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01 《千》

アイアンメイデン・キャンペーン




 ぼんやりとした明かりに導かれて俺は目を覚ました。


 薄暗い部屋に点ったブルーライト。ちらと一瞥して、深くもたれたソファーでゆっくりと目頭を押さえる。

 どうやら昨夜のアルコールはまだ消化しきれていないらしい、そんなことを思った後で、


「俺も年を取っちまったもんだ」


 ふっと笑った。


 遮光カーテンに閉ざされた部屋では今が何時なのかも解らない。そんな薄闇の中、デジタルディスプレイに映された重機少女のガレキちゃんが愛くるしく動いていた。

 それを瞳に捉えた時、首に鈍い痛みを感じた。昨夜、ネットの世界にダイブして、そのまま意識を睡魔に刈り取られたせいで、首を違えたらしい。こきりと首を鳴らしながら、


「持っていかれるところだったな……均一なるマトリックスの裂け目の向こう側に」


 そして守護天使の「メールだよっ」のアニメ声に応えてキーボードを叩いた。

 右腕の巨大なショベルを上げ下げする二頭身の少女、行ったり来たりしていたスクリーンセーバーのガレキちゃんが消え、ディスプレイにサイトの画像が映る。

 大手のレンタルブログサービスの掲示板。味もそっけもない白と黒で形成されたモノクロームなページ、そこには――。


 レインツリーより入電:革命の日は近い


 俺は掲示板に最後に記された不穏なメッセージから目を逸らす。日付すら見なかった。

 逸らした視線の先、鈍い光に気がついて俺は手を伸ばした。ラックの上で、ディスプレイの薄明かりを昨夜のビール缶が反射していた。

 缶底におりのように留まる、気の抜けた生温い液体を喉奥へと流し込む。その苦さに急かされるように俺はサイトのページを閉じた。

 画面が切り替わると、デスクトップには慣れ親しんだコバルトブルーの海が広がる。

 画面の端には、吹き出しに「メールだよっ」の文字を連呼するコンパクトになったガレキちゃん。俺はメールのアイコンをクリックする。

 

 メールを開いた瞬間、俺は息を呑んだ。鼓動が速まるのを、芯の部分が熱を持つのをはっきりと感じた。

 口から出たのは声にならない言葉。言い聞かせるようにそれを再び呟く。


「……これで世界が変わる」


 ソファーに投げかけてあったスマートフォンに手を伸ばす。青色の小さな明滅。同期させてあるスマホのメールの新着分は同じ内容のものだけ。

 それを確認した後で、メールの送り主の電話番号を表示させる。

 

「ついに、俺は起爆剤( 、 、 、)を手中にする――か」


 俺の口端は自然と歪んでいった。

 だが、俺はそこでダイヤルしようとした手を止めた。それは画面右上に記された時刻に気付いたからだった。

 薄闇の六畳間の外で、世界はどうやら正午に近づきつつあるらしい。


「楽しみは後にとっておくさ……」立ち上がり、遮光カーテンを開いた。眩しさに目がくらむ。雑多な部屋に差し込んだ陽光、その中で埃が舞って見えた。


 やがて世界が普段どおりの様相を呈し、この部屋がガラクタだらけの密閉空間であることを思い出す頃、俺は窓の外を眺めた。

 二階の部屋から見下ろした先、狭い通りの電信柱を曲がって少女がやってくる。

 幼稚園の制服におさげ髪。手にはネコのキャラクターのトートバックが握られていた。確か、少し前にCMでやってたスナック菓子のキャンペーン商品のものだ。

 と、ふいに声が聞こえた気がした。


『キャンペーンってのは戦史って意味もあるんだぜ――』


 そう言ったのは誰だったか、今はもう思い出せない。ただその言葉だけが頭の中で繰り返され、こびりついていくような錯覚を覚えた。

 朦朧とする中、視線は少女だけを捉えていた。

 車が一台通れるくらいの舗装路、そのありきたりの風景に、真新しさを見つけて少女は笑う。無邪気に。

 つられて俺の瞳も自然と綻んだ。


「願わくはそのままの君でいられる時代の到来を……」


 少女への密やかな期待に、しかし二の句は継げなかった。

 間もなくして小走りでやってきたひとつの影。母親らしきその姿を見留めて、俺はそっと身を隠す。そして俺はひとり願った。


 もしそれが不可能だというのなら、一刻も早く少女がこの場所から離れられることを。なぜなら……。


 ――この町は、奔放( 、 、)すぎる……。

 

 胸の内に広がるドロドロとしたものに呑みこまれる前に、そっと下唇を噛みしめた。

 俺の口から洩れたくぐもった声。それに反応するように、少女の母親がちらとこちらを見上げた気がした。

 だが、当然そんな訳ない。距離もあれば、屋内のさほど大きくもない声が外に響くはずもない。

 だからたぶん空を見上げたのだ――とすぐに合点がいった。

 梅雨入り宣言も遠い晴天は、十日以上も続けての青空で。悲しいくらいに青空だった。


 やがて母親の姿が見えなくなる頃、俺はカーテンの裏から身を乗り出した。彼女たちの姿がもうどこにもないことを確認すると、カーテンを再び閉じた。

 遮光カーテンの端から差し込む光に、自身が下着だけの姿であることに今更ながら気がついた。

 アルコールくさいそれを脱ぎ捨て、まっさらのシャツとパンツを身に着ける。イタミ具合もいたっておしゃれなジーンズに足を通すと、ネルシャツを肩に引っ掛けた。

 部屋のドアを押し開くと、廊下には冷めたお膳が置いてある。ご飯とみそ汁に目玉焼き、そして海苔と納豆。典型的な朝定食。


 箸置き用に折られた紙には、申し訳なさそうに小さくて、弱々しい字が添えられてある――そろそろちゃんとした仕事を見つけて下さい。母


 膳をひっくり返したい衝動に――俺は駆られることもなく。冷めたみそ汁をぐいと飲み干す。


「オフクロはなんか勘違いしてんな」


 階段を駆け下りると、洗顔と歯磨きを手早く済ませる。そのあとで目じりを軽くリフトアップ、笑顔の練習も忘れずに。寝起きのせいでもともとのくせ毛がなおさらひどい。が、シャワーを浴びている暇はなさそうだ。


 玄関に向かう途中、積み上げられたテレビ雑誌が目につく。今期始まった幕末ものの大型時代劇、表紙をその主演俳優が飾っていた。

 大火のような生き様で幕末を駆け抜けた時代の立役者。俳優は、そんな彼に目元の雰囲気なんか似てなくもないと思う。教科書なんかに載っている写真の、まるで時代の先を見据えるような、涼しげでいて、どこか鋭い視線の持ち主に。


 彼は今や紛れのない英雄として名を残す。だとして……。


 勝てば官軍の言葉もあるように、英雄になれるか否かなんて時の運次第ってヤツだろう。

 いうなれば、歴史のしるべが自分の側に傾いているかどうか。それ次第で、その行為は革命レボとも恐怖扇動テロとも呼ばれるはずだ。

 残念ながら、この町に救いはない。ゆえに、ここに暮らす人間にも救いはない。もしくはここに暮らす人間に救いはなく、ゆえに、この町には救いがない、ともいえる。

 勝手知ったるマーフィーの法則。鶏が先か卵が先かなんてわからない。だが、だからこそに。誰かがこの町に火を灯さなければならないのだ――革命という名のを。

 革命家とテロリスト。後世において自分はそのどちらで呼ばれるのだろうか――つと、そんな疑問が頭をよぎる。


 しかし、今の俺に迷いはない。たとえ地獄の業火( 、 、 、 、 、)さいなまれたとして、立ち止まることもないだろう。世界を変えるための手立て、それは整いつつあるのだから。


 玄関へと辿り着くと、スニーカーに足を突っ込みながら扉を押し開く。終わりゆく五月の穏やかな風が通り過ぎていった。そして踵履きのままで玄関を抜けた。


 ひときわ高い陽光に照らされて、俺はひとり頷いた。


「うん、三十一にしちゃフットワークは軽いもんだ」



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