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22 《杏》


「お待たせー、アプリちゃん♪」

 

 耳元で聞こえたやけに明るい声に、もはや泣き出しそうなあたしはすがった。


「花……仁知果さんっ、どこ行ってたんですかぁ!?」 


「うん、ちょっとねー。まあそのなんてーかちょっとした手続きを踏みにねー」


 涙声のあたしとは裏腹に、仁知果さんの声は至って朗らかだ。


「さてさてさておきアプリちゃん。状況を打破するためにはメイデンちゃんの最終兵器、通称、A・M・T――『アマノムラクモノツルギ』を発動する以外にはなさそうだわー。ただねぇー、奥の手は一分しか持たないんだよねー。指揮系統がもうちょっとしっかりしてればマシな戦い方も出来たんだろけどさー」


 少し離れたところから、真玄博士がうっと言葉を詰まらせるのが聞こえた。


 それは仁知果さんがどっか行ってたせいなのに――。あたしは内心でグチってみる。


〝マーズ〟はダメージを受けつつも、回復を早々と済ませながら歩みを止めることはない。今や文化ホールを超えつつあった。

〝マーズ〟は真っ直ぐ市街を目指す。……いや、違う。そうあたしは思った。市街地のさらに先、山野の色濃い明香里市の西部を〝マーズ〟は目指しているのだと、仁知果さんたちのいる研究所をめざしているのだと、あたしは思った。なんとなく、だけどなぜだかきっと確実に、そうあたしは理解していた。

 仁知果さんたちのいる研究所まではまだ結構な距離がある。とはいっても、ヨチヨチ歩きには過ぎる〝マーズ〟の山をも越える一歩なら、五分と掛からず辿り着くだろう。 

 眼下に映るメインの通りを埋め尽くすたくさんの人たちを、あたしは見下ろした。避難完了には程遠いようだ。それ以前に、どこへ逃げればよいというのだろう?


「さてさてさて、A・M・T発動には兵装の変更が条件だけどー、どうするアプリちゃん?」


 仁知果さんの問いかけ。

 決断の時だった。だけど、あたしにはその前にどうしても確かめたいことがあった。


「仁知果さん、ワルツさんに繋いでほしいんですけど」


 迷いつつも、あたしは言った。


「センジュくん、アプリちゃんがワルツくんに代わってほしいってー」


 我がままだとは分かっていた。だけどこの事態に、とがめもせずに仁知果さんはお願いを聞いてくれた。


「少しくらいなら〝ミスリル〟が戦線を維持するよー。アプリちゃんは一旦離脱してねー。んじゃ、アタシもひとまず消えるわー」


 あたしは発生させたシールドをステップして、〝マーズ〟との距離をとった。


 シールドを二つ作って、二丁の大型拳銃をそれぞれに置く。

 耳元でガサコソと軽いノイズが走る。

 胸に手を当て小さく深呼吸。

 やがてワルツさんの声が聞こえた。


「杏ちゃんどうしたんだい?」


「あの……この間の、話の続きが聞きたくて」


「この間の?」


 わずかの間を置いて、ワルツさんは思い出したように「……ああ」と言った。


「ハライチ、車止めてくれ」


 良くは分からない。だけどいつもみたいなワルツさんとのやりとりもなく、センジュさんは無言のままだった。

 間もなく、車のドアが閉まる音。


「この間の話って、ハライチがやらかした『犯罪』のことだよね」


 ワルツさんの呼びかけに、あたしは少し上ずった声で「はい」と答える。結局、あたしはセンジュさんのことを何も知らないままだった。


「センジュさんの――、センジュハライチさんの話を聞かせてください」


 あたしは決心して、はっきりと告げた。

 だけど、


「ハライチ、じゃなくてハルイチ( 、 、 、 、)ね。あいつの名前はセンジュハルイチ。ひょっとして、俺のこともワルツが本名だって思ってた?」


 あっさり出鼻を挫かれた。

 ――知らなかったのってそこから……!? 戸惑うあたしの耳元で、ワルツさんの笑い声。


「あいつの名前は原っぱの原に明香里市の市って書いて、ハルイチ( 、 、 、 、)って読むんだよ。ちなみに俺は羽っていう字に龍、そして都庁の都でハルト( 、 、 、)ね」

 

 愉快そうにワルツさんは続けた。あたしは少しの気恥ずかしさを覚えながら、耳を傾ける。


「俺とあいつの出会いは、北中に入学してから。その頃も今ほどじゃないけど、いくつかの小学校出身者が集まるかたちで中学の学区になってたからね。そしたらまあ、あいつが言うところの問題が発生したんだ。今まではハル、とかハルくんなんて呼ばれてた人間が二人になっちゃったっていう問題がさ。本当のハルは自分だって一方的に因縁をつけてきたあいつが、名前の当て字で俺のことをワルツって言い出して。最初は戸惑う、っていうか呆然としてた俺も負けじとハライチって呼ぶようになった。実際、ガキの喧嘩だったと思うけど、そんなDQNなあだ名がいつの間にか定着する頃には、二人とも普通に話すようになってた」


 何かをこするような音。タバコに火をつけたんだ――あたしが気付いた頃には、ゆっくりと、息を、煙を吐き出す。そのわずかの間はタバコを味わっているようにも、言いだしにくさからの時間稼ぎをしているようにも感じられて、あたしはなんだかモヤモヤする。

 数分にも感じられた一瞬、その後で、


「別々の高校に進学してもそれなりに親交のあった俺とハライチが、再会を果たしたのは高校卒業以来三年ぶりの、この町の港だった。あいつは今と変わらず釣りをしてたよ」


 ワルツさんはゆっくりと話し始めた。


「ただ、今と違ったのは……その港が以前とも、そして現在とも全くありさまが違っていたこと。あいつは〝災禍〟間もなくの瓦礫と化したその場所で、津波に呑まれて消息不明の人たちが揺蕩っているであろう海に向けて、釣り糸を垂らしてた」


 相槌を打つでもなく、あたしは聞いていた。


「相変わらずの釣りバカぶりに声をかけたのは俺の方からだった。その頃の俺は東京の大学に通ってて、ハライチもまた県外で福祉の仕事をしてた。お互い、被災の酷い現状を知っての帰郷だった。『それでもこの町は海とともに生きていかなきゃならないんだ、釣りもしないでどうする』そんなことを話してたハライチに半ば呆れて、でも安心して。俺たちはその後も他愛のない話ばかりして、連絡先を交換して別れた。俺たちは二十代になったばかりの世界観の狭い若僧だった。だからその時はそれで十分だと思った。家の被害はそれなりに、でもみんな元気で不幸中の幸い。あんな時期に釣りをするなんて周囲の批判にさらさねかねない行為もまた、こんな暗い状況に対するバカなりの反骨心の表れ。そんなふうにしか思ってなかった」


 そこまで話して、ワルツさんはまた時間をかけてタバコを吸った。人体に及ぼす悪い影響を取り込んでは吐き出す。その何が楽しいのかあたしには分からない。そして当のワルツさんも美味しくないといわんばかりのトーンで、煙とともに言葉を継いだ。それはまるで苦い薬を苦いコーヒーで飲み干すみたいな、苦々しさで満ちていた。


「あいつのオヤジさんが津波に流されたって知ったのは、しばらく経ってのことだった。今も口にすることはない。だけど、ひょっとしたら……」


 ワルツさんはそこまで話して言葉を濁した。


 ひょっとしたら――、そこから先はあたしにも理解できた。あたしも同じだったから……。


 七宝丸が――おとうちゃんが津波に呑まれたと聞かされたのは、薄暗い避難所だった。

 探しに行こうとしたあたしを、おかあちゃんが泣きながら羽交い絞めにしたのを今でも覚えている。

 急転の〝災禍〟に動じることなく、あたしとウメを抱いて高台へと避難させた時も、おとうちゃんの訃報を聞かされた時ですらも、毅然としていたおかあちゃん。いつだって下らないことや馬鹿馬鹿しいことに全力投球なおかあちゃんの流した涙は、あたしが生まれて初めて見たものだった。


『行っちゃダメよ杏……杏、あなたまで行かないで――』


 おかあちゃんは苦しそうに何度も何度も繰り返した。

 その時のあたしは、流されたんなら拾いに行けばいいというくらいに考えていた。プールの水面にたゆたう葉っぱを拾うみたいに。さっきすぐ間近に浮かんでいた葉っぱは風に流されても、別の波間に浮かんでいる。それならそれで拾いに行けばいいはずだ、と。木の葉と命の重さの違いも分からないほどに、あたしはうんとこどもだった。

 薄暗い避難所。ラジオから流れる絶望。人の声と声。怒声と悲鳴。それにすらならない吐息。その中で、浮かぶのは虚ろな瞳の色だけ。

 まだ赤ちゃんのウメがお腹を空かせて泣いている。

 後ろからおかあちゃんにきつく身を寄せられるあたしを、ばあちゃんが涙に滲んでなおさら皺くちゃになった顔で見つめている。

 海とともに生きてきた漁師のじいちゃんが、うわ言のように海への憎悪を口にする。

 それでもその時のあたしは、なんで流されたおとうちゃんを探しに行ってはいけないのかが分からなかった。その時のあたしはうんとこどもで、悲しいくらいにこどもだった。


 だから、センジュさんとあたしは同じなのだと思う。少しだけ大人だったセンジュさんはそれを行動に移しただけだ。

 ひょっとしたら――、じゃなくて確かに。センジュさんは、センジュさんのお父さんを探していたのだ。


「あの時……」


 悲しみに彩られたモノクロの映像が断ち切られる。


「……俺に心配をかけまいとしたのかどうかは分からない。みんな無事だと語ったハライチの真意なんて、俺は今さら聞き返そうとも思わない。でもそれからしばらくの間はずっと頭にもたげかかっていたよ。なぜあの時、ってね。電話しようとも思った。だけどあいつはそんなヤツじゃない。俺に心配してもらうために嘘をついたなんて、そんなガラじゃない。だから、実際気には掛けてはいても連絡を取り合うこともなかったんだ」


 言いながら、ワルツさんは乾いた笑い声を忍ばせた。それはほろ苦い過去に、いまよりうんと若い自分とセンジュさんの影を見つけたような苦笑いにも似ていた。


「あいつから連絡があったのはそれから七年も経ってのこと。正直忘れかけてた頃だった。それこそ都内のフレンチレストランで副料理長、ってな俺の未来も前途洋々たる頃だった。近況もそこそこにハライチは、『明香里市で居酒屋を一緒にやろう』って言い出した。会話自体七年ぶり、それも電話でだよ。それで人生を賭けろっていう。訳わかんないよね」


 笑い声。今度は忍ばせることもなく。本当に楽しそうに笑う。


「でもワルツさん……」


 無茶苦茶な勧誘――でもワルツさんは現に、


「うん、受けたよ。しかも即答」


 あたしの問いに、ワルツさんはとても楽しそうに答えた。


「電話越しにも、〝災禍〟以降目に見えて廃れていく故郷をどうにかしたいっていうハライチなりの強い想いも伝わったしね」


 思えば、いつだって沈着冷静、どちらかと言えば寡黙な印象のワルツさんの弾むような声を初めて聞いた気がする。


 ワルツさんは続けた。

 

「真の意味での復興を目的とするなら、様々なアイディアを出し合えなきゃいけない。そのためには垣根を越えて様々な人間が交流できる環境が必要。それが――居酒屋わるはら。目下の課題は、アイディアの充足という意味も込められたご新規さんの開拓。浅はかには違いない。だけどその想いは真剣そのものなんだよ、ハライチは。あいつ風に言うなら、世界を( 、 、 、)変える( 、 、 、)ために、ね。まあ、資材をなげうって起爆剤( 、 、 、)まで用意しようとするのは、浅はかに過ぎると言えなくもないけど」


 最後らへんは独り言というかグチというか、良く意味は分からなかったけど。それでもワルツさんのセンジュさんに対する思いは理解できた。

 あたしと李子ちゃんのような関係でなかったとしても、やっぱりワルツさんとセンジュさんは友達なのだ。誰よりもワルツさんはセンジュさんのことを理解してあげられているのだ。

 と、あたしがなんとなくそんなことを考えていたら、


「だけどさ……」


 少しだけ低くなったトーンでワルツさんが言った。


「……ただ、それならなんで七年も経ってからなのか、ってのは気になってさ。問いただしたんだよ、今回ばかりは」


 ワルツさんの話を聞いていたあたしの中ではいろんな感情が渦巻いていた。

 だけど、話がどうやら本題に入ったらしいということを感じて、あたしは宙できもち居住まいを正してみせる。

 そして聞き入った。


「ハライチは何かしなければっていう想いや焦りはあっても、慎重というか基本ヘタレというか、結局なんにも行動に移すこともなく、職場を変えたりなんかしながらもそれなりに真面目に働いてさ。五百万くらい貯めこんだらしいんだよ。で、遡ること二年前、それを元手にいざ始めようってやったのが――『テロリストのバイト募集』らしいんだ」


「うなっ!」あたしの脳内が一周して、どっかに行った――この人は何を言い出したのか、いやさ何をしているのセンジュさんっ‼


 そんなあたしのことなどお構いなしに、ワルツさんは続けた。


「テロリストと言っても、ものの例えね。世の中こんな不況なら、ちょっと高めの時給でテロリストになる人もいるんじゃないかって考えたらしいんだよ。ハライチ、バカだから」


 なんとなくほっとするあたし。でも油断は出来ない。その続きに耳を傾ける。


「で、ネット上で募集したらしい。あくまで濁しつつ、『当方求む、世に革命を起こさん同士を……時給千円から』みたいな内容で。集まったのは日々を無意義に生きるだけの、死んだような目をした四人の男たち。それが革命組織――『解放戦線』。全員が、本意気のミリオタには失礼千万な銃とか虐殺兵器かぶれで、雰囲気重視の連中だったらしい。身長の目安になるボーダーラインをバックにした、プロフ用の写真を撮るような、ね。だけど、そもそもハライチがやろうとしてたのは、テロとは程遠いボランティアまがいのことだった。いわゆる復興支援という名のさ。ハライチなりには、連中の社会生活へのリハビリ? も兼ねてたらしいんだけどね。まあそんなことただのお節介で連中の本意じゃなかった。そんなわけで、元々が本物の銃を握れるかも、みたいな不純な動機で集まった戦線はあえなく解散。その半年足らずの付き合いを通してハライチが得たのは、使うこともない様々な銃やらの( 、 、 、 、)無駄に( 、 、 、)深い知識( 、 、 、 、)と、連中からの罵詈雑言の数々。そして、しもしないテロ行為に対する当局からの厳しい監視だったそうだよ」


 ――痛すぎるよっセンジュさん。

 あたしはなぜだかとても恥ずかしい気分になった。痛い身内の話を人伝に聞かされる、そんな感じ。


「とは言ってもその半年で二百万から飛んだらしいから、笑えない話だ。さすがにハライチも相当に参ったらしい」


 ――もうやめてあげてください。

 痛々しくて泣きそうになる。それはまるで居あわてもいないのに、っていうたぐいの巻き込み事故。


 間接的に負った傷跡に、だけどワルツさんは塩でも塗るように話し続ける。


「そりゃもう、家賃四万円のアパートに引き籠る程の痛手だったらしい。そうなると世の中全部が憎らしくなってきて、今まで気にも留めなかったものすべてが腹立たしくなったそうだよ。それはそれは漫然にして純然たる怒りだったらしい。例えばスーパーの値引き率に、百年ぶりと謳われたその冬の尋常ならざる寒さ。高騰する灯油代に、お隣さんちの子供の泣き声、等々」


 ――ちっさすぎるよ。ちっさすぎる器はもうおちょこ並みだよ。あのっ、あたしあとで資源ゴミに出しておきます。

 もうなんだか、うへら笑いがこみ上げてくる。


「特にお隣さんちの子供の泣き声はすごい耳障りに感じたらしくて、『うるせー、黙らせろっ‼』って何度も怒鳴り散らしたらしいよ。心の中で。あいつヘタレだから」


 ――後悔。ああ後悔。ただ後悔。

 もはやただの惰性で、残念な人のその後を聞かされる。


「昼も夜もなしに連続三日間鳴りっぱなしだった八十( 、 、)デジベルの( 、 、 、 、 、)不協和音( 、 、 、 、)。そいつが静まってようやく取り戻した平穏。でもさ、そしたらそしたで急に不安になったんだと。で、あいつはやっぱりバカだから、管理会社とかに相談すりゃいいものを、気付いた時にはもうお隣さんちのドアを蹴破ってたらしい――」

 

 あたしは、ふいに平手打ちを喰ったみたいに現実に引き戻される。

 そして残念な人の残念な行動、その顛末に耳を傾ける。


「――部屋の中には、小さな男の子をおんぶするガリガリに痩せた女の子がいたそうだ。ただの二人だけで」


 あたしが用意してたのとは違う解答。先んじて用意してた保険は――はいやっぱり残念でした。その一言。

 あたしは面食らい、そして固唾を呑む。


「まだ小学校に上がったばかりといった少女が、一歳にも満たない弟の世話をしてたんだ、その三日間。母親はいなかった。哺乳瓶と粉ミルクはあるにはあったが、少女が分量を間違えて作ってしまっていたらしい。すでに粉ミルクは空。そしてどうやら、その三日間その子が泣き止まなかったのも、普段飲みなれていない分量のミルクのせいだったらしい。

 いまいち空調の聞いていないその部屋から、怒りと灯油ストーブのぬくもりに満ちた自分の部屋に子供たちを移して、ハライチはドラッグストアで粉ミルクやらパンやらを買ってくると、子供らの空腹を満たした。一息ついてよく見れば、二人とも薄汚れた格好。この三日、着替えはおろか風呂に入っていないのは明白。だから風呂を沸かした。風呂から上がった少女を着替えさせ、弟の方はおっかなびっくりしながらハライチが風呂に入れた。

 聞けば、ずっと母親は帰ってきてないと言う。間もなくすやすやと幸せそうな寝息を立て始めた弟の隣で、お姉ちゃんもお昼寝を始めた。ごろりと寝転がり、眠る二人を眺めながらハライチは考えた。……といっても、結論はすぐに出たらしい。

 やがて目覚めた二人を、今は亡き愛車のおんぼろ軽自動車に乗せて発車させた。場所は、警察署。そして行き当たりばったりのハライチは、窓口で事情を一方的に話すと、自身の導き出した結論をきっぱりと告げた。


『この子たちは俺が育てます‼』


 お待ちください、と受付の担当が奥に消え、いかつい男が三人やってくる。その後ろには瞼をはらした派手で若い女の姿。弟を抱っこした少女が『ママー』と言って駆け出すのを合図に、ぐるりを囲んだいかつい男の一人が言った。


『現行犯で逮捕する』


 罪状は家宅侵入に誘拐罪。風呂に入れたっていう事実に、後から猥褻わいせつ罪も追加になった」

 

 話し終えて、ワルツさんがゆったりとした息を吐き出すことはなかった。タバコはとっくに吸いきっていたのかもしれない。文字通りの沈黙が、白い煙の代わりにさまよう。

 聞き終えた話も灰のように降り積もることはなく、ただあたしの中で出口を求めてさまよい続ける。


「実際、ハライチが刑に服すことはなかった。初犯で情状酌量じょうじょうしゃくりょう。それというのも若い母親がその若さゆえ、友人たちとの遊びにくれていたから。暖も食べるものもちゃんと用意してあった、彼女はそう言ってたって。とはいえ、だ。ハライチの体裁が悪いってことに代わりはない。なんのこともない話さ。あいつが故郷に帰ってきたのは、復興に対する強い想いはさておいて、その町にいられなくなったからってことだよ」

 

 ワルツさんは笑った。おかしくて、だからこそにやるせない、そんな笑い方だった。


「あの調子だろ、逮捕されても当然の話さ。心配性のヘタレのくせに、勢い任せで計画性もないのがハライチって男だ。一昨日のカモメドラッグがいい例、熱中症への心配から車内で眠る( 、 、 、 、 、)女の子を( 、 、 、 、)覗き見( 、 、 、)してた( 、 、 、)のだとしても、そんな挙動不審者じゃあ逮捕もされるって」


 やがて、笑い疲れたようにワルツさんは溜息をひとつ吐く。

 そして最後にこう言った。


「あの日。彼女がどうであれ、子供たちは母親を求めた。幸せの形は人それぞれ。果たして彼女が母親でいられているのか、子供らがどうなったのか、今となっちゃもう分からない。それでも――子供たちが幸せでありますように。ハライチはそう願ってたよ」


 世界は他愛もなくって、残酷だ――。

 遠くの空の果て、淡い群青色の水平線にきらきらと陽光が反射して見える。それがとてもきれいだった。子どものあたしには、世界はその上っ面しかとらえられないけど、きっと中身には他愛もなくて残酷な、だけど子供のあたしより単純な何かが詰まっているのだろう。


 世界は( 、 、 、)痛みに( 、 、 、)満ちている( 、 、 、 、 、)


 あたしが望んで聞いたはずの話は、そんな世界で子どものまま大人になってしまったセンジュさんという残念な人の――痛い話。


 それはとても痛くて、痛々しくて。


 でも、そんな痛みも、やがてかさぶたになる……。


 それはむず痒くって、もどかしくて。


「ワルツさん」あたしは言った。


「センジュさんに言っておいて下さい。……バーカ、って」


 むず痒くって、自然と笑みがこぼれた。


 世界は痛みに満ちている。

 でも溢れることはきっとないはずだ。センジュさんという存在に、ワルツさんという語り手がいてくれるように。物質と反物質。消滅と対消滅。つまりはバランス……よくは分からないけど。


「仁知果さん、聞いてますか――あたしやります」


 初夏の風が夏の匂いを運んできた。あたしが暮らしてきた町に流れる匂いを。

 もう迷いはなくなっていた。この空が、あたしの最後に見る風景になるとしても。

 眼下に見下ろす故郷を、あたしたちとセンジュさんの居場所を守りたいと純粋に思った。


「オーケイ、アプリちゃん」


 耳の奥に仁知果さんの声。弾んだ声。


「モードを『滅殺天使ちゃん兵装』、通称『ジェノテン・フォーム』に切り替えるわー。だけどさっきも言ったとーり、ジェノテン・フォーム状態で使用できる最終決戦兵器A・M・Tは一分しか持たないからねー。その一分が人類の持ちうる最後の生存戦略だってことは覚えといてねー。もしそれを過ぎちゃったらー、罰ゲームがあるからねっ」


 仁知果さんは世界の終わりを見据えてなお、いやだからこそなのか、朗らかに、まるで歌うような口ぶりで言った。

 その一分が過ぎ去って、世界が終わりを迎えるなら、罰ゲームで済まされることもないだろう。でも、きっと仁知果さんはその程度のことだから――、と言ってくれているのだ。あたしに重圧を課さないよう、仁知果さんはまるでイベントを共に楽しもうみたいに言ってくれているのだ。


 そして。


「ポチっとな」


 やはりふざけたように、仁知果さんは最終手段を発動させた。


 オリハルコン製の対プラテネス決戦兵装、通称メイデンちゃんの胴体部に張り付いたドーナツ大の輪っかが巨大なネジを外すようにきしらせた音を立てたあとで、飛んだ。

 金色のそれは、まるで磁石が吸い付くみたいに真っ直ぐ私へと飛んでくる。あたしの両手と両足、ちょうど手首と足首の部分に錠のように取りついた瞬間、急激にかかった重さに体が沈む。

 教えられた固定の概念で体を安定させると、その頃には金色だった四つの輪は漆黒へと色を変え、その黒は全身へと広がった。まるで黒蜜が全身に纏わりつく感覚。同時に、仁知果さん手作りのマジ天使ちゃん兵装(ラブテン・フォーム)の白色の制服風衣装が、紙製だったかのようにあえなく破れて、散っていく。

 不測の事態というやつにあたしが声を上げる間もなく、全身を覆った黒蜜はすでに形状を変えていた。


 さっきとは打って変わって黒色を前面に押し出した仕上がり。ハイネックの水着とかレオタードの形状をしたそれは、おかあちゃんが子供のころに流行ったと言って爆笑していたハイレグカットの水着みたいに、かなりきわどい角度をしている。

 それに腕まですっぽり包んだグローブとニーハイのブーツ。身に着けた漆黒のそれらはすべて同じ材質で、着ているのを忘れるような肌触りをしていた。

 全身の漆黒の差し色に、部分的な赤色がきらめく。ふたつの胸を添うような円形と、際どい角度を強調するように縦に走るライン。それにへこみ具合まではっきり分かるヘソを中心に据えた菱型。その赤はまるでネオンのような、強いて言うならメタリックな赤。からだのパーツを強調しそうなラインに、だけど、凹凸も少ないからだじゃ美術の教科書に載っていた抽象画、それも黒地に赤だけという色味の少ないヤツに見えなくもない。

 そこにふぁさりと、おどろおどろしい夜の訪れを思わせるズタズタの長マントを羽織らされて、あたしの公然猥褻の儀式は完了した。ハロウィンだってもうちょっとマシだろう。


 そのさまは、仁知果さん言うところの『滅殺』という言葉がとってもしっくりくる感じだった。ただし社会的に滅殺されたのはあたしの方だけど。


「完璧」うっとりとした溜息をついた仁知果さんに、


「あ、あの、仁知果さん」


 あたしは声をかけた。

 茫然自失のまにまに、マントの漆黒の中、まるでプラネタリウムみたいに散った光が点滅していた。目は自然と自分の下半身、星の瞬きに彩られたその強烈な角度に釘付けになる。


 気付いた仁知果さんが言った。


「あっ、大丈夫よー。アプリちゃんの全身を包むのは、耐久性もばっちりな第三の肌と呼ばれる最新鋭の高機能疑似肌素材性のスーツ。簡単に言えば良く出来た全身タイツみたいなものよー。だから、見えちゃってるように映る地肌の部分も、実はその素材に覆われてるってわけー。フィギュアスケートの選手が着用してる肌色のストッキングみたいなものよー。でもこの素材のすごいところは、着用者の地肌の色や肌の感触まで完全に再現する究極のカメレオン効果といっても過言じゃないわねー。すごいでしょー」


 仁知果さんは、苦労して手に入れたんだからと最後に付け加えるのを忘れなかった。それも少し誇らしげに、だ。


 仁知果さん、それって着てないのと同じなんじゃ……あたしは結局言えなかった。ただ思っただけだ。


 ――ああ、ここにもいたんだね……。


 世界は( 、 、 、)痛みに( 、 、 、)満ちている( 、 、 、 、 、)




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