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13 《千》

 

 見上げた空でシダに似た葉が風に揺れていた。


 雄々しく広げられた枝葉の影に、俺は立っていた。


 いつの間にか、そこに一本の木があった。


 後ずさる視界に、やがてその全形が映る。枝葉を左右対称に大きく広げた樹冠は鮮やかな緑。俺はその木を知っていた。だが実際に見たことはない。それでも、おそらく実際に目にしていなかったとして、日本人には結構馴染のある木だろう。CMなんかで時折目にする、この木なんの木、ってヤツだ。


 通称――、レインツリー。


 降雨前に葉を閉じるという習性が、大いなる目的の為に臥薪嘗胆する自分たちの境遇に似ている気がしたし、名前も知らない木はやがて見たこともない花を咲かせる、そんな歌詞の一節が自分たちの存在意義に通ずる思いがして、俺は自らをそう名乗ることにした。


 なのに。


『あんたのヤリクチはまるでモンキービジネス、ならモンキー( 、 、 、 、)ポッド( 、 、 、)のが似合いじゃね?』


 言い出したのは『殺人蜂キラービー』だったか、『鋏男シザーマン』だったか……。多分、キャンペーンってのは、戦史って意味もあるんだぜ――、そう言ったのと同じヤツだ。


 モンキーポッドはレインツリーの別称だ。名前の由来は、木の豆が猿の好物だからとか、開いた葉が猿の掌に似ているからだとか言われているが、良くは分かっていないらしい。


 ふと自分が連中に向けて発信したメッセージを思い出す。


 レインツリーより入電:革命の日は近い――


 その日は、その日は……確かにやってくる。世界を変えられるその日は必ずやってくる。自らに言い聞かせた。

 ワルツを半ば騙すような形で『あれ』を手に入れる手筈も整えた。これで世界が変わらなければ詐欺ってものだ。

 

 雄々しく聳え立つレインツリーに、俺の弱い心が掻き消されていく。

 その姿は、俺が辿り着きたいと願ってやまない憧れへと重なる。つまりは新しき世界の象徴とでも呼ぶべき、世界樹ユグドラシルへと。


 誓いにも祈りにも似た心情で、俺はその光景を胸に刻む。

 

 と、太い世界樹の幹越しに、見慣れた建物が映る。蜃気楼の揺らめき越しに見えたそれは、ご贔屓の、そして先日出禁を喰ったばかりのドラッグストアだった。

 賑やかなアナウンスがだだ漏れの大型店舗。しかし客の入りは皆無。大型店舗にお似合いの大型駐車場に止まっている車はただの一台。赤い軽自動車、ただの一台だけ。


 コンクリートの大地が溶ける中、俺はゆっくりと歩き出した。額から染みだした汗が、蒸発して乾いた空気の中に消えていく。


 カラカラに乾く喉。小休憩と軽自動車のボンネットに右手を乗せた瞬間、肉の焼けるジューシーな音と、肉の焦げる不快な臭いが鼻腔についた。

 気が付いた時、俺の右手は手首の部分から先が消失していた。右手を持ち上げるとボンネットにへばりついた肉の一部が、大した弾力性もなくぱちんと千切れる。俺は自身の主成分はどうやら蝋とかバターになったらしい、感慨深くそんなことを考えながら失った右手をぼんやりと眺めた。ふとその視線が、軽自動車の中で微かに動いた影を捉える。

 

 歩み寄り、後部座席の窓を覗く。そこに幼稚園児の制服を着た女の子が眠っていた。赤色のぼんぼり飾りがついた髪留めで、髪を一つに結ったあどけない少女。

 

 突如として俺は、彼女をそこから連れ出したい衝動に襲われる。躊躇いもなくドアノブへといまだ残った左手を添えた瞬間、


『……お前のビョーキ、治ってなかったんだなぁ』


 耳鳴りのようにワルツの声が聞こえた。


「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う」


 俺は激しくかぶりを振る。


 遠くなっていくワルツの声。

 やがて訪れる静寂。その時には赤い軽自動車も消えていた。


 振り返ると、レインツリーの太い幹の影で何かがひょっこりと動いた。小動物の尾にも似たそれを見た瞬間、俺はさっきの子が目を覚ましたのだ――、と思った。隠れんぼでもしているつもりだろうに、結った髪の先が影から出ちゃっているのだ――、とそんなふうに思った。


 ゆっくりと、少女に気取られないよう俺は幹の逆側へと歩いていく。そして少女の背を目指して幹をぐるりと回り始めた。


 少女は絶妙に微妙な丈の、白い靴下を履いていた。いや、木の後ろにいる彼女の姿は俺の位置からは見えるはずもない。だが確かに俺はそう確信していた。

 膝下とも踝ともつかぬ、その中間。ショートソックスでもハイソックスでも、ましてやルーズソックスでもない。それはまさに絶対的なまでの絶妙に微妙な長さだった。膝丈のスカートからのびた足と靴下は、三対一の完全な黄金比率を形成している。


 そう。彼女は完璧だった。彼女のソックススタイルは完璧だった。


 俺が近づくのに気が付いたのか、リスのしっぽみたいなおさげ髪が幹の影に引っ込む。

 俺は慌ててその影を追った。一度引いた汗が額のあたりから伝い始める。近づけば近づくほど、おさげは毛先だけちらつかせて幹の影に消えていく。

 俺の早足はやがて駆け足となり、ついには全速力と呼べるものとなった。全身から溢れる汗。それはもはや汗というより、スープと呼んだ方が良さそうな量の体液となって周囲に飛び散っていく。その時になってようやく俺は思い出した。俺の主成分が蝋か……バターで出来ているということに。

 太い幹の周りを駆けていた俺は、やがて黄色くて薄透明なゲル状となって回り続ける。今やもう幼稚園児の影はなく、幹の周りを巡りつづける意味もなくなった。そんな中で俺は、生命のスープとは今の俺のようなものだろうか、なんてことをぼんやりと考える。

 

 あてどない思考の片隅に、ふいに『音』が音こえた。かつて何より癪に障ったもの――『八十デジベルの不協和音』


 俺はその声の出所を探してなお廻り続けた。

 そしてようやくにして見つける。見上げた幹の上、枝葉の先に少女が立っていた。

 だが見上げれば見上げるほど、少女はその風体を変えていく。見る見る成長して五年は歳月を経た少女には、さっきまでの面影も、赤いぼんぼり飾りもない。少女はバターになった虎を哀れむ、あの男の子みたいに立っていた。


 小学校中学年と思わしき体躯に、しかしガリガリにやせ細った少女。そして、少女に抱きかかえられた乳飲み子。乳飲み子はなにかを求めるように声を上げて泣き続ける。


 その姿を見留めた瞬間、俺はもはや腕だかなんだかわからない薄透明の一部を幹へと伸ばした。

しかし、液状のそれで幹を掴むことは出来ない。

 二人の幼子の元まで辿り着くことなんて、二人を抱きしめることなんて、出来やしない。


 俺は泣いた。子どもみたいに泣きじゃくった。

 せきを切って流れる涙は液状の身体と混じり合い、溶けて、消えていった……。





 孤独――。





 まるで広大な砂漠にひとり、ぽつりと取り残されたような。


 何も、何ひとつも掴めなかった両手。乾いた現実に曝されては、さらさらと。崩れては風に舞う。さらさらと……。

 虚ろな夢の名残。頬を濡らした涙も既に乾いていた。だが、俺は浸っていたかった。どこにも行きたくなかった。ここに、この場所に留まり続けていたかった。

 俺が世界の中心で、この記憶が世界の物差しなら、いつまでも浸っていられるのに。世の中の基準や価値なんて無視して一個の魂だけがそのすべてならば。


 だが……。


 起動音――。


 世界よ覚醒せよ――、託宣たくせんにも似た皮肉に、曖昧な思考は遮られる。


 しかし、世界は再び引き籠ったかのように沈黙して……。


 いや、確かに世界は起動した。かすかに、でも確実に聞こえるそれは、消え入りそうなノイズの集合体。


 俺はがばと上半身を起こすと、辺りを見回した。

 

 高く昇った陽光を反射して、穏やかな水面が煌めく。

 仕入れの後、微妙な空気を払拭することも出来ずに、ワルツはさっさと仕込みに帰ってしまった。俺は波止場に残りその後も釣り糸を垂らしていたが、どうやらポータブルチェアでうたた寝、どころかがっちり寝入ってしまったらしい。離れた場所に立っていた、入れ歯の緩いじいさんの姿もすでになかった。


 俺は、音の出所を探す。

 あちこち見回したあとで、スマートフォンかと手に取ってはみたものの、そこにはせいぜい昨夜送られてきたらしい杏ちゃんのメールくらい……。


 明日は文化ホールで李子ちゃんの音楽発表会。センジュさんにはつきあえません――。


 ……えっ、そうなの!? 動揺しつつも、気を取り直してようやく思い出す。

 慌ててポケットからインカムを取り出した。


 ノイズ。ノイズ。ノイズ。小さく声。女性らしき声。そしてノイズ。


 インカムの右の耳あて部分に見えた赤いツマミを適当に弄る。ノイズの音は小さく、そして女の声は徐々に大きくなっていく。


 俺はインカムのヘッド部分を頭に装着する。


「……には説明したの? でー、どうするつもり?」


 女の声。はたしてそれは、俺の知っている女の声だった。

 枯れた緑色の前髪から覗く真紅。俺の〝死〟。花無仁知果。新世代資源国家戦略涅槃那機構、通称3N所属の三変人ならぬ、三賢人が一人。俺にインカムを授けし女。

 今までうんともすんとも言わなかったインカムが、このタイミングで起動したということ。それはつまりこれから聞こえてくることに何がしかの意味があるということ。俺が聞くべき、意味が。俺は固唾(かたず)を呑んで、聞き耳を立てる。


「……ああ。だから、ミサワ基地から国防軍の戦闘機がもうすぐ到着するんじゃないかな」


 男の声。真玄薫風。新世代エネルギー研究施設、チカエシノオオカミの所長。

『国防軍』という響きに、俺は嫌な予感がした。


「は、初めからここを戦地にするつもりだったのだな?」


 どもり調子で聞き取りづらいヒナビた博士ならぬ、雛菱博士の声。

 応じるように真玄博士が継いだ。


「そうだよ。首都から離れてはいるが、国防軍からの戦闘部隊が駆け付けてくるには頃良い場所。ついでに言うならあの〝大災禍〟の記憶の焼き付いた地なら、新しい〝災禍〟に対する我らが技術力のプレゼンには最適といえるだろう?」


「真っ黒博士の本領発揮ってわけねー。最新鋭の科学技術の切り売りとは科学者の倫理上最っ高に最っ低だわー。アンタはいっそ科学者としての矜持も売っぱらっちゃうべきねー」


 吐き捨てるような花無博士の声。


「わ、解っているのか真玄、下手をすれば国が……い、いや世界が滅ぶぞ」


 相変わらずの滑舌の悪さで雛菱博士が言った。あまりの聞き取りにくさに俺は一瞬耳を疑った――『世界が滅ぶ』という言葉に。


 だが、真玄博士は意に介さずと、声を上げて笑った。急な大声に耳がキーンとなる。


 しかし。


「千寿といったか――」


 耳の調子にも関わらず、その言葉ははっきりと聞こえた。盗み聞きがバれた――反射的に身が強張る。

 だが、言い訳とも逆切れともつかない言葉を俺が継ぐ前に、真玄博士は続けた。


「――彼に言った通りとなっただろう? 数日中に( 、 、 、 、)公の場で( 、 、 、 、)お披露目( 、 、 、 、)する( 、 、)ことになる( 、 、 、 、 、)、と」


「わるはらナイトだっけー? センジュくんのユアストーミィー配信番組。アンタはそれを利用しようとしたんでしょー?」


 花無博士の言葉に、真玄博士はくつくと笑う。


「仁知果、お前も調べたのか、あいつのことを。まあ、イザナミの検索機能を使えば容易くあいつの素性くらい調べ上げられるよな。我が国における第一級監視対象者、国際テロ指定懸案組織――『解放戦線かいほうせんせん』。あいつがその代表だってことくらいな」


 背筋を冷たいものが走り抜ける――やはりコイツらは俺のことを知っていたのだ。

 神経を研ぎ澄ます俺の耳に、花無博士の声が聞こえてくる。


「そんな要注意人物が機密事項を知ったら、きっと自分の番組で発信するに決まってる。アンタはそう思ったんでしょー。そしたらこの事態に向けての注目度も俄然上がるもんねー。でも残念だったねー、真っ黒博士の思惑通り進まなくって。番組で情報の発信はなかったもんねー」


 そう。俺はわるはらナイトでそのことに触れなかった。というのも平日は基本、番組は休みだからだ。とはいえ、聞き得た情報を発信する機会はいくらでもあった。ひとえにそれをしなかったのは、俺の直観が警鐘を鳴らし続けていたからだ。俺は連中を信用していなかったし、現に連中は信用に値しない人間だった。

 しかし、ならばわざわざインカムを通して俺に状況を知らせる必要性とは何だ?


 花無博士の指摘にも動じずに真玄博士は続けた。その声は先日と同じく、作りすぎな、大人の余裕に満ち溢れている。


「あいつへの情報漏洩なんてほんの余興みたいなもの。世界は今まさに、俺の、俺たちの思惑通りに進んでいるよ。何をそんなに心配することがある?」


 ふん、と鼻を鳴らして花無博士は言った。


「わざわざ言い直してもらったとこ悪いんだけどー、アンタ一人の思惑にアタシら巻き込むんじゃないよー。まあ、その思惑自体、アンタのプラン通りに進むといいけどねー。だけどこれだけはハッキリ言っとくよー。それはアンタのプランであって、アタシやナメローのプランじゃあない、ってね。科学の発展には失敗がつきもの。でもねー、取り返しのつかない失敗だってあるんだ。アンタはそこんとこ履き違えてるよ」


 真玄博士は陶酔がかるように、「それはきっと歴史が証明してくれるだろう」

 その後で、別の声が響く。


「プラネテス測定値、オールレッド。『ヤタガラス』が対象を感知しました」


 それは女の声をしていた。


 自称三賢人以外の新しい登場人物か? 俺は耳をそば立てたが、その声は同じ言葉を繰り返すばかり。抑揚も感情らしさもないその声はあくまで機械的。


「オーケイ、分かったよ。イザナミ」


 弾むような真玄博士の声。それを合図と繰り返されていた言葉がピタリと止まる。


 俺は機械的な声がまさしく機械の、スーパーコンピューター・イザナミの声であることを理解する。


「す、既にヤタガラスの散布も終えていたのだな」


 唸るように雛菱博士が言った。真玄博士はふふんと鼻を鳴らす。


「勿論さ、雛菱。ヤタガラスはとうに飛び立った後さ。半径千キロ圏内は、少なくともこの町全体を覆うくらいには、不可視のナノマシンの霧が張り巡らせてある。つまりは、いつでも戦争をおっぱじめられるって訳だ」


 そこで再び機械の声が響いた。


「ヤタガラス接触部より解析終了――プラネテスコードは〝マーズ〟です」


「呼び水に誘われしものは火星よりの使者、戦争をもたらす者ってわけだ」


 愉しげに話す真玄博士の声は、次第に遠くなっていく。

 おそらく中座しようとしたであろう彼を、「最後にこれだけは言わせてもらうよー」花無博士が呼び止めた。


「ここまで来たからにはアンタはもう始まりのボタンを押すだけなんだろうねー。だけど早まったカードの切り方は時に自らを滅ぼすもんだよー。なんでもかんでも切りゃいいってもんじゃない。特に青い方のボタンを押すのは、アタシはお勧めしないねー」


「何の話だ?」怪訝な声を発する真玄博士。


 当事者ですら理解できないやり取りに、俺はそれが何かの暗喩的な表現なのだと思った。これから何かを始めるつもりでいる真玄博士の無意識に働きかけるストッパー的な、あえて解りづらい表現をした何かなのだと。


 しかし、念を押すように花無博士は言った。


「まだ押さない方が良いっていったのよー。特に『青いボタン』はねー」


 その瞬間、俺は理解した。それが誰に対してのメッセージなのかを。

 音声を傍受しやすくするため弄っていたインカム、その脇には備え付けの青色のボタン。俺はインカム自体から慌てて手を放す。


「仁知果、それはお前なりの心配だと好意的に受け取っておくよ――」


 再び遠くなっていく真玄博士の声。


「――だがなんの問題もないさ。いつの時代も、輝ける栄光を手にするのは『銀のエンゼル』を揃えた者だけと相場が決まっている」


 そして声は途切れた。


 真玄博士も。花無博士も。雛菱博士も。まるで初めから誰もいなかったかのように、やがて訪れた沈黙。あとに残ったのはノイズ。ノイズの集合体。それすらも蚊の鳴く程度のもの。

 一瞬の内に決壊を起こしかねない急流は、果たして現実かどうかも怪しい程の怒涛。寝ぼけた脳髄には激しすぎて理解なんてもってのほか。だからこれは夢の続きなのかもとも思った。

 だが――、


 頭上で轟音が炸裂した。


 情けなくも小鹿のように立ち上がる俺。

 見上げた空で、太陽を遮るように東の空から巨大な入道雲が湧いてくる……。

 いや、何か違う――そう気づいた瞬間に訪れたのは、完全なる茫然自失。


 鈍色に輝く尖鋭。国防軍の戦闘機、F‐35が東の空を目指し続々と飛んでいった。



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