17 《千》
「プランBよ」
インカムの奥で彼女は――花無仁知果は言った。
「どういうことだ!? まるで部外者気取りだったお前のこれは一体どういうことだっ‼」
もはや半狂乱といった真玄の喚き声。先ほどまでの余裕はすでにない。
そんな真玄を嘲るように、花無仁知果は無邪気に笑った。
「どういうことってー、さっき言ったじゃない。それはアタシやナメローのプランじゃあないってさー。だったらフツー、アタシらのプランもあるかもって考えるべきじゃなーい?」
「嘗郎お前もかっ、お前も俺に隠れて勝手なことをっ‼」
雛菱博士は何も答えない。彼の代弁者のように花無仁知果が言った。
「アンタに言われたくないってのー。アタシらに隠れて動いてたアンタにぃー」
ぐっと言葉を詰まらせた真玄に向けて、なおも花無仁知果は続けた。
「性能の同じ個体が思考を同軌させてんだから結果は火を見るより明らかでしょーが。最も有効な戦術パターンの実行は即ち、最も有効な迎撃パターンの実行でもあるわけだしー。自立思考型にパターンを転調した時点でアンタの〝ミスリル〟が〝マーズ〟に先読みされちゃうのは当ったり前だってのー」
真玄が怒鳴るように言った。「隔離室のモニターを出せ‼」
わずかの間を置いて、再び真玄が声を荒げる。
「個体差が同じなら数の理はこちらにあったはずだっ。なぜこうも差が出る‼」
すると。
「おおよそ、その女性が説明した通りだ」
新たな声、落ち着き払ったその声には聞き覚えがあった。
「差し手が同じ存在なら数の大小に関係なく膠着状態は永遠に続くもの。数の概念に重要性を見出すのは現時代の人類における慣習に他ならない――人類観察の結果、そう我々は結論をつけている」
『人類観察』というフレーズに、俺は今朝出会った少女を思い出す。北中の制服を着たあの小麦色の少女を。
「そもそも貴方たちは集団知能というものを勘違いしている。一つの行動に際して集団で思考するなど無意味でしかない。本当に必要なのは、その行動に際して最も有効な手段を導く事の出来る知能ひとつに他ならないということ。百人、千人集まっても一人の天才の思考には及ばないということ。前時代でいうなら、アーカイブより抜粋、うむ、物理的なアプローチは百人の学者よりひとりのアインシュタインに任せれば良いということだ」
彼女は教本でも読むように淡々と話した。それはまるで事実を事実として伝えるだけの講義にも似ていた。
黙り込む真玄。鼻歌でも歌いだしそうな花無仁知果が会話を引き継いだ。
「さてさて、呼び水ちゃんが信号なりなんなりで連絡を取ったってことはー、遅かれ早かれこの星は終わるってことよねー?」
「それは違う。今回の計画の失敗により、時代の改ざんは必要になったが、星そのものを消滅させてしまった結果、それが別の時代に影響を及ぼす可能性はゼロとは言い切れない。研究の結果それは解っている。今回抹消させるのは現時代の人類だけだ」
「オーライ、まぁ確認よねー。取りあえず今回なんとか凌いだところで、別の惑星の使者により我々現人類の滅亡ってなシナリオ自体は変わらなーい。だけど、惑星爆弾的な兵器の投下でもって一瞬で星ごと滅亡、なんてことはないってこったねー」
「その理解力の速さは、人類観察の結果、この時代の人類においても希少であると評価している」
「くふふ、褒められたのかなー、アタシ」
人類滅亡のシナリオを誰より理解してなお、花無仁知果は朗らかに笑う。
「ってこったから真玄ー、こっからはアタシのターンね」
なにを、と食い下がる真玄を、「だって、どのみちこっから先アンタは役立たずじゃーん」一笑に付して花無仁知果は継いだ。
「さて、ヒルコ内の完全物質で精製された至高のエネルギー。形状化しその名を絶対物質。この世界の何物でもなく何物にも成り得るそれはー、この世界における新たな最硬度の鎧となりて、飛んだっ。七草杏ちゃん、いやさメイデンジャーアプリちゃんのもとにー」
杏ちゃんのもとに、という言葉にハッとさせられる俺。
かせモンこと火星よりの使者、通称〝マーズ〟と連中が呼んでいたあの巨大生物が文化ホール上空に到達したとは聞いていたが――まさか、巻き込まれたのか杏ちゃん。不安に全身が泡立つ。
しかし、花無仁知果は相も変わらずの朗らかさで、
「対プラテネス兵器をたった今想定とした、絶対物質決戦兵装、通称『メイデンちゃん』。今まさにアプリちゃんの守護者としてっ、メイデンちゃんは天孫光臨。見栄えは確かに西洋拷問器、だけど立派に守護者ってるからねー、そこんとこヨロシクぅ」
杏ちゃんはどうやら無事らしい、と胸を撫で下ろす。
同時にメイデンと西洋拷問器というフレーズに物騒な拷問具、『鉄の処女』を即座に連想する。俺と似ている――、そう語った花無仁知果の言葉を思い出しては口元が緩んだ。それはきっとおそらく俺の予想通りの見た目をしていることだろう。
だが、ほっとばかりもしていられない。芽生えた違和感に、聞き耳をさらに立てた。この女はまるで……。
「仁知果、お前はまさか、あんな一般人の、しかも子供に、国家レベルの戦略技術を貸与すると言っているんじゃないだろうな!」
思考の途中で、真玄がもはや約束ごとのようにがなった。
「そのまさかよー。ってか機密情報さきにバラしちゃったアンタに言われたくないしー。まあ補足するなら貸与、じゃなくて贈与、ねー。あのコはもうアプリちゃんのものよー」
あっけらかんと返す花無仁知果。情報の漏洩だとか一科学者にあるまじき職権の濫用だとか、自身のことを棚に上げて喚く真玄を無視して続けた。
「メイデンちゃんの兵装は即ちっ、〝ミスリル〟や〝マーズ〟のそれと同じ。相手の攻守の際に生じる物質・反物質に、雛菱式N―04型A・Iによる須臾演算での解明、完全物質を形状化し、発生させた物質・反物質のカウンターによる相殺ありきの戦略。それ自体は変わらなーい。無論、明香里市及び近隣千キロ圏内に張り巡らされたナノマシン、ヤタガラスにより物質と反物質の対消滅エネルギーをただの数値、灰色のデータに変換してチカエシノオオカミは、ヒルコ内の完全物質の糧として経由されるってのも同じー」
花無仁知果の解説に、真玄の自尊心が炎上した。
「俺を誰だと思っている!? そんなこと説明されるまでもなく理解している‼ 無論ここの研究者なら誰でも解っていることだっ‼」
花無仁知果はくふふと笑う。
「アタシの説明を聞いて解らない人もいるかもだよー。まあ質問は受け付けないけどねー。なにせ今はアタシのターンだから」
誰に対しての説明か――。そう、この女はまるで俺に説明しているかのようだった。
俺は確信した。花無仁知果は現状を、俺や杏ちゃんの現状を理解して話しているのだ。
「真玄、アンタの失敗はねー、性能の同じ個体を得た上でそれを超えられるプラスアルファを見いだせなかったこと。上辺ばかり飾って内面性を無視しちゃったこと。つまりはことここまできて『魂』の重要性を考慮しなかったことだよー」
継いだ花無仁知果の言葉に、今度は真玄が笑い声を上げる。だが、それは乾いた笑いだった。
「生物学者のお前が魂だと? 笑わせる」
「〝聳えるひとつの魂〟。膨大で完璧な集合知能の保管及び流動のシステム、彼女たちはその核を差して、そう呼んだ。アタシたちはそれをただの情報として捉えるため〝モノリス〟と名付けた。だけどねー、彼女たちはこんなところまで来て何を探していたか? 少し考えれば解ること。アンタは情報を情報として捉えすぎたために、より結論を困難にしちゃったんだよー」
数瞬の沈黙。そして真玄が呟くように言った。
「……まさか、魂の意味を、彼女たちは……」
「おそらくねー。わざわざもっともらしい名前まで付けちゃいるけど、彼女たちは魂の意味を理解しちゃいない。つまりはアタシらの及ばない知識を得てなお、その解析まで至ってはいないということ。アタシらが手に入れられなかったり理解できないものを神と呼ぶようなもんだろねー。まあアタシは神を信じちゃいないけどさー。彼女たちが探しているもの、それは……『感情』。感情を理解できない者に、魂なんて理解できるはずもない」
「仁知果、お前は、つまり、彼女たちを超えるプラスアルファが感情だと言いたいのか」
真玄が唸るように言い、花無仁知果は嘲るように継いだ。
「アタシはねー、ただの生物学者。食べて、排泄して、寝て、そして死んでいく。それが生物の在り方であり、人生に意味があるなんて信じちゃいない。そんな人間が魂を語るなんておこがましいけどさー、多分、魂は感情の先にあると思うよ。感情についてあれこれ論ずるつもりもないけどさー、きっと感情なんて自ら感じるってこと。そして自ら考えるってことなんじゃないかなー。感情のままに、なんてあんまりいい響きじゃないけどさっ、それこそが最善の手を確実に打てる『集団知能』には無い、不完全で完全なアタシらの切り札。それこそがアタシらの持ち得る唯一の武器、そして唯一の突破口」
「……だが、だからといってあの少女なのか」
真玄のくぐもった声。
それには答えず、花無仁知果は声を張り上げた。
「聞こえるアプリちゃんっ。アタシだよー、仁知果ちゃんだよっ。覚えてるかなー?」
少し遅れて、
「にち……ひょっとして花無、博士ですか?」
自信なさげな声。しかし、俺はその弱々しい声に安堵する。
杏ちゃんの安否が確認できた瞬間、腰砕けのように全身の力が抜けた。逸れた軽ジープが電柱をこする。慌てて大きくハンドルを切った。
タイヤが擦れる音のまにまに、真玄の声。「――なぜ彼女なのか、答えを聞いてないぞ」
どうやら杏ちゃんには聞こえていないらしい。花無仁知果は先刻と同じトーンで言った。
「だってもう助けちゃったしー。だからといって、か弱い一般市民の女の子に真っ黒い大人の事情を説明する訳にはいかないでしょー。それにね……」
黙り込む真玄。元はといえば俺たちに声高に機密事項を漏らしたのはコイツだ。思惑通りにはならなかったものの、そこを持ち出されるとぐうの音も出ないらしい。
そんな真玄を置き去りに、花無仁知果は最後のメッセージを発信する。投げかけられるバトンが誰に充ててか、それは勿論――。
「……感情なんてとどのつまりー、いま何をなすべきかを考えて行動するっていうこと。純粋な行動原理があればいー。そこに大人の思惑なんてなくていー。だから、彼女でいー。ギフトが授けられるなら、きっと彼女がいー。さてさて、アタシのターンはここでお終い。あとは解るでしょー。今こそ青色のボタンを押す時だってね」
――託されたバトンはここにあった。その重さに動じない為に、深く息を吸い込んだ。肺に刺さるまで。
そして。
「杏ちゃんっ‼」
インカムの青色のボタンを押しながら、俺は叫んだ。
「センジュさん……?」
戸惑う杏ちゃんの声が聞こえた。
耳の奥でノイズのように、「これはなんだ、どうしてあいつに回線が繋がってるっ」真玄の慌てふためく声が聞こえたが、そんなの当然無視だ。俺はゆっくりと続けた。
「君の願いを聞かせてくれ、杏ちゃん。君の目の前へと降りてきたものが、紛れもなく希望だとして。それが君の力となるとして。君ならいったい何を願うか、を」
「あたしは……あたしは守りたいよ。友達を守りたい」
静かな、だが真っ直ぐな声。俺はその声に一人頷く。
「君に、子供の君に、こんなことを頼むのはきっと間違ってる。だけど……戦ってくれ。友達を、そして世界を救えるのは君だけだ」
インカムの奥に聞こえる息遣い。ただそれだけ。
だが、離れた場所に立つ一人の少女は今まさに決意を固める。俺には確かに分かった。その瞬間をありありと感じた。
「あたしやってみるっ‼」
もはや揺らぐこともなく彼女はきっぱりと告げた。
俺は『大人』なんてフレーズで括られるのが大嫌いだ。そもそも俺は大人になんてなりたくなかったし、心の底では自分が大人になったなんて思っちゃいない。俺はこの場所に居続けたかった――子供でも大人でもないこの場所に。三十一にもなって、なんて言われれば、まあそれまでの話だが。
それでも、いつだって子供を守るのは大人の役目と信じていた。だから、一人の少女に世界の命運を託すなんて、ありえない話のはずだった。
なのに彼女は鋼鉄の意志をもって、戦場へと向かおうとしている。
臆面もなく、俺は彼女を誇りに思った。
キャンペーンってのは、戦史って意味もあるんだぜ――。そう言ったのは鋏男だったか殺人蜂だったか、今となってはもうどうでも良いことだった。
胸の内にしまい込んでいた幻想は、非現実的な産物。だが、それは確かに存在した。
「今こそ……」声にならない声。それは自分が発したとも信じられない戦慄き。
幼き夢――穢れなき意志。
その守護者にして体現者――鋼鉄の少女。
「今こそ……」それは確かに自分の声。
体の芯が震える。やがて熱くなっていく衝動に、弾かれるようにして俺は咆哮を上げた。
「『アイアンメイデン・キャンペーン』、始動‼」