今日と昨日の境界線
今日と昨日の境界線は、何処にあったのだろうか?
明日と今日の境界線は、何処らへんにあるのかな?
いや、そもそもの問題として、だ。
今日と昨日を区切っていた境界線なんて、本当にあったのだろうか。
「そして、そんなつまらない事をついつい考えてしまっては、こうして毎夜の様に寝るのが遅くなってしまっている訳で……」
そんな私は、はたして何と呼ぶべきなんだろう……?
──何って……。
カリカリと。
手の動きを意識してない状態にも関わらず、我が右腕は器用に文字を描いていた。
それは、まるで自動書記状態にあるかのようにして。
手にしたままだったシャーペンによって、メモ帳に言葉が描かれていく。
──単なる馬鹿?
まあ、内容については、見ての通り“お察し下さい”な感じなんだけど。
「……それは、ちょっと酷くない?」
そんな右手の描いた言葉に思わず苦笑を浮かべてしまう私に答えるようにして。
我が右手に握られたままのシャーペンは続けて言葉を紡いでゆく。
──じゃあ“暇人”で良いんじゃないか?
「暇人、ね。……う、う~ん。言われてみれば、確かに、そんな感じなのかも……?」
なるほど、そうきたかー、と。
我が右手の相棒(ちなみに、名前はまだないし、付ける予定もない)の独特な感性による発想に感心しながらも。
心の何処かでは、そのストレートかつ嫌味ったらしい表現をひどく嫌がっている様だった。
「どうやら、この灰色の脳細胞様は、星空に恋人たちの逢瀬を夢見た古代の偉人達と同等の評価を求めているようですよ?」
──阿呆。そんなつまらんことを考えてる暇があったらさっさと寝ろ。明日の朝、早いんだろ? 起きられなくなるぞ。
我が右手の相棒は、今日も素敵にぶっきらぼうだった。
「まあ、そう言わないでよ。私は、気になることがあったら眠れなくなる性質なんだから」
少なくとも、どんな形でも良いから自分の中で一区切りつく位まで話が片付いていること。
それをクリアしてないと、考えている内容が気になりすぎて妙に目が冴えてしまって眠れなくなるという、なかなかに厄介な特殊体質なのだから仕方ない。
──つまらんことを気にし過ぎだから、そんな雑念のノイズに囚われるんだ。
いわゆる心頭を滅却すれば~ってヤツですか。違うかもしれないけど。
──まあ、似たようなモンだろうな。
呆れたような雰囲気が描かれた文字からも伝わってくる。
というか、相変わらず素敵にアバウトで大雑把かつ適当ッスね、先輩。
貴方のそういうトコ、私も見習いたいもんだけど、どうしたら良いんスかね?
つーか、先輩とか言っちゃったけど、同い年なんだろうから先輩もクソもないんだろうけどね。
というか、基本、コイツってば私の右腕な訳なんだし。
──それが我が身の最大の不幸なのかも知れんがな。
またまたー。今日も素敵にツンデレなんだからー。
──デレた覚えなんぞ一度もないぞ。
相も変わらず我が右手の相棒の舌鋒の鋭さはチョモランマ級だわ。
……うん、我ながら、何言ってんのか全くもって意味不明だけど。
──つきあってられん。
そうため息混じりに吐き捨てるようにしてサラサラ~っと描くと。
『 (#・∀・) 』
ページのど真ん中に、でっかく「私、不愉快です」といった顔文字を描いて見せる。
次いで、指一本だけで器用にページをめくっては、新しいキャンバスを用意してみせたりする。
……さりげなく器用になってるような気がする。
最初の頃は『さっさとページめくれよ。書けないだろうが』ってイライラしながら『さっさと手伝え、この馬鹿』ってジェスチャーするだけだったのに。
これも一応は成長って事になるのかな……。
そんな脇道に脱線しかけていた私の思考を引き戻すようにして大きく文字を描いて、注目っと言わんばかりに、ぐりっと丸で囲むと、ペン先でトントンと叩きながら指し示してみせる。
『 境界線 = 日付変更線 』
ページの半ばに大きく書かれている不等号式。
「……これは?」
思わず、そう訪ねてしまった私に、さらさらっと答えが描かれる。
──こういうことを考えていたんだろう?
そう、思わず断定されてしまった訳だが、確かに、今日と昨日と明日の境界線は……。
「いや、これだと考え難いかも」
そう、ちょっとだけ考えなおして書き加えようとした私に前に『待て』と言わんばかりに右手の割り込みが入る。
我が右手の相棒は容赦なく展開を先読みしていたらしく、私が話から脱線しそうになる度に、その道の先を塞いでくるのだ。
それは、まるで「さっさと正しい道の方を進め」とばかりに誘導までしてくる始末だ。
『 昨日 | 今日 | 明日 』
さらさらっと目の前に描かれる三要素。
今回も、我が右手の相棒は、鮮やかに話を先取りして先回りをしてみせると、答えの部分に○をぐりっと描いて見せていた。
「丸がそこに書いてあるってことは、その三つのうち“今日”の部分を基準に考えてみろって意味で良いのかな?」
そんな私の声に応えるようにして、我が右手は次なる文字を、先ほどの文字の下の辺りに刻んでいく。
『 過去 | 今 | 未来 』
なるほど。つまりは、先ほどから、そういう意図をもって書いていたんだろうと理解する。
「昨日の今日の境界線、今日と明日の境界線は、その縦線ってことで良いのかな?」
その確認に『OK』とだけ書き込まれる。
つまり、予想通り、縦線が境界線を意味しているってことらしい。
たしかに、概念的には、この通りになるのだろうと思うのだけど……。
でも、実際に、昨日と今日を区切っていた境界線って何だったんだろう……?
「ん~。単純に考えたら、やっぱりカレンダーになるのかな……」
昨日から今日に日付が切り替わる時、そこには何が関係しているか。
それを単純に連想していってみると、最初の答えはやっぱり「日付」となった。
日付が進んだから、昨日から今日になった。
とどのつまり、それはカレンダー。日付って事だった。
昨日の日付が三日なのだとすると、今日になれば四日となる。
つまり、日が変わった時の必然として、日付が三日から四日に切り替わった訳だ。
「じゃあ、そのタイミングに一番深く関わっているのは……?」
……結局の所、日付の変更のタイミングには「時間」が深く関わっているという答えに行き着くのだと思う。
つまり、昨日から今日への切り替わりによって日付は変動している。
昨日という日の終わりのタイミングで日付の部分の数字が変動しているんだ。
それはまるで桁上りするようにして日付の部分の数値が増えて、時間は再び0カウントに戻っているのだから。
──そして、この動作を私達は何度も見ているはずだ。
そうだね。
この動作を、私は何度も見てきている。
これに酷く似た物を私は何度も目にしていた。
……そう。時計だ。
一分は六〇秒。つまり“秒”が五九秒から六〇秒になる瞬間に一つ上の桁である“分”が加算されている。
一時は六〇分。これも“分”が五九分から六〇分になる瞬間に一つ上の桁である“時”が加算されるいる。
では、その上の桁の場合は、どうか?
計算上の“時”の最大値と、その上の桁は?
“時”の上の桁は、言うまでもなく“日”ということになるのだろう。
なぜなら、一日は二十四時間なのだから。
そして、ここでも上の桁はやはり存在していて、この上の桁は“月”であり“年”だった。
つまり、時間という物は以下のような関係性を持っている事になる。
1年 = (12ヶ月 X 約30日)
= 約360日
= 約360日 X(24時間 X 60分 X 60秒)
とりあえずこのように書き出してみたが……。
「うん。ちょっと分かりにくいかも」
三行目の右。
二十四時間分の秒を計算している部分が、いわゆる時計が表示しているサイクル部分になる。
二十四時間分の秒を“時:分:秒”形式で刻んでは、カウントが0に戻っている。
それが時計の表示している時間のサイクルであって、基本的に一日の時間経過を示している事になる。
ただし、ここに日付の単位を足した場合には、話が少し違ってくるのだろう。
一日の時間が経過した時、時間の表示では数字はリセットされて振り出しに戻っている。
だが、実際にはカレンダーの日付部分に加算が行われている。
一日分の時間が経過したことで、日付の表示が一日分進んでいるんだ。
そして、それが月の末日だった場合などには更にややこしいことになる。
日への加算と同時に、日のリセットが行われて1日に表示が戻るのと同時に、月への加算が行われるのだ。
それによって月の表示が切り替わり、日のカウントがリセットされる事になる。
これは年の場合も同じだ。
月が12まで進んでいた場合には、月が加算されるのと同時に年が加算されて月の表示がリセットされるのだから。
そういった意味では、時計もカレンダーも表示している物は『時間』そのものなのであって、表示している内容の単位が違うだけで中身は同じ物という考え方も出来るのだろう。
「つまり、カレンダーも端的に言ってしまえば時計の一種って訳で、時計と同じく“時間”を示しているってことになる……」
だからこそ日時とか、年月日時分秒などといった、カレンダーの内容と時計の内容をつなげた時間の表現方法があったりするのかもしれない。
「じゃあ、今日と明日の境界線って、その時間の中の何処にあるの……?」
眉毛がキリリと近寄っていく。
今日と昨日という『日』単位で時間を区切った場合に、その両者を分けている境界線が何処かにあるのではないか。
それを仮定として、その区切り線の在処を考えている以上は、答えは必然として一点に集約されてしまう物なのかもしれない。
「昨日と今日……。それを切り替えている境界線……」
昨日から今日へ切り替わるタイミングは?
今日から明日へ切り替わるタイミングは?
──な? 同じタイミングだろ?
言われてみれば確かに、それは同じ物でしかなかった。
「……二十四時間ずれてるけどね」
誘導されたつもりはないが、どうやら相棒と同じ答えに辿り着きつつあるらしかった。
「昨日と今日。今日と明日。二つの日付が切り替わっているタイミング……。日の数字が変わる瞬間……。それは、二十四時間の終わる瞬間。日の加算が行われているタイミングのこと……。その瞬間に日の数字が切り替わって、今日が昨日へ変わり、明日が今日になる。……明日が今日へなるべくやってくる。そんなタイミングとなると……」
すなわち、必然として、午前0時。あるいは午後12時ということになる。
──そのタイミングを示している概念的な記号が『日付変更線』って事だ。
厳密にいえば私の探していた境界線とは少し性質が違うのかもしれないが、ほぼ意味合いが変わらない物が既に存在していて、こうして広く認知されているだけでなく、世界中で使われているという“事実”に。その雄大な答えのもたらす満足感と興奮に、私は深い感銘と納得を同時に抱いていたのかもしれない。
──という訳で、もう納得出来たし、満足出来たろ? つー訳で、寝ろ?
「……いや。まだよ。まだ終われない……」
イカン。このままだと本当に「おいおい。それって日付変更線のことじゃねーの?」という、至極真っ当なだけの面白みがない結論に至ってしまって、私は「そんなことも分かってなかったのかよ」ってレベルのアホの子扱いで終わってしまうじゃないか。
──いや、実際アホの子ですし?
やかましいわっ。だいたい、私がモノ知らずのアホの子だったら、そんなアホの子の右腕でしかない貴方も、私と同じくアホの子ってことになっちゃうでしょうが。
──いや、お前とは別人格だと思ってるんだけど?
同じ脳みそ共有してて、別人でーすなんて通るかっ!
──じゃあ、どうするの?
どうするかっか……。いざ『じゃあ、お前はどうしたいんだ?』なんて改めて聞かれると、答えに詰まってしまうのは、ここから先に『答え』となる物が存在していないと自分でも薄々とは分かっていたからなのかもしれない。だから、こんなに困ってしまっているのだろうけど……。
「ホント、どうしよ……」
このまま眠気に負けて枕に顔を突っ伏して、降参の白旗を挙げてしまえば?
そうなれば、私は“今日と昨日の境界線”という言葉から“日付変更線”という当たり前の答えすら連想出来なかったアホの子として、いろいろな意味で敗北が確定してしまう。
「……それは面白くないなぁ」
どうしても、それは納得も出来なかったし、納得したくもない結論だったからだと思う。
だったら、ここでFAとせずに、無理にでも足を前に進める必要があった。
ここから先は一歩先も見えない闇の中、足元に道があるのかすら分からないのに。
そんな闇の中に自分の求めているような『答え』なんて本当にあるのかどうかすらも分からないままに。
ただ、その中を彷徨い続ける事にもなりかねないのに?
それでも、私は、ここで立ち止まる訳にはいかなかったのだ。なぜなら……。
──そんなにアホの子扱いが嫌なのか?
当たり前でしょーが。
何が何でも、それだけは回避してみせる!
──まっ、無駄な足掻きでしかないと思うがな?
笑いたくば笑え。馬鹿にしたければするが良い。
アホの一念岩をも穿つってヤツを思い知らせてやるんだから。
──さりげなく自分がアホの子ですって認めるよな、それ。
「うっさい!」
そう強がってはみたものの、ボフンと頭を枕に沈めて。
いやね……。ぶっちゃけ、いきなり行き詰まってマス。
というかね。
今日と明日の境界線なんていう、ありきたりな言葉で表現される概念に、日付変更線以外の答えなんてある訳ないでしょ。
常識的に考えて。
それなのに「そんなことない。きっと何かある筈」って悪あがきしてる私は、紛うことなきアホの子である訳であって。
逆説的に、アホがまた馬鹿な事してるって笑われている構図な訳で……。
……それでも、どうしても、諦めたくないんだよねぇ……。
何故かまでは知らない。
でも、単なる意地の他にも、何か理由があるんじゃないかって気がしている。
単純にアホの子呼ばわりされるのが嫌なだけって訳でもないと思うんだよね。
自分でも良くわからないんだけど、何ぁんか納得行かないっていうかさ……。
「……何かを見落としてるのかなぁ……?」
何気なく自分で口にした言葉だった訳だけど、それは何故か妙にしっくりときて……。
心の何処かにずっと引っかかってた小骨のような“何か”がスト~ンって落ちた気がしたんだ。
……そっか。わたし、何かに気がついてるんだ……?
根拠も何にもないんだけど、漠然とした予感みたいな感覚によって。
私は自分の心の中に残った“わだかまり”の尻尾を既に掴んでしまっていたんじゃないかと思う。
その尻尾の先に、私が求めている本当の答えに繋がるヒントがあることを感じていたから。
だから、諦めたくなかった……?
「じゃあ、やっぱり、何かを見通しているってこと……?」
もう一度、振り出しに戻って考えてみよう。
今度は邪魔者を交えずに、一人だけで考えてみたかった。
そう決めた私は、余計なツッコミを入れてきては茶々を入れて場をかき混ぜて去っていく我が右手の相棒から、意思表現の手段であるところのシャーペンを奪うべく、右手に握られたままになっていた筆記用具を左手に持ち替えてると、右手を布団の中にしまいこんで、メモ用紙の位置も左手の近い場所に移動させていた。
ちなみに私の利き腕は左だ。
そのため、いつもは左手で書いたり箸を握ったりしている。
つまり、私は日常生活で右手はまともに使っておらず、そんな右側で文字を書くことは本来出来ないはずであって……。
それをもってして、我が右手の相棒が私のイタイ自演行為などではない事の証明となってくれているはずだった。
まあ、文字を書けないはずの私の右手が、ある日突然痺れたみたいになって、おもむろにメモ帳の上に文字を書き始めた時には、そりゃぁもう驚いたのなんのって……。
まあ、そんな話は今は関係なかったし、そこそこ昔の話な上に、ちょっとやそっとでは終わらないレベルの長話になってしまいかねないから今はやめておくけれど……。
『今日という範囲は?』
閑話休題というか、それらの雑念を断ち切るようにして、左手でサラサラっと。
これまでの筆跡とはまるで違う、私の一番見慣れた筆跡で、メモの上に言葉が描かれていく。
無論、私が自分の意思で描いている文字なのだから、私の一番見慣れている自分の筆跡以外の何物でもなく。
そこに、何の違和感も感じるはずもなかったのだが。
「今日という範囲は、午前0時から午後24時まで……。よね?」
答えをメモに書き足していく。
次いで、次の確認事項を書き込む。
『明日の始まる瞬間は?』
そんなのは、明日の午前0時に決っている。
こんなのは、言葉にするまでもない。
そのまま、答えを直接書き込んでいく。
『では、境界線の在処は何処か?』
今日と明日の境界線。つまり、日付変更線ってことか……?
毎日、午後24時に頭上を通り過ぎるとされている概念上の直線。
この惑星、地球の北の極点と南の極点を結んでいる縦線で、二十四時間で一周回るとされている。
その線が頭上を通り過ぎれば日単位でカウントが追加されて、それ以下の単位がリセットされる。
つまり、“時:分:秒”の『時間単位』から“年/月/日”の『日単位』への桁上りが行われる。
まさしく、この線こそが今日と明日の境界線と言えるのかもしれない。
「……さっきは、そういった真っ当な結論に至った筈」
そう。この答えはあまりに真っ当過ぎた。
だからこそ、何かに気がついたのかもしれない……?
「……じゃあ、ここで何に気がついたっていうの……?」
自分一人だけで考えた場合には先ほどと同じ結論に辿り着いた。
つまり、気がついた“何か”はそこ以外の部分で見つけたということになる?
自分の布団の中にしまわれた右手に視線を向けて、その発想を検討してみる。
「……指摘された内容にヒントがあるってことかな……?」
もう一度、さっきまでの右手の相棒とのやりとりを思い出しながらメモ帳を読み返してみる事にする。
もしかすると、そこに何かヒントが埋もれているんじゃないかって思ったから。
そう思って、ペラペラと。
あえて最後から先頭に向かって、時系列を逆に辿りながら見ていたのだけれど……。
『 境界線 = 日付変更線 』
右手の相棒が最初に私に示した自分の考え。
その大きく書かれたメモ書きがやけに私の目を引いていた。
「今日と明日の。昨日と今日の。その境界線とは。……日付変更線の事……。だよねぇ?」
もしかすると、これがあったから妙に気になっちゃってたのかな……?
さっきの自分でたどり着いたと思ってた答えは、実は誘導された結果だったんじゃないかって?
だから、もう一度、余計な割り込みなしの状態で、自分が同じ結論にたどり着くか試してみたかったんじゃないかなって。
そう、考えてしまっていた……?
……でも、誘導されたにせよ何にせよ、一度、自力でたどり着いちゃった結論ってヤツに至るまでの思考の道筋、ルーチンっていうか発想とか呼ばれるルート? そういうのって、もう私の中に刻まれちゃってるだろうから、そう簡単には、別のルートをたどる道って作りづらいっていうか、そういう道に別れているはずの分岐点を見つけづらいんじゃないのかな……? って、そう思うんだけど。
そう布団の中で「うーん」と頭を抱えていた私の目に、ふとした瞬間に、奇妙な物が飛び込んできていた。
『 境界線 ≒ 日付変更線 』
それにようやく気がついたというか。
……うん。これまでずっと気がつけていなかっただけなんだろうね。
それは、きっと思い込みとか先入観とかのせいだったんだと思うから。
『 ≒ 』
そう。そこに書かれていた等号は(=)などではなかった。
そこに書かれていたのは(≒)という記号であって。
その意味は『等しい』などではなく『ほとんど同じ』という、近いけど厳密には異なっているといった符号であり、別の意味をもった記号だったのだ。
「……ニアリー……? なんで、こんなとこにさりげなく……。っていうか、これホントにニアリーなのかな? ……うん。そう、みたい。うっすくて小っちゃいけど、確かに何か点が打ってあるっぽいし」
ということは、私の相棒は境界線の在処に心当たりがあるってことになる?
それか、厳密には日付変更線とは言いがたい、境界線の概念が他にもにあるってことになるんだけど。
「近いけど。ほとんど同じ物なんだけど、厳密には違う……?」
……午前0時。あるいは午後12時。
脳裏に自分が境界線の正体として、日付変更線に辿り着いたと思った時に浮かんだフレーズが蘇っていた。
「0時。あるいは24時、か」
とりあえず言い方を一二時間表記から二十四時間表記に変えてみる。
午前0時。それは、全ての時間がリセットされる瞬間だ。
その瞬間に戻るためには、午後12時を迎える必要がある。
だから、夜の24時を迎えた瞬間に日付が代わり、時間が0時にリセットされて振り出しに戻る。
つまり、そこに境界線があるって事になる……?
24時を迎えた瞬間に、その境界線は頭上を通り過ぎる。
「……24時になる。同時に頭上に日付変更線がやってくる。日付が変わる。時間が0時に戻る……」
ごく単純な理屈であり、仕組みであって。
この世界の『時間』という概念の仕組みの一種でもあるはずだった。
「私が探している境界線は、日付変更線とほぼ同じ物であり、何処かが、何かが異なっている物……?」
概念的に異なるというのは何となく分かるのだけど。
でも、具体的に何処がどう異なっているのかなんて分かるはずもない。
──まだ分かんないのか?
そう言いたげに筆記用具を奪われて黙らされていた右手の人が、おもむろに布団の中から姿を現すと同時に指をパチンと鳴らして。こっち見ろとばかりに自己主張をして見せる。
「指で縦線を二本引いて……。片方の線に横向きの指……? ううん、矢印って意味?」
その解釈で合ってると言いたげに親指を立ててサムズアップしてみせると、もう用はないとばかりに布団の中に潜り込んでいってしまう。……多分、先に寝るからなって意味だと思うのだけど。
「二本の縦線。片方に交差する横向きの矢印……」
二本の線。縦の線。片方はただの縦線。もう片方は横向きの矢印が交差していて。
私が探しているのは境界線で。それに似てるけど微妙に違ってるのは日付変更線。
「……二本の線と二つの似てる線……」
そういえば、日付変更線は縦向きで、境界線も似てるんだろうから恐らくは縦線。
縦線二本……。片方に矢印。その矢印の向きに何か意味があるのかな……?
「いや、向きじゃない……。矢印は動いてる事の印。片方は動いていて、もう片方は動いていない……!?」
つまり、動いている方が日付変更線で……。
「……そうか。境界線は動かないんだ……」
なぜなら、常に日付変更線の位置にある昨日と今日、あるいは今日と明日の境目だから。
日付変更線とは常に動いていて、今日を昨日に押しやって行っている線のことであって。
そんな線の真下に。その日付の変更線に重なるようにして、境目と呼ぶべき『壁』は存在している……!?
ガチッ。
その時、僕の耳に、時計の色んな歯車が同時に動いた音が聞こえていた。
アナログ形式の機械時計で、先ほどまでは“23:59:59”を示していた。
そんな時間の表示は、いつのまにか“00:00:05”に変わっていた。
……いつのまに五秒も過ぎていたんだ。
そして、日付の表示部分は“12:31”から“01:01”に切り替わっている。
あの瞬間、恐らくは色々な連動動作が一斉起こっていたのだと思う。
秒から分へ。分から時へ。時から日へ。日から月へ。そして、月から年へと。
内部的に、色んな数字が繰り上がりを繰り返していって、それと同時にカウンターがリセットもされていた。
年に一回だけある、よりも僅かに時間のかかるとても長く感じられるかもしれない瞬間だっからかな……。
「だから、アイツは、その瞬間を。“境界線”の存在を認識出来てしまったのかもな」
そして、そこにそんな壁が立ち塞がっている事に気がついてしまったから。
だから、そこに引っかかって、引きずられて行ってしまったのではないかなって……。
そう、僕なんかは考えてしまうのだが。
「……お前は、どう思う?」
そう問い掛けてみても、まだ僕の左手は、自らの想いを書き出す事も出来ないらしい。
ショックで意識を失ってしまっているだけなのか。
あるいは、何かしらの事情があって目を覚ませなくなったのか……。
いつか、かつての『僕』の様に、自分なりに意思表現出来るようになってくれれば良いのだが……。
「……一応は、忠告しておいたはずなんだがな」
今日は、そんな下らない事なんて考えずに早く寝ろよって。
それに、この世の中には、触れてはならない謎がある事も……。
語り継いではならない神秘が日常の裏側に潜んでいる事も……。
そう、これまでも何回も教えてきたつもりだったのだけど……。
「好奇心というのは、本当に罪な物だな」
おそらくは、ある日突然、右手が動き出した時にでも。
そして、自分勝手に腕を乗っ取って意思表示を始めた時も。
「お前は、もっと真剣に捉えるべきだったんだ。自分が怪異と神秘の淵に立っていた事を……」
人が神秘の深淵に触れるようとする時。
その神秘は虎視眈々とこちらを噛み殺そうと狙っているのだ。
そして、油断をしていると、この通り。取り返しの付かない事になる事があるという事も……。
「……だが、神秘に飲み込まれてでも深淵を覗いてみたい。そう願っていた馬鹿には、ある意味、願ったり叶ったりな結末だったりするのか……?」
そんな僕の言葉に、アイツは何も答えを返してはくれなかった。