の建物、それが明香里壱號原子力発電所。

 雨水を貯める小規模ダムの併設と、その循環システムは、〝災禍〟の教訓を活かした上での設計らしい。

 フェンスで囲まれた建物を、循環システムの水路がお堀のようにさらに囲んでいる。もはや言い訳のようでもあったが、それゆえこの漁師町においてもリスクの高い海辺近くに建設せずに済んだとのことだ。

 そんなわけでゲンパツは、明香里市の山野担当の西エリア寄り、かつては野外活動センターと呼ばれた自然丸出しの山間に建てられていた。喧々囂々(けんけんごうごう)に終わったオペレーションルームからは、ヤスのジープに揺られて約十分といった行程。国道の脇から入って、対向車も厳しい県道の細道を山沿いにぐねぐねとやってきた。


 建物の外観は近づけば近づくほどにうんざりするような巨大さだった。コンクリート打ちっぱなしの建築物を想像していた俺としては、その白壁の清潔感のある佇まいに学校だとか病院だとかといった公共物を連想する。ただしその建物に窓はない。

 不用心というか、フェンスとフェンスの間に設けられたゲート部分には特に人影もない。改札口のようなバーをくぐり、抜けた先にはだだ広い駐車スペースが広がる。

 目的の建物はまっすぐ。数台の電気自動車が止められているのは見えたが、思っていたほどの人の姿はないらしい。せいぜいが、ガードマン風の制服を着た中年らしき男の姿だけ、ってソイツが怪訝な顔で近づいてくる。

 俺はそしらぬ顔をして、しかし自然と早足でお堀に掛けられた橋を渡る。そして白く巨大な建造物、その入り口を目指す。後ろを来る杏ちゃんの足取りも速くなった。


「ちょっと君」


 ガードマン風の男がそう言うのと、俺が正面入り口へと辿り着くのは同時だった。

 だが、俺はその時になってようやく気付いた。固く閉ざされた門扉。どう見たって特殊なカードキーでもなければ開錠しそうにもない。と、その脇に取り付けられたインターフォンらしきものに目がついて、俺は当初の目的を思い出す。


 別に忍び込もうってわけじゃないんだし、このガードマンに中で何してんのか聞けばいいんじゃ――振り返ってはみたものの、紡ぐことも出来ない言葉がもごもごと宙で消えていった。

 その制服ワンサイズちっちゃくないスか? そう尋ねそうになるほどに一目見て解る分厚い胸板に、俺はただ気圧されていた。


「君……」男は、俺のことを下からずいと見てくる。制帽の下から覗く眼光は鋭い。


 背なんか俺より小さくて、だけどそこにあるのはオヤジの貫録とでもいうのか、まさに蛇に睨まれた蛙状態。

 詰め込むだけ詰め込んだ筋肉に、短髪の七三分けが嫌味たらしい。問答無用で、ゲンコツでも喰らわされそうな雰囲気に固唾をのむ。ああ、ガキの頃、オヤジにどやされる前も、こうしてちょっとした間を持たされたものだっけ……。


 と、まさにその瞬間だった。ピーという電子音特有の甲高さが耳をつんざいた。


 反射的に視線を預けた先で、白壁の建物のドアが観音開きに開き始める。

 真っ白な外観からは想像もつかない漆黒がそこにあった。

 闇の奥からは、床を擦るような足音と獣のうなり声にも似た息遣いが聞こえる。それがやがて近づきつつある現実に、俺の頬を冷汗が伝った。


 ……ぺたり……ぺたり……。


 やがて間近になりつつある足音。沈黙。そして闇の中で何かを掻き毟る音が聞こえた。

 ちらと覗いた隣、杏ちゃんの横顔も青ざめていた。ここは危険だ、そう本能が告げていた。

 逃げろ――畳みかけるように脳内で鳴り響くそれに従い、杏ちゃんの右手を掴む。そして駆けだそうとした。しかし、その時には既に手遅れだった。

 

 纏わりつく薄闇を払うようにして光の下へと姿を現したその声の主。ついに外界へと解き放たれしソレは男の姿をしていた。


 薄汚れた白衣に痩せこけた頬。平均身長はある俺が見上げるほどの背高であろうに、だが折り曲げた姿は、猫背と呼ぶのもはばかられそうな前傾姿勢。

 窪んだ眼窩には濁った色が滲む。おそらく実年齢に見合わない総白髪は、生気を吸い取られたか何かされたに違いない。

 口端には脳しょ……いや考えるだけでおぞましい、泡交じりの何か白いものがへばりついている。


 此処は俺の想像の範疇を超えていた。

 此処は決して人が立ち入って良い場所ではなかった。

 こんなことに巻き込んでしまうなんて、済まない杏ちゃん――俺は無垢で哀れな少女に許しを請おうとした。だがそれすらさせまいというのか、男の乾いた唇が先に動いた。


「……かゆ……うま……」


「「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」」


 悲鳴を上げたのは俺も杏ちゃんも同時。しかし体が動いたのは俺だけだった。

 ほとんど反射的としか呼べない速度で、俺は男の姿をしたモノ、そのみぞおちに自身の人生において最初で最後になるだろう強烈なボディーブローを叩きこむ。


 くの字に折れ曲がる男。足掻きというのか、それともそれが奴らの常套手段とでもいうのか、男の口からは白いナニカが泡と一緒に放出された。


 白いナニカまみれになる俺の顔面。久遠にも感じられた一瞬。その中で、俺はもはや悟りの境地へと達していた。


「……もう元の俺には戻れない、のか」


 自然と言葉がついて出る。膝をつく俺。ただあるべき場所へと落ちていくだけ、といった心情で。

 男の右手から何かが零れ落ちた。転がるカップ状のそれに、『お湯で簡単インスタント白粥しろかゆ』と書かれていたように見えたのは、涙でぼやけた視界のせいか。


「早く……逃げるんだ、杏ちゃん……」


 ……俺がまだ俺でいられるうちに――、解ってはいても続けられなかった。


「君っ『博士』になんてことを‼」


 後ろでガードマンの声が聞こえた。しかし、それは俺の耳を素通りしていく。俺はただぼんやりと見上げた。そこには震える少女の姿だけが映った。

 怯える彼女の顔。ひょっとしたらその時には、俺はもう俺の顔をしていかったのかもしれない。全身を駆け巡る恐怖、その中で。今の俺に残されたのは、彼女への許しの懇願と、生き延びてほしいという願いだけ。


「早く逃げ……」


「ふぅん」


 甘たるい声が聞こえたのは、俺が再び杏ちゃんへの言葉を絞り出そうとした時だった。

 

 いつの間にやってきたのか、建造物内の薄闇を背に一人の女が立っていた。すらりとした長身に男のものと同じ白衣を着ていたが、こちらは洗い立てのように真っ白だった。

 背なで結われた長い髪は、くすんだ金髪。ブリーチに失敗したみたいに一部にだけ枯れた緑が混じる前髪は切り揃えられていたが、切り揃えることの必要性を感じさせない程、鼻の頭にまで被っていた。

 瞳も見えず、表情の解らないかお。血管まで透けて見えそうな無機質な白い肌に、薄くひいた口紅の色だけがやけに艶めかしい。


 痩せすぎにもみえる細く長い右腕、そして指。頂頭部の髪の毛を鷲掴みにくしゃくしゃにしながら、女は再び嬌声を上げた。


「くふふー、ナメローを倒したか、人間よ。我々は残されしアダムの末裔、その力を少々侮っていたのかもしれないなー」


 女は俺を真っ直ぐ見据えていた。いや、正確には重い前髪のせいで瞳は見えない。だが確実に俺の瞳を、女の視線は真っ直ぐに捉えていたはずだ。前髪に隠れた女の瞳、その位置。それは紛れもなく、俺と同じ高さに存在していた。


 泡立つ全身に、それでも虚勢のように声を上げる。


「貴様がっ、貴様がこの場所を地獄に変えた黒幕かっ」


「此処を地獄に……だと? 下らないな人間、この程度を地獄と呼ぶならば、まだ此処は地獄の入り口に過ぎないさー。こんなものはプランAに過ぎない。プランBはもうすぐそこまで……人類のすぐ背後まで這い寄ってきているぞー」


「……貴様は、貴様はいったい何者だ」


「何者か、だと? アタシが解らないのかー?」


 女が首を傾け、はらはらと前髪が零れる。

 そこに突如として現れたのは、妖しい輝き。俺の意識は完全に呑みこまれ、そして囚われる。


「き、貴様など、知るわけがないだろうっ」


 張り上げたはずの俺の声は、完全に震えていた。


 そう。本当は知っている気がした。

 前髪の切れ間から覗く瞳。その双眸に浮かぶ煉獄のような真紅。それが絶望的な何かであったとしても、覗かずにはいられなかった。

 自分の体なのに他人事のような。すべてが絵図面通り支配されていて、自らの台詞ですら予め言わされるよう仕組まれていたかのような感覚。この人生ですらが、予定調和の出来事にすぎないような……。


「本当に、本当に解らないのか? くふふー……」


 女の口元に浮かぶのは愉悦。その束の間を十分に堪能した後で、残滓を味わうかのように呟く。


『……アタシは。アタシこそは。お前の――〝死〟だ』


 ――お前が、俺の……死、だと……?


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


 その時には既に逃げ出していた。すべてを投げ出し、纏わりつき始めた〝死〟の追走から逃れるために。振り返りもせずに。


 それは、一瞬間の後だった。


「うなーっ‼」


 響き渡ったのは紛れもない杏ちゃんの絶叫。

 

 完全に真白になって、フリーズしかけた脳内に一握りの理性が取り戻される。しまったと思ったその間際、俺の視線は反射的に後方へと移りこんだ。


 そこに杏ちゃんがいた。

 そして、完璧なフォームで俺のすぐ脇を駆け抜けていった。



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