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03 《千》


 かつての学び舎へと向かう道程、俺の隣を学生たちが通り過ぎていく。

 緩やかな上り坂。先週までの葉桜の名残も今はなく、生い茂る新芽の青も色鮮やかな桜の並木道。

 学ラン姿の男子生徒に、黄色いスカーフのセーラー服を着た女子生徒。下校途中の彼らや彼女らは、坂を下って行く。

 俺がその制服に袖を通していたのは、今から二十年以上も昔の話。とある事情で『明香里北中学校』へと名前を変えざるを得なかったわが母校も制服はそのままで、遠い昔の記憶をなんとなく思い出させてくれる。


 明香里北中学校は名前の通り、市内の北側に位置していた。狭い湾が複雑に入り込んだ海岸線の一端、明香里市は漁師町として有名(現在は廃れていく一方ではあるが……)だったが、当然山もあれば川もある。なおいえば周辺の村落を合併しまくったおかげで人も住んでいない山野の方が多いのだが。

 通称煙突山、そう呼ばれる市の中程の丘に立つ大煙突は、昔この町が銅鉱製錬の地でもあった名残だ。我が町のランドマークから見下ろすように開けた市街、そのぐるりを山と海とで囲まれた町が、明香里市だった。

 漁港や、観光名所たる明香里浜がある町の東側。海沿いの道を登っていくと、歴史的には後年開発された山側、通称、『小山こやま』と呼ばれる地域に、明香里北中学校は建っている。

 開発、といえば聞こえはいいが、人口のピークも今から三十年も昔の話。人口も経済も順調に減少傾向だ。目ぼしい建造物といえば市営の病院と、電車でなく、いまだディーゼル車両の無人駅があるってくらいのものだ。


 視界の先に北中の、勿論この数年の間に建て替えられて、俺の通っていた頃とは別の校舎が映る。とはいえ、別に近代的になったというわけでもなくて。俺が通っていた頃とそう変わらない野暮ったさを感じさせる。

 遠くにその白壁を望む頃には、道の脇に、遊具も雑草に覆われた公園が広がっていた。

 財政難な田舎町の現状を反映させたかのようなそれを感慨深く眺めていた俺は、しかし突如として脳内で鳴り響いた警報に立ちすくんだ。


 視界の端には、下校途中の一人の女生徒――黒髪の女の子が、桜並木の先から下って来る。


 彼女はやせぎすで、長い黒髪を後ろに一つに結っておでこを出している。それは言うなれば一分の隙もない完璧なオールバック。アホ毛の一つもあればもう少し可愛げもあるだろうに。

 髪型のせいか、元々の小顔はさらに小さく見える。理知的な印象も醸し出していたが、同時に細くて長めの首も強調されて。さほど背が高いわけでもないのに、キリンを俺に連想させた。


 近づきつつある少女に、危険を報せる信号はなおさら強く鳴り響く。

 俺は慌てて電柱の陰に身を隠した。文字通り、大人と子供の体躯の違いに、電柱に隠れるなら彼女のがベストだろう。とはいえ他に身を隠す場所がないのだから仕方がない。ちょいちょいはみ出しつつも、俺は息を殺して身を縮める。

 意志の強そうな瞳と、その瞳と平行的に吊り上がったこれまた意志の強そうな眉。草食動物の印象を払拭する、肉食の、ついでにいうなら野生動物の瞳を光らせる彼女。

 感慨にふけっていたはずの俺は、ついぞ一週間前に通報されかけた苦い過去を思い出す。発禁本になった黒人の男の子の心境で、彼女がさっさと退散してくれないか、もしくはバターになってくれないかと祈る俺。

 怪訝な顔で電柱を見てくる少女をなんとかやり過ごす。

 殺気に過敏に反応するモノノフみたいに時々振り返る彼女と、そのたび電柱にニンジャの如く身を翻す俺。

 そんな攻防の果てに、俺は彼女の背を見送った。

 と、その時になってようやく気付く。襟と袖に三本ラインの入ったオーソドックスなセーラー服、そこに彼女がチョイスしていたのは――濃紺の( 、 、 、)ハイ( 、 、)ソックス( 、 、 、 、)

 残念どころか、論外。小さくなっていくセーラー服の白地に向けて、俺は軽く舌打ちした。

 

 やがて。


 北中の校舎を間近に見上げるそのすぐそばで、俺はお目当ての少女を見つける。


 華奢なからだに黄色いスカーフのセーラー服は、他の生徒たちと変わらぬ姿。でも、動きやすさ重視の運動靴は、ネオンイエローのランニングシューズ。

 本来は長い髪の毛を三つ編みにして、正面からはショートヘアー風に見える髪型は、担任の女教師会心の仕上がり。つぶらで大きな瞳と頬に散ったそばかすが印象的な少女――、七草杏ななくさあんずちゃん。


 俺は大人の余裕に満ち溢れた笑みを取り繕い、近づいていく。


 なぜだか彼女は俺を睨んでいた。

 そして、そのすぐ後ろに彼女よりやや背高の影が引っ込む。それは杏ちゃんのよりちょっと( 、 、 、 、)だけ( 、 、)長めの( 、 、 、)白い靴下( 、 、 、 、)が、とっても惜しい感じのする少女。

 小柄な杏ちゃん越しに丸見えの頭部、栗色の髪に差したヘアピンには小さな花びら。節を過ぎて唯一残ったピンクはおそらく見納めの桜の花びら。八の字眉とでもいうのか、いつだって困ってるような顔をした少女の名前は確か――、柏木李子かしわぎりこちゃんだ。


「やあ、杏ちゃん」

 

 俺がにこやかに声を掛けると、やはりなぜだか解りやすい程に口を尖らせたままで杏ちゃんは押し黙る。代わりに李子ちゃんが、「こんにちは」と小鳥のさえずりのような声で言った。





 杏ちゃんとの出会い、それはまさに運命的だった――。


 あの日、忘れもしないあの日。俺は先刻のキリン少女をやり過ごした並木道の脇の公園で、涙と嗚咽にまみれて、吐いていた。

 うまくいかない毎日。思い通りに進まない革命。世界を変えることの困難さ。俺を取り巻くそういった諸々に嫌気がさして、前日からアルコールに溺れ、明けてのちも迎い酒を流し込み続けた結果だった。何度も頭を打ち付け、出口にたどり着けないジャングルジムは、人生の迷路から抜け出せずにいる錯覚と、飛び切りの酩酊感めいていかんを味あわせてくれた。

 思えば皮肉な話だ。俺は苦闘を続けていた。世界の運命を変えるために。だが、そんな俺に向けて、世界が示したのは純然たる敵意だった。それを皮肉と呼ばずして、なんと呼ぶだろうか? 

 剝き出しの敵意は、やがて地獄の業火( 、 、 、 、 、)となって俺の身も心も焼き尽くしていく。後に残ったのは、燃え尽きた俺の残りカスだけ……。


 時間がどれほど経ったのかなんて解らない。脱力感と倦怠感の赴くまま雑草の上に大の字に寝ころび、朦朧とする俺の目にただ映るのは、感動的なまでの夕焼けと、ネオンイエローのシューズ。そしてなにより絶妙に微妙な丈の白い靴下だった。


「あのっ……だいじょうぶですか?」

 

 たどたどしくも、勇気を出して掛けてくれたらしい声。その声に反応して瞳をこじ開けた俺は、それらの光景に言葉を失ったあとでゆっくりと声の主を見上げた。

 セーラー服姿の少女はしっかりとスカートの裾を両手で押さえた姿勢で、心配そうに見下ろしていた。

 ポニーテールにした黒髪を肩で揺らす、そばかすが印象的な少女。不安の色の浮かぶつぶらな瞳に、しかし俺と同じ奥二重がなんだか親近感を覚えさせたりもする。

 前後の記憶を失っていた俺は一瞬言葉に詰まり、言語機能と記憶を取り戻すべく視線を彷徨わせる。

その時だった。再び視界に映ったもの、それに俺は釘付けとなった。

 

 絶妙に( 、 、 、)微妙な丈の( 、 、 、 、 、)白い靴下( 、 、 、 、)

 膝下とも踝ともつかぬ、その中間。ショートソックスでもハイソックスでも、ましてやルーズソックスでもない。それはまさに絶対的なまでの、絶妙に微妙な長さだった。

 膝丈のスカートからのびた足と靴下が形成するのは、三対一の完全な黄金比率――ガツンと来た。衝撃的だった。そして彼女しかいないと確信した。


 酩酊感も忘れて跳ね起きる。


「きみっ北中生!?」


 無精ひげと全身にまみれた草埃、おまけにひどい酒臭さ。そんな状態であることなんてちっとも頭にはなかった。ただ俺は興奮していた。


「……は、はい」


 だから、怯えたように答える彼女には細心の注意が必要だったのだろうが、アルコールなんて目じゃないくらいアドレナリンやらドーパミンが出まくっていた俺にそんな余裕はなかった。彼女の返事を聞き終えるや、その手を掴んでまっしぐらに北中を目指した。


 学校に着いても臆することなく。ずんずんと進む俺は、職員室へと乗り込む。


「あら、どうしたの七草さん」


 声を掛けてきたのは、まだ大学を出たばかりといった感じの若い女の教諭だった。


「繭ちゃん先生ぇ」少女が助けでも請うように言った。


 グレーのリクルートスーツを着たその『繭ちゃん先生』は、子犬のように震える少女と俺の間で、視線を行ったり来たりさせていた。 

 時々瞳をぱちくりさせるさまは、若いというより幼さを感じさせて。ショートヘアーの明るい茶色もなんだか背伸びをしているよう。これぞってくらいの童顔の彼女は、生徒と同じ制服を着ていたら区別がつかないんじゃないかと思えるほどの小柄な体躯の持ち主だった。

 だからこそ、そこまでかっちりとしたリクルートスーツを着ているのだろうか? そんな疑問がふと頭をよぎるほど、彼女は俺の教師像とかけ離れていた。


「この人が公園で倒れてたから、あたし声を掛けたんだけど……」


 少女が説明しようとする。それを制して、俺は声を上げた。


「あなたが担任の先生ですか」


 まん丸の瞳をなおさら丸くして、ぱちくりとする繭ちゃん先生。さっきからちらちらと俺の顔色を窺っていた職員室中の視線が集まる。


「はい、七草さんの担任は私ですが」繭ちゃん先生は言った。

 

 俺はひとつ頷くと、繭ちゃん先生の瞳を真っ直ぐに見据えた。


「先生に折り入ってご相談があります」


 俺の真剣な表情に打たれたのであろう、「ここではなんなので」繭ちゃん先生はそう言うと、俺と少女を連れて会議室へと案内した。


「それで相談とは」椅子に座りしな、繭ちゃん先生が口火を切る。


 俺は躊躇うことなく言った。


「彼女に、七草さんに復興戦隊になってほしいんです」


「復興戦隊?」怪訝な表情を浮かべる繭ちゃん先生。


 俺はこくりと頷く。


「復興戦隊『メイデンジャー』です。誰かが、誰かがこの町の救世主にならなければならないんです。非公認ですが」


 腕組みをして試案するような繭ちゃん先生は、そのあとでふっと笑った。


「それが七草さんのすべきことだと?」


「そうです」俺は即答した。


 束の間、俺と視線を重ねた繭ちゃん先生は、静かに少女へと向き直った。


「七草さん、あなたは今年から中学生になったばかり。でも、中学生になったらするべきことがあるわ。なによりも、中学生になったら中学生らしいことをしなくっちゃ、ね」


 ぱっと明るい顔になる少女。ウィンクまじりに微笑む若き教育者に、同調して声を上げる。


「勉学にスポーツ、そして青春ですねっ先生」


「違うわ」しかし繭ちゃん先生は分かってないわね、と真っ向否定した。


「人型汎用兵器を操縦することや、魔女っ娘衣装に身を包んで悪と戦うことよ。それこそが中学生に与えられし特権じゃない」


 ぴしゃりと告げて、感慨深げに一人頷く繭ちゃん先生。


 なんて教育熱心な先生だろう――、感動する俺。取りあえず話の分かる先生で良かった。


「ああ、私もあと十は若かったら戦隊に入れたかもしれないのになぁ……あっ、やっぱり『司令』とか呼ばせちゃうんですか?」


「そうですね。良かったら先生、『副司令』やりますか? 今ポスト開いてますよ」


「ええっ!? いいんですか?」


「もちろんですよ。でも繭ちゃん副司令じゃちょっと威厳ないかなぁ」


「あっ、自己紹介まだでしたね。私、1―Cの担任の黛繭まゆずみまゆです。でも威厳とか元からないし、繭ちゃん副司令でいいですよ。そういえば司令は七草さんのご親戚か何かで?」


「いえ、さっき会ったばかりです」


「そうですか、七草さんはなかなかの掘り出し物ですよっ。司令は見る目がありますねぇ」


 そんなやり取りのさなかに、少女の反論。


「でも、ウチはおかあちゃんがいないから……」


 が、俺と繭ちゃん先生の熱量の前には風前の灯というヤツだ。途中、感性の違いからわずかに雲行きを妖しくしつつも、最終的に俺と繭ちゃん先生はがっちりと握手を交わしたのだった。


 なのに。


「あたしがウチのことやらなきゃいけないんです! 繭ちゃん先生だからっ……」


 少女は食い下がろうとする。


 だが、皆まで言うな、と教育者の厳しい表情で繭ちゃん先生はぴしゃりと言った。


「七草さん、あなたこれからのことをどれくらい考えているの? 中学生活はあっという間よ。志望校とか決めてあるの?」


「えっ、その……あたし、入学したばっかりで、そこまでは……強いて言うなら、李子ちゃんと同じ学校に行きたいなぁ、とか……」


 気圧され、もごもごと話す少女に、人生の先達せんだつは冷めた瞳で吐き捨てるように言った。


「こないだのテスト……あれじゃ無理よ」


 ぐうの音も出せずに、少女は固まる。


 教育に熱心過ぎるゆえの敢えての鞭であろう。俺は自らを悪者にしてなお、教え子を導こうとする繭ちゃん先生のプロ根性に感極まりつつ、自身の中学生活に同じような言葉を吐いた担任の顔を思い出して、若干の吐き気をもよおした。


「おうちのことは分かるわ。でも、スポ小で続けていたサッカーも辞めて、なんの部活動もしていない。これじゃ内申だって今一つよ。推薦なんてもってのほかよっ」


 何もそこまで――、と素人目にも感じられる言葉の銃弾。

 しかしそれこそが真の愛の鞭なのだ。教育という現場における教師と生徒の真剣勝負。そう、教育とは戦いなのだ。俺は固唾を呑み、だがこの戦いから決して目を背けまいと誓うのであった。


 そして繭ちゃん先生が動いた。まさしく、決着をつけるために。

 繭ちゃん先生はここにきて最上級の笑顔を繕った。童顔の彼女の笑みは、虫も殺せぬ天使の慈愛に満ちている。


「だけど、復興戦隊のお仕事は基本――」

 

 繭ちゃん先生が煩わしさを覚える前に、俺は即答する。


「ボランティア活動です」


 そして天使は祝福の(うた)を奏でた。


「良かったわね。これで内申もばっちりよ」


 こうして、七草杏ちゃんは復興戦隊メイデンジャーの一員となった――。





 それから約一か月。この町にとっても、彼女自身にとっても良いことばかりのはずなのに、なぜだか今日の彼女はご機嫌斜めだ。まったくもって意味が解らない。


 ふいに口を尖らせていた杏ちゃんが弾けた。


「センジュさんの嘘つきっ‼ 顔は分からないようにするって言ってたのに‼」


 それが昨日放送したメイデンジャーの件と気付いた俺ではあったが、嘘つき呼ばわりは心外だ。あれは単に俺にそういうスペックが無かったってだけの話だ。一応努力はしたのだ。

 それなのに杏ちゃんときたら、俺の説明なんて聞こうともしないで、癇癪かんしゃくを起したみたいに怒っている。李子ちゃんだっているというのに……。


 だから俺は逆に怒ってやった。


「そんなことより杏隊員‼ 今日が何の日かわからないのかっ‼」


 杏ちゃんは身を震わせて怒鳴るのをやめた。代わりに過呼吸みたいにふうふういっている。

 そんな杏ちゃんに、俺は復興戦隊の矜持きょうじを思い出させるべく、厳しい口調で言った。


「それじゃ復興戦隊として失格だぞっ‼」


 そして。


「今日は『オペレーション』の日だっ‼」


 ぐいと杏ちゃんの手を掴んで駆け出す。


「うなーっ」


 杏ちゃんが声を上げ、李子ちゃんは小さく手を振った。

 

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